モミ、クロマツ、ヒバ、ウメの樹脂を採る

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 8月の終わり、いつも一休みしている公園の樅(モミ)の樹の幹に何かキラッと光るものが付いているのを見つけた。水滴?・・・でも、もうちょっと膨らみと質感があって、思いっきり近づいて凝視するとレンズを通して見ているような空や雲がファンタジックでした。
 幹の表面に点々と樹脂が染み出していたんです。 
 以前、同じ樹から採った樹脂を乾燥させ、香として焚いたことがある。ヨーロッパ産の樅の樹脂よりもいい香りだと好評でした。
 そんなことがあったので、樹脂が出てこないか気にしていました。しかし、この樅は樹齢もそんなになく、幹の太さは15センチぐらい。二週間ほど掬っては、また少し出てきたのを掬ってと繰り返しましたが、たいした量にはならないまま、彼岸花が地面からにょっきり出てきて、金木犀の香りが漂いはじめるころ樹脂は出なくなった。門香として焚くので、少量でもなんとかなると乾燥させています。
 小さな金属のヘラで掬っていたのですが、やっていると、指にくっついてベタベタする。鼻を近ずけて嗅ぐと、新鮮な樅の樹脂の匂い。久しぶりでしたが、すぐに思い出した、針葉樹の深い森のイメージ。僅かにレモンのような柑橘類の香気も感じる。
 シャープで鋭角的な匂いです。乾燥させて香として焚くときには、このシャープで尖ったところはなくなります。

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 黒松(クロマツ)の樹脂も今の時期です。近所の公園に黒松の林があり、そこで探すのですが、実は、あまり見つからない。見つけてもごく僅かしか採れない。

 ふだんは松の幹を細かに注意して見るなんてことないので気づかなかったですが、思いの外、カメムシがいるんですね。それも松の樹皮そっくりの保護色をしたカメムシ、よく見ると甲の模様がアフリカの民族的な布柄や仮面の模様にも似ている。

 そういえばこの公園、東側が黒松、西側が椎の木ときっちり区分けされている。樹齢から察するに明治時代でしょうか、計画的に植林されている。江戸時代には長州藩の敷地だった所なので、その縁から造園されたのではないかと思う。

 いまは区の公園として開放的な空間に整備されているのでタヌキやハクビシンの居場所はないですが、椎の木のうろには野ネズミの巣がありイタチもいた。黒松の高い梢にツミ(小型の鷹)が巣を作っている・・・なるほど、隅々まで人間の管理が及んでいるようでいて、それでも人の手の届かない所に自然の生き物たちは居場所を見つけているのですね。

 一本だけ、古木の大樹にくっ付いている樹脂の塊を見つけました。キャラメル色をしたカボション・カットの石のよう。何年もかかってこの大きさになったものです。今年、新しく滲み出てきたばかりの樹脂は無色透明で、幹の凹凸の隙間に薄くこびり付いているぐらいで、それが溜まってこの大きさになるまでずいぶんと時間がかかったはずです。
 樅も黒松もマツ科で、樹脂は油脂性で匂いが強い。樅と黒松の樹脂は、同じような近い匂いですが、黒松は、丸みのある、厚みのある匂いで、仄かに甘みがあります。

 新鮮な樹脂の匂いは、ミントの爽やかさと杏仁豆腐(スターアニス)の甘さを合わせ、渾然としたような感じで、なかなか魅力的です。

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 気にしていると目に入ってきたのをもう一つ、日光檜葉(シノブヒバともいいます)の樹脂。写真は、染み出てきたばかりの雫です。

 日光檜葉は昭和の時代、家の垣根や公共施設、団地の周りによく植えられていた庭木です。この木は、地味っぽいこともあるのでしょうか、平成になってからあまり目につかなくなってきた。

 庭木の種類にも流行り廃りがあるようです。住宅街を歩いていて、庭木の種類に気をつけていると、その区域が宅地化された時代がいつ頃だったかだいたい見当がつく。

 青木(アオキ)や八っ手、黄楊(ツゲ)、砥草(トクサ)などは昭和の高度成長期以前によく植えられていた庭木です。葉蘭になると戦前ぐらいまで遡れるようです。

 近所を歩いていると、梅ヶ丘や豪徳寺には昭和初期、小田急線が開通し宅地化がはじまったころ建てられた民家が僅かに残っているのを目にする。計算すると築80年以上になる。当時、文化住宅と言ってたようですが、豪邸とか邸宅といった家ではないですが、一戸建てで庭のある木造家屋。庭の片隅に砥草や葉蘭がよく植わっていました。

 また、いまもごく稀に万年青(オモト)を見ることもありますが、これは明治、大正の時代に流行した観葉植物で、子供の頃は近所の庭の隅に放置されてる鉢や地面に根ずいた株がよくあった。

 そうそう、檜葉はマツ科の樹脂と同じような清涼感のある、でも樅と比べると弱めで、シンプルな匂いです。シンプルな分、塗料や接着剤を彷彿とさせます。

 薄く剥がれやすい樹皮なので、樹脂を採ろうとするとくっ付き手間がかかりますが、やはりこれも少しずつ集めて乾燥させています。
 

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 ついでに梅の樹脂も今の時期です。古木の幹にたくさん付いている。 樹齢の若い樹からは、樹脂はあまり出ないので古木を探すのがポイントになります。 
 梅の樹脂は、琥珀のよう。もともと琥珀は樹脂の化石なので、当然のことかもしれませんが・・・。朝の光が幹にあたると、樹脂の内側に赤やオレンジの光芒が見え、思わず魅入られました。
 梅の花の香りを期待していたのですが、匂いはあまりしない。桜や桃の樹脂もそうですが、匂いはしない。それでも採ってみました。
 以前、香の会で桃の樹脂を焚いたことがあります。匂いは、はっきりしませんでしたが、ヒーラーで霊感に秀でているという女性が絶賛していたのが印象的でした。確か、サイキックな香りだと評しておられました。

 そんなこともあって、自分の感覚では分からない、匂いのしない樹脂でも気になっていました。いつか機会があれば香として焚いてみたいなと思っています。

 

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星と鉱物の結晶、どちらがきれい?

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 7月下旬から夜10時すぎになると東南の空に大粒の星が光っている。火星の大接近です。写真は、近所の若林公園、シイの林のこんもりした茂みの上に見える火星、けっこうミステリアス。

 最初から横道に逸れますが、この公園で最近、猛禽類のツミを見た。小ぶりのタカといった感じで、キジバトを鋭い爪でつかんで食べている。そういえば、以前からときどきキジバトの羽や骨が落ちていて気になっていた。

 朝、ボランテアで公園を掃除している方に聞くと、3 年前からタカみたいな鳥(ツミのことですね)が公園に住みついていて、今では二つがいの巣があるという。ついでに、イタチや野ネズミもいるとか。

 ここは子供の頃からよく知っている公園で、昔は、キジの仲間のコジュッケイなんかもいて、今よりもっといろんな種類の野鳥がいました。ふつうにいたホオジロカワラヒワを見かけなくなって久しい。でも猛禽類はいませんでした。

 

  アップした画像は、少し前に書いた安治の「浅草太郎稲荷」と似た昏い夜に見えますが、肉眼の実感とはズレています。都会の夜空は、街の明かりで暗くないし、モワーッとした赤黒っぽい緞帳みたいにも見え、安治の描いた夜とはずいぶん違う。

 それに、写真の火星はポツンとした点で寂しげな感じ。しかし、マイナス2.8等で、ビカーッと伸び縮みする針のような瞬きに目を見張る。

  火星は決まり文句のように「赤い」と言われてます。でも、実際のところ赤には見えない。夜空のほとんどの星の色は、大まかに言ってしまうと白光といった感じですが、火星は、はっきり違う色、暖色系なのは分かります。実感としては、黄橙(ダイダイ)色、メキシコのフルオロアパタイトの結晶みたいな色しています。

 毎晩、歩きながら住宅街の上に光っている火星を見ているのですが、光度の迫力、それに色も他の星と違うし、ミステリアスな存在感を醸し出している。

 と、書いていて、でも、現実は連日の猛暑。ミステリアスな存在感とか悠長に言ってるような状態ではないです。日中 35 度前後、夜になっても気温30 度、湿度80パーセント近くで無風。外に立っているだけで額に汗がにじんできて、半ば朦朧としながら星を眺めてました。

 つくづく感じるのですが、暑さだけでなく湿度が体にこたえる。イランやイラクの土漠、メキシコの半砂漠なんかも暑かった。炎天の日差しは日本より苛烈で、その意味では酷ですが湿度は低い。岩陰や木陰で水分補給をちやんとしてればなんとか過ごせる。日本の場合は、暑さ+湿度の相乗効果のもたらす不快感で、これにはまいりました。

 

 ・・・今月6日、人類の活動が地球の生態系や気候に及ぼす影響によって、このままいくと地球は温室化し人が住めない環境になってしまうというレポートが発表された(米科学アカデミー紀要)。

 子供のころ、東京の一般家庭に(電気)冷蔵庫やエアコンはなかった。あったのは扇風機、団扇(団扇)ぐらいで、夏は、もちろんそれなりに暑かったですが、みんなふつうに暮らしていた。そんな記憶を振り返ると、日本は別の世界になってしまったかのように感じます。

 

 前回、人が作ったもの(骨董・古美術品)よりもサファイアのような鉱物の方がきれいだと書いた。しかし、鉱物、石に肩を並べてきれいなものがありました。鉱物の本にこんな一節がありました。

 

 「自然界のもので美しく光り輝くものといえば、夜空の星と鉱物の結晶であろう。蝶のような昆虫や草花は鮮やかな色彩を持って入るが、光輝きには乏しい。夜空の星はあまりにも遠い存在で、われわれが実際に手にとって鑑賞するというわけにはいかない。

 その点、鉱物は、ダイヤモンド、黄鉄鉱、水晶とそれぞれ特徴ある美しい輝きを持ち、それを手にとって見ることができる。だから、世の中に鉱物のコレクションくらいぜいたくなものはないと筆者は考えている。」(『楽しい鉱物』堀秀道)。

 

 引用文に書かれていること、ちょっと飛躍しているけど、飛躍の仕方が自分のパターンと似ていて共感しました。このあたり言葉にするのが難しいですが、文章に永遠を希求する魂の衝動みたいなものが垣間見え、こちらの胸を衝く。

 たしかに鉱物の結晶なら手にしたり、あるいは自分のものにすることが出来ますが、もし触ったり、所有することにそれほど拘らず、純粋に星と鉱物の結晶、どっちがきれいかだけで判定したら、どちらがきれいなんでしょうか?

 人里離れた山の上から見る夏の天の川、目にしたとき言葉が出ない、沈黙してしまう美しさ。天の川は、自分たちのいる銀河系星雲の渦巻きの層を内から見ているんですね。

 漆黒の闇夜に見るプレアデス星団(昴・すばる)は震えるほどきれい。この美しさダイヤに優っているうえ、ただというか、お金で買えない。こういった星々、都会の夜空ではほとんど見えないのが残念。

 一方、朝、目覚めたばかりにシエリー酒の色をしたインペリアルトパーズの結晶を見ると、意識が引き込まれてしまうほど極まっていて、こっちの方もなかなかです。

 どうもピカピカしてればいいみたいな話しになってますね。そのあたり、テーブルの上にジルコンや白鉛鉱の結晶を転がしてテカテカの光沢を見飽きない、そんな自分の嗜癖が露呈しちゃってるのかもしれない。だからここで言ってることが一般化できないことは承知してます。

 ついでにジルコンの原石、ミャンマーアフガニスタンマダガスカルのものなど、けっこう見ました。穴のあくほど見て、結局、この石の魅力は、眩しいといったぐらいの照りにあるんだなと一人納得している。ガーネットを並べ見比べると分かる。色や透明度ではなくピカッとした照り、それに尽きる。

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 ・・・横道に逸れますが、去年の8月の夕方、突然の嵐のように降ってきた大粒の雹(ひょう)の結晶。金平糖のような氷の塊で、奇妙な形に思わず見とれてしまいました。

 

 前回、絶賛してたイエローサファイアと今回、ミステリアスと讃えてる金星、一体どっちがきれいなんでしょうかーー先に結論を言ってしまうと、こういう設問、主観のマジックが関わっているので答えがないんですね。

 主観のマジックってどういうことかと言いますと、一つは、人間って、その時、その時の時勢、物事の勢い、弾みによって動いてるということがあります。人間世界の転期となるような出来事は、みんなそう、結婚とか転職とか、あるいは明治維新や太平洋戦争も究極的には物事の勢い、弾みで起きているという言い方もできる。

 つまり、その時々に夢中になっているマイブームの勢い、弾みで、同じものでも、別の時には違うものに見えてきたりする。主観の世界のことなので、いつも同じ基準、物差しでは見れないんですね。   

 主観のマジックのもう一つのケースは、金星でもサファイアでも、イコンでも仏像でもなんでもいいですが、とにかく何かに惚れ込むのですから、それは恋心の一種で、恋は盲目とか、あばたもえくぼみたいな心理が生じていることです。

 主観のマジックがどうして起きるのか考えていくと、結局のところ偶然の要素が大きく、その都度、乱数発生器にお伺いを立てているようなもので、そこで行き止まり、思考停止になってしまう。

 でも、それでは自分は行き当たりばったりでやってますと言ってるのと同じで、なんか気が済まない。正直にいえば、行き当たりばったりなのかもしれませんが、なにかもう一歩、納得できる、腑に落ちる説明がほしい。

 仏教は人間世界の偶然を縁として捉えていて、南方熊楠はそれを踏襲し、この世の仕組みを縁と縁の交差として考えていた(仏教には業(カルマ)という要素もあるのですが、思うにそれは、それほど気にしなくていいことだと観ています)。

 縁と縁の公差・・・なるほど、思い返すと、自分の行き当たりばったりな流れも納得できるような気がしてくる。

 主観のマジックは、コンピュターやAIの思考にはない、人間だけがしている思考というか、いわば人の性(さが)で、美しいとか、きれいとかいった情感と深く結びついている。そんな訳で、答えがないんですね。

 

 今年の9月、金星は最大光度マイナス4.7等になります。昔からUFOと間違える人がいるように異様な輝きで、ダイヤよりもきれいといっても過言ではないと思うのですが。

 

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 7月のはじめ代々木公園のイベント中に見えたハロ現象。快晴の炎天下、青空に現れた虹、きれいでした。

 

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イエローサファイアの眩惑

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 コランダム(鋼玉)にはいろんな色がある赤い色はルビー、その他の色、紺、青、緑、グリーン、黄、紫などをサファイアと呼んでいる。

 物質としてはルビーとサファイアは同じ酸化アルミニウムの結晶です。不純物として含まれる鉄やクロム、チタン、ニッケル、コバルトなどにより、いろいろな色になる。不純物のない純粋なコランダムは無色透明ですが、色が入ってないのでジュエリーとしての価値は乏しい。

 鋼玉という名前、よくつけたものです。モロッコ産のルビーの結晶、細長い六角錐で胴体の緩やかに膨らんだ昔のコカコーラの瓶みたいな形をしていたが、表面がところどころ白い層に覆われていた。 

 サンドペーパーでゴシゴシ擦ってくと白い層はタールのような黒になり、さらに磨くと小豆色、さらにやっいると赤紫色になっていった。紫っぽい赤ではなく、赤っぽい紫。夢中になってやっていて、指先が痛くなる。1ミリの1/10ぐらいでしょうか、それでも大変。石や鉱物というよりは硬い金属のような質感です。

 硬玉(ひすい)は磨いていてもまだ石という感じがするのですが、ずいぶん違う。鋼玉にしろ硬玉にしろ昔、中国でつけた名称かと思いますが、よくできた命名だと思う。

 

 上の写真は、スリランカ南部のバランゴタで採掘されたイエローサファイアの原石。削ったり磨いたりしていないそのままの状態。 バラコンダはイエローサファイアの産地として知られています。

 現地では田んぼや畑の地面に埋まってるのを掘ったり、浅瀬の川底を掬って採掘している。ネットを検索すると、草むらに穴を掘って、湧き水を吸い上げながら採掘している写真や動画がありました。

 一般的にサファイアといえば、ブルーサファイアということになっていて、実際、ブルーサファイアの美しい原石を見ると、時間が止まってしまったかのような、何か現実離れした感じがする。

 色のついたサファイアの中でも、黄色はどうも影の薄いの存在のようです。サファイアには、いろんな色があって、黄色もあるといったぐらいの扱いで、衆目の関心からは外れている。でも、自分は、イエローサファイア凄いと思いました。

 

 まずテリ(照り)に魅せられた。水晶よりも強く眩い光沢。光沢は、その物質の屈折率と表面の状態によって決まる。透明度のある物質の場合、内部の光の分散度も関係してくる。

 話が逸れますが「テリ」って言葉、よく耳にする業界用語ですが、なんかいかがわしい響きがありますね。香具師の口上っぽいというか。「この石(ダイヤ)、テリがいいでしょ」と耳元で囁く業者さんの顔相が思い浮かぶ。

 

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  水晶(屈折率1.54~1.55)の光沢はガラス光沢と呼ばれますが、コランダム(屈折率1.768) subadamantine(準金剛光沢)と呼ばれている。準というのが曖昧な感じですね。

 金剛光沢ってどんな光沢なのか気になっていた。ネットを検索すると、ダイヤモンドのような光沢と紋切り型に書いてあるだけで具体的にどんな感じなのか説明がありません。

 試しに金剛光沢のある三つの鉱物(屈折率 2 前後)、ダイヤ(原石)、それと白鉛鉱とジルコンの結晶を並べて共通する何かを感じ取ろうとしてみる。

 結論ってほどのことでもないですが、三つの鉱物は、どれもギラッとした眩い光沢があり、それに比べるとガラス光沢は穏やかな光沢だと思います。両者の違いは、はっきり分かる。

 文字や写真では、その違いは分かったようで分からないんですが、現物を見れば一目瞭然、誰でも分かることです。情報(文字や写真)では分からないけど、リアルだと分かる、そういうことなんですね。

 なにげなく使っている「分かる」って言葉、本当はどういうことなのか考えさせられました。

 

 陽の光にかざしてみた第一印象、凄いなと思う。よく見たら凄いという凄さではないんです。

 一見、なんということもないけど、よく見たら凄いとか、あるいは味がある、深みがあるとか、例えば幕末明治の工芸品にそういうものがありますが、そういうのとは異なる瞬間的に分かる凄さ。極まっていて、それ故、甘美な危うさを感じさせる美です。

 黄色と言っても、道路や鉄道の標識、ヒマワリの花、バナナ、シトリンイエロー、クリームイエロー、琥珀色っぽい黄色・・・と挙げていくときりがないぐらい幅がある。イエローサファイアを評するするとしたら、ギラッとした光沢のある透明度の高い三原色の黄色味を帯びた物体、これは普通じゃないという感じがする。

 黄色はエキセントリックな色でもあるようです。もしかしたら、そのあたりに惹かれたのかもしれない。そういうのは心理的な話しになるですが。

 ふと、子供のころ耳にした「黄色い救急車」という都市伝説のことを想い出した。

 

 この世界(鉱物、石好きの人たちのマニアックな世界)には二つの価値観があって、ひとつは鉱物標本としての学術的な価値や稀覯品としての価値が高いかという視点、もうひとつは研磨してジュエリー・宝飾品に加工するための原石としての価値という視点、だいたいどちらかの目(価値観)で石を見ている。 

 鉱物コレクターではないので、コランダムの色や結晶の形、大きさ、採掘地とかいろいろ集めようというまでの気力はないんです。

 また、きれいにカットされたルースにはそんなに魅力を感じない。エンハンスメントされているものが多いし(宝飾品市場で流通しているルビー、サファイアの95%は加熱処理されている。それは何百年も昔からの慣行なので、そんなこと気にするのはヤボというのが了解事項になっている)、合成サファイアも美しさでは引けを取らない。

 自分はといえば、きれいな原石が好きというだけなので、そのどちらでもなく、ある意味、その隙間にいるのかもしれない。

 

 

 さらに話しが横道に逸れていきますが、骨董、古美術品などと鉱物を、美しさを基準にして比較すると相場に大きな開きがある。・・・需給関係や投機といった要素を取っ払って、自然物と人間が作った物、全然ジャンルの異なる物を同じ物差し(=美)で比較するなんて無謀な話かもしれませんが。台風一過の夕焼け空と南宋の砧青磁の逸品とでは、どちらが美しいかみたいなことを言い出してるのですから。

 言葉を換えて言えば、異なるジャンルの物を、自分がどれほど没入してるかだけで比較するわけです。意識の集中度ではなく没入度。集中だと意識の能動的な働きですが、ぱっと見たときどれだけその物に引きこまれるか、これは受け身の感覚です。

 自分の場合、生来、スキゾ的思考というか、考えてることがバラバラでも気にならないたちなので、そんな比較も馴染みやすい。主観の世界なので客観性はないのですが・・・Utubeにウチのネコは喋れますって動画がアップされてますがあれと同じ、他の人にはちょっと変わった鳴き声にしか聞こえなくても、飼い主=当人がそう思っているんだから、そうなんだっていう主観の世界。

 ああ、でも経済学者の岩井克人貨幣論、玉葱やラッキョウの皮を剥いてくみたいに貨幣って何なのか、どんどん遡ってくと、最後に貨幣とは貨幣ですみたいなところにいきついてしまうのも同じなのではないか。

 ついでに、何日か前、御茶の水女子大の学長が、トランスジェンダーの人の入学を認めることにしたという記者会見、言ってることの要旨は、男とか女とか決めるのは、本人の性自認(当人がどう思っているか)だってことで、それも同じことですよね。結局、人間界って究極的にはそういうところなんじゃないでしょうか?

 

 早い話し、こんなことです。一例をあげますと、透き通ったピュアーな黒の色感に見惚れたブラジルの煙水晶、小さいこともあり300円でした。

 同じぐらいのインパクトを受けたものはと記憶をたぐると、昔のタイのベンジャロン焼きの祭器の小皿、バンコク時代に清で作られたものでタイの美術館でも展示されてますが、あれを手にしたとき同じような気持ちになったのを思い出した。骨董市の相場では、いまあげた煙水晶の100 倍ぐらいの値がついている(大まかな数字)。

 と、いうことで、美しい鉱物は、骨董や古美術品よりも100倍お買い得、自分の感覚ではそういうことになる。話しが逸れたままですが、今回はここまでということで。

 

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「浅草田圃太郎稲荷」 と水の匂いのする夜

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 井上安治の版画。明治はじめの台東区下谷、そのころは浅草田圃(あさくさたんぼ)と呼ばれていた一角に太郎稲荷の社があった。昏く水の匂いのする静謐な夜。江戸時代の夜はこんな感じだったのでしょうか。

 明治以降、油絵や日本画で描かれた夜より、版画で描かれた夜が好きです。特に、安治と谷中安規の描く夜はいい。

 この画には、不思議な既視感があって、実際は見たことがないはずなのに、なぜか懐かしさを感じる。

 安治は130数枚の東京名所絵を描いています。 安治は幕末、江戸に生まれ、明治22 年、25 歳で病で亡くなっている。東京名所絵シリーズは十代のときの仕事でした。

 写真の画は、以前、まとまって売りに出ていた中の一枚。その中には、昼間の東京も、描かれた場所もいろいろありましたが、いちばん惹かれたのがこの画でした。迷わず、即これだと思った。

 刷られてから140 年ぐらい経っていることもありますが、それより、おそらく昨今のアート作品のように気配りした保存をされていなかったようで、画面の周りの白地は埃、色褪せ、シミがついている。まあ、当時は庶民の観光土産のようなものだったと思うので、言ってもしょうがないことですが。

 

 太郎稲荷は、現在も下谷2丁目に「太郎稲荷大明神」という名称で存在しています。まわりはごく普通の下町。民家、マンション、学校、事務所、倉庫などが立ち並んでいる道路沿いに小さな赤い鳥居があり、その細い路地の奥まった所に、地味にというか、ひっそりと鎮座している。

 ちなみに、太郎というのは、鎮座している狐の神様の名前。また、江戸時代には流行り神という奇妙な現象(今風にいえば都市伝説の騒動といったことになるのでしょうか)が起きていましたが、太郎稲荷は流行り神としても有名でした。

 太郎稲荷の流行は、江戸時代後期の60年間に3回ありました。最後が幕末の慶応3年(1867 年)で、安治が3歳のときのこと。

 この年、10 月に大政奉還、翌年( 1868 年)が明治元年。8 月から12 月にかけて西日本や東海では、ええじゃないか騒動が起き、同じ時期に、江戸で太郎稲荷参りの流行が起きている。

 この年のええじゃないか騒動は、約60年周期で起きていた伊勢神宮への集団参拝現象、お蔭参りの変形版といわれていることを考えると、太郎稲荷の一件は、それに誘発されて起きていたのかもしれない。

 浅草並木町生まれの安治にとって、 3 歳の頃の出来事であった太郎稲荷の「騒動」は、上野の山の戦争とともに身近で起きた天変地異だったはずで、一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような影響を受けていたののではないか。

 映画の「ブリキの太鼓」の主人公は、 3 歳で体の成長を自ら止めた人間の物語でしたが、安治の場合は、自我の成長を自ら止めたケースだったのではないか。

 この画もそうですが、東京名所絵シリーズの自我のすっぽり抜けた目で描いたような作風の背景をこんなところに見ています。

 

 このあたりは、朝顔市の鬼子母神からも、お酉さまの鷲神社からも少し離れていてる。西浅草から料理道具・食器で有名なかっぱ橋商店街を歩いていくと、そんなに遠くない所でもあるのですが、やはり微妙に、少し距離があるんですね。

 まわりに古い名所、旧跡がないのは、江戸時代には一面田圃だったから。入谷田圃、吉原田圃といった名前もあったとか。入谷の先は、江戸の外で、奥州街道の最初の宿、千住になる。ここは江戸の端、 古文書には人気のない寂しい所だったと書かれている。         

 地形を見ると、上野は山になっていて、その東側、浅草と上野に挟まれたこのあたりは谷のような地形になっている。下谷、入谷という地名はそんな地形に由来しています。

 太郎稲荷の横には、今は暗渠になっている新堀川が流れていて、池や沼が点在していた。現在では、全く想像できない情景が広がっていたようです。安治の画を見ていると、そのころの時代にタイムリップしたような気持ちになる。

 

 江戸の低地、湿地というと、時代劇の映画などでは湿ってジメジメした沼や葦原といった、怪談ものの舞台もそんな場所で、あまりいい印象はないのですが、でも、考えてみると、水郷のような景勝地でもあったように思います。

 自分の中では、大輪の蓮や睡蓮、菖蒲、カキツバタなど水生植物が百花繚乱、夏には蛍が飛び交う、そんなイメージ(ちょっと過剰でしょうか)。 初夏の早朝、不忍池の畔には蓮の花の香りが漂っていて、僅かにそんな面影が感じられます。

 日本の匂いということでは、まず畳の匂いを挙げたい。生活環境の変化で、この感覚がうまく伝わらなくなったとしたら、それは自分の憶っている日本の消滅ではないかと憶っている。そう、イグサも水辺の植物でした。

 そういえば、太郎稲荷からかっぱ橋商店街に戻ると、カッパの手のミイラを保存していることで知られる曹源寺がありました。江戸時代には、このあたりの水辺にカッパもいたようです(?)。

 ふと、バリ島のアグン山の裾野を想い出す。ずーっとどこまでも田圃が広がっていて、所々に小川や竹の林、灌木が見える・・・浅草田圃の想像としては飛躍しているかもしれませんが、近代化からすでに150年も経っている世の中にいる自分には、具体的なイメージとして想い浮かぶのはバリ島でした。

 少し横道に逸れますが、わたしが浅草にいくようになったのは、 そんなに昔ではなく1990〜 2000年代ごろからで、街が寂れていたころでした。

 そのころの浅草は、明治以降でいちばん寂れていた、いわば陰の陰の時期。でも、自分にはそんな雰囲気が心地よかった。場末美・・・誰かの造語ですが(確か平岡正明だったか)、自分にはいい街でした。

 夕方、花やしき通りを歩くと廃墟感が漂いオールドデリーみたいでした。また、人を案内し銀座線の改札口から地下商店街に足を踏み入れたとき、その人は「トルコのガラタ橋の露店街みたい」と素直にびっくりしていました。

 浅草には、東京にはなくなった風景が、つまり過去が僅かに残っていたということです。しかし、それも近年、外国人旅行者ばかりの国際的な観光地に変貌していくなかで消えつつあるのは残念に思っている。

 1990年代末期の浅草六区は、よく死んだ街だと陰口を言われていたぐらい寂れていたので、賑やかさが戻ってきたのは一般的には良かったのかもしれませんが、昔とは別の浅草になってしまったのは空虚な感じです。

 話しを戻します。別にバリでなくても、タイやベトナムメコンデルタ、中国南部、台湾には浅草田圃と同じような情景の場所、あるのではないか(あるいは、あったのではないか)。

 ゴーギャンの楽園は太平洋のタチヒ、トロピカルな世界でしたが、こちらのパターンは東南アジアと連なる高温多湿、照葉樹林帯の風土の楽園といってもいいのかもしれない。

 

 

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カラタネオガタマ、スイカズラ、ブンタンの花の香り

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 4月下旬の暑い日、近所を歩いているとカラタネオガタマの花の香りがしてきた。最近、植木として、あるいは街路樹としてよく植えられている。モクレン科の灌木で、花は小振りながらモクレンに似た形をしている。

 毎年、この季節になると、とくに気温の高い日には香気が強くなり、目鼻ぐらいの高さの枝についた花の匂いをクンクン嗅いでいる。

 その香り、第一印象を言葉にすると、ラムレーズンの匂い。ラム酒の香気+スウィート、初めて匂いを嗅いだときびっくりした。植物なのに、人が作った洋菓子のような匂いなのですから。

 ラムレーズンというのは個人的な印象で、英語ではバナナツリーともいわれていて、 確かに熟れたバナナのような匂いともいえます。

 

 漢字で書くと唐種招霊といわくありげな名前。カラタネオダマは江戸時代に中国から移入されたのですが、それ以前からあった日本原産のオガタマ(招霊)が常緑樹で榊(サカキ)のように神道の祓具(お祓いの用具)であったことに由来している。

 どうしてこの木が祓具に用いられたかというと、常緑樹の青々とした葉に生命力が宿っていると感じられ、そのパワー(霊威)で場を清めたり、邪を祓ったということに由来しています。遠い昔、神道が呪術だった頃から続いている原始信仰ですね。

 

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 スイカズラも今が開花期の蔦(つた)植物で、住宅街の垣根や柵に植えられたりしている。野山の山草でもあります。細長く白い花がたくさん咲く。

 香りのベースはフローラルですが、それにプラスして艶があり、生っぽい独特の癖がある。この癖のアクセント、うまく言葉にできないですが、なぜか自分の内では官能的な感じなんです。

 この花の香りについて、よくいい香りがすると書かれていますが、そういった一般的というか、月並み(失礼しました)な批評を超えた特別な香りで、自分の好きな花の香りのベスト3に入っている。

 初めてこの香りと出合ったのは、インドのバラナシでした。蒸し暑い夜、ヒンドゥー教の寺院が続いている泥道の路地を歩いていたら、えも言われぬ香りが漂っていた。   唐突な比喩ですが、その空間にイノチがほとばしっているような匂い(表現が難しい・・・)。

 見ると、暗がりに一面、白い蝶のような花。まさに夜来香(実際は植物学的には違う種類なのですが、シチュエーション的には、これ!って感じ)。

 インドの街には供え物や儀礼のための品を売っている店が多いのですが、スイカズラの花輪や線香はラインナップの定番に入っていました。

 

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 好きな花の香りのベスト3についてふれましたが、一番はブンタン(文旦)の花です。この樹も今が開花期です。柑橘類ですが、みかんやゆず、レモンよりも花も実もずっと大きい。花も実も柑橘類で最大だとか。

 花は、肉厚で房状になって、見た目、爬虫類っぽい。けっこう重みがあり、ずっしりしている。その分、香気も強い。柑橘類の花に共通する匂いの系統ですが、より濃密でクリーミー、ファンタジックな雰囲気の香りです。

 香気の強さは、量は質に転化するといってもよく、他の柑橘類の花のようないい香りといった域を超えて陶酔感をもたらす香りです・・・香りで陶酔感とは? ちょっと言い過ぎでしょうか、ぜひブンタンの花の香りを聞いて(嗅いで)みてください。

 先日、この樹のある住宅街の奥まった路地に行ってみたら、なんと根元から切られている。 二階建ての屋根ほどの高さの樹で、毎年、大きな実をつけていた。

 30〜40年ほど前に、アパートの通路とブロックの隙間の狭いスペースに苗木を植えたという話しをお年寄りから聞いた憶えがある。その話しを聞いたのもかなり前のこと。隣りの駐車場に枝がせり出し、通路の邪魔にもなっていた。

 ブンタンは東南アジア原産で、日本では九州と四国の高知で栽培されている。九州、四国が露地栽培の北限とか。都内で大きく実をつける樹になっているのは、けっこう珍しかったのではないか? このあたりで、ここまで大きくなっているブンタンの樹はほかに見かけない。

 ところで、この場所から 200 メートルほど離れた表通り沿いの家の庭にアボガドが植わっているのですが、その樹には「せたがやトラスト」(区内の名木を選定している団体)のプレートがかかっています。太い幹のアボガドで、大きく育っているのが珍しいことから選ばれたようです。

 こんなに素晴らしい香りのする花なのに、誰もそれを知らないまま伐採されてしまった。毎年、この香りを楽しみにし、自分の内では、貴重な存在でした。

 

 生花の香りは、生きた香りです。このことは、特に強調しておきたい。

 生きた花の香りを嗅ぐと分かりますが、例えば、バラでも蘭でもジャスミンでも、実際は、いろんな香気成分が微妙に、そして渾然と混じりあっているんですね。単体の匂いではなく、融合した匂いというところが自然の匂いなんだと思う。

 また、もう一つの特徴として、生花の醸し出している湿り気が感じられる、ウエットな香りでもあるんですね。 これが花の生気の匂いということなのではないでしょうか。

 

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古代エジプト展と人智学と犬

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  5 月 に「古代エジプト展」がある。この数日、その準備で忙しい・・・というのは大げさで、しまっていた箱から小さな立像などを取り出し並べるだけと全く簡単。

 場所は、部屋の隅っこのテーブルの上。開催期間を5月1日(火曜日)から 31日(木曜日)とした。 「・・・とした」と書きましたが、別に誰にも言ってないので、自分の頭の中で、並べ方の配列や背景をどうしょうかなど考えては、ひとり盛り上がっている。

 とくに古代エジプトの発掘品にこだわって集めてるのではないんです。だから手もとにあるのは、ウシャブティ 2 点、土偶(粘土を焼いて作ったベス神)、セクメト女神像 2 点(上半身だけ、それとアミュレト)、トキ(鳥の朱鷺。トト神ですね)のアミュレット、動物(猫、バステト女神)のアミュレットの7点だけ。どれも小さなものばかり。

 古代エジプトの発掘品はもともと相場の水準が高いうえ、レプリカ(博物館や学校で展示するために、あるいは好事家の鑑賞用に、と発掘品そっくりに作られている)も混じっていて、なかなか難しい。      

 横道に逸れますが、中国の漢の時代の発掘品(明器が多いですが)は相場が値崩れしていて入手しやすい。今が底値と言う人もいますが、続々と入ってきている。さらに古い、通称アンダーソン土器と呼ばれる仰韶土器なども同様。

 また、パキスタンから流れてくるインダス文明の発掘品も博物館に展示しているようなものと遜色ないというか、いえ、それ以上のレベルと思えるものが案外、安く手に入ったりする。

 と、書いていてポリシーがないよう思われるかもしれませんが、落花流水の理とでもいうのでしょうか自然に入手しやすい方に傾いてしまいがちなのは否めない。

 

  今から30 数年前、個人的に集めた古代エジプトの発掘品約230点を地元の市に寄贈した方がいました。藤沢の医師で、なかなかの人物だと思いました。

 教育委員会の発行した「高橋コレクション」と呼ばれる目録を見ると、ほとんどは、自分の手もとにあるのと同じような小品でした。・・・もう少し大きなものもあるんじゃないかと思っていたのですが。

  3 年前、日本各地を巡回した「古代エジプト美術の世界展」は、世界屈指の古代エジプト美術コレクションと評されていた。現在は、永続的に保存管理するために財団が作られていますが、もともとはスイス人の一人のコレクターが集めたものでした。

 ナポレオンのエジプト遠征の頃から200年、帝国主義の時代にイギリスやフランス、ヨーロッパの国々は、エジプトから大量の発掘品を持っていった。価値あるもの、 大きなものなどはそういった国々の博物館に納まっている。

 

 最近、シュタイナーが晩年に語った人智学の講演録を読んでいて、古代の芸術について印象的なことを話している一節が目についた。

 シュタイナーはーー念頭にあるのは古代エジプト文明だと思われますがーー「物質素材の霊化という芸術活動」というふうに述べているんです。すごいことを言っている。   エジプト文明は、紀元前3000年頃から約3000年間あまり続いている。その文明の人々は、現実に生きているこの世と、死後、あるいは生前の世界、つまり霊的世界とのつながりを実感としてつかめていたというのです。その後のギリシャ、ローマ文明の時代になると、人間の意識の内でその実感はあやふやになっていったとシュタイナーはとらえていた。

 発掘されたいろいろな神像を見ても、今のわわれわれは、古代の人たちは、ああいうものを想像して作ったに違いないと考える。現実には存在しないものの像なので創作だと考える。それが普通の一般的な考えだと思う。

 ところがシュタイナーは、あれらは霊界に存在している神々の模写として作られたと言っている。創作ではなく模写、作り手の内的なプロセスは全然違います。だから粘土、ファイアンス、石、木などを用いて神像を作る行為(芸術活動)を、物質素材の霊化だというのですね。

 古代エジプト展を思いついたのは、このシュタイナーの指摘に刺激を受けたことが大きい。

 

 美術館や博物館にいくと立派な名品が見られる。それはそれでいいですが、日常の中で、寝転びながら、手仕事しながら、朝食食べながら、新聞見ながら、居眠りしながら、寝る前に、真夜中目が覚めたときに、と好き勝手に見たりするのもいい。

 もとをただせば、フランス革命で王族や特権階級の館にあった絵や彫刻などを没収し、人民が等しく見れるようにと作った施設が美術館の始まりでしょ。そこに納まってるものは、断頭台に消えた人たちの調度品、インテリア、要は、家に飾ってたもの。

 そういう意味では、もともとそうであったような展示の仕方をしようとしているともいえる。自分のような貧民がしてるってのは妙な話しですが、そのあたりは知恵を絞ってなんとか・・・。

 美術館や博物館だと、触っちゃいけない、立って静かに行儀よく鑑賞しなくてはいけないとかいろんな制約があります。その点、自作自演、観客も自分と犬だけなので自由気まま・・・落語の蝦蟇の油と似てなくもないですが。

   冒頭、並べ方について書きましたが、それぞれのサイズや形状、材質(色、質感)の違いを考えて、木の台を置いてみたり、いろいろ試行錯誤しているうちに、配置は「 ∧  」の字形になった。だんだん舞台の演出家のようなノリになってきた。

 間仕切りは、色の異なる小さな水晶をポールを立てるように並べてみた。半透明で紫、橙、黒、松葉色、青、水色がかかった水晶を選ぶ・・・自然と、これが結界になった。発掘品とのバランスもなかなかいい、禅語の「別是一壺天」というか、異世界の神殿みたいでもあり、少なくとも初めて見る世界といった感じです。

 

   さて、開催が近づくにつれ、誰も見にこないというのも味気ないような気がしてきた。どうしょう・・・思い倦ねて、結局、犬の J (名前のイニシャル)に見てもらうことにしました。

 毎晩、寝床も一緒なので呼んでくる手間が省け楽。 いわば人獣同衾とでもいうんでしょうか、でも犬と寝ていていろんな気づきがありました。寝ていると、J もやってきて、ちょうどお腹あたりに、奴の背中を押し付けるようにしてゴロンと横になる。

 肌に犬の体温が伝わってくる。呼吸している体の膨らみと収縮の感触が伝わってくる。眠っているときに、犬の温感と呼吸のリズムがこちらの意識に入ってくるわけです。

 昼間、起きて生活してる時間の生(人間界の生)と同じぐらいに、眠っている時間の間にも生(アストラル界の生)があることに気づいた。

 ふつうは、他者といえば人間以外ありえない、そんな世界(現実といっている世界)にいるのですが、他者が動物という世界(自己と動物で成り立っている世界)もありうるのではないか。睡眠時のような半覚醒状態だったことがこの気づきをもたらしてくれたように思っています。

 犬だけでなく、猫でも、あるいは他の動物でもーー人間だと同種どうしなので(犬の体温は人間より高く、呼吸のリズムが早い)気づきずらいと思いますがーー睡眠中にこういう相互意識の世界があるのではないか。

 そういえば、 J の先祖は、古代エジプトでも飼われていたそうで、絵に描かれていたり、ミイラが発掘されているとか。 ついでに、オードリー・ヘプバーンに似ていることも書いておきます。怪獣マリンコングにも似ています。

 この話し、人に言っても信じてもらえないことが多いので、証拠の写真を上にアップしました。左が J です。下の写真はマリンコング。

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 ところで、犬は発掘品にこびりついている塵や彩色片から古代の古代エジプトの匂いを感じとれるのだろうか? 確か、犬の嗅覚は人間の5万倍とか。 J に聞いてみたい。

 

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いいなと思った鉢

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 金沢の陶芸家、大西雄三郎さんの鉢。一目見て、いいなと思った。

 なにより、その色感。深緑から紫がかった小豆色に溶けていくような流れ。見込みの底に、雲の隙間に見える紺碧の空、ボルダーオパールやローマングラスを彷彿とさせる。

 中心のやや右に見える小さなオーシャングリーン、大西氏の極め色のようです。というのは、他にもワンポイントとしてこの色を用いた皿を見て印象的だったので。

  色の違う釉薬をかけ流すのは、 唐三彩や遼三彩もそうでした。 黄土色と緑の釉薬が重なって混じり合った色模様、そして、淡い色やぼかした色の味わい、そんな唐三彩に魅了された日本人は多い。

 自分はといえば、唐三彩はもちろんいいにしろ、それ以上に、遼三彩の藍色の色感に心底参ってしまった。この鉢には、あのとき遼三彩の藍色にクラクラしたのと同じ何かを感じました。  

 

  写真では、皿のような平坦な形に見えて、鉢の立体感がよく分からない。実物は、どんぶりではないですが、深さがあります。

 最近、写真と実物のリアリティの違いが気になってしょうがない。自分が眼で見てるものと、それを写したものとでは、違うものに見える。遠近感と立体感、凹凸や質感、それに眼で見ているときは、瞬間、瞬間で意識がそのものの一部に向いていて、それがつながって全体としての、そのもののイメージを作っていると思うのですが、写真はそういうところが抜けているんですね。

 昨年の晩秋に南宋の焼き物と出合い(以前、ブログに書いたあの話し)、それがマイブームになってしまい、寝ても覚めてもそっちにばっかり目がいってました。現代のものは、見たとしても上の空、見ていながら目が閉じていた。

 そんなわけで、今年の 1月、この鉢を目にしたときも、 胸の内では、いいなと感じて戸惑いつつ、ふんぎりががつかなかった。で、翌日の朝、目が覚めたとき、あの鉢を気にしている自分に気づきました。

 だいたい、朝、目が覚めた直後に思い浮かんだことは、自分の内の正直な心からのメッセージだと思っている。これは、古神道やシュタイナーから学んだ一種の知恵で、振り返ると、この見方、そんなに間違ってなかったように思っています。

 ・・・ああ、どんどん横道に逸れている。鉢の話しの続きですが、それからずっと気になって、いろいろ探して、半月後、作家の方にコンタクトすることができ、あのとき見た鉢を手にしました。

 

 日本の伝統的な美とは毛色が違う。でも、こういうのが好きなんだからしょうがない。ニューギニアの先住民のお祭りシンシンとか、ブラジルのカーニバルとか、ダイナミックで、鮮やか派手な色使いをしていました。本源的には、あるいは自己抑制をとっぱらうと、こっちの方がヒトの感性を素直に表しているのではないか。

 そういえば、骨董についての岡本太郎小林秀雄は全く違った見方をしていた、そんな逸話を想い出す。この話し、要は縄文系と渡来系の文化の感性の違いということになるかと思うのですがーー『日本の伝統』(岡本太郎)という本の一節です。ご関心のある方は「岡本太郎 小林秀雄」で検索すると概要が分かります。

 ・・・・また、横道に逸れている。こんなことを書いてるうちに、結局、自分が惹かれているのは、陶磁器というよりは陶板画なのかも、そんな気がしてきた。

 

 大西氏は、九谷を学んだ陶芸家で、伝統に沿った作陶もされていると思いますが、個性をはっきりと出した作品も作っていて、この鉢は、その中でも会心作といえるものだと聞きました。

 ふと、大西氏と立ち話してたとき耳にした一言を思い出した。焼き物を作っているとき、抽象画のようなものを狙っている、そう話していました。

 第二次大戦後、アメリカで生まれた抽象表現主義というアートの潮流がありました。抽象+表現+主義という漢字、ガチガチに硬い感じがして、一方で漢字だと知らない言葉でも文字からなんとなく意味がつかめるという利点もあり、Abstract expressionismと書けばいいのか、迷うところです。

 その中に、ドリッピングという絵画の技法がある。筆を使わずキャンパスに描くという技法で、棒から絵具を垂らしたり、撥ねつけたりして描きます。

 大西氏は、釉薬を口縁から見込みに流していくとき、どういうふうになっていくか計算して作っているとも話していました。その言葉は、最初にドリッピングで描いた画家、ジャクソン・ポロックが、意識的に絵具の垂れる位置や量をコントロールしていると語っていたのとつながるように思いました。

 なるほど、自分は、鉢の形をした抽象画を見ているのかも?

 

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