近所の神社をハクビシンが歩いてました

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 上の写真、千葉県関宿の江戸川の河川敷にいたタヌキ。 1メートルぐらいか、大きくて胴回りも太い。図鑑ではホンドタヌキの胴長は 50 〜60センチとのこと。タヌキってこんなに大きくなるんでしょうか?

 

  真夏の蒸し暑い夜、 いつも歩いている天祖神社の境内でのこと。 ここは世田谷線の上町駅のそばにある小さな神社。境内を抜けると世田谷通りに出られる近道になっていて、朝晩、ここをよく通る。子供の遊び場やベンチがあり一休みしたりもする。 冬のボロ市のときは、ここに代官餅や植木を売る露店が並ぶ。

 ケヤキの大樹の近くのベンチに座って、暈のかかった月をぼーっと眺めてました。深夜なので、境内の人通りは途絶えてる。

 唐突に、目の前の地べたを細長い動物がスルスルと歩いていく! 歩くというよりはモノレールが滑っていくような感じ。ケヤキの幹の脇、 4 メートルほどの距離。そのまま植え込みの暗がりに姿を消した。すぐハクビシンだと分かりました。 5〜6 年前から近所の野生動物探しがマイブームになってて、判別には自信がある。

 ネコよりも大きく、犬よりも胴長で重心の低い体型、体の大きさに比べると小顔、顔の真ん中の白い縦のライン(漢字では「白鼻芯」と書く)、長いしっぽ、以前、上野動物園に見にいって、ハクビシン特徴をつかんでたので間違いない。

 翌日、この話しを知り合いにすると、野生動物が人間の存在に気づかず歩いていくなんて・・・それほど人の気配が消えてたとは、忘我というか、そこまでぼーっとしてる人 滅多にいないよ、と妙な感心をされた。

 忘我ねー・・・忍者が姿を消す隠れ身の術とか、ヨガの行で透明人間になる話しも、同じ理屈じゃないかと思う。  我が身を振り返ると、心身の最も心地よい状態は、ぼーっとしてるとき。どこかに行くとか、何かする、よりも今、ここでぼーっとしてる方がいい・・・ Be Here Now のような、いや、怠惰なだけ。

 

   ちょっと調べると、都内ではハクビシンの数が増えているようで、察するにタヌキより多いと思う。

 ハクビシンは、日本に生息している唯一のジャコウネコ科の動物、椰子ジャコウネコとも呼ばれる・・・ということは臭腺の分泌物を集めれば、霊猫香(シベット)みたいになるかも。その官能的な香りは、麝香(ムスク)、竜涎香(アンバーグリス)と並び称されている。

 事実、害獣としてハクビシンを捕獲している業者さんの HP を見ると、独特の匂いを発すると書かかれてる。とはいえ分泌物の臭いを直に嗅いでも不快な匂いなので、アルコールで希釈した香りが香になるのですが。

 ハクビシンは、在来種か外来種かについて議論されてきた。江戸時代に雷獣(らいじゅう)と呼ばれた妖怪というか UMA(未確認生物) はハクビシンだっという話しはよく知られている。もし雷獣=ハクビシンだったら在来種説の裏付けになるのだが、アナグマとかイタチとか他の動物だったという説もあってよく分からない。

 ところで、明治初めに生まれた岡本綺堂は雷獣について、こんな話しを書き残してました。

 「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当たりまえでしょうが、江戸時代には町中へも雷獣があらわれて、それをつかまえたという話しはたびたびありました。明治になってからも、下谷に雷が落ちたときに雷獣を見つけて捉まえたということを聞きました。」( 『江戸についての話し』岸井良衛編)

 いろんな本を調べると、ハクビシンが初めて捕獲されたのは、そんなに昔のことではなく、1943 年(静岡県湖西市)という記録が残っている。また1967年の時点で、生息が確認されていたのは、全国で高知県静岡県だけだったとか。どうも在来種とは考えにくいようです。

 

 タヌキは木に登れない。 ネコも木に登りますが、ハクビシンは、もともと樹上生活をしていて木登りはネコよりも格段に上手。ネコは、木から降りるようなときの動きがぎこちなく、途中で飛び降りたりしているが、ハクビシンは幹の上から下にもスルスル自由自在に動ける。電線を綱割りするような動きもできる。このあたり動物園で木登りしている姿を見れば納得してもらえると思います。

 タヌキの活動は平面、いわば二次元の世界、当然ながら都市の中で住処になる空いている土地は少ない。一方、ハクビシンの活動は、三次元的で、木の洞、都市の人家や物置、倉庫、配管の隙間、廃屋の床下、天井、屋根裏などを住処にしている。

 ・・・そういえば、先の都議選のとき、世田谷区には5万軒の空き家があると候補者がマイクで言ってたのを思い出す。確かに、住宅街で人の住んでいない一軒家をよく目にする。

 結局、ハクビシンは、平面+高さ、三次元的に活動できるところがタヌキにない強みで、数が増えている。

  世田谷線の線路脇にタヌキがいるというポイントが2カ所あった。ポイントの一つ、松陰神社駅と若林駅の間の林では最近もタヌキを見たという人の話しを聞いた。しかしもうひとつのポイントの近況は分からない。また、ここで書いている天祖神社から世田谷通りを渡り、500 メートルほど先、豪徳寺近くの空き地にもタヌキが棲んでいたが、2年前、マンションが建てられ姿を消してしまった。

 一方、ハクビシンについて、近辺の人に聞いていくと、桜新町の米屋さんの裏あたり、弦巻のお寺、実相院の近くと同じく弦巻に残っている畑のあたりで見たという人がいました。直径1キロちょっと円の中に生息地が4カ所はある。

 ・・・最近は、あちこち歩いてるとき、地元の人に「このあたりにタヌキはいませんか」とか「ハクビシン見かけませんでしたか」と聞き回っている。唐突に、初対面の人に聞くので、怪訝な顔されるかと思ってたのですが、案外、丁寧に教えてくれる。

 昨日も中野区の上高田の落合公園で散歩していた団地のおじさんに聞いてみたら、近くにある二カ所の神社にタヌキがいると話してくれました。西武線の向こう側、川の高台の神社の裏には、タヌキの穴があるとも。けっこう詳しい。

 谷中から根津に歩く途中、住宅街でガレージセールをしてた女性になにげなく聞いてみたのですが、即、この道を夜、タヌキがあるいてると教えてくれました。

 また、別のときですが、 JR の四谷駅のホームから崖にタヌキがいるのを見たと教えてくれた人もいた。ホームから餌をあげてる人もいるようで、そのあたりにはパンのかけらが落ちてるとか。

 というようなことで、調べはじめる前に思ってたよりも、タヌキはいるようです。

 

 昨年末、九州ではアライグマが急増しているという新聞記事を目にした。アライグマは、特定外来種生物です。長崎、佐賀、福岡の3県のアライグマの捕獲数がこの10 年で 30 倍になったとか。

 それとは別の記事ですが、原発事故で避難指示が出され人がいなくなった福島県浪江町の生態系調査で、大型の哺乳類、特にイノシシが増えていることが分かった。

 都会の住宅地ではハクビシン、地方ではアライグマ、無住化したところではイノシシが増えている・・・これは近未来の日本列島の自然を暗示しているのかも。

 「平成狸合戦ぽんぽこ」や「もののけ姫」は、20 世紀後半の日本列島をモチーフにしてました。高度成長から日本列島改造論の時代です。

 一方、 21 世紀後半の日本列島は、どんな感じになるんでしょうか。

 国土交通省の予測では、現在、日本で人が住んでいる地域のうち面積にして 2 割が、2050 年までに無住居化するという。人口減少は、自然にとってはプラスになるはず。     それは山なりのグラフでピークを越えた後、過去の目盛りに戻っていくような、江戸時代みたいな自然のイメージだろうか。

 思うに、そのあたりは過去とは異なった自然、在来種のクマやイノシシ、タヌキ、キツネなどと、外来種ハクビシン、アライグマとかハリネズミキョンヌートリアマングース、ミンクなんかが混在し(すでにこんな状態なのではないか?)、さらに、かって湘南ぐらいまでだったクマンゼミの北限が最近、東京まで伸びてきたように新たに南方系の動物が現れるんじゃないか。

 なんかごちゃごちゃしてますが、古来、日本は「とよあしはらみずほのくに」(豊葦原瑞穂国)と言ってたように高温多湿で魑魅魍魎が跋扈してた風土だったので、そんなに違和感ないように思うのですが。

 

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 上の絵は、幕末、外国人の描いた富士山。バリのアグン山を彷彿させるトロピカルな情景。子供の頃、自分の想い描いてたユートピアは亜熱帯の世界だったので、ある意味、夢の実現なのかも。  

 

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ど〜ん、としてる

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 最近、見つけてきたものをお皿に盛ってみました(上の写真)。

 街を歩いてて、なんか妙なもの、面白いもの、変わったもの、早い話し、その時々、気になったものを集めてました。過去形なのは、そのまま続けていたらゴミ屋敷になってしまう恐れがあり止めています。

 ところが先週、地元の商店街の店先で、サツマイモやパイナップル、ミカンなどを炭にして段ボール箱に置いてあるのを目にしてしまった。たぶん趣味で作っている人がいるんだと思う。

 ふと、覗くと真っ黒い球形のものが目に入る。炭化したグレープフルーツ、要はグレープフルーツの炭ですね。しっとりとして、光を吸い込むような沈んだ黒の色感に惹かれる。

 というわけで、ひとつ持ち帰る。それがこれですと、写真を撮ろうとしたのですが、ひとつだけだと寂しいな、と何か一緒に並べてみることに。

 

 真ん中の黒玉がそのグレープフルーツの炭。球形っぽい。じゃあ、次に丸つながりで何かないか?と思い巡らす。ダチョウのタマゴは、白くて丸っこかったっけ。並べると、やけに大きい。長さ14 センチ、現存する地球上の生き物の卵では最大のサイズだとか。

 二つだけででは物足りないかな、と似たようなサイズの諸々・・・カカオの実とか氷河で拾ってきた水晶の塊、漁船の網の浮玉とか並べてみたが、どんどん支離滅裂に、訳の分からない感じになっていく。

 スッキリした感じの方がいいかな・・・と、シンプルにしたのが上の写真。棒状のも砂漠の薔薇(ばら)という鉱物。結晶の形が薔薇の花に似てるのでそんな名前がついている。

   これはオーナメントかもというか、ただ並べただけなんですが。飾り物(オーナメント)と言えなくもない。 まあ、オーナメントもオブジェもアートも呼び方が違うだけで、たいして変わらないようにも思える。

 それにしても、ど〜んとしてる。他に言葉がない。ど〜んとしてるって、大きさの迫力と言えば、そういえなくもないのですが、並んでる物体の妙なスケール感が醸し出す雰囲気の印象が大きい。

 大味の大盛りカレーというか、そういえば東京の西側から田園都市線の沿線、大和、厚木から見える大山もど〜んとした感じ。神奈川の丹沢山系にある大山は、裾野がなだらかで広く、遠目にど〜んと横たわって見える。

  ・・・先日、西荻窪駅のホームから大山が見えたのですが、ここは、ど〜んとした感じがよくつかめるビューポイントです。ここより南に位置する田園都市線の沿線からだと、丹沢の他の山が接して見えるので、ここまでど〜んとはしていない。

 ついでに、関東平野を北にいくと、どこからでも筑波山が見えます。ど〜んとしてるけど形は地味な大山と違って、筑波山はラクダのコブみたいなユニークな山容です。   関西で通天閣の展望台から見た二上山もそうでした。筑波山と似たラクダのコブみたいな形、奈良、葛城にある低い山ですがすぐに見つけられる。

 昔の人は、こんなふうな特徴のある形の山を方角の目印にしてたんでしょうね・・・と、話しがずいぶん脱線しました。   

 

 枕草子には「ちひさきものはみなうつくし」とあります。平安時代の「うつくし」という言葉は、現代のかわいらしいといった意味らしいのですが、そういった感性は、現代も途切れていないようで、古物蒐集でも、根付がその最たるものですが、日本人の中には小さなものが好きな人が多いように感じる。

 我が身を振り返ると、知らず知らずに小さなものが増えている。 話しがさらに飛んでますが、世界各地の古代文明の遺物を集めたいと思ってはじめた蒐集の話しです。

 気づくといつの間にか 5〜10センチぐらいの土偶や石・木を彫った女神、青銅の半獣半人がテーブルの上に何列も並んでる。蒐集をはじめた頃は、博物館や美術館の展示みたいなイメージを描いてました。ところが現実は、小人や半獣半人のデモ隊が押し寄せてきたって世界が現出しちゃってる。

 

 「小さく小さく小さくなぁれ・・・」って幼児の体操の歌詞が思い浮かんできて、このまま小さいものがどんどん増えてくのも、どうなんだろうかと気分一新、今度は、大きなものを探しはじめました。

 ところで、骨董、古美術のメインアイテムといえば、日本では焼き物、陶磁器。そこでは暗黙の前提になっているサイズの基準があって、だいたい30 センチぐらいまでの大きさといわれています。 30センチってのは、元々は、茶道の花生けのサイズに由来してるとか。

 日本では、利休にはじまる茶道、数奇の流れが骨董や古美術の世界の母体になっているという経緯があり、そんなサイズの基準が生まれたようです。 昔の長さの単位の「一尺」は、約30センチなので、それがサイズ感覚を培う上で基本になったのでしょうか。あと、日本の住宅事情なんかもあるかもしれません。

 こういった文化的な伝統があるので、鑑賞対象として自然に感じられるサイズが自ずと決まってきたようです。

 大きなもので目をつけたのは、インドの仏像や仏頭、中国古代の青銅像など、50センチ前後からそれより大きいものでした。改めて大きいってことは、それだけでインパクトがあるなと実感する。当たり前のことを書いてて、気恥ずかしくもあるんですが、小さいものがいっぱいってのとは存在感が違います。

 一方、大きなものになるとかさばる。なにより重いのには難儀します。石や金属の塊なので当然なんですが。手で持ち上げられない重さのもの、さらに一人では動かすこともできないものが部屋を占拠するようになってきました。今後、どうなるんでしょうか。

 

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街歩きと巨樹

  3 月になり沈丁花の香りが漂っている。その生っぽい香りは、啓蟄(けいちつ)の香りとも言えるようです。 啓蟄 は「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)時期のこと、そういえば昨夜、雨上がりの濡れた路上をガマガエルが歩いていました。    年明け、「兆しの香り」と勝手に呼んでいる蠟梅(小寒ごろに開花)から立春になると梅の香り、その次が沈丁花啓蟄)の香りと続きます。温帯の風土では、花の香りは自然界の季節の移り変わりと対応してるように感じます。

 ついでに一言。歩道脇の植え込みや花壇、公園整備などで積極的に植えられているからだと思うのですが、街に沈丁花クチナシ、金木犀が増えている。それぞれ開花の季節になると、その香り一色になってしまう。

 どれもいい香りの花ですが、画一的に強要されてるみたいな気がしないでもなく、ちょっと疑問に思っています。

 

  ときどき街歩きをしています。 天気のいい午後、フラリと出かける。特に目的地はなく、知らない街ならどこでもいい。長く東京で生きてきましたが、未だに山手線で降りたことのない駅もあって、行き当たりばったりにそんな駅で降り、街を歩く。

 表通りを歩くよりは、脇道、細い路地や抜け道、回り道、尾根や山道(みたいな地形の道)、廃道、猫道、へび道(谷中のくねくね道)、迷路みたいな道がいい。

 先週は、田端駅で降りて上中里駅まで歩きました。ターミナル駅でなく、大きな施設も特にないエリアなので、東京の西側を生活圏としてきた者には、はじめての街です。  土地勘のないところを歩く場合、憶えている電車の駅や線路、幹線道路との距離感、それに太陽の向きと土地の起伏で自分のいる位置の見当をつける。原始的だけど、不器用でものぐさの自分には気が楽でいい。

 それに、どこか場所を探すにしても、名所旧跡や人気スポット、老舗や名店といった特定の場所ではないですし、強いてあげれば、過去・・・昭和の雰囲気だったり、明治、大正、あるいは江戸の名残といった・・・いわばタイムトラベルなのですから。ああ、パン屋さんで海老かつパンとか肉屋さんでメンチ、ポテトコロッケ、そんな買い食いはしますが。

 

 田端駅の南口、ネットでも喧伝されてますが、崖の斜面にぽつんと建っているこじんまりした民家風の駅舎。改札口を出ると、周りの様子、目に入る情景は、みんな仮設っぽい雰囲気。それから急坂を上ると静かな住宅街が広がっている。ラーメン屋とか居酒屋、コンビニといったどこにでもある駅前の景観とはずいぶん違う。

 このあたりは高台になっていて、上野の山から日暮里、田端、王子、十条と続いている武蔵野台地の崖線の尾根なんですね。昔の(明治時代ごろの)言い方だと、台地の下が下町で、上が山の手。その頃は、今の山手線の外側は郊外でした。

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 特にいくあてもなく歩いているうち、住所の表示は西ヶ原になり、そのまま住宅街を歩いていると、曲がり角の先に大きな樹がある。一株だけなのですが、森のような茂み。

 大きな樹を見つけると、見にいくことにしている。大きな樹、だいたいは古木なんですが、もちろん都会ではそういう樹が珍しいってことがありますが、どういうふうに言えばいいのか、大きなものを見ると心が躍る。

 「大きなもの」と言っても、生き物、生命体です。きっとシロナガスクジラなんか見ても似た情感が生まれるはず。

 そういえば、なになに神社、寺の大イチョウとか、どこそこの大ケヤキと言われてる巨樹が各地にありますね。

 近づくと緩やかな坂道の中ほど、道路脇に椎(スダジイ)の樹が繁っていました。四方八方に根を這り、幹は三本に別れている。樹齢はそんなには古くないかと思われますが、 道の端っこの狭いスペースの中で成長してきた根や幹に、植物の生気、いのちの意思を感じます。

 ふと思ったのですが、鉱物(非生命)の場合、例えば、水晶や瑪瑙の晶洞の内部には小さな結晶が密集しているのが見える。みごとな造形ですが、それは周りの環境によって定められた物理的な法則性に則って出来た形です。

 一方、このスダジイの姿は周りの環境に抗していのちを持続させようとして出来た形です。最近、生命が存在する条件のある惑星(太陽系外の39 光年離れている恒星の惑星ですが)が7つ見つかったとか。もし、そこに生命が生まれてたとしたら、もし知性を持った生命だとしたら、なんかワクワクする。

 思うに、そのエイリアンが仮にSFに出てくるようなシリコン生命体とかガスとかプラズマ体といろいろ想像できるにしても、いのちを持ったものだとしたら、自然に抗して自己を持続させようとする力が形になったもののはず。その意味では、このスダジイや人間と同じじゃないか。

 ということでは、あのからみあいゴツゴツした根っこを見て、なんか強烈なインパクトを感じたのは、目には見えないいのちを垣間見たってことなんじゃないでしょうか。

 冬でも深緑色の照りのある葉に覆われ、枝の間に陽が差し込まず薄暗くなるほど。この雰囲気、シッキムの照葉樹林のジャングルを思い出す。鬼太郎の仲間の妖怪たちや森の精霊の住処は、こんな幹の洞だったんじゃないか・・・住宅街の路地でそんな夢想に耽っていました。

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  谷中、玉林寺のスダジイ。境内の傾斜地を山に見立てた庭園があるのですが、その一角は照葉樹林の森のよう。このあたり、江戸時代のさらに前、武蔵の国と呼ばれていたころは、こんな感じだったのではないのか。

 山の中腹に一目でこの樹だと分かる存在感のある古木がありました。幹周り5.63 メートル、高さは 9.5 メートルとずんぐりしている。

 寺の門前のプレートには、この樹は、寺の創建(1591年)以前から存在していたと書かれていました。樹齢400年を越えているようです。一時期、樹勢が衰えたが、手を尽くし回復してきたのだとか。

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  もうひとつ谷中で、「みかどパン」というお店の脇のヒマラヤ杉。この辺り寺町ですが、町のシンボル的存在になっている。というか、三っ角の分かれ目にある大樹なので、どうしたって目につきます。

 近くに建っている説明のプレートによれば、昔、植木鉢で育てていた杉だったそうです。樹齢としては、百年か、それに達しないぐらいではないかと思いましたが、家屋と大樹が一体化した姿が、なにか特異な パラサイト的存在として人の心に印象を刻みます。

 写真を見ると分かるように、この杉は庭に植わっているのではなく、家の軒下からせり出し、道路を浸食し大樹になってしまった。でも、この樹が一本あることで、街の人たちの心をずいぶん和ませているのではないか。大きな木のそばにいると、心が落ち着く。それに、夏は日陰ができます。

 

  東京のようなスクラップアンドビルドの都市では、まあ江戸の昔から火事や地震、それに空襲と、それが伝統になっちゃってるんですが、それでも、どこかに時間の中に根付いているもの、 昔の時代と継続しているものが、目に見えるもので、そういうものがあるのはホッとする。

 自分たちは、いつの間にかバーチャル世界の都市で暮らしているのだとしたら、そこがいくら便利、豊か、快適、 清潔、安全でも、人間の生自体が嘘っぽいものに薄められた人生を送っているってことではないでしょうか。

 

 ついでに、地元で気になっている樹を幾つかあげときます。

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  年末、年始に開かれる世田谷のボロ市の通りにある代官屋敷の玉樟、一般的にはタブノキと呼ばれています。温暖な海岸地に多い常緑樹、といってもそれは昔のことで、大高木になる木でもあり、近代化の中で切り倒されてしまい、大樹は少なくなっています。

 ここは毎日歩いているコースにありますが、晴れた青空の日、この樹の前で足をとめ、伊豆や紀州の海辺にいるかのようなイメージに浸るのもいい。やっぱり自分は照葉樹林の樹木が好きなんですね。

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  三軒茶屋の駅のすぐ隣り、目青不動の境内にあるチシャノキ。 落葉樹で大木になる樹ですが、まだ樹齢はそんなに古くはないと思います・・・と思っていたのですが、ある資料にこんな一節がありました。引用しておきます。

「(目青不動には)東京では珍しい100 年以上の古木『チシャノキ』[名木100選]が境内にある。元来日本西南部の木で、カキノキに似るためカキノキダマシの名もある。琉球では葉を食用とし、チシャ[レタスの仲間]の味がすることでこの名となる。」(「三軒茶屋かいわい」せたがや街並保存再生の会、2000 年)

 世田谷区は、1960 年代の高度成長期の前までは畑や雑木林が残っていました。その後、多くは消え去りましたが、今も僅かながら名残りもある。区の木として定められているのは槻(けやき)、区の鳥はオナガと、武蔵野のシンボルみたいなとりあわせです。

 右の平屋は、お堂の端っこですが、昭和レトロのひなびた感じ。今も初夏の夕方、コウモリが舞っています。

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 ボロ市通りにある天祖神社の槻(けやき)。夜、帰り道になっていて、境内を通り抜けるのですが、よくベンチで一休みします。目の前に大きな槻が立っている。

 昼間は近くの保育園の子供たちが遊んでいる場所、でも夜はひっそりとしていて、そのうえ闇が雑多なものを隠してくれるのでとてもクリーン。

 毎年、ここで夜桜を見る。桜が終わると槻の芽吹きを賞で、梅雨になると、銅葺きの本殿の屋根の緑青がひときわ映える。そうそう、槻の幹を覆っている苔の雨に濡れた鮮やかな緑色もいい・・・。

 すくっと直立した槻の太い幹は、まるで天に伸びる柱のよう。

 

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ジャワ島の女神

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  ジャワ島の青銅仏、後ろ姿です。体の前面は、青錆に覆われ地肌がよく見えない。 頭部と膝に潰れた跡か、小さな穴が開いている。

 錆は、顔のある体の表の方に厚く、背の方は比較的薄い。そんなわけでクリーニングをしてみました。地を痛めないように布ブラシで錆の盛り上がった部分を丁寧に擦り鋤く。錆の粉末が埃のように舞います。垢擦りみたいな感じですが、暫くして輪郭がすっきりしてきた。

 錆が薄くなると、背中から腰、臀部がはっきりしてくる。長い間、地中で眠っていた間の傷や腐食、こびりついた土、汚れをできるだけ落とすと、生気が蘇ってきた。

 なんとか見れるようになった背の方をこちらに向け置いてみる。深夜、なにげなく目をやると、今にも歩き出しそうで、びっくりしました。

 

   上腕部からギュとくびれ引き締まったウエストと、「 〉」の形にカーブした脊椎骨、モデルというか、アスリートというか、フィギュアの人形みたいなプロポーション。これはトリバンガと呼ばれる体をねじったポーズで、10 世紀初期に作られた南インドチョーラ朝の彫像に由来しているらしい。

 肩や背の筋肉など写実的でありながら、全体的には人間離れしたミュータント、そんなスーパーリアルな造形で、これが日本の鎌倉時代から室町時代のころ作られたとは驚きです。

 女性の仏像というと、日本や中国では観音菩薩への信仰が厚い。観音菩薩の姿形は、大乗仏教の要である慈悲の教えを体現しているように造られていて、母性的、お母さんっぽい感じものが多い。ジャワの仏は、奔放で、躍動感があって、観音様とは、ずいぶん雰囲気が違う。

  以前、ジャワ島の東部で古い貨幣を発掘していたとき、地中に埋まっていた仏像が出てきて、その中の一体。 13〜15世紀頃にあったマジャパヒ王国という国の仏像とのこと。

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 ついでにマジャパヒト王国の銀貨、これも発掘品ですが、小さなボタンぐらいの大きさでお椀のように膨らんだ形をしている。こういうのを探して地面を掘ってたわけですね。

 ジャワ島=インドネシアは、今はイスラム教の国で、古い時代の仏像は、骨董の世界でもそれほど出回っていない。東南アジアの仏教圏の国々から出るものに比べると、遥かに少ないのですが、おそらく後世のイスラム化のなかで偶像として仏像は破棄、破壊されてしまったのだと思います。

 

  なんだか新しい美の発見をしたような気持ちになりました。そういう美の発見って、とっても面白い。発見といっても、彗星とか、新種の菌とか、 遺跡とか、UFOとか・・・といろいろあるけど、美の場合は、突き詰めてくと自分がそう感じたからそうなの、と主観だけで完結してるところが心地よい。

 自己満足といえば、 100%その通り、世の中と無関係に自分だけが発見し(たと思っていて)、一人で悦にいってるんですから。

 でも、究極的には、満足ってことが人生で一番大切なんじゃないの。例えば、人生で成功することと、満足することのどっちが大切かっていえば、結局、満足の方になるでしょ? ここで言ってる「究極的」って意味は、末期(まつご)の目から振り返って見た人生のことです・・・少し脱線しました。

 

 ジャワ島は、インドネシアの首都ジャカルタがある島です。島といっても、大まかに日本の本州の半分ぐらいの面積があり、日本の人口と同じぐらいの人が住んでいる。      ジャワ島の歴史を調べると、7世紀の中頃から10世紀までシャイレーンドラ王国という大乗仏教の国がありました。東南アジアの仏教は、上座部仏教だといわれていますが、歴史的には錯綜しているんですね。ジャワ島には、世界最大級の仏教寺院といわれ世界遺産になっているボロブドゥール遺跡がありますが、シャイレーンドラ王国の時代に造られています。

 その後、13 世紀末から250 年ほどマジャパヒ王国が栄えました。今のマレーシアやフィリピンの一部まで勢力範囲が及んだとか。長期にわたり政治的に安定し、交易が発展したという。前に、クメールの仏像の話しの中で、かってのクメール王国は東南アジアの大国だったと書きましたが、マジャパヒ王国もそんな大国だったようです。

 世界史というとき、それはユーラシア大陸にあった国や民族の興亡のことだと思ってきたのですが、それとは別の世界史もあるのですね。

 現在、イスラム教のインドネシアでバリ島だけは例外的に土着のヒンドゥー教が信仰されている。その背景も分かってきました。15 世紀になるとジャワ島のイスラム化が進みますが、そのときマジャパヒト王国からバリ島に落ち延びてきたヒンドゥー教が定着したということなんですね。

 

 マジャパヒ王国は、ヒンドゥー教仏教が融合した宗教を奉じていたという。そういえば、仏教の本家インドでも、8 、9世紀には仏教ヒンドゥー教は兄弟みたいな関係になっていて、両者の間にはそれほど垣根がなかったってことを思い出しました。そんな融合の中で仏教の新潮流として生まれたのが密教でした。

 これまで、女神とか仏像とか、なんとく曖昧に呼んできましたが、遡るとヒンドゥー教の女神と、仏教の弁財天、吉祥天のような天部の仏は「同一人物」(まあ、人間ではないですが)なんですね。インドでは土着の女神と菩薩が融合してもいる。

 で、じゃあこの女神、仏像は、一体誰なんだということになりますが、手に蓮華の茎らしきものを持っているところから多羅菩薩でしょうか。でもアジャンター石窟群の蓮華手菩薩もありました。

 メトロポリタン美術館に収蔵されている南インドチョーラ朝のパールヴァテイ立像もトリバンガのポーズでよく似ている。 9〜 13世紀、南インドを支配していたチョーラ朝というヒンドゥー教の王国があったのですが、そこで造られた神仏の青銅像は似たパターンです。

 思うに、日本ではインドの北からユーラシア大陸の内部ルートを通り、中国を経由した仏像に馴染みがあります。地球儀ではインドは半島の形をしていて、南は行き止まりになり、そこから先は海。でも、インド南部から海路でインドネシアの方に伝わった仏像もあって、ジャワの女神はその末裔のようです。

 多羅菩薩は、もともとはヒンドゥー教の女神ターラーなのですが、仏教では観音菩薩から生まれた娘ということになっている。親子という訳です。日本ではあまり馴染みのない仏ですが、チベット密教では広く信仰されています。

 長い眠りから覚めたら、見知らぬ異国にいたってところでしょうか。ここでゆっくり休んでください。

 

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蠟梅(ろうばい)と枇杷(びわ)の花の香り 

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 大寒に入り、蠟梅(ろうばい)の花が開花している。庭木や公園の植木として植えられているのでよく目にします。

  出だしから少し横道に逸れますが、何日か前、冬鳥のツグミジョウビタキ、それにホオジロも見かけました。一年で今が一番寒さが厳しいんだな、と感じる。

 以前、ホオジロは一年中よく見た野鳥だったのですが、このところめっきり姿を消していた。他方、以前は冬鳥だったはずのメジロは一年中、よく見かける。総体として野鳥の種類は減っていて寂しい・・・話しを戻します。

 蝋で作ったかのような質感の黄色い花びらは、ツルツルしていて半透明、近づくと真冬の青空が透かして見える(写真参照)。  

 蠟梅は、年明け最初に香る花です。名前に「梅」の字が入っていますが、梅とは別の科の植物で、香りも異なります。 毎年、開花はもうすぐかな、と気にしてきたので、頭の中では、1月(睦月)と蠟梅の香りは一体化している。

 仄かに甘い、淡い香り。梅の花のような濃密な甘さや艶、ふくよかさはなく、客観的に語ると、そんなに個性的な香りではなく、割と凡庸というか、芳香剤にあるような誰もがいい香りと感じるようなタイプの香りです。

 古来、七香のひとつにあげられてきた梅に対し、蠟梅は脇役といったところでしょうか。

 でも、霜柱が立ち、吐く息も白い早朝、冬枯れの木立の道を歩いていて蠟梅の香りと出逢うと、そういった客観的な評価とは別に、この上なくスウィートな至福感に満ちた香りに感じられます。

 

 先日、本棚の片隅で埃をかぶってた永井荷風の日記『断腸亭日乗』のページをめくっていたら、文中に「蠟梅馥郁たり」といった記述があるのを見つけました。

 荷風は、昭和7、8、9年と正月元旦に墓参のため雑司ヶ谷墓地を訪れるのですが、毎年、蠟梅の花の咲き具合などを書き留めています。

 残念ながら香りについてはふれていない。当代一流の教養人にして好奇心旺盛、観察力の優れた文学者にしてなお、香りや匂いについては、あまり視野に入っていないのかもしれない。

 嗅覚は、五感の中でも最も原始的な感覚器官といわれます。思うに、現代の人間は五感の中では視覚偏重の世界に生きていて嗅覚は疎んじられ気味です。

 その原因を根源的にまで遡ると、文字、数字の読み書き、それらを媒介する印刷物、動画などが、大脳新皮質の機能と連動して、視覚偏重を更に加速させているように思えます。他方、嗅覚は、肉体性の方により近い感覚器官なので、視覚ほどには意識の俎上に上ってこないのではないか?

 

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 晩秋から年明けぐらいにかけて、枇杷(びわ)の花が開花している。上の写真は、花の部分だけを拡大して写しています。実際に常緑樹の枝で咲いているのと、ちょっとイメージが違っているかもしれませんが。

 枇杷の花は、初冬の季語になっています。この時期は、そろそろ開花期も終盤で、花は枝についたまま茶色に褪せてきている。

 あまり目立たない地味な花で、人に気づかれず咲いています。この花の香りは、けっこう好きです。

 どんな香り? イメージするとしたら杏仁豆腐の香りいえば分かりやすいかと思います。香で言えば、バニラやトンカビーンを連想する。

 フローラルでグリーン、ふたつの方向性が溶け込んだクリーミーでクールな絶妙な香りです。補足すると、バニラやトンカビーンには、このグリーンなところはないんですね。

 蓮の花の香りもそうですが、グリーンな香りという要素が、ただフローラルだけではない独特の癖、別の言い方をすると「個性」ということになるのですが、そんな特徴を生んでいる。

 

 蠟梅と同じく枇杷も中国原産の樹木ですが、生花の香りは、日本の風土と季節感に結びついた独特の情緒を醸し出している。それは密閉された部屋の中で純粋に香りだけを嗅ぐのとは異なります。

 人間にとって香気って嗅覚(感覚器官)の感度だけでは語れない、歴史や文化、その人の個人的な記憶などが絡みあった心象なのではないでしょうか。

 大寒の頃、関東では太平洋高気圧の影響で快晴の日が多い。寒い朝、乾燥した空気、突き抜けるような青空・・・枇杷の花の香りを想い出そうとすると、こんな情景も一緒に浮かんでくる。

 そういえば、枇杷の花の香り、子供の頃に同じ(ような)匂いを嗅いだことがあったような記憶があります。既視感というと視覚の世界のことですが、それと同じような感じです。想い出そうとするのですが、どうにもつかみどころがなく、あやふやではっきりとは想い出せずもどかしい。

 

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クメールの石像

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 真夜中、目が覚めた。豆電球に照らされた石像が見える。7 世紀のクメールの神像、 枕元のテーブルの上に置いていた。暗がりに浮き上がった横顔は、生きている人のよう。

 砂岩を彫ったものですが、砂岩といっても、よくインドの彫像、例えばカジュラーホーの寺院で知られるチャンデーラ朝の彫像などに用いられている砂岩に比べ、きめ細かく、滑らかな質感です。青みがかった緻密な岩石で、暗がりでは、しっとりとした人の肌のように見える。

 そういえば、カンボジアの石像について、こんなことを書いている本がありました。

   「人体の美しさは、骨や筋肉だけではなくて、この皮下組織の弾性に支えられている。それまでの古代美術は、西洋も含めて皮下組織の表現には関心を払わなかった。ところが古代カンボジアの芸術家は、皮下組織の美しさを発見し、それを意識して表現したらしい。カンボジアの石像の独特の肉体表現は、この新しい発見によるものだと私は思った。」(『私のガラクタ美術館』多田富雄

 ちょっと即物的な話しになりますが、この指摘に補足して、クメールの地で、皮下組織、肌を表現する素材として絶好の砂岩が産出されたことが大きかったように思えます。

 

 クメール王国は、最盛期の西暦1000年〜1250 年代頃、カンボジアを中心に現在のラオスベトナム、タイ、マレー半島まで版図が広がっていたという。想像以上に、大きな王国であったようで、そこでインド文明の影響を受けたクメール美術が花開いていたことを知りました。

 この石像は、最近、クメール文化を在野で研究している方に譲っていただいたのですが、その方の話しでは、クメールについて究明されていることは少なく、遺跡の調査も手つかずの場所がたくさんあるとのことでした。

 いろいろな国の仏像、インドやチベット、東南アジア、中国、それに日本も加えていいですが、その中でもクメールの石像には、他の地域にはない一種特異なリアリティを感じる。

 美術史では、サンボー プレイ クック様式と呼ばれるらしいのですが、この石像が造られたのは今から 1200〜1300年ほど前、カンボジアの歴史では、前アンコール期という時代区分になります。だいたい日本の奈良時代から平安初期にあたる。

 仏陀がはじめて人間の姿で表されたのは、つまり最初の仏像は、1 世紀頃、今のイランからアフガニスタンにかけてを領土としたクシャン朝で生まれたといわれます。それがガンダーラの仏像でした。

 その後、仏像が広まっていった地域では、どこでもそれぞれ独自の仏像や神像が造られるようになり、そして歳月を重ねていくにつれ、姿形は、その地域の特徴を帯びたパターンのものになっていく。様式化していくと言ってもいい。どこの国、地域でもおおよそそんな進化をしている。

 ところがクメールで造られた彫像は、何故か、そういった様式化の流れを免れ、生身の肉体や表情の姿を写実的に極めていく。はじめてクメールの仏像を目にしたとき、鮮烈な印象を受けました。

 石像が作られた頃の日本は平安時代でした。その頃、近年とみに高い評価を得ている興福寺の阿修羅像が作られている。世界の仏像の中でも、この阿修羅像は、別格というか、特異な存在感があるんじゃないかと思っています。日本の仏像の歴史でも、突然変異のように現れたように思う。

  ちょっと横道に逸れますが、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』という小説は、世の中にある美しいものを蒐集するために盗みをはたらく耽美主義的な盗賊が主人公でした。阿修羅像は国宝になっているし、一個人が欲しいと思っても黒蜥蜴でもなければ手に入りません。

 もともと日本の古い仏像はとても高価、というか、すでに収まる所に収まってしまっている。日本のコレクターの人気度では、当然、日本の仏像がトップ、その次に周辺の東アジアの仏像、それにガンダーラの仏像、チベットの仏像などが続く。

 これまで東南アジア圏の仏像には関心が薄かった。でも、この 20 年ぐらいか、東南アジアの仏像について、関心を持つ人たちが増えています。

 

 言葉で表現するのは難しいですが、クメールの初期の仏像と阿修羅像を見比べていると、共通して写実性の中に、なにか清冽なイメージを感受します。現代の文明が作る文物にはない清冽さ。どういうことかと言うと、人類が今よりもっと素直で、純粋だったころの精神の形状で、近世、近代では、死語になってしまったイメージではないか。

 阿修羅像は乾漆造でした。漆を用いる造形の技法は、日本だけのものだとか。なるほど、「世界の仏像の中でも、この阿修羅像は、別格というか、特異な存在感がある」と書きましたが、要は、表現力の問題にとどまらず、製造技術というところに注目すべきなんだな、と思いました。

 きめの細かい砂岩の磨いた表面と乾漆の表面は、光のあたり具合で、金属や木質、岩石とは異なる一種フェチ的な質感を生み出していて、それが鮮烈なイメージを醸し出すのに寄与しているように感じる。

 

 薄明かりの石像は、目を開け、生きているようでいて、でも息はしていない。いつ見ても同じ表情なのが奇妙に思えてくる。 静止したまま、匂い立つような、シャープな若々しさを発散し続けている。

 1300 年間、歳をとらず、ずっと同じ表情の瞬間で止まったまま、こんなふうに、ただいたんだな。きみは、昔も今も同じ時間が止まった世界にいるんだな・・・。

 冒頭、ふと目が覚めたと書きましたが、それは、布団の中で寝ていた犬が、夜中、水を飲みにいき、戻ってきて、また布団に潜り込もうと、足でわたしの頭をゴシゴシしたからでした。

 目が覚めてしまい、ふと、布団の中の犬の寝顔を見る。犬って、すごく寝付きがよくて、布団に潜り込むやいなや、もう熟睡してる。鼻筋の通った細面、はて?誰かに似ていたな・・・オードリーヘップバーンのモノクロ写真、こんな顔してたっけ・・・と、とりとめもない夢想に浸っているうち、昼間、誰かが「犬は人間の4倍の早さで歳をとっていくんだよね」と話してたのを思い出す。その言葉、妙に耳に残っていた。

 ・・・こいつは、人間より時間が4倍も速く進む世界にいるんだな。この世にいる時間、そんなにたくさんはない。そんなことを考えていると、仏陀四門出遊の話しみたいな気持ちになっていく。

 時間って、突き詰めると、主観的な現象ですよね?  実は、この宇宙に客観的な時間なんか存在しなくて、本当は今しかないんでしょ。畢竟、自己意識と時間って、同じ現象を別の言い方で言ってるんでしょ?

  石像は時間の止まった世界にいる、犬は4倍速の時間の世界にいる、そして、今、それを寝ぼけ眼で見ている自分が、夢うつつの中で交わっていました。

 

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11 月の香り・・・花梨(カリン)

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 11 月の香りといえば・・・花梨、それから師走になったら柚(ユズ)でしょうか、ついでに年明け 1 月は蠟梅(ロウバイ)。蠟梅は、梅という字が入っているけど、梅とは別の科の植物で、寒入り頃から淡く甘い繊細な香りの花を咲かせます。

 いつ頃からか自分の内では、花梨〜柚〜蠟梅といった冬の香りのコースが出来上がっている。

 カリンは、バラ科ボケ属の落葉樹の果実で、身が詰まっていて重量感があります。中国原産、江戸時代に渡来したといわれている。

 都会では、晩秋から初冬にかけて八百屋さんやスーパーの店頭にカリンの果実が並ぶ。とはいえ、それほど需要がないんでしょう、マイナーな扱いで隅の方に置かれている。

 ときどき、公園や庭に植木として実をつけているのを目にします。今の季節、木の周りに実が落ちていたりする。

 手に持つと、どっしりとした感じ、皮はつるつるしている。果肉は硬く酸味が強く、そのままでは食べられない。ハチミツ漬けにしたり、カリン酒を作ったりしますが、昔からその芳香を楽しむという人も多かった。

 中国では、漢方薬として用いられてきた他、衣類の香りづけや、部屋の飾りとして置いたりしてきたようです。

  香りを言葉で表現するのは難しいですが、清楚、フルーティで優しく滑らかな香りです。 

 

 このところ夕方 5時前には暗くなる。冬至まであとひと月ぐらい、天地の気が弱くなっているのを感じる。そんなとき、カリンの香りは、気分をポップに持ち上げてくれる。それも穏やかに。

 夜、寝る前、枕元にカリンを一個、置いておくだけで、仄かに香りが漂ってきます。  1O日ほど前から、毎晩、こんなふうにして寝ている。深夜、シーンと静まり返ったなか、カリンの香りが流れてきたときのことをよく憶えています。

 この方法は、以前、あまりにいい香りのする花にびっくりして、一枝、持ち帰ったのを踏襲しています。

 それは、文旦(ぶんたん)の花でした。柑橘類の花は、みんないい香りですが、特に文旦の芳香は、極まっているように思っています。

  花の場合は、一輪挿しみたいにして枕元に置いておくのですが、カリンは果実なので、ただゴロンと転がしておくだけでいい。

 それにナチュラルな、生の植物の香りって、とてもいいです。柔らかで、生き生きした香り、もっと多くの人に知ってもらいたい。

 改めて気づいたのですが、カリンの香りは、リンゴの香りにも似ています。リンゴの香りを少しスイートにして、6〜7 月の熟した梅の実の香りをミックスした感じ。

 元来、トロピカルな香りが好きなんですが、カリンのような温帯のフルーティーといった香りもまたいいですね。寒い季節には、そんな静謐な香りの方が合っているような気がしてきました。

 

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