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ど〜ん、としてる

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 最近、見つけてきたものをお皿に盛ってみました(上の写真)。

 街を歩いてて、なんか妙なもの、面白いもの、変わったもの、早い話し、その時々、気になったものを集めてました。過去形なのは、そのまま続けていたらゴミ屋敷になってしまう恐れがあり止めています。

 ところが先週、地元の商店街の店先で、サツマイモやパイナップル、ミカンなどを炭にして段ボール箱に置いてあるのを目にしてしまった。たぶん趣味で作っている人がいるんだと思う。

 ふと、覗くと真っ黒い球形のものが目に入る。炭化したグレープフルーツ、要はグレープフルーツの炭ですね。しっとりとして、光を吸い込むような沈んだ黒の色感に惹かれる。

 というわけで、ひとつ持ち帰る。それがこれですと、写真を撮ろうとしたのですが、ひとつだけだと寂しいな、と何か一緒に並べてみることに。

 

 真ん中の黒玉がそのグレープフルーツの炭。球形っぽい。じゃあ、次に丸つながりで何かないか?と思い巡らす。ダチョウのタマゴは、白くて丸っこかったっけ。並べると、やけに大きい。計ってみたら長さが14 センチ。現存する地球上の生き物の卵では最大のサイズだとか。

 茶色の筒みたいなのは、カカオの実。果肉と種を取り出し乾燥させたもので、以前、手作りチョコレートの店にあったデイスプレイをもらってきた。

 半透明のものは、水晶の塊。ヒマラヤの氷河に転がってたもので片面を研磨している。巨人の爪みたい。重さ1キロほど、どっしりしている。

 ・・・そういえば、ネパールで標高5000 メートルぐらいのところにある氷河を歩いてたときのことです。そこは表土が削り取られた平坦ながれ場で、草木の生えてない賽の河原みたいなところでした。

 そこに、大型冷蔵庫ぐらいだったか、小型車ぐらいだったか、巨大な水晶がゴロンと転がってました。大きさが曖昧なのは、高山症状で半ば朦朧としてたからで、幻覚じゃなかったと思っています。

 ついでに撮る前に、青いガラス玉を付け加えてみた。漁船の網の浮玉。廃品になったものかと思われますが、骨董市にいくと段ボールに放り込まれ安く売られてます。

 この浮玉が蛇足というか、もともと変だったうえ、更にだめ押しで、全体的にいよいよ訳の分からない感じになってしまいました。

 

   これはオーナメントだ、と強弁してる。アートにはほど遠いものの、飾り物(オーナメント)なら言ったものが勝ちですから。 と、言いつつ、内心、オーナメントもオブジェもアートも呼び方が違うだけで、たいして変わらないようにも思える。

 それにしても、ど〜んとしてる。他に言葉がない。存在感としてはイマイチかな、全体的に、とりとめがなく、のっぺりしてて、ひたすらど〜んとしてる。

 ど〜んとしてるって、大きさの迫力と言えば、そういえなくもないのですが、並んでる物体相互の妙なスケール感が醸し出す雰囲気の印象が大きい。

 大味の大盛りカレーというか、そういえば東京の西側から田園都市線の沿線、大和、厚木から見える大山もど〜んとした感じ。神奈川の丹沢山系にある大山は、裾野がなだらかで広く、遠目にど〜んと横たわって見える。

  ・・・先日、西荻窪駅のホームから大山が見えたのですが、ここは、ど〜んとした感じがよくつかめるビューポイントです。ここより南に位置する田園都市線の沿線からだと、丹沢の他の山が接して見えるので、ここまでど〜んとはしていない。

 ついでに、関東平野を北にいくと、どこからでも筑波山が見えます。ど〜んとしてるけど形は地味な大山と違って、筑波山はラクダのコブみたいなユニークな山容です。   関西で通天閣の展望台から見た二上山もそうでした。筑波山と似たラクダのコブみたいな形、奈良、葛城にある低い山ですがすぐに見つけられる。

 昔の人は、こんなふうな特徴のある形の山を方角の目印にしてたんでしょうね・・・と、話しがずいぶん脱線しました。   

 

 枕草子には「ちひさきものはみなうつくし」とあります。平安時代の「うつくし」という言葉は、現代のかわいらしいといった意味らしいのですが、そういった感性は、現代も途切れていないようで、古物蒐集でも、根付がその最たるものですが、日本人の中には小さなものが好きな人が多いように感じる。

 我が身を振り返ると、知らず知らずに小さなものが増えている。 話しがさらに飛んでますが、世界各地の古代文明の遺物を集めたいと思ってはじめた蒐集の話しです。

 気づくといつの間にか 5〜10センチぐらいの土偶や石・木を彫った女神、青銅の半獣半人がテーブルの上に何列も並んでる。蒐集をはじめた頃は、博物館や美術館の展示みたいなイメージを描いてました。ところが現実は、小人や半獣半人のデモ隊が押し寄せてきたって世界が現出しちゃってる。

 「小さく小さく小さくなぁれ・・・」って幼児の体操の歌詞が思い浮かんできて、このまま小さいものがどんどん増えてくのも、どうなんだろうかと気分一新、今度は、大きなものを探しはじめました。

 ところで、骨董、古美術のメインアイテムといえば、日本では焼き物、陶磁器です。そこでは暗黙の前提になっているサイズの基準があって、だいたい30 センチぐらいまでの大きさといわれています。 30センチってのは、元々は、茶道の花生けのサイズに由来してるとか。

 利休にはじまる茶道、数奇の潮流が骨董や古美術の世界の母体になっているという歴史的経緯があり、そんな基準が生まれました。 昔の長さの単位の「一尺」は、約30センチなので、それがサイズ感覚を培う上で基本になったのでしょうか。あと、日本の住宅事情なんかもあるかもしれません。

 こういった文化的な伝統があるので、鑑賞対象として自然に感じられるサイズが自ずと決まってきたようです。

 目をつけたのは、インドの仏像や仏頭、中国古代の青銅像など、50センチ前後からそれより大きいものでした。改めて大きいってことは、それだけでインパクトがあるなと実感しました。当たり前のことを書いてて、気恥ずかしくもあるんですが、小さいものがいっぱいってのとは存在感が違います。

 一方、大きなものになるとかさばる。なにより重いのには難儀します。石や金属の塊なので当然なんですが。手で持ち上げられない重さのもの、さらに一人では動かすこともできないものが部屋を占拠するようになってきました。今後、どうなるんでしょうか。

 

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