翡翠(ひすい)の緑

 

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 ロシアの翡翠。鮮やかで瑞々しい緑色が目に流れ込んでくる。柑橘類や椿の新葉のような緑色、こういう石、他にあるだろうか。

 緑色の石というと、蛍石マラカイト(孔雀石)、クリスプレーズ(緑玉髄)が思い浮かびますが、上の翡翠のような彩度、明るいトーン、透き通った、光沢のある照(てり)、それに艶々感はない。ふと、エメラルドを連想した。

 ミャンマー翡翠は、高いクオリティのものは専らルースに加工され、よく見かけるのは沈んだ色、澱んだ、黄色の混じった地味な色のものが多い。

  高麗青磁の釉色を翡色(秘色)と言って讃える人がいました。いましたと、過去形なのは、昭和初期から戦後にかけての古美術の本を読んでいると、そんな記述をよく目にするからです。

 翡色は、翡翠の色に由来しているのですが、中国・朝鮮の伝統文化のフィルターが濃厚にかかっている色です。山奥の沼の淵のような深い色というか、墨の入った沈んだ青緑色。

 この色を再現するため一生を賭けた陶工の話しとか、この色の焼物を生涯、探し求めた骨董コレクターの話しとか、 翡色に憑かれた人たちのマニアックな逸話があります。

 もしかしたら、翡色の良さというものは、客観的なものではなく、主観的なもの、歳をとると分かってくるようなものかも、と思っています。

 

 中国では、美しい翡翠を琅玕(ろうかん)と呼んできました。色は緑の中でも黄緑に近い青竹色を中心に、半透明で、油を流したような、トロリとした質感の翡翠のことです。

 少し話しが逸れますが、どうも物体のトロリ感という感触に、中国の人たちはフェチ的な魅力を感じているようで、有名な和田(ホータン)玉をはじめ、中国で古来から現代まで連綿と続いている玉器文化の核心は、このあたりにあるように思えます。

 そういえば漢の緑釉壺にトロリとした緑のものがあったのを思い出した。

 青竹色の翡翠を中国の人たちは一番に推しています。そういえば、欧米では、翡翠の色の美しさをアップルグリーンとか、インペリアルグリーンと評していますが、青竹色はアップルググリーンと近いので、まあ、世界基準のような大方の評価はそのあたりにあるのかもしれない。

 先日、テレビで中国の高官が不正蓄財で失脚したというニュースを観ました。中国国内で放送された番組の一部でしたが、その中でチラリと、貯めこんでいた品々を映した場面があって、翡翠を彫った宝飾品も出てきました。当然というか、青竹色をしていたのに気づきました。

 しかし、個人的な好みで言えば、青竹色の翡翠は清々しいけど淡白、ちょっと弱いかな。「緑の宝玉、すだちのパワー」・・・これは JA 徳島の特産品、酢橘(すだち)の宣伝コピーですが、ロシアの翡翠はまさにこんな感じで、こっちの方が魅力的。

  わたしがアマノジャクだから大方と反対のこと言ってるんでしょうか?  でも、大方の人たち、ロシアの翡翠の色を知らないから、そんな評価してるんじゃないかとも思っている。

 というのは、上質の翡翠の産地は、地球上で数えるほどしかなく、有名な産地は、ミャンマーグアテマラぐらいで、ロシアの翡翠はあまり知られておらず、流通量も少ないからです。

  エメラルドと張り合うような翡翠もあるってこと、ここだけの秘密。・・・秘密の味は、蜜の味でしたか、みんなが知ってるっていうよりも誰も知らないって方が甘美な感じでいいですね。

  一昨年、上野の国立博物館故宮博物院の「翠玉白菜」が展示されました。翡翠の彫刻で、虫がとまった白菜をリアルに細密に作っている。すごい人気で、2〜3時間並んでやっと見れた。今、想い出すと、待ちくたびれたのと、現物は思っていたより小さかった、そんなことが記憶に残っている。

 そうそう、白菜の葉の緑色の部分は、水晶やガラスのような透明感があり、ロシアの翡翠と同じような色が出ていました。「翠玉白菜」は清朝の時代、雲南からミャンマー(正確な産地は分かっていないとか)で採掘した翡翠を彫ったものなので、ミャンマー翡翠の中には、ロシアのものと同じようなものがあるはず。

 透明感のある美しい緑色で、あれだけのサイズの原石を掘り出すのは極めて稀なことだと思う。「翠玉白菜」の凄さ、見所は、そこにある。

 

  9 月 24 日、日本鉱物科学会が「日本の石」として翡翠(ひすい)を選んだというニュースがありました。これまでは衆目、日本の石といえば水晶で通っていたので、少し意外でした。この選定については、異論もあった。日本の歴史、文化からすれば水晶になるのが自然ですが。

 縄文時代から古墳時代にかけて勾玉のような呪物の素材として用いられたこと。この事実は確かに一目置かれてもいい。でも、その後、昭和になるまで忘れ去られた石だった。つまり日本の歴史や文化には関わりがなかった。一方、鉱物としては翡翠(硬玉)は、世界的に産地の限られた鉱物で、水晶がそれこそどこにでもある鉱物なのとは大違い。このあたりが「日本の石」に選ばれた決め手だったのではないかと思う。

 

 

 

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 上の写真は、糸魚川市青海の翡翠糸魚川翡翠では、まあまあのものだと思っています。 冒頭のロシアの原石は磨いたもので、こちらは、そのままの原石なので、その分差し引いて見なければならないですが、それでも段違いな感じがします。

 翡翠にはいろいろな色があって、いちばん多いのは白、漂白剤で真っ白になったような白、でも普通の石よりも少し重いので分かる。糸魚川翡翠では、白の他、黒っぽいもの、灰色、緑系、青系、ラベンダー色のものもある。

 ラベンダー色の翡翠がいいという人もけっこういます。確かにきれいな色で、フェミニンな雰囲気、アメリカのユタ州で採れるティファニーストーンと呼ばれている石に似ている。

 

 ところで、新潟の翡翠なんだなと思いながら眺めていると、なんか身近な、親しみが芽生えてきて、これはこれでいいなと、味わいがあるというんでしょうか、だんだん良く見えてきます。穏やかな緑、優しい若草のような緑もまたいい。日本の翡翠の緑は、含まれている鉄の発色で、ロシアの翡翠の緑はクロムの発色という違いがある。

 ロシアの翡翠を見直すと、凄く美しいですが、それが極まりすぎて、エキセントリックに見えてきて・・・う〜ん、変ですね、最初はベタ誉めしてたのに、文末近くなってきて、自分で言ってること変わってる。

 結局、翡翠といっても、いろいろあって、それぞれの良さを楽しめればいいんだな、と思う次第です。

 

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キエフ公国の十字架

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 この夏の開眼・・・ちょっと大げさかもしれませんが。

 8月はじめの日曜日の朝、骨董市に出かけました。真夏日、地下鉄の出口から会場まで歩く途中でもう汗が流れ落ちます。この日のお目当てはウクライナで出土した11 〜 12 世紀の十字架、少し前、別の骨董市の会場でちらりと見かけ気になっていた。

 会場に着いてお店はすぐに見つかりました。店主さんに声をかけると、箱の中からビニールの袋を取り出して、中に入っていた小さな十字架を十数点、テーブルに並べてくれました。

 発掘品の青銅の十字架で表面は青錆に覆われていますが、長い年月、地中にあったにもかかわらず形状は崩れていない。

 

 見た瞬間、目に入ってきたのが上の写真の十字架。今、振り返ると自分でも不思議なぐらいコンマ1 秒もないぐらいの瞬間。 いきなり直球勝負でした。十数点を見比べたのではなく、即、これ!と、最初から決まっていたみたいな感じでした。

 それは、構成要素の部分、部分を観察したり、見比べるような分析的思考ではなく、瞬間的に全体を感じる統合的思考つまり直観ってことだったように思います。

 炎天下の強い日差しで、視覚の彩度感知力が異常にアップしてたのでしょうか、4 センチほどの小さな十字架ですが、光沢のある青い玉が5つちりばめられ、四方に金色の帯が光っている。 室内で撮った写真は、背景が真っ白ということもあり、どうも感じが違って見えてしまうのが残念。

 発掘品で土が付いているので、室内照明の下だとこういった色彩、見過ごしてしまうかもしれません。

 十字形の装飾された形状と、ガラス質のヌルっとした青、古色の鈍い金色。フォルムと色が一体になった存在、何て言えばいいのでしょうか、直観的に他のものとは別格の完璧な存在に感じられました。

 

  アンティークの十字架のコレクターがいるのは知っています。しかし、わたしには、あまり関心がありませんでした。

 2 年ほど前から、世界各地の古代の遺物を集めはじめ、そんな流れで骨董の店や市を覗いたりしていた。アンティークって、だいたい100年ぐらい経ったもののことを言うのですが、わたしが夢中になったのは、千年、二千年から新石器時代ぐらい前のもので、フランスやヨーロッパ各地のアンティークの十字架を見かけても、なんか新しすぎて(?)食手が動かなかった。

 でも、この十字架は、そういう目とはまた違った、直観的に惹かれる何かがありました。

 

  この十字架の上の方には、ペンダントを吊るすためのような輪がついている。調べると、当時、キリスト教文化圏では、エンコルピア(エンコルピオン)と呼ばれる、小さな十字架を鎖につないでネックレスのように吊るす様式が流行していたことが分かりました。

 青色と黄色はエナメル細工で、ビザンチン美術の宝飾品に用いられた様式です。

 ウクライナキエフは、中世のキエフ・ルーシー(キエフ公国)の首都で、東ヨーロッパ有数の世界都市として繁栄していました。ロシアという名は、キエフ・ルーシーのルーシーに由来しているそうで、歴史的には、現在のウクライナから枝分かれして出来た分家の国家がロシアということになっています。

 10 〜13 世紀頃、キエフ・ルーシーの職人たちは、その頃のヨーロッパでトップクラスの装身具製造技術を誇っていたとか。

 

   犬も歩けば棒にあたるというか、もともと質素な生活をしている自分のような者でも、好奇心の持ち方次第で、いろんなものと出会えるんですね。

 そうでした、開眼の話し・・・上に書いたような最初の直観、あたかも対象物(十字架)が向こうから自分の心というか魂に飛び込んできたように感じたあのときのインパクト、その感覚のことを別の言い方をすると開眼といえるのではないか、そんなふうに思っています。(この話しは続きます)

 

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江戸の石仏、見て歩き

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 以前、浅草を中心に向島、上野、千住、谷中界隈をよく歩きました。

 東京の下町を歩き回って感じたことですが、思っていたほどには昔の建物がありません。調べると、1923 年の関東大震災と1945年3 月10日の大空襲の二つの大惨事、さらに戦後の高度成長とバブル期を経て、江戸時代から明治、大正、昭和はじめの街並は大方、なくなっていることが分かりました。

 それでも、あちこち散策していると、古い時代の名残、雰囲気の残っている一角も僅かにあって、そんな神社仏閣を見つけると、なにかとても貴重な新発見したような気持ちになった。

 

  境内の片隅に江戸時代の石仏やお地蔵さんが並んでいる寺もあり、なんとなく気になっていた。多くは、目立たない場所に、忘れ去られたように置かれている。

 気になったというのは、素朴な作りの石仏がとても柔和な、清らかな表情をしているのに惹かれたわけです。

 写真は、ともに如意輪観音といわれる石仏で、「 半跏 」といって右脚を立て、右手を頬にあてたポーズ(これを「思惟」といってます)をしていることから半跏思惟像と呼ばれています。これらの石仏は、江戸時代の享保の頃、だいたい300 年ぐらい前に作られている。

 美術史の本を読むと、日本の仏像で高く評価されているのは、主に木造(木彫り)です。また、仏像の歴史を通観すると秀でた仏像は平安、鎌倉時代までで、江戸期は、すでに全盛期をすぎていて、型にはまった生命力の弱いものが多いといわれています。

 公(おおやけ)の評価は、こんな感じですが、こちらは門外漢ですし、我流の目からそれとは別の見方をしています。

 

 如意輪観音という石仏は、江戸時代も中頃になって、経済的な力をつけてきた町人の、特に女性の墓標として当時流行したそうです。そのあたり、野仏とは趣が異なります。

 名のある仏師がひとつひとつ作ったものではなく、無名の石工(職人)さんたちがたくさんの石仏を量産している。

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 この石仏のお顔は、よく観音様といってイメージする仏とはだいぶ違います。面長のうりざね顔、切れ長の目・・・浮世絵や錦絵の美人画を彷彿とさせる。

 そういえば、喜多川歌麿の「寛政三美人」の中のひとり、当時、江戸で一番人気だったおきたさんに鼻、眉、口元などよく似ています(上の写真は、「寛政三美人」に描かれたおきたさん。実在の女性です)。

 察するに、そんな容姿は、注文主の意向というか、好みを反映していたのかも。注文主は、貴族や武家、僧侶ではなく町民、いわば庶民でした。武士や僧侶は、身分、家柄、伝統や格式みたいなものに縛られて、そんなに自由な発想を持てなかったと思う。庶民だからこそ素直に自分たちの好みを選べたのではないでしょうか。

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  こういった背景を考えると、石仏といっても、仏教や宗教の世界からの目とはまた違った目で見ることもできるように思えます。

 石仏は、季節、季節、違った表情を見せてくれます。梅雨のころ、石仏を覆った苔が雨に濡れ深緑色に染まった姿も、真夏の夕暮れ、雑草に覆われ葉の隙間から垣間見る姿も、大寒の早朝、朝日の射した姿を拝するのも、春夏秋冬それぞれ違った姿を見せてくれます。

 博物館で鑑賞するのとは違い、気兼ねなく一人だけで間近に見れる。

 わたしは、木漏れ日の射した如意輪観音の横顔が好きです。木や銅で作られた仏像に日が当たるのとは違った、石の彫り、石の肌ならではの、沈思黙考の鎮まりに惹かれます。

 触ることもできる。彫刻って感触で感じるということもありなんですね。木陰で腰を下ろしながら眺めたりすることもできる。そんな自由さも気に入っています。

 

 ◎(最初の2枚)谷中の玉林寺・・・地下鉄「根津」駅から言問通りの坂を上る途中にある。本堂の裏手の傾斜地に樹齢700年のスダジイの古木があります。この裏手の一角は、そんなに広くはない敷地ですが、東京の中心部としては奇跡的に鬱蒼とした森が残っていました。

 石仏は、本堂裏手の傾斜地の階段に沿って並んでいます。ここに行く通路、時により閉まっていることもあり、そのときはお寺に声をかけてみてください。

 

 ◎(後の2枚)茗荷谷深光寺・・・地下鉄「茗荷谷」駅から歩いて3〜4分ほど。駅から坂を下った、ちょうど拓殖大学の正門の真向かいにあるお寺。この寺には、江戸時代のキリシタン燈籠が遺っていました。そういえばキリシタン屋敷跡もこの近く、なにか関係してたんでしょうか?。

 石仏は、寺の入り口の階段から脇に逸れた傾斜地に並んでいます。そのあたり薮(やぶ)になっていて、落ち葉や雑草の生えている土の地面で歩きづらいかもしれません。

 

 ここでとりあげた二カ所のお寺以外にも、石仏のある寺はたくさんあるので、散策してみると楽しいです。

 

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