下谷「坂本富士」のお山開き

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 上の写真、中央の左上に山の頂上に登る人の姿が見える。手前の門の脇で手を合わせているのは神の使いのお猿の石像。雨あがり、草木は瑞々しく、濡れた玄武岩の黒々とした光沢、とってもいい。

 

 6月30日、下谷の小野照崎神社にある「坂本富士」のお山開きにいってきました。都会の真ん中、神社の境内にある小さな富士山(富士塚)。地下鉄日比谷線下谷駅から歩いて5分ぐらい。まわりはビル、マンション、住宅に囲まれ、そんなに広くはない敷地に盛土されている。

 高さ10メートルもないかと思います。元は古墳だったところに、江戸時代、富士山の玄武岩や溶岩を船で隅田川の船着場まで運び、荷車に載せて持ってきて積み上げている。

 江戸時代の天明年間(1782年)に築山され、富士講の信仰を受け継いでいます。富士講は、修験道が大衆化した民間信仰で、江戸の街で庶民の間に広まった。

 一年に一度、30日と7月1日の二日間だけ入山できる。この二日は誰でも入れますが、近くの小学生、家族連れがちらほら訪れているぐらいで人は多くない。

 ふだんは、入り口の門に鍵がかかっていて入れない。240年以上経っても昔のままの姿を保っているのは、人が入らないので蔦や草の根が張り巡らされ、土を固めているからのようです。

 

 この日は朝から小雨が降ったりやんだりのいかにも梅雨といった天気。小雨がずっと続いていたので空気に水の匂いがする。そういえば、この場所は以前、ブログに書いた浅草田圃の太郎稲荷の近所です。

 小林清親の版画に描かれている太郎稲荷は、江戸時代のこの辺りの原風景でした。ここにたたずんでいると、その時代と接続しているような気持ちになります。

 夏至がすぎたばかりの夕方なので6時をすぎても明るいですが、雨空の下、欅の大樹の枝が張りだしていて昼なのか夕方なのか判然としない。岩や溶岩には苔や蔦が覆っていて、雨に濡れるといっそう瑞々しく緑色が映えます。

 夏至の頃の黄昏時で、梅雨の日の雨あがり・・・ここはこんな雰囲気のときがいちばん好きです。久しぶりに来ました。どうもこの情感を自分の体で感じ、味わうために、あるいは日々の日常に埋没し忘れそうになっているのを想い出すために、ここに来たようです。

 

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 さっきまで雨が降っていたので、岩の隙間を通る細い山道は泥道になっている。

 小学生の女の子が2、3人走って登っていた。と、すぐに登れるので、降りてからまた登ってきた。靴も服も泥まみれ。聞けば、これで8回目と言っている。年の数だけ登るので、あと2回登ると元気いい。学校に入る前の男の子が、お母さんと手をつないで登っている。

 一人でやってきて、頂上で手を合わせているおじさんもいましたが、見たところ近所の子供たちの遊び場の開放日みたいな感じでした。

 ・・・ああ、でも考えてみれば、この辺り浅草から下谷、南千住、三ノ輪にかけて平坦な地形で人家が密集している。自然のある公園もないし、子供たちにしてみればこんな山があるなんて、しかもふだんは入りたくても入れない場所なので、興奮気味なのも分かる気がします。

 

 話は変わりますが、下谷富士塚と比べ、北区の十条にある富士塚は、講が存続していて参拝者も多く、道路に縁日のような屋台がたくさん出ています。地元の伝統行事になっていて賑やかな雰囲気です。

 ここは一年中、登れます。木の茂った小高い丘(やはり古の古墳)の上に祠があり、階段を登っていくといった感じなので、下谷富士塚とはちょっと趣が違いますが。富士塚は、この他、千駄ヶ谷護国寺、品川、江古田、池尻とか都内各所に残っている。

 とはいえ、江戸時代の原風景を今に留めているということでは、下谷富士塚がいちばんいいなと思っています。

 

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 写真は深山のような雰囲気のところだけ切り取ってアップしています。まわりのビルや町内会の派手な吊り提灯が一緒に写っていることが多いので。でも、こんな梅雨の夕刻、ここにいると、まわりに建物が存在していることが意識の内では消えていた。思い返すと、記憶の中に残っている情景もそう。

 その意味では、アップしている写真の方が意識に上った現実に近いように思っています。

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 ところで、この神社の狛犬、通りがかりに目に入り、驚きました。これほどの彫像、めったにないんじゃないか。これまで、神社の狛犬をそんなに見てこなかったので、あまり他のものとの比較できませんが。

 明和元年(1764年)、石屋長八という人の作とのこと。最初、明治、大正のものかと思いました。大胆で斬新な造形、江戸時代の中期に作られたとは思えなかった。

 よく神社で見かける狛犬は、どれも似ている様式化した姿ですが、この狛犬は、そういう様式化のはじまる以前の作だそうです。

 インドや中国、中央アジア、モンゴル、東南アジアの石像に、ここまで極まった、完成度の高いものないのでは? 躍動的な渦巻きのウェーブは、相模、武蔵、下総、常陸の地から出土している5000年前の縄文中期の土器の装飾を彷彿とさせる。まさか縄文土器からインスピレーション受けてたりして?

 250年以上前に作られたとは思えないほど状態がいい。石肌が穏やかで、風化、劣化していない。狛犬の表面を苔が薄く覆っていて、それが梅雨の水気を吸ってブルー系の色(まさに江戸時代の御納戸色!)に変化し、えも言われぬシックさを醸し出していた。

 

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アブサンと「緑の妖精」の秘密

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 キッチンの洗い桶の下の扉を開けたら埃をかぶったビンが出てきた。ワイン? もともと下戸だし、置いた覚えがない。誰が、いつそこに置いたのか分からない。

 手にして栓を捻るとカチと開封した音がしたので、それにつられて衝動的に舌に流しこんでしまった。ラベルぐらい見てからにしておけばと、思ったときは、すでに口に液体が入ってた。

 もし劇薬、洗剤、塗料とかだったらと誰でも考えると思うのですが、自分の行動パターンはいつもこんな感じ。

 

 強烈に甘く苦い、喉にジワーとくる熱い感覚。甘苦(かんく)って言葉があるように、本来、正反対の方向性にある甘いと苦いが融合している! 

 これって、人を驚かすブレンドを工夫、それを豪腕でもって無理矢理作ったリキュールだなと、下戸の素人がおこがましいこと書いてますが。

 最初の第一印象は強いアニスの香り、続いて強い甘味、それから強いアルコールの乾いた熱い辛さが来て、隠し味にフェンネル茴香ウイキョウ)の癖のある香味、そして全体のベースに苦味(これは中程度に抑えている)・・・ああ、これはアブサンだなと気づきました。以前、読んだ本に書かれていたアブサンの成分と同じでしたから。苦味は当然、ニガヨモギです。

 全体のバランスとして、苦味が比較的抑制されていること、アニス+甘味が過剰なこと、フェンネルの超個性的な香気が妙に出しゃばってる。このあたり、本やネットに出ているアブサンに関する話には、書かれていないことでした。

 

 そういえば、北欧、フィンランドのなんとも変な味のキャンディ、アンモニア臭と塩味の混じった「世界一まずい味」といわれてる飴ですが、あれの隠し味にもフェンネルが用いられてたのを思い出しました。

 あのキャンディの味、自分はだめでした。独断的な言い方しちゃうと異臭症フェチでないと無理(好きな方、失礼しました)。書いていて、那須温泉の源泉、鹿の湯や殺生石あたりにたちこめている臭いが蘇ってくるような・・・アンモニア臭と硫黄臭、違いはあるのですが、自分の内ではイメージがつながってる。

 ついでに、もうひとつだめだった味も書いておきます。イランで向こうの人たちは美味しそうに食べていた山羊(ヤギ)のスープ、あの味もだめでした。

 別にフェンネルに恨みはないですが、変わった味のリキュールやキャンディに限って、それも隠し味に用いるのって、どうしてなんでしょうか。

 改めてビンのラベルを見ると「ABSINTH  TABU  CLASSIC」とある。アルコール度55%。ドイツ産のアブサンでした。

 アイスクリームに垂らしてみたり、あるいは、バナナを食べながらちょっと口にしてみる。バナナと一緒だと悪酔いするというか、たぶんアブサンだからということではなく、バナナと酒類は、相性が良くないのかも。

 

 ニガヨモギ の苦さはよく知っています。口にしなくても苦い(?)ほど苦いハーブです。

 大きな袋に入った乾燥ハーブのニガヨモギ を、スプーンですくって小袋に分けるときのこと。よくコーヒー豆の売り場で、焙煎した豆をすくうときに使ってるのと同じようなスプーンを使う。

 ニガヨモギの葉や茎をスプーンですくうと、細かな微粒子が僅かに舞い上がります。それが目に見えない埃のように空気に混じり、気づかないまま鼻から吸い込んでしまい、喉を通り抜け舌に接触して強い苦味を感じる。

 そんなわけで、口にしなくても苦いというのは本当です。

 本来、それぐらい苦いハーブなので、入れすぎたら飲めなくなってしまう。抑え目にブレンドしているのは当然ですね。

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ゴッホアブサンのある静物」(1887年)

 

 19世紀の後半のフランスでアブサンが流行したことは有名で、ネットにもその話がたくさん出てきます。紹介していくと長くなるので、端折って書くと、当時、アブサンは「麻薬」のような存在と見なされていた。幻覚を見たり、身を滅ぼす人もいて、20世紀に入って禁止される。

 そして、約1世紀後の21世紀になってから過去の有害性論は誇張だということが分かり解禁、いまは普通に売られています。

 

 アブサンの流行は、フランスの資本主義勃興期から世紀末を中心に、それに続くベルエポック(繁栄の頂点)の時代に当たり、有名な詩人、文学者、画家たちの生き様とアブサン酒にまつわるエピソードが重ね合わされ、その時代の文化現象として語られている。

 ・・・と、書いていて、フランスには行ったことないし、ましてや1世紀以上昔の話で、自分の中でいまいちリアリティがない。

 よく語られてたのは、ボードレール の「人工楽園」とかユイスマンスの「さかしま」などを引き合いに出した物質的快楽を極めた退廃の美といったイメージで、昭和の高度経済成長のころ澁澤龍彦なんかが憧れてた世界。バブル的、絢爛豪華な雰囲気で、特権階級や文化人のデカダンスというんでしょうか。

 一方、その時代は貧富の差の激しい階級社会でもあって、庶民というか下層階級のデカダンスもあったんじゃないかと思う。こっちの方は、あんまり話題になっていない。

 その時代に生きた人々の生活実感、実相を知りたくて、昔買って積ん読のままになってた『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(角山栄、村上健次、川北稔)や『パリの聖月曜日 19世紀都市騒乱の舞台裏』(喜安朗)といった本を読み直した。

 19世紀のパリでは、その日暮らしだった庶民が、休み明けの月曜日に仕事に行かず居酒屋で酒を飲んですごし、その一日を聖なる日、つまり日曜日にしてしまう習慣がまかり通っていて、街頭の騒乱、ストライキもそういう中で頻発していたとか・・・『パリの聖月曜日』の一節から。

 なんだか「日本全国酒飲み音頭」とか、あるいは浅草の脇道に僅かに残ってる朝からやってる立ち飲み屋なんかを連想してしまう。洋の東西を問わず場末美にはアナーキーな匂いがして惹かれます。

 要は、快楽を取るか、自由を取るかってことですよね? そういう選択が俎上に上がるところまで文化が極まってたとしたら、けっこう凄いなと思う。

 どちらにしろアブサンで酔っぱらってたということでは共通してたのかな・・・とお茶を濁しときます。

 

 それにしても、積ん読の本の処分に困っている。本って、いつの間にか増えているし、増えると嵩張るし、重たいし、昔はけっこういい値がついていた古書もいまは二足三文。 ゴミの日に束ねて捨てると、ささっと抜いてくセミプロが徘徊してるし、まったく始末に負えない。

 家業でやっていた古本屋さんが町から消えてしまったのは、もうずぶん前のこと。町を歩いていて、知らない古本屋を見つけると、宝探しのような気分になったのを想い出す。

 ふつうの人には雑本でしかなくても、自分にとっては掘り出し物、そんな発見体験は楽しかった。

 ついでに、いまはお腹がすいても、どこの街も同じ外食のチエーン店ばかりで味気ない。馴染みだった十条の「ランチハウス」(洋食)が閉店、神保町の「いもや」(天丼)が閉店、ついでに浅草の「蛇骨湯」が今月末で閉店と残念です。

 そう、浅草にうまい店がない。まあ、「浅草にうまいものなし」(知る人ぞ知る昭和の時代の格言)は昔からのことで、土地柄、観光客相手とイカモノ商売が伝統なのでしょうがないか。大井町の「ブルドッグ」みたいな洋食屋が浅草にあればといつも思っていた。・・・ずいぶん横道に逸れました。

 

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ヴィクトル・オリヴァ「アブサンを飲む男」(1901年)

 400~500年にわたるヨーロッパの世界支配が頂点を極めつつある時代ーーベルエポックを頂点とすると、その前の半世紀間ぐらいーーアブサンは、ヨーロッパの文化的中心地の爛熟と退廃の象徴として記憶されている・・・大上段に書くと、なんか凄いことのような、でも案外、他愛ないことのようにも思える。しょせん人間の文明って、その程度なのかも。

 フランスのベルエポック(「わが世の春」の時代)ってそんなには長くはなかった。株でいえば大天井、そういうのは後から気づくのですが。イギリスだとヴィクトリア朝がそれにあたり、ちょっとだけ長いですが、20世紀に入って第一次大戦が起き、そこから先は、共に下り坂。

 10年ぐらい前でしたか、ローマ法王が、かっては輝いていたヨーロッパもいまは年老いた、といった趣旨の発言をしてたのが印象的でした。思うに、20世紀の前半、世界戦争を続けざま二回やってしまったダメージは限りなく大きく、いまも尾をひいている。

 ついでに、日本にもベルエポックに該当する時代があって、1980年代後半(バブルの時代)がそうだったのではないかと思っています。


  アブサンは、よく「緑の妖精」と言われていた。アブサンを題材にした絵もあり、緑色の女性の幻想--女神のような、幽霊ではないし、やはり妖精でしょうね--が描かれている。こういう雰囲気、けっこう惹かれる。

 植物の緑色の精っていうと、ジャポニズムやアールヌーヴォーと底流でつながる反機械文明的な匂いを感じるのですが・・・。

 なんで緑の妖精が出てくるのか、アブサンを飲んで酩酊すると、そういうイメージ、幻覚が見えたのか、ちょっと考えてみました。

 アブサンは薄い緑色をしています。澄んだきれいな若草色、日本の色の呼び方だとヨモギ色。

 アブサンは、最初にスイスかフランスで作られたのですが、 そのときニガヨモギの生草の色をリキュールに着色したことに由来してると思います。

 アブサンにまつわるいろいろな逸話の秘密は、この緑色にあるのではないでしょうか。

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アルベール・メニャン「緑の女神」(1895年)

 

 当時は、ニガヨモギ に含まれるツヨンという成分が幻覚をもたらすといわれたそうです。でも、薬草のことを調べてみればすぐに分かりますが、その説は見当違い。

 アルコール濃度の高いリキュールなので(それに値段も安かったそうで)、アルコール依存症になり幻覚を見る人が出てきたということなのだと思います。

 そういえば、かき氷のシロップは、イチゴもメロンもレモンも同じ味だとか。それぞれ色と香料を変えて、イチゴ、メロン、レモンの味に感じるようにしている。色と香りによって、脳が味を錯覚して、違う味に感じている。これはプラセボ効果(偽薬効果)ですね。

 アブサンの秘密は、結局、この緑色、それと冒頭に書いたような特異な香気のもたらすプラセボ効果ってことではないでしょうか。 

 ついでに、法律で禁止されることがプラセボ効果を高めるということも補足しておきます。禁制品で手に入らないからこそ価値が上がるというのは、人の世の常。

 ほんとうは、たいしたものではなくても、禁止されていることで、たいしたものになってしまう。酒がご法度のサウジアラビアに駐在していた日本人で、ある晩、やっとビールが飲め大酔いした人がいました。ところが、翌朝、ビールの缶を見たらノンアルコールビールだったという話しを聞いたことがあります。

 抗うつ薬プロザックも、SSRIというタイプの抗うつ薬が日本ではまだ認可されていなかった頃、なんとか入手した人たちの間ではとてもよく効いた。ところが、SSRIが認可されると、効き目が以前ほどではなくなリました。こういう話しは、たくさんあります。

 アブサンは、禁止されたからこそ、1世紀もの間、人々に忘れ去られることなく、都市伝説化したのだと思います。いまもネットにはそういう話がたくさん出ています。

 

 モネ、ロートレックゴッホランボーボードレールヴェルレーヌ・・・アブサンに魅された人たちですが、プラセーボ効果と人間のアートや文学的な創造性の間には親和性があるもかも。

 AIにはプラセーボは効かない。そこに人間の知能とAIの知能の違いがあると思うのですが。人間は夢をみたり、恋したりするけどAIはしないし・・・恋心もプラセーボだなどと身も蓋もないこと浮かんできましたが。

 思うに、緑の妖精の正体は、プラセーボのことなんじゃないでしょうか。

 ところで、『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)に出てくる宇宙人(オーバーロード(上帝))は、人類より何万年も進んだテクノロジーを築いていた。

 宇宙人と人間の科学技術の格差は、現代の人類と石器時代の人類ぐらいの開きがあって、これはもう勝負にならない。まあ、両者の時間差を仮に3万年とすると、地球ができた約35億年前からすれば、10万分の1とちょっと向こうが早かったに過ぎないのですが。

 でも、その宇宙人は、AIと同じタイプの知能で思考する存在で、そこに壁があることを彼ら自身、自覚していた。そんな一節がありました。

 この小説、1953年に発表されているって、クラークという人の先見性すごいと思いました。

 プラセボだから騙されてるだけ、だからダメというんじゃないんです。

 思うに、騙される能力(妙な言い方ですが)と夢を見る能力は、同じことで、やっぱり、人間は、夢を見れないとダメなのではないでしようか。緑の妖精、見えるでしょうか。

 

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雀鷹(ツミ)の声、海馬(トド)の匂い

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 タイトル、漢字のクイズみたいですが、ツミは猛禽類、小型のタカ。トドは北海道の海にいる馬のように大きなアシカ・・・ではないですが、だいたいそんな動物。 雄の成獣は1トンにもなるとか。 正確な説明は検索すれば出てくるのでそちらをご覧ください。

 

 上の写真は、ツミの羽根。昨日、公園のクロマツの枝にとまっていたツミを見上げてると、上からクルクル回りながらゆっくり落ちてきた。雄の幼鳥の羽根です。羽根に鷹班と呼ばれる黒茶色の帯がついている。

 昔の日本の弓矢は、猛禽類の羽根が使われていてこの模様が見えます。また、家紋の「鷹の羽」のデザインもこれに由来している。

 袖振り合うも多生の縁ってことでしょうか(?)、連日、ファンみたいに眺めてたので、ツミからのプレゼントかなと思いました。

 近所の若林公園にツミの巣があることは少し前から知っていた。ここは住宅街に囲まれた公園、世田谷区役所や環七も近いところでタカが巣を作るにはいい自然環境とは思えないのですが。検索すると、近年、ツミは都市部に進出しているとか。

 昨年末、キジバトを捕まえて食べてる猛禽類を見つけ、後に、その特徴からツミだと分かりました。そのことは、以前、このブログに書きました。

 

 4月のはじめ、公園の林を歩いていて、変わった啼き声の鳥がいるのに気づいた。

「ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー」と高い啼き声・・・カタカナで書くと、なんか変ですね、耳に聞こえた音をそのまま表記するのは不可能なので、とりあえずこんな感じです。声だけで、姿は見えない。

 野鳥にちょっと関心のある人なら、啼き声で種類は分かるはず。目を瞑っていても、この公園で数の多いキジバトヒヨドリの声がしているのはすぐに分かる。

 他の野鳥もいますが、数が少なかったり、シジュウガラのようにあまり啼かなかったり、オナガムクドリ外来種のワカケホンセイインコのように群で移動してたりと、公園内で常に聞こえているのは、キジバトヒヨドリです。

 変わった啼き声の鳥は、どれとも違いました。はて? 気になって声のする方向、クロマツの枝を探した。

 この公園は、江戸時代は長州藩の敷地の一部でした。隣接して松陰神社がある。公園になる前は、長州藩に関係した霊廟があって、戦前、計画的に植林されたと思われるのですが、公園の東側はクロマツ、西側はシイが植えられている。

 樹齢は百年近いか、すくっと伸びたクロマツはけっこう高木です。ちょうど真上の枝にそれらしき鳥を見つけた。

 地面から枝まで30メートル以上距離があって真下に人がいても枝にとまったまま動かない。キジバトぐらいの猛禽類としてはミニサイズ、丸っこい胴体から尾が伸びている。鷹班という褐色の小さな波模様が見えたのですぐに分かった。啼き声の主は、ツミでした。

 

 耳で啼き声を聞いた(聴覚)のと、目で姿を見た(視覚)の二つがつながると、それからツミについて、いろんなことが分かるようになりました。

 例えば、啼き声にいくつかのパターンがあって、カラスの群が巣の近くに寄ってくると威嚇するときの声だなと分かるとようになった。遠くで小さな点にしか見えなくても、飛ぶスピードの早さや旋回の敏捷性で他の鳥と区別がつきます。

 江戸時代の鷹匠が書き残したタカのランク付けでは、ツミはハイタカオオタカイヌワシクマタカなどと共に上物に分類されていたようです。その理由に挙げられてるのは、非常に気が強いタカだということでした。

 なるほど、と思い当たることがある。自分よりも何倍も大きなカラスが群れで来ても、ツミは巣を守るため単独でやり合ってました。B29の編隊と零戦の迎撃戦みたいです。体力というか性能で劣る分、気の強さ、闘志でそれをカバーしてたということですね。

 以前から公園内でときどきキジバトの羽根が散乱してたのですが、これはツミが捕食してたからでした。啼き声に気づいたのが4月だったのは、繁殖期に入るとよく啼くようになるからだったようです。

 また、調べていて、ツミは針葉樹の枝に巣を作る習性があることを知りました。この公園は、背の高い針葉樹がまとまって植わっている区内では稀な場所(昔、霊廟だったことから)で、ツミがここにいる理由が分かってきました。

 ツミは、ふだんは木の高いところにいて、数も少ない(雄、雌の二羽)ので、人間には気づかれないですが、公園内で独自の生活圏を築いていました。

 

 朝のテレビで、北海道の石狩湾の防潮堤にトドの群が居着いているという話題を紹介していました。なんとなく番組を観てたのですが、船で川下からトドに近ずくと、生臭い匂いがしたと言ってました。トド臭か、どんな匂いなんだろうか気になった。

 この間、近所にハクビシンが出没していて、実際、上町のボロ市通りの天祖神社でも見ています。ついでに、今月のことですが、弦巻の給水塔(詳しくは給水塔の柵の外の民家の庭)でタヌキを見ました。

 ハクビシンはジャコウネコ科です。ジャコウネコの写真を見るとハクビシンによく似ている。ともに見た目、ネコっぽくなく、強いて言えばイタチのようなキツネのような姿しています。

 そして、ジャコウネコといえば、体内の分泌物である霊猫香(シベット)です。クレオパトラが霊猫香を体に塗ってたというのですから。

 捕獲業者の話では、ハクビシンには独特の匂いがあるという。糞の話ではなく、体臭の方です。もしかして、霊猫香を彷彿とさせる匂いかも。香は、生の匂いではなく、乾燥させたものを稀釈した匂いですが。サンプルとして少量の霊猫香があるので比較して見たい。

 

 クレオパトラに会うのは不可能だけど、霊猫香をかげば、それを手掛かりに、こんな人かと分かるんじゃないか? 例えば、『十住心論』を読んでいると、空海の思考のパターンが再現できて、それを手掛かりに、こういう人なんだなと分かる(ような気になってる)。

 要は、なにか手がかりがあれば、そこからリモートビューイングできるんですね。時空を隔てた実物の全体に接するのはなかなか難しいですが、実物の無数ある断面のひとつには交差できるという感じです。

 

 話が逸れてきたので戻します。クジラ(竜涎香)、シカ(麝香)、ジャコウネコ(霊猫香)と、アニマルノートの香りを追っかけてきた手前、トドの臭いも気になったわけです。

 ・・・そういえば、インコ臭ってどんな匂いなのか知りたくて、あっちこっち尋ね歩きクンクンして、やっと分かるようになった。もともと嗅覚があまり良くないので苦労してる。この話は、別の機会に書きたいと思っています。

 

 公園にきている犬の散歩の常連の人、ドッグトレナーさんに、トド(海馬)の臭いの話をしたら、そういえばカバ(河馬)ってすごく臭いそうですね、と思ってもみなかった言葉。カバの口臭はとくに臭いとか。    

 「海」と言ったら「川(河)」とは。赤穂浪士の討ち入りは「山」と「川」でしょ。う~ん、まだまだ知らないことだらけのようです。

 

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手塚治虫さんの3つの夢

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 近くの公園、一本だけ満開の桜。タカトウコヒガンという名の伊那盆地、高遠の彼岸桜でした。少し離れたところから見ると、小振りの淡い桜色をした花が枝を覆っている様は、まるで大きな綿飴のよう。

 杏(アンズ)と木瓜(ボケ)の花は、ほころびかけている。ボケの深い赤、クリムゾンレッドは、ガーネットの色でした。それにしても目が痒くて痒くて、今年の花粉は酷です。

 前回の「竜涎香の香り」は、まだ途中ですが、ちょっと別の話題になります。よくいく浅草の喫茶店、ピーターの壁に吊るされてた「手塚治虫カレンダー」の話しです。 

 月毎に一枚めくると、手塚さんの言葉が載っている。

 月はじめ、カレンダーの言葉が新しくなり、なんとなく目に入ったけど、特に印象もなくその場で忘れてしまった。

 次の週、カレンダーを見て、なんか変わったこと書いてあったっけと思い出した。

 三週目、改めて見直し、けっこういいこと書いてあると気づく。この言葉は、人の純粋さの極致だと思いました。

 月末の四週目、カレンダーを切り取ってもらってきた。こんなことが書かれている。

 

「昔から人間は3つの夢を持っている

 ひとつは空を飛ぶこと

 ふたつめは変身すること

 もうひとつは動物と対話すること」

 

 この3つの夢は、当然、手塚さん自身の夢であるとともに、全ての人間にとっての夢だと(手塚さんは)思ってたはず。

 この夢って、要は自由のことですよね? だって、空を飛ぶのは重力からの自由、変身は自分(自己同一性)からの自由、動物と話すのは人間世(人間界)からの自由ってことでしょ。老荘の道、仙術に近い。

 自分からの自由って分かりにくいかもしれませんが、要は、荘子の至人に己なしのことです。

 

 大人になると、夢といっても社会的な成功とかお金、ステータス、名誉みたいな、現実的な夢になるんでしょうか。不老不死とか、宇宙人に会いたい、タイムマシーンで未来にいきたい、その手の夢、当分は無理(?)っぽそうですし。

 この3つは、そういう大人の夢とは違って、社会性の芽生える前の成長段階、幼年期の夢ということかもしれない。

 手塚治虫という人は、幼な子の魂のまま大人になった、しかもマンガ家で生活できたのでそのまま一生を終えた稀有な人のようです・・・人の純粋さの極致だと思ったのは、そんなことからでした。

 

 空を飛ぶことが昔からの人間の夢だということについて、最近、気づいたことがあります。オリンピックで新たに加わる競技は、どれも空を飛ぶことの代償行為だと思うのですが。

 来年の東京オリンピックには5つの新競技が加わります。その5つの競技の中で2024年のパリでも採用候補に入ってるのはスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの3競技。パリではブレークダンスを加えた4競技が候補に上がっている。

 この4つの競技は、実際には空を飛べない人間が、斜面を下る加速や波の力で僅かの時間浮遊したり、高い所に登ったり、体を回転させたりと、どれも空を飛んでる状態の一部分を模したものです。

 20世紀のオリンピックは、時間や距離の記録を競ったり、球技の点数を競ったりする競技がメインでしたが、ここにきて、21世紀もそれなりに経過してきたので、前世紀とは異なるトレンドが見えてきた。

 

 そういえば、3つの夢と同じことが、ネイティブアメリカンやアボリジーニといった先住民の人々の言葉を集めた本に出てくるのを思い出しました。

 先住民のシャーマン、例えば、昔、読んだドン・ファンの教えとか、ペルーのパブロ・アマリンゴさんの回想などの中に、空を飛んだり、変身したり、動物と話す話しが出てきました。

 ところで、シャーマンの目的は知恵を得ることで、飛ぶ、変身、動物と話すのは、その途中にいろいろ出てくるエピソードというかメタファーみたいなもので、いわば副産物です。

 

 また、空を飛んだり、変身したり、動物と話すのは、どれも能力に属することです。能力と言っても人間の能力では不可能なことができるのですから超能力ですね。 

 仏や菩薩は6つの超能力を持っているとされ、それを六神通と言います。手塚さんの3つの夢は、六神通の中の二つ、神足通、他心通に当てはまる。とはいえ、六神通のような超能力は、覚者の徴(しるし)、証明であって、それを獲得することが目的ではなかった。やはり副産物でした。

 

 副産物とニ度書いてますが、手塚さんの夢を貶めたくはありません。幼な子の魂と覚者の悟りを比べて、どっちが上かなんて言い出したら、もうかなりおかしいですから。

 薬の作用と副作用と別々に呼んでいるのも、人体にいろいろな作用が起きるのを人間の都合で区分けして呼んでるだけでした。シャーマンとか仏教とか、そういう枠組みから自由になれば、目的も副産物も区分けなくなる・・・なるほど、神仙ヨガ界ってこんな世界なのかもしれない。

 人間の意識の世界を図表化したスゴロクみたいな表があるのですが(金井南龍という古神道の行者の人が描いたものです)、神界や霊界、仏界といった割とメジャーなエリアとは別に神仙ヨガ界というエリアが独立峰のようにありました。

  日本的霊性の目からすれば、インドのヨガと中国の道教・仙術は、同類として一括り見てたわけです。要は、人間のミュータント化と見ていたはず。

 長い間、折にふれそのスゴロクみたいな表を見直しては、あれこれ解釈したりしてきたのですが、いまいち腑に落ちなかったエリアでした。ジグゾーパズルでどうもうまく嵌らない一片みたいでした。

 「スゴロクみたいな表」といわれても意味不明かと思います。端折って、始まりが人間界で、上がりが神界というスゴロクだと思ってください。人間界からスタートして最初に生と死の2つに別れ、仏界とか霊界とか、またそこからも先に繋がっていたり、一方通行だったりするルートが伸びている、そんな表です。

 神仙ヨガ界はマニアックな感じのエリアで、変人、奇人の寄り集まりと言えなくもないのですが、手塚さんの夢を糸口にして見えてきました。

 

 手塚さんの理想とした地球は、国家も社会も存在しない世界連邦のような調整機構と、男と女、大人と子供の区分けのない人間個人がいる世界のように思えます。人種、民族、宗教の区分けもなくなっているか、あったとしても空無化した地球人の世界。

 こういう言い方は、奇異に聞こえるかもしれませんが、手塚さんの考えは個人主義アナーキズムだったのではないでしょうか。

  さらに、手塚さんの心の内では、人間と動物の区分けもないような世界までいってたんじゃないか。このあたりは、いまの世界では理解されないだろうと表に出すのを自制していたのだと思う。

 いまの地球の現状からすれば、手塚さんの理想は、夢物語りですが、人間は紆余曲折を経ながらも長期的スパンでは、幼子の魂の導く方向に引きつけられていくのではないか、そんな気もする。意識的に目指すというよりは、無意識に惹きつけられていくように思える。

 1000年ぐらい先でしょうか、31世紀の世界はそうなってるのかも。それまでの間に人間が滅びているかもしれなくて、けっこうその可能性あるんじゃないかと思ってるのですが、とりあえず人間はまだ存続しているとして。

 古代の発掘品を集めていて感じるのですが、千年、二千年ぐらいはすぐ経ってしまうんですね。

 

 四国八十八箇所のお遍路さんとか、あるいは、深田久弥の日本100名山を全座登りたいとやってる人いますが、いえ200名山、300名山まで目指してる人もいる。

 ・・・昨日のニュース。「オリンピックおじさん」亡くなられたのですね。14大会連続でオリンピックの応援に出かけていた人。4年x14回=56年! すごい。この方、若い頃、あの阿部定と遭っていて「あんたね、男は人生一代だよ」と言われたとか。御冥福をお祈りします。

 

 手塚さんの夢の方は3つなので、88や100、200、300よりずっと楽(?)。夢の実現、簡単には出来ないでしょうが、「人生一代だよ」の心意気でやれば可能かも(?)。

 トライしてみる人、いるでしょうか。自分は毎日、犬と対話しています。ああ、正しくは、対話しようとしていますですが。

 

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竜涎香の香り(1)

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 上の写真は竜涎香(アンバーグリス)。竜涎香はマッコウクジラの体内で生じた結石様の塊を乾燥させたものです。その塊は通常ヤシの実ほどの大きさで、写真は、それを小分けしたもの。

 香りを確かめたくて、4カ所から集めました。サンプルが一種類だと、こういう香りだと言い切るには不十分に思え、伝を頼って探してきました。(左から以下の4つ)

1.理科実験の試料を扱っている日本の業者さんから購入したもの。僅かに粘性のある黒茶色の粒。

2.ドバイの香の店のもの。素焼き粘土のような灰色の塊。

3.マスカットの香の店のもの。脆い砂岩のような灰茶色の粒。

4.カタールの香の店のもの。発掘した陶片のような灰黒色の塊。

 

 ドバイ(アラブ首長国連邦)、マスカット(オマーン)、カタールは、アラビア半島ペルシャ湾オマーン湾に面した一角にある国々、いわゆるアラビアです。

 アラビアは日本とはかなり違う風土、ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカよりも違うのではないでしょうか。半島といっても面積が日本の約7倍と巨大(半島全体の面積の80%が石油で知られるサウジアラビア)で、大部分は砂漠。そこにイスラム教の国が5つある。

 7~8世紀、海岸に打ち上げられた漂流物(竜涎香)が美香を発することを発見したのがアラビア人でした。以来、現在に至るまでアラビアは竜涎香の主要な消費地というだけでなく、アラビアンナイトの物語に登場しているように、伝統文化の一部になっています。

 伝統文化と書きましたが、オマーンでは乳香に関連した旧跡や交易路、乳香木の群生地などが世界遺産になっているほどで、アラビアは世界で最も香の文化の栄えた地域でした。また、今日でも盛んです。

 竜涎香は、中国、そして日本にも伝わりましたが、いろいろな種類の香の中で、それほど大きな存在ではなかった。よく知られているように、東アジアでは香の中でも沈香が抜きん出た位置を占めてきました。

 竜涎香の香りは、アラビアの人々にとって、この上なく相性が良かったのだと思います。ある香と相性のいい民族、それほどではない民族というような関係があるのではないでしょうか。

 その相性は、土地の気候、風土や住んでいる人々の体質、感性、嗜好などが関わっているのかもしれない。・・・と、思いつつも、そういう理由付けは、後解釈で辻褄を合わせているだけかも、という気もする。

 日本で沈香が香の中心になったのは宋の文化の影響でしょ、後に成立する茶道や華道や香道など始まりはみんなそう。鎌倉時代以前の貴族文化のころの香を調べてみると、けっこう竜涎香の香りと相性合っいそうなので。

 

 4つを、固形状態(乾燥させただけの破片)のままの常温での匂い、それと電気香炉の低温(60~70度)で熱したときの匂いを比べてみました。あまり細かい話になってもしょうがないので、大まかにまとめた香りの印象を書いてみます。

 

 常温のもとでも、どれも香りが分かります。動物性の香の麝香や霊猫香は、常温でははっきりしない曖昧な香りなのに比べ、竜涎香は、共通した香りの個性があるのが分かる。

 分かるとはいえ、そのままでは弱い香りです。でも、一週間ぐらい、日に何度か繰り返し嗅いでいると、最初のころは曖昧だった香りがだんだんはっきり分かるようになってきました。

 後に思いついたことですが、竜涎香それ自体の香りを堪能するには、常温のままクンクンしてるのがいいのかもしれません。・・・これでは香ではなく匂いフェチですが。

  

 ところで、いざ香りを言葉で表現しようとすると、なかなか難しい。

 竜涎香について調べていたとき参考になったのは山田憲太郎という人の本でした。この人は、香料会社に勤めた後、学者になり、語学、歴史、文学方面にも造詣が深く、世界の香料史を終生のテーマとし何冊も本を書いています。 

 山田憲太郎さんは、竜涎香の香りについて、こんなふうに述べています。

 

 「精力的で粘っこく、はなはだ甘美でなまめかしく、強くはげしいようでしとやかに、いついつまでも匂いのただようのがアンバル(竜涎香)である。」(山田憲太郎『香談 東と西』)

 

 魅惑的な香りのイメージ、雰囲気が伝わってくる文章で、初めてこの本を読んだとき、この一節で自分も竜涎香に惹かれてしまいました。その一方、抽象的な表現なので、一体どんな香りなのか、つかみようがないところもあります。

 そこで、自分としては、具体的に特定の香りを引き合いに出して、竜涎香の香りのイメージを描いてみました。

 4つそれぞれ、香りに若干の強弱があり、また甘みを感じられるもの、より薬っぽさを感じるものなど細かくは違いがありますが、共通しているところ(香りの最大公約数とでもいえばいいのでしょうか)を言葉にすると、シンプルにこんな香りです。

 

 仁丹や龍角散の匂いといえば連想できると思います、あの一種の清涼感のあるクールな生薬っぽい匂い・・・それにプラスして沈丁花の芳香、この二つを「生薬っぽさ6~8」対「沈丁花っぽさ2~4」ぐらいの比率でミックスした香りを頭の中でイメージすると竜涎香に近いと思います。連想できるでしょうか?

 

 補足しますと、多くの人が知っている芳香植物として、沈丁花クチナシ金木犀があります。それぞれ香気が異なるので比較対象として分かりやすいのであげてみました。その中で、竜涎香と似ているといえば、一も二もなくはっきりしていて沈丁花です。ちょうどいまが開花期ですね。

 近世のヨーロッパ人は、竜涎香をコスメティック(化粧品)の匂いとして賞美したそうですが(山田憲太郎さんの本からの知識)、竜涎香の中に沈丁花のような香りを感じると、ああ、この香気を香水やオーデコロンに転用したかったのだな、と納得できます。

 そうでした、樹脂系の香、ラブダヌムの匂いはかなり似ています。予想外によく似ていました・・・これは、今回、びっくりしたことの一つです。

 アラビアでは、歴史的にラブダヌムの方が古くから知られていて、竜涎香はラブダヌムに似た香りだったので関心を集めたという経緯があったのですが(これも山田さんの本から)、もっともだと思いました。

 

 少し横道に逸れます。平成に入ってから顕著になってきたトレンドですが、公園や公共施設、緑道、マンションの敷地、道路脇の植込みなど至る所に沈丁花クチナシ金木犀が植えられています。

 昭和の頃も民家の庭木としてそれぞれ植えられてはいたけど、公共空間にこれほど画一的に植えられてはいなかった。温帯の樹木で、花の香気が強い植物といえば、この三つぐらいだからでしょうか。

 でも、沈丁花クチナシ金木犀は、昔からの日本の自然にある香気とは異質な香りですし、どんどん植えられているので、開花期になると、どこでも同じ香りが漂ってきて、自分には、なんかワザとっぽく、不粋に感じられるのですが。

 

 竜涎香という名称が半ば伝説化している上、希少な存在なので、類い稀な美香かと思いきや・・・。いろいろな香を聞き分けてきた、香りに関心のある人でなければ、別になんということもない香りといった印象かもしれません。

 今の日本人だったら、子供の頃から多様な合成香料で香りずけされたお菓子や飲料、芳香剤、石鹸、洗剤、フレグランス・・・と接しているので、そういう香りを知らなかった、香りにうぶな昔の人たちが竜涎香の香りと出会ったときの印象とはずいぶん違うはずです。

 アラビア以外の地では、クジラから採れるといった突飛な由来や媚薬的な香料でもあったとか、最近では海岸で拾った塊が法外な値段で売れたとか、そんな夢物語ふうの逸話の数々がプラセボ効果を生んでいるようです。

 しかし、現実には供給量が極めて少ないので体験者がほとんどいない。体験者のいないプラセボ効果って変な現象ですが、結局、都市伝説に転化していくということですよね? 愚直というか野暮なこと書きました。

 ここまでは、常温のときの匂いでしたが、加熱すると、趣が変わってきます。

 次回は、加熱したときの香りについて書きます。

 

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かわいい古代 インダス文明の宇宙人?

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 2月は今日でお終い。今朝、住宅街の一角に沈丁花の香りが漂っていました。暖かな日には、香気の発散が増して香りが強くなる。毎年、この香りを聞くと、冬の終わりを感じます。

 かわいい古代、ついでにもう一つ。パキスタンアフガニスタン国境沿いのクエッタ近郊の発掘品。この辺りは古代インダス文明圏です。

 同じサプライヤーから彩文土器やコブウシの土偶なんかも一緒に入手している。

 動物のような怪獣のような・・・人ではないし、牛や馬、ヤギ、羊、犬、猫でもない妙な動物。材質は粘土を素焼きしたテラコッタです。

 めくれ上がったクチバシみたいなヘンテコな鼻、下顎は平べったく小さい。トカゲ、竜? 猪、豚の類? アヒルとか鳥ではないし、こんな動物、いるんだろうか。

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 同じ州のメヘルガルからは、宇宙服を着たエイリアンみたいな小さい土偶も発掘されていて、まさかこれも宇宙人? 顔つきからするとレプテイリアン(ヒト型爬虫類)か?

 なるほど、それなら変な顔してるのも納得できます。でも、かわいくて、そして、なんか抜けてる感じ。高度な知性とか、あるいは攻撃性とか、そういう雰囲気はありません。こんな宇宙人、いるんでしょうか。

 面長でまん丸の目、マンガっぽい鼻、見た人は、思わずブッと、笑います。 ひょっとこみたいと言った人もいました。そういえば、ひょっとこのお面、あれってレプテイリアンじゃなの?

 古代の発掘品といっても、現代人の目には、ふざけ半分で作ったみたいに見え、ふつうイメージしている古代っぽくはないんですね。

 そんなところが、「かわいい」にプラスして現代っぽい「ポップカルチャー」的なものとしてあげてみた理由でした。

 

 南太平洋で発見された鼻で歩く特異な動物の話、『鼻行類ーー新しく発見された哺乳類の構造と生活』って本がありました。鼻で歩くというアイデア、かなりの奇想です。

 耳で空を飛ぶダンボよりも、奇想さ、変さ加減では上いってるように感じる。

 鼻を使って歩くって・・・なんなのでしょうか、この澱(おり)のような情感。

 ブリューゲルの絵なんかと通じる何か得体の知れない情感。画家は、人が目に見える形で表現するのですが、文章は読み手が頭の中で著者のイメージを再現する形をとるので、より抽象的でその分、気味が悪い。

 不思議とか、神秘とか、そういう系統の情感とはちょっと違う。

 あえて言葉にすると、現象世界のいちばん表面にありながら、これまで誰も思いつかないイマジネーションがあることに気づいたとき、3次元世界の現実に死角があるなんて思ってもみなかったこと、そんな比喩になるでしょうか。

 

 怪異な相貌ということでは、古代中国の玉の彫り物、漢代やそれ以前のものによくあります。あるいは古代エジプトギリシャ、ローマ時代の発掘品をはじめ世界各地で発掘された神像には、現実の人や動物ではありえないような相貌をしたものがたくさんある。

 でも、自分の知ってる限りでは、顔の造形でデフォルメされているのは、主に目と口で、それに比べると鼻や耳は影が薄い。耳は外縁部の側面についているので、存在感が薄いのはもっともかもしれませんが、鼻はまさにど真ん中にありながら影が薄い。

 頭の中の思考、空想、想像、妄想ならなんでも考えられる、過去や未来だって考えられる、人間の究極的な自由は思考だと語っていた人がいた。『死霊』という小説の作者の最晩年の言葉で、以前はこの人の文体や評論の雰囲気に呑まれてて、そうだ、そうだと思ってましたが、どうなんでしょうか?

 案外、人類のイマジネーションって類型化されているのかも。ユングはそれを元型と言ってました。

 そういえば、現代のマンガ、アニメでも、人の鼻はあるような、ないようなぐらいに描かれてる。まあ、二次元なので凹凸はしょうがないのか。

 

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かわいい古代 ルリスタンの発掘品

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 「かわいい古代」の続きです。昨日と同じように古代の発掘品の中から、「かわいい」にプラスして現代っぽい「ポップカルチャー」的なものを選んでみた。条件が、かわいいだけなら、それなりにあるのですが、二つの条件になると、あまり多くはないんですね。

 上の写真、妙に能天気でヘンテコな感じ。イランのルリスタン青銅器の山羊や馬と一緒に入手したもので、同じ時代、地域の発掘品だと思っています。

 見た目、表面は錆びた青銅のようですが、案外、軽く、ひっくり返して内部をよく見ると、材質はガラスでした。陶磁器ではない。作られた当時としては、かなりの技術だったはずです。

 

 ルリスタン青銅器について端折って引用しときます。

1920年代末から、イラン南西部のルリスタン地方で出土した特殊な青銅器をいう。住民の盗掘によって市場に出現したものがほとんどで、学術的な調査を経たものはない。・・・その動物意匠から騎馬民族のものであると考えられる。・・・青銅器の大部分は紀元前8~前7世紀にかけてのものと推定される」(小学館日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

 

 地図を見るとルリスタンは、イランの西部、イラクとの国境に近いザクロス山脈あたりです。・・・横道に逸れますが、書いていてザクロス山脈のイラク側の山の中を延々、移動していたことを想い出しました。

 三日月型や台形と奇怪な形をした山々、断崖絶壁、硫黄のような異臭ガスのたちこめる谷、草木の生えていない土漠、政府軍の支配地区、地雷原や不発弾の合間・鉄条網の塹壕をぬってひたすら南に進む。山脈がバグダットに近ずくところに目的地がありました。

 そこは、四方が険しい岩山に囲まれた自然の要害。いたる所に泉が湧いていて、大きなイチジクの木や野生のブドウが生えているオアシスでした。

 見渡す限り岩の広大な空間の中で野営し寝起きしていると、聴覚の感覚が変わっているのに気づいたし、遠近感の錯覚で、10キロ、20キロ先の岩がすぐ近くにあるように見えたりと不思議な場所でした。

 このとき人生でいちばんたくさんイチジクを食べた。木は幹も枝も太く横に伸びているので、梯子のように登りやすく、いくらでも捥いで採れました。日本のイチジクよりも大振りで甘くクリーミー、泉で冷やし食べた味が忘れられない。

 そういえば、ここのイチジクは葉も大きかった。このあたりはメソポタミア文明のあったところで、創世記のアダムとイブのいた場所も近くだったと言われています。イチジクの葉っぱで体を隠すというのも、あれぐらいの大きさでないと用をなさないのですね。  

 クルドの人々は純情な人が多かった。また、人情の厚さには、本当に驚きました。

  このままずっとここにいたらいいんじゃないかとよく言われた。でも、浦島太郎みたいな話になりそうでやめました。

 無政府状態でお金はいらないし、そこにいたときのことを想い出すと、国家、国境、行政機関、法律、貨幣・・・そういうもののない天地に人がいるだけという感覚が蘇ってくる。

 あそこを解放区とか、アジールとか、客観的な呼び方はいろいろあるかと思いますが、自分は主観的な呼び方で、青天井というのがぴったりくる。

 いくらお金をかけてもそこにいけないけど、そこにいくのも、そこにいるのもお金のかからない場所、青天井って、そういうところだった。

 ザクロス山脈一帯は、イラク側、イラン側ともに山岳民族といわれていたクルド人の人たちが住んでいる土地で、地元では事実上、国境はなく、自由に行き来してました。 金髪、青い目の子供たちがいたり、また、モンゴロイド系の日本人みたいな顔つきの人もいて、いろいろな人種が混じり合っている。

 クルド人の中には、かってルリスタン青銅器を作った人たちの末裔(の一部)もいるはずです。

 

 話を戻します。ある古美術収集家の方のブログを見ていたら、イランのテヘランにある国立博物館に上の写真と同じようなものが展示されてるのを知りました。

 両者ともに、顔だけ人間のような造形です。とはいえ、ぴったり同じというわけではなく、博物館にある方は、真面目というか玄妙な顔つきをしてますが、こちらは口を開けてヘラヘラ笑ってる能天気な顔つき。

 顔だけ人間ということでは、妖怪のつるべ落としとか、たんたん坊、大かむろなんかもそうでした。そういう妖怪は、水木しげるさんの絵のイメージが刷り込まれていて、モンゴロイド系の顔つきをしている。

 一方、こちらの方は、ルリスタンにいた人々の顔つきがそうだったのだと思いますが、鼻が尖ったように高く、そして小鼻の幅が狭い。

 また、目が大きくて、というか大きすぎてマンガ的、目がグルグル回ってるように見えてしまう。そんなところがポップカルチャー的だなと思ったポイントでした。

 

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