街歩きと巨樹

  3 月になり沈丁花の香りが漂っている。その生っぽい香りは、啓蟄(けいちつ)の香りとも言えるようです。 啓蟄 は「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)時期のこと、そういえば昨夜、雨上がりの濡れた路上をガマガエルが歩いていました。    年明け、「兆しの香り」と勝手に呼んでいる蠟梅(小寒ごろに開花)から立春になると梅の香り、その次が沈丁花啓蟄)の香りと続きます。温帯の風土では、花の香りは自然界の季節の移り変わりと対応してるように感じます。

 ついでに一言。歩道脇の植え込みや花壇、公園整備などで積極的に植えられているからだと思うのですが、街に沈丁花クチナシ、金木犀が増えている。それぞれ開花の季節になると、その香り一色になってしまう。

 どれもいい香りの花ですが、画一的に強要されてるみたいな気がしないでもなく、ちょっと疑問に思っています。

 

  ときどき街歩きをしています。 天気のいい午後、フラリと出かける。特に目的地はなく、知らない街ならどこでもいい。長く東京で生きてきましたが、未だに山手線で降りたことのない駅もあって、行き当たりばったりにそんな駅で降り、街を歩く。

 表通りを歩くよりは、脇道、細い路地や抜け道、回り道、尾根や山道(みたいな地形の道)、廃道、猫道、へび道(谷中のくねくね道)、迷路みたいな道がいい。

 先週は、田端駅で降りて上中里駅まで歩きました。ターミナル駅でなく、大きな施設も特にないエリアなので、東京の西側を生活圏としてきた者には、はじめての街です。  土地勘のないところを歩く場合、憶えている電車の駅や線路、幹線道路との距離感、それに太陽の向きと土地の起伏で自分のいる位置の見当をつける。原始的だけど、不器用でものぐさの自分には気が楽でいい。

 それに、どこか場所を探すにしても、名所旧跡や人気スポット、老舗や名店といった特定の場所ではないですし、強いてあげれば、過去・・・昭和の雰囲気だったり、明治、大正、あるいは江戸の名残といった・・・いわばタイムトラベルなのですから。ああ、パン屋さんで海老かつパンとか肉屋さんでメンチ、ポテトコロッケ、そんな買い食いはしますが。

 

 田端駅の南口、ネットでも喧伝されてますが、崖の斜面にぽつんと建っているこじんまりした民家風の駅舎。改札口を出ると、周りの様子、目に入る情景は、みんな仮設っぽい雰囲気。それから急坂を上ると静かな住宅街が広がっている。ラーメン屋とか居酒屋、コンビニといったどこにでもある駅前の景観とはずいぶん違う。

 このあたりは高台になっていて、上野の山から日暮里、田端、王子、十条と続いている武蔵野台地の崖線の尾根なんですね。昔の(明治時代ごろの)言い方だと、台地の下が下町で、上が山の手。その頃は、今の山手線の外側は郊外でした。

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 特にいくあてもなく歩いているうち、住所の表示は西ヶ原になり、そのまま住宅街を歩いていると、曲がり角の先に大きな樹がある。一株だけなのですが、森のような茂み。

 大きな樹を見つけると、見にいくことにしている。大きな樹、だいたいは古木なんですが、もちろん都会ではそういう樹が珍しいってことがありますが、どういうふうに言えばいいのか、大きなものを見ると心が躍る。

 「大きなもの」と言っても、生き物、生命体です。きっとシロナガスクジラなんか見ても似た情感が生まれるはず。

 そういえば、なになに神社、寺の大イチョウとか、どこそこの大ケヤキと言われてる巨樹が各地にありますね。

 近づくと緩やかな坂道の中ほど、道路脇に椎(スダジイ)の樹が繁っていました。四方八方に根を這り、幹は三本に別れている。樹齢はそんなには古くないかと思われますが、 道の端っこの狭いスペースの中で成長してきた根や幹に、植物の生気、いのちの意思を感じます。

 ふと思ったのですが、鉱物(非生命)の場合、例えば、水晶や瑪瑙の晶洞の内部には小さな結晶が密集しているのが見える。みごとな造形ですが、それは周りの環境によって定められた物理的な法則性に則って出来た形です。

 一方、このスダジイの姿は周りの環境に抗していのちを持続させようとして出来た形です。最近、生命が存在する条件のある惑星(太陽系外の39 光年離れている恒星の惑星ですが)が7つ見つかったとか。もし、そこに生命が生まれてたとしたら、もし知性を持った生命だとしたら、なんかワクワクする。

 思うに、そのエイリアンが仮にSFに出てくるようなシリコン生命体とかガスとかプラズマ体といろいろ想像できるにしても、いのちを持ったものだとしたら、自然に抗して自己を持続させようとする力が形になったもののはず。その意味では、このスダジイや人間と同じじゃないか。

 ということでは、あのからみあいゴツゴツした根っこを見て、なんか強烈なインパクトを感じたのは、目には見えないいのちを垣間見たってことなんじゃないでしょうか。

 冬でも深緑色の照りのある葉に覆われ、枝の間に陽が差し込まず薄暗くなるほど。この雰囲気、シッキムの照葉樹林のジャングルを思い出す。鬼太郎の仲間の妖怪たちや森の精霊の住処は、こんな幹の洞だったんじゃないか・・・住宅街の路地でそんな夢想に耽っていました。

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  谷中、玉林寺のスダジイ。境内の傾斜地を山に見立てた庭園があるのですが、その一角は照葉樹林の森のよう。このあたり、江戸時代のさらに前、武蔵の国と呼ばれていたころは、こんな感じだったのではないのか。

 山の中腹に一目でこの樹だと分かる存在感のある古木がありました。幹周り5.63 メートル、高さは 9.5 メートルとずんぐりしている。

 寺の門前のプレートには、この樹は、寺の創建(1591年)以前から存在していたと書かれていました。樹齢400年を越えているようです。一時期、樹勢が衰えたが、手を尽くし回復してきたのだとか。

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  もうひとつ谷中で、「みかどパン」というお店の脇のヒマラヤ杉。この辺り寺町ですが、町のシンボル的存在になっている。というか、三っ角の分かれ目にある大樹なので、どうしたって目につきます。

 近くに建っている説明のプレートによれば、昔、植木鉢で育てていた杉だったそうです。樹齢としては、百年か、それに達しないぐらいではないかと思いましたが、家屋と大樹が一体化した姿が、なにか特異な パラサイト的存在として人の心に印象を刻みます。

 写真を見ると分かるように、この杉は庭に植わっているのではなく、家の軒下からせり出し、道路を浸食し大樹になってしまった。でも、この樹が一本あることで、街の人たちの心をずいぶん和ませているのではないか。大きな木のそばにいると、心が落ち着く。それに、夏は日陰ができます。

 

  東京のようなスクラップアンドビルドの都市では、まあ江戸の昔から火事や地震、それに空襲と、それが伝統になっちゃってるんですが、それでも、どこかに時間の中に根付いているもの、 昔の時代と継続しているものが、目に見えるもので、そういうものがあるのはホッとする。

 自分たちは、いつの間にかバーチャル世界の都市で暮らしているのだとしたら、そこがいくら便利、豊か、快適、 清潔、安全でも、人間の生自体が嘘っぽいものに薄められた人生を送っているってことではないでしょうか。

 

 ついでに、地元で気になっている樹を幾つかあげときます。

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  年末、年始に開かれる世田谷のボロ市の通りにある代官屋敷の玉樟、一般的にはタブノキと呼ばれています。温暖な海岸地に多い常緑樹、といってもそれは昔のことで、大高木になる木でもあり、近代化の中で切り倒されてしまい、大樹は少なくなっています。

 ここは毎日歩いているコースにありますが、晴れた青空の日、この樹の前で足をとめ、伊豆や紀州の海辺にいるかのようなイメージに浸るのもいい。やっぱり自分は照葉樹林の樹木が好きなんですね。

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  三軒茶屋の駅のすぐ隣り、目青不動の境内にあるチシャノキ。 落葉樹で大木になる樹ですが、まだ樹齢はそんなに古くはないと思います・・・と思っていたのですが、ある資料にこんな一節がありました。引用しておきます。

「(目青不動には)東京では珍しい100 年以上の古木『チシャノキ』[名木100選]が境内にある。元来日本西南部の木で、カキノキに似るためカキノキダマシの名もある。琉球では葉を食用とし、チシャ[レタスの仲間]の味がすることでこの名となる。」(「三軒茶屋かいわい」せたがや街並保存再生の会、2000 年)

 世田谷区は、1960 年代の高度成長期の前までは畑や雑木林が残っていました。その後、多くは消え去りましたが、今も僅かながら名残りもある。区の木として定められているのは槻(けやき)、区の鳥はオナガと、武蔵野のシンボルみたいなとりあわせです。

 右の平屋は、お堂の端っこですが、昭和レトロのひなびた感じ。今も初夏の夕方、コウモリが舞っています。

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 ボロ市通りにある天祖神社の槻(けやき)。夜、帰り道になっていて、境内を通り抜けるのですが、よくベンチで一休みします。目の前に大きな槻が立っている。

 昼間は近くの保育園の子供たちが遊んでいる場所、でも夜はひっそりとしていて、そのうえ闇が雑多なものを隠してくれるのでとてもクリーン。

 毎年、ここで夜桜を見る。桜が終わると槻の芽吹きを賞で、梅雨になると、銅葺きの本殿の屋根の緑青がひときわ映える。そうそう、槻の幹を覆っている苔の雨に濡れた鮮やかな緑色もいい・・・。

 すくっと直立した槻の太い幹は、まるで天に伸びる柱のよう。

 

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ジャワ島の女神

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  ジャワ島の青銅仏、後ろ姿です。体の前面は、青錆に覆われ地肌がよく見えない。 頭部と膝に潰れた跡か、小さな穴が開いている。

 錆は、顔のある体の表の方に厚く、背の方は比較的薄い。そんなわけでクリーニングをしてみました。地を痛めないように布ブラシで錆の盛り上がった部分を丁寧に擦り鋤く。錆の粉末が埃のように舞います。垢擦りみたいな感じですが、暫くして輪郭がすっきりしてきた。

 錆が薄くなると、背中から腰、臀部がはっきりしてくる。長い間、地中で眠っていた間の傷や腐食、こびりついた土、汚れをできるだけ落とすと、生気が蘇ってきた。

 なんとか見れるようになった背の方をこちらに向け置いてみる。深夜、なにげなく目をやると、今にも歩き出しそうで、びっくりしました。

 

   上腕部からギュとくびれ引き締まったウエストと、「 〉」の形にカーブした脊椎骨、モデルというか、アスリートというか、フィギュアの人形みたいなプロポーション。これはトリバンガと呼ばれる体をねじったポーズで、10 世紀初期に作られた南インドチョーラ朝の彫像に由来しているらしい。

 肩や背の筋肉など写実的でありながら、全体的には人間離れしたミュータント、そんなスーパーリアルな造形で、これが日本の鎌倉時代から室町時代のころ作られたとは驚きです。

 女性の仏像というと、日本や中国では観音菩薩への信仰が厚い。観音菩薩の姿形は、大乗仏教の要である慈悲の教えを体現しているように造られていて、母性的、お母さんっぽい感じものが多い。ジャワの仏は、奔放で、躍動感があって、観音様とは、ずいぶん雰囲気が違う。

  以前、ジャワ島の東部で古い貨幣を発掘していたとき、地中に埋まっていた仏像が出てきて、その中の一体。 13〜15世紀頃にあったマジャパヒ王国という国の仏像とのこと。

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 ついでにマジャパヒト王国の銀貨、これも発掘品ですが、小さなボタンぐらいの大きさでお椀のように膨らんだ形をしている。こういうのを探して地面を掘ってたわけですね。

 ジャワ島=インドネシアは、今はイスラム教の国で、古い時代の仏像は、骨董の世界でもそれほど出回っていない。東南アジアの仏教圏の国々から出るものに比べると、遥かに少ないのですが、おそらく後世のイスラム化のなかで偶像として仏像は破棄、破壊されてしまったのだと思います。

 

  なんだか新しい美の発見をしたような気持ちになりました。そういう美の発見って、とっても面白い。発見といっても、彗星とか、新種の菌とか、 遺跡とか、UFOとか・・・といろいろあるけど、美の場合は、突き詰めてくと自分がそう感じたからそうなの、と主観だけで完結してるところが心地よい。

 自己満足といえば、 100%その通り、世の中と無関係に自分だけが発見し(たと思っていて)、一人で悦にいってるんですから。

 でも、究極的には、満足ってことが人生で一番大切なんじゃないの。例えば、人生で成功することと、満足することのどっちが大切かっていえば、結局、満足の方になるでしょ? ここで言ってる「究極的」って意味は、末期(まつご)の目から振り返って見た人生のことです・・・少し脱線しました。

 

 ジャワ島は、インドネシアの首都ジャカルタがある島です。島といっても、大まかに日本の本州の半分ぐらいの面積があり、日本の人口と同じぐらいの人が住んでいる。      ジャワ島の歴史を調べると、7世紀の中頃から10世紀までシャイレーンドラ王国という大乗仏教の国がありました。東南アジアの仏教は、上座部仏教だといわれていますが、歴史的には錯綜しているんですね。ジャワ島には、世界最大級の仏教寺院といわれ世界遺産になっているボロブドゥール遺跡がありますが、シャイレーンドラ王国の時代に造られています。

 その後、13 世紀末から250 年ほどマジャパヒ王国が栄えました。今のマレーシアやフィリピンの一部まで勢力範囲が及んだとか。長期にわたり政治的に安定し、交易が発展したという。前に、クメールの仏像の話しの中で、かってのクメール王国は東南アジアの大国だったと書きましたが、マジャパヒ王国もそんな大国だったようです。

 世界史というとき、それはユーラシア大陸にあった国や民族の興亡のことだと思ってきたのですが、それとは別の世界史もあるのですね。

 現在、イスラム教のインドネシアでバリ島だけは例外的に土着のヒンドゥー教が信仰されている。その背景も分かってきました。15 世紀になるとジャワ島のイスラム化が進みますが、そのときマジャパヒト王国からバリ島に落ち延びてきたヒンドゥー教が定着したということなんですね。

 

 マジャパヒ王国は、ヒンドゥー教仏教が融合した宗教を奉じていたという。そういえば、仏教の本家インドでも、8 、9世紀には仏教ヒンドゥー教は兄弟みたいな関係になっていて、両者の間にはそれほど垣根がなかったってことを思い出しました。そんな融合の中で仏教の新潮流として生まれたのが密教でした。

 これまで、女神とか仏像とか、なんとく曖昧に呼んできましたが、遡るとヒンドゥー教の女神と、仏教の弁財天、吉祥天のような天部の仏は「同一人物」(まあ、人間ではないですが)なんですね。インドでは土着の女神と菩薩が融合してもいる。

 で、じゃあこの女神、仏像は、一体誰なんだということになりますが、手に蓮華の茎らしきものを持っているところから多羅菩薩でしょうか。でもアジャンター石窟群の蓮華手菩薩もありました。

 メトロポリタン美術館に収蔵されている南インドチョーラ朝のパールヴァテイ立像もトリバンガのポーズでよく似ている。 9〜 13世紀、南インドを支配していたチョーラ朝というヒンドゥー教の王国があったのですが、そこで造られた神仏の青銅像は似たパターンです。

 思うに、日本ではインドの北からユーラシア大陸の内部ルートを通り、中国を経由した仏像に馴染みがあります。地球儀ではインドは半島の形をしていて、南は行き止まりになり、そこから先は海。でも、インド南部から海路でインドネシアの方に伝わった仏像もあって、ジャワの女神はその末裔のようです。

 多羅菩薩は、もともとはヒンドゥー教の女神ターラーなのですが、仏教では観音菩薩から生まれた娘ということになっている。親子という訳です。日本ではあまり馴染みのない仏ですが、チベット密教では広く信仰されています。

 長い眠りから覚めたら、見知らぬ異国にいたってところでしょうか。ここでゆっくり休んでください。

 

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蠟梅(ろうばい)と枇杷(びわ)の花の香り 

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 大寒に入り、蠟梅(ろうばい)の花が開花している。庭木や公園の植木として植えられているのでよく目にします。

  出だしから少し横道に逸れますが、何日か前、冬鳥のツグミジョウビタキ、それにホオジロも見かけました。一年で今が一番寒さが厳しいんだな、と感じる。

 以前、ホオジロは一年中よく見た野鳥だったのですが、このところめっきり姿を消していた。他方、以前は冬鳥だったはずのメジロは一年中、よく見かける。総体として野鳥の種類は減っていて寂しい・・・話しを戻します。

 蝋で作ったかのような質感の黄色い花びらは、ツルツルしていて半透明、近づくと真冬の青空が透かして見える(写真参照)。  

 蠟梅は、年明け最初に香る花です。名前に「梅」の字が入っていますが、梅とは別の科の植物で、香りも異なります。 毎年、開花はもうすぐかな、と気にしてきたので、頭の中では、1月(睦月)と蠟梅の香りは一体化している。

 仄かに甘い、淡い香り。梅の花のような濃密な甘さや艶、ふくよかさはなく、客観的に語ると、そんなに個性的な香りではなく、割と凡庸というか、芳香剤にあるような誰もがいい香りと感じるようなタイプの香りです。

 古来、七香のひとつにあげられてきた梅に対し、蠟梅は脇役といったところでしょうか。

 でも、霜柱が立ち、吐く息も白い早朝、冬枯れの木立の道を歩いていて蠟梅の香りと出逢うと、そういった客観的な評価とは別に、この上なくスウィートな至福感に満ちた香りに感じられます。

 

 先日、本棚の片隅で埃をかぶってた永井荷風の日記『断腸亭日乗』のページをめくっていたら、文中に「蠟梅馥郁たり」といった記述があるのを見つけました。

 荷風は、昭和7、8、9年と正月元旦に墓参のため雑司ヶ谷墓地を訪れるのですが、毎年、蠟梅の花の咲き具合などを書き留めています。

 残念ながら香りについてはふれていない。当代一流の教養人にして好奇心旺盛、観察力の優れた文学者にしてなお、香りや匂いについては、あまり視野に入っていないのかもしれない。

 嗅覚は、五感の中でも最も原始的な感覚器官といわれます。思うに、現代の人間は五感の中では視覚偏重の世界に生きていて嗅覚は疎んじられ気味です。

 その原因を根源的にまで遡ると、文字、数字の読み書き、それらを媒介する印刷物、動画などが、大脳新皮質の機能と連動して、視覚偏重を更に加速させているように思えます。他方、嗅覚は、肉体性の方により近い感覚器官なので、視覚ほどには意識の俎上に上ってこないのではないか?

 

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 晩秋から年明けぐらいにかけて、枇杷(びわ)の花が開花している。上の写真は、花の部分だけを拡大して写しています。実際に常緑樹の枝で咲いているのと、ちょっとイメージが違っているかもしれませんが。

 枇杷の花は、初冬の季語になっています。この時期は、そろそろ開花期も終盤で、花は枝についたまま茶色に褪せてきている。

 あまり目立たない地味な花で、人に気づかれず咲いています。この花の香りは、けっこう好きです。

 どんな香り? イメージするとしたら杏仁豆腐の香りいえば分かりやすいかと思います。香で言えば、バニラやトンカビーンを連想する。

 フローラルでグリーン、ふたつの方向性が溶け込んだクリーミーでクールな絶妙な香りです。補足すると、バニラやトンカビーンには、このグリーンなところはないんですね。

 蓮の花の香りもそうですが、グリーンな香りという要素が、ただフローラルだけではない独特の癖、別の言い方をすると「個性」ということになるのですが、そんな特徴を生んでいる。

 

 蠟梅と同じく枇杷も中国原産の樹木ですが、生花の香りは、日本の風土と季節感に結びついた独特の情緒を醸し出している。それは密閉された部屋の中で純粋に香りだけを嗅ぐのとは異なります。

 人間にとって香気って嗅覚(感覚器官)の感度だけでは語れない、歴史や文化、その人の個人的な記憶などが絡みあった心象なのではないでしょうか。

 大寒の頃、関東では太平洋高気圧の影響で快晴の日が多い。寒い朝、乾燥した空気、突き抜けるような青空・・・枇杷の花の香りを想い出そうとすると、こんな情景も一緒に浮かんでくる。

 そういえば、枇杷の花の香り、子供の頃に同じ(ような)匂いを嗅いだことがあったような記憶があります。既視感というと視覚の世界のことですが、それと同じような感じです。想い出そうとするのですが、どうにもつかみどころがなく、あやふやではっきりとは想い出せずもどかしい。

 

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クメールの石像

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 真夜中、目が覚めた。豆電球に照らされた石像が見える。7 世紀のクメールの神像、 枕元のテーブルの上に置いていた。暗がりに浮き上がった横顔は、生きている人のよう。

 砂岩を彫ったものですが、砂岩といっても、よくインドの彫像、例えばカジュラーホーの寺院で知られるチャンデーラ朝の彫像などに用いられている砂岩に比べ、きめ細かく、滑らかな質感です。青みがかった緻密な岩石で、暗がりでは、しっとりとした人の肌のように見える。

 そういえば、カンボジアの石像について、こんなことを書いている本がありました。

   「人体の美しさは、骨や筋肉だけではなくて、この皮下組織の弾性に支えられている。それまでの古代美術は、西洋も含めて皮下組織の表現には関心を払わなかった。ところが古代カンボジアの芸術家は、皮下組織の美しさを発見し、それを意識して表現したらしい。カンボジアの石像の独特の肉体表現は、この新しい発見によるものだと私は思った。」(『私のガラクタ美術館』多田富雄

 ちょっと即物的な話しになりますが、この指摘に補足して、クメールの地で、皮下組織、肌を表現する素材として絶好の砂岩が産出されたことが大きかったように思えます。

 

 クメール王国は、最盛期の西暦1000年〜1250 年代頃、カンボジアを中心に現在のラオスベトナム、タイ、マレー半島まで版図が広がっていたという。想像以上に、大きな王国であったようで、そこでインド文明の影響を受けたクメール美術が花開いていたことを知りました。

 この石像は、最近、クメール文化を在野で研究している方に譲っていただいたのですが、その方の話しでは、クメールについて究明されていることは少なく、遺跡の調査も手つかずの場所がたくさんあるとのことでした。

 いろいろな国の仏像、インドやチベット、東南アジア、中国、それに日本も加えていいですが、その中でもクメールの石像には、他の地域にはない一種特異なリアリティを感じる。

 美術史では、サンボー プレイ クック様式と呼ばれるらしいのですが、この石像が造られたのは今から 1200〜1300年ほど前、カンボジアの歴史では、前アンコール期という時代区分になります。だいたい日本の奈良時代から平安初期にあたる。

 仏陀がはじめて人間の姿で表されたのは、つまり最初の仏像は、1 世紀頃、今のイランからアフガニスタンにかけてを領土としたクシャン朝で生まれたといわれます。それがガンダーラの仏像でした。

 その後、仏像が広まっていった地域では、どこでもそれぞれ独自の仏像や神像が造られるようになり、そして歳月を重ねていくにつれ、姿形は、その地域の特徴を帯びたパターンのものになっていく。様式化していくと言ってもいい。どこの国、地域でもおおよそそんな進化をしている。

 ところがクメールで造られた彫像は、何故か、そういった様式化の流れを免れ、生身の肉体や表情の姿を写実的に極めていく。はじめてクメールの仏像を目にしたとき、鮮烈な印象を受けました。

 石像が作られた頃の日本は平安時代でした。その頃、近年とみに高い評価を得ている興福寺の阿修羅像が作られている。世界の仏像の中でも、この阿修羅像は、別格というか、特異な存在感があるんじゃないかと思っています。日本の仏像の歴史でも、突然変異のように現れたように思う。

  ちょっと横道に逸れますが、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』という小説は、世の中にある美しいものを蒐集するために盗みをはたらく耽美主義的な盗賊が主人公でした。阿修羅像は国宝になっているし、一個人が欲しいと思っても黒蜥蜴でもなければ手に入りません。

 もともと日本の古い仏像はとても高価、というか、すでに収まる所に収まってしまっている。日本のコレクターの人気度では、当然、日本の仏像がトップ、その次に周辺の東アジアの仏像、それにガンダーラの仏像、チベットの仏像などが続く。

 これまで東南アジア圏の仏像には関心が薄かった。でも、この 20 年ぐらいか、東南アジアの仏像について、関心を持つ人たちが増えています。

 

 言葉で表現するのは難しいですが、クメールの初期の仏像と阿修羅像を見比べていると、共通して写実性の中に、なにか清冽なイメージを感受します。現代の文明が作る文物にはない清冽さ。どういうことかと言うと、人類が今よりもっと素直で、純粋だったころの精神の形状で、近世、近代では、死語になってしまったイメージではないか。

 阿修羅像は乾漆造でした。漆を用いる造形の技法は、日本だけのものだとか。なるほど、「世界の仏像の中でも、この阿修羅像は、別格というか、特異な存在感がある」と書きましたが、要は、表現力の問題にとどまらず、製造技術というところに注目すべきなんだな、と思いました。

 きめの細かい砂岩の磨いた表面と乾漆の表面は、光のあたり具合で、金属や木質、岩石とは異なる一種フェチ的な質感を生み出していて、それが鮮烈なイメージを醸し出すのに寄与しているように感じる。

 

 薄明かりの石像は、目を開け、生きているようでいて、でも息はしていない。いつ見ても同じ表情なのが奇妙に思えてくる。 静止したまま、匂い立つような、シャープな若々しさを発散し続けている。

 1300 年間、歳をとらず、ずっと同じ表情の瞬間で止まったまま、こんなふうに、ただいたんだな。きみは、昔も今も同じ時間が止まった世界にいるんだな・・・。

 冒頭、ふと目が覚めたと書きましたが、それは、布団の中で寝ていた犬が、夜中、水を飲みにいき、戻ってきて、また布団に潜り込もうと、足でわたしの頭をゴシゴシしたからでした。

 目が覚めてしまい、ふと、布団の中の犬の寝顔を見る。犬って、すごく寝付きがよくて、布団に潜り込むやいなや、もう熟睡してる。鼻筋の通った細面、はて?誰かに似ていたな・・・オードリーヘップバーンのモノクロ写真、こんな顔してたっけ・・・と、とりとめもない夢想に浸っているうち、昼間、誰かが「犬は人間の4倍の早さで歳をとっていくんだよね」と話してたのを思い出す。その言葉、妙に耳に残っていた。

 ・・・こいつは、人間より時間が4倍も速く進む世界にいるんだな。この世にいる時間、そんなにたくさんはない。そんなことを考えていると、仏陀四門出遊の話しみたいな気持ちになっていく。

 時間って、突き詰めると、主観的な現象ですよね?  実は、この宇宙に客観的な時間なんか存在しなくて、本当は今しかないんでしょ。畢竟、自己意識と時間って、同じ現象を別の言い方で言ってるんでしょ?

  石像は時間の止まった世界にいる、犬は4倍速の時間の世界にいる、そして、今、それを寝ぼけ眼で見ている自分が、夢うつつの中で交わっていました。

 

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11 月の香り・・・花梨(カリン)

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 11 月の香りといえば・・・花梨、それから師走になったら柚(ユズ)でしょうか、ついでに年明け 1 月は蠟梅(ロウバイ)。蠟梅は、梅という字が入っているけど、梅とは別の科の植物で、寒入り頃から淡く甘い繊細な香りの花を咲かせます。

 いつ頃からか自分の内では、花梨〜柚〜蠟梅といった冬の香りのコースが出来上がっている。

 カリンは、バラ科ボケ属の落葉樹の果実で、身が詰まっていて重量感があります。中国原産、江戸時代に渡来したといわれている。

 都会では、晩秋から初冬にかけて八百屋さんやスーパーの店頭にカリンの果実が並ぶ。とはいえ、それほど需要がないんでしょう、マイナーな扱いで隅の方に置かれている。

 ときどき、公園や庭に植木として実をつけているのを目にします。今の季節、木の周りに実が落ちていたりする。

 手に持つと、どっしりとした感じ、皮はつるつるしている。果肉は硬く酸味が強く、そのままでは食べられない。ハチミツ漬けにしたり、カリン酒を作ったりしますが、昔からその芳香を楽しむという人も多かった。

 中国では、漢方薬として用いられてきた他、衣類の香りづけや、部屋の飾りとして置いたりしてきたようです。

  香りを言葉で表現するのは難しいですが、清楚、フルーティで優しく滑らかな香りです。 

 

 このところ夕方 5時前には暗くなる。冬至まであとひと月ぐらい、天地の気が弱くなっているのを感じる。そんなとき、カリンの香りは、気分をポップに持ち上げてくれる。それも穏やかに。

 夜、寝る前、枕元にカリンを一個、置いておくだけで、仄かに香りが漂ってきます。  1O日ほど前から、毎晩、こんなふうにして寝ている。深夜、シーンと静まり返ったなか、カリンの香りが流れてきたときのことをよく憶えています。

 この方法は、以前、あまりにいい香りのする花にびっくりして、一枝、持ち帰ったのを踏襲しています。

 それは、文旦(ぶんたん)の花でした。柑橘類の花は、みんないい香りですが、特に文旦の芳香は、極まっているように思っています。

  花の場合は、一輪挿しみたいにして枕元に置いておくのですが、カリンは果実なので、ただゴロンと転がしておくだけでいい。

 それにナチュラルな、生の植物の香りって、とてもいいです。柔らかで、生き生きした香り、もっと多くの人に知ってもらいたい。

 改めて気づいたのですが、カリンの香りは、リンゴの香りにも似ています。リンゴの香りを少しスイートにして、6〜7 月の熟した梅の実の香りをミックスした感じ。

 元来、トロピカルな香りが好きなんですが、カリンのような温帯のフルーティーといった香りもまたいいですね。寒い季節には、そんな静謐な香りの方が合っているような気がしてきました。

 

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高齢者介護施設での香の会

 

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 10 月中旬、秋晴れの水曜日、高齢者介護施設で香の会を行いました。 4年前からボランティア活動として、年に 2〜3回ほど香の会をしてきました。

 今回は、午後2 時から 1 時間の設定で、8種類の香をまわしました。参加される 方々の気力、体力などを考え、1 時間の枠内で収めるようにしています。参加者は14 人、うち 13 人が車椅子を利用されています。

 リハビリルームの一角に、大きなテーブルを2 つ配置し、それぞれのテーブルに介護士の方が一人つきます。

  最初の頃は、香炉を隣りに人にうまく手渡しでまわせるか、途中で飽きてしまう方が出てきたらどうしょう、もっと基本的なことで、そもそも香りに関心もってもらえるだろうか、といろいろ心配しました。  

 でも、何回かやってみると心配は杞憂だということが分かりました。それまで施設の日常生活では、ほとんど喋らなかった方が、ぽつりと「いい香り」と言葉を発してくれたり、それには職員の方もびっくりしたとか、ふと香りにまつわる思い出を話してくれたり、香炉を隣りの人に手渡しすることで、それまで互いに無関心だった方々同士の間でコミュニケーションが生まれたり、とポジティブな手応えがありました。

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 毎回、テーブルに自然の草花を置いています。季節の庭木や雑草を採ってきて、ボウルに生けます。今回は、草花のまわりに色づきはじめた落ち葉、ドングリ、シイノミや柿、石榴の果実なども並べました。  

 会の手順は、まず焚く香の説明から入ります。上の写真のような感じで、 それぞれの香の産地の場所がどこにあるか、黒板に張った手作りの世界地図で解説します。その香が歴史的に、どのように使われたきたかなどの話しもします。  

 ついでに、そのままでも香りのする香は、焚く前に、直に触って匂いを嗅いだりもします。この日は、香以外にも、空き地で採ってきた赤シソの葉、庭のラベンダーの葉の匂いも嗅いでみました。  

 何年かここで香の会をしてきて、嗅覚への刺激が心身のリハビリに役立つのではないか、そんなことを感じています。

 

  この日、焚いた香は、ラベンダー、サンダルウッド/白檀、スウィートグラス、フランキンセンス/乳香、アラビアの香(ドバイ)、伽羅、ローズダマスク(バラ)、ミルラでした。

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 ちょっとしたエピソードを紹介します。4 番目に焚いたフランキンセンス(乳香)のときでした。フランキンセンスは木の樹脂です。この日は、それまで花穂、香木、葉といった比較的マイルドな素材を焚いてきましたが、樹脂の香りになり、香りの強さがぐんとアップしました。

 離れた所からも、すぐにその変化が感じられたようで、所々から「香りが強くなった」と声が上がりました。こんな感覚の変化、香りの違いを見つけるのも楽しみのひとつです。  

 次にミルラをまわしました。ミルラも樹脂で、基本的にビターな香りなのですが、仄かな甘さもあります。「甘い香りがするでしょうか?」と聞いてみました。  

 すぐに一人の方が「はい!」と小さく呟きました。 思わず介護士さんから「(分かって)よかった!」と相槌の声。というのは、ミルラの甘さは、香りの奥の方に隠れているので、気づかないこともあるからです。  

 「甘み?」と、聞き返す方もいる。どうも、よく分からないような様子。  横から、また別の方が「焚いたとき最初に出ていた香りと、後になって出てきた香りは、違うんでしょうか?」といったコメント。  

 「だんだんとマイルドな香りになっていくみたい」といった感想を述べる方もいる。  香りがだんだんマイルドになっていくってことは、別の言い方をすると、奥の方で仄かな甘さを感じるってことだと理解しています。  

 こんな感じで、香りから、そのときの感覚を振り返り、反芻したり、あるいは、どんなふうに感じたか、他の方と会話が生まれたり、そんな話しを聞くのは、とっても勉強になっています。

 

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翡翠(ひすい)の緑

 

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 ロシアの翡翠。鮮やかで瑞々しい緑色が目に流れ込んでくる。柑橘類や椿の新葉のような緑色、こういう石、他にあるだろうか。

 緑色の石というと、蛍石マラカイト(孔雀石)、クリスプレーズ(緑玉髄)が思い浮かびますが、上の翡翠のような彩度、明るいトーン、透き通った、光沢のある照(てり)、それに艶々感はない。ふと、エメラルドを連想した。

 ミャンマー翡翠は、高いクオリティのものは専らルースに加工され、よく見かけるのは沈んだ色、澱んだ、黄色の混じった地味な色のものが多い。

  高麗青磁の釉色を翡色(秘色)と言って讃える人がいました。いましたと、過去形なのは、昭和初期から戦後にかけての古美術の本を読んでいると、そんな記述をよく目にするからです。

 翡色は、翡翠の色に由来しているのですが、中国・朝鮮の伝統文化のフィルターが濃厚にかかっている色です。山奥の沼の淵のような深い色というか、墨の入った沈んだ青緑色。

 この色を再現するため一生を賭けた陶工の話しとか、この色の焼物を生涯、探し求めた骨董コレクターの話しとか、 翡色に憑かれた人たちのマニアックな逸話があります。

 もしかしたら、翡色の良さというものは、客観的なものではなく、主観的なもの、歳をとると分かってくるようなものかも、と思っています。

 

 中国では、美しい翡翠を琅玕(ろうかん)と呼んできました。色は緑の中でも黄緑に近い青竹色を中心に、半透明で、油を流したような、トロリとした質感の翡翠のことです。

 少し話しが逸れますが、どうも物体のトロリ感という感触に、中国の人たちはフェチ的な魅力を感じているようで、有名な和田(ホータン)玉をはじめ、中国で古来から現代まで連綿と続いている玉器文化の核心は、このあたりにあるように思えます。

 そういえば漢の緑釉壺にトロリとした緑のものがあったのを思い出した。

 青竹色の翡翠を中国の人たちは一番に推しています。そういえば、欧米では、翡翠の色の美しさをアップルグリーンとか、インペリアルグリーンと評していますが、青竹色はアップルググリーンと近いので、まあ、世界基準のような大方の評価はそのあたりにあるのかもしれない。

 先日、テレビで中国の高官が不正蓄財で失脚したというニュースを観ました。中国国内で放送された番組の一部でしたが、その中でチラリと、貯めこんでいた品々を映した場面があって、翡翠を彫った宝飾品も出てきました。当然というか、青竹色をしていたのに気づきました。

 しかし、個人的な好みで言えば、青竹色の翡翠は清々しいけど淡白、ちょっと弱いかな。「緑の宝玉、すだちのパワー」・・・これは JA 徳島の特産品、酢橘(すだち)の宣伝コピーですが、ロシアの翡翠はまさにこんな感じで、こっちの方が魅力的。

  わたしがアマノジャクだから大方と反対のこと言ってるんでしょうか?  でも、大方の人たち、ロシアの翡翠の色を知らないから、そんな評価してるんじゃないかとも思っている。

 というのは、上質の翡翠の産地は、地球上で数えるほどしかなく、有名な産地は、ミャンマーグアテマラぐらいで、ロシアの翡翠はあまり知られておらず、流通量も少ないからです。

  エメラルドと張り合うような翡翠もあるってこと、ここだけの秘密。・・・秘密の味は、蜜の味でしたか、みんなが知ってるっていうよりも誰も知らないって方が甘美な感じでいいですね。

  一昨年、上野の国立博物館故宮博物院の「翠玉白菜」が展示されました。翡翠の彫刻で、虫がとまった白菜をリアルに細密に作っている。すごい人気で、2〜3時間並んでやっと見れた。今、想い出すと、待ちくたびれたのと、現物は思っていたより小さかった、そんなことが記憶に残っている。

 そうそう、白菜の葉の緑色の部分は、水晶やガラスのような透明感があり、ロシアの翡翠と同じような色が出ていました。「翠玉白菜」は清朝の時代、雲南からミャンマー(正確な産地は分かっていないとか)で採掘した翡翠を彫ったものなので、ミャンマー翡翠の中には、ロシアのものと同じようなものがあるはず。

 透明感のある美しい緑色で、あれだけのサイズの原石を掘り出すのは極めて稀なことだと思う。「翠玉白菜」の凄さ、見所は、そこにある。

 

  9 月 24 日、日本鉱物科学会が「日本の石」として翡翠(ひすい)を選んだというニュースがありました。これまでは衆目、日本の石といえば水晶で通っていたので、少し意外でした。この選定については、異論もあった。日本の歴史、文化からすれば水晶になるのが自然ですが。

 縄文時代から古墳時代にかけて勾玉のような呪物の素材として用いられたこと。この事実は確かに一目置かれてもいい。でも、その後、昭和になるまで忘れ去られた石だった。つまり日本の歴史や文化には関わりがなかった。一方、鉱物としては翡翠(硬玉)は、世界的に産地の限られた鉱物で、水晶がそれこそどこにでもある鉱物なのとは大違い。このあたりが「日本の石」に選ばれた決め手だったのではないかと思う。

 

 

 

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 上の写真は、糸魚川市青海の翡翠糸魚川翡翠では、まあまあのものだと思っています。 冒頭のロシアの原石は磨いたもので、こちらは、そのままの原石なので、その分差し引いて見なければならないですが、それでも段違いな感じがします。

 翡翠にはいろいろな色があって、いちばん多いのは白、漂白剤で真っ白になったような白、でも普通の石よりも少し重いので分かる。糸魚川翡翠では、白の他、黒っぽいもの、灰色、緑系、青系、ラベンダー色のものもある。

 ラベンダー色の翡翠がいいという人もけっこういます。確かにきれいな色で、フェミニンな雰囲気、アメリカのユタ州で採れるティファニーストーンと呼ばれている石に似ている。

 

 ところで、新潟の翡翠なんだなと思いながら眺めていると、なんか身近な、親しみが芽生えてきて、これはこれでいいなと、味わいがあるというんでしょうか、だんだん良く見えてきます。穏やかな緑、優しい若草のような緑もまたいい。日本の翡翠の緑は、含まれている鉄の発色で、ロシアの翡翠の緑はクロムの発色という違いがある。

 ロシアの翡翠を見直すと、凄く美しいですが、それが極まりすぎて、エキセントリックに見えてきて・・・う〜ん、変ですね、最初はベタ誉めしてたのに、文末近くなってきて、自分で言ってること変わってる。

 結局、翡翠といっても、いろいろあって、それぞれの良さを楽しめればいいんだな、と思う次第です。

 

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