インドの匂い・ほんの少し前の世界

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  上の写真・・・南インドの山の周りを一周、毎晩、歩いてたときのこと。手前が豚で、後ろに犬。昼間は暑くて歩くのが難儀なので、夕方寝て真夜中に起き出発、朝、戻ってくる(そういえば、東京オリンピックのマラソンでは、夕刻スタートの提案がありますね)。途中、道端を牛、豚、犬が徘徊してました。

 

 はじめてインドに行ったとき、びっくりすることだらけだった。いちばん最初は匂い、もう、ずいぶん前のことなので、「昔のインドの空港の匂い」なのですが。

 乗っていたパキスタン航空機が遅れ、デリーの空港に着いたのは夜遅くでした。機体から出てタラップに立ったとき外は曇天で真っ暗闇。当時、インドは電力事情が悪く、停電が日常茶飯事、どこも照明は薄暗かった。向こうに殺風景な倉庫みたいな空港ビルが見える。

 と、そのときムワ〜ッと熱く乾いた空気に混じった未体験のデイープな匂い・・・何か近くに匂いを発している物があったのではなく、空気そのものの匂い。

 この匂い、何か一つの匂いではなく、いろんな匂いが混じったものでした。仮にイメージするとしたら、インド料理に使われるバターの一種ギーの匂い、タイヤを燃やした煤の匂い、アセチレンガスの匂い、 牛糞の燃料の匂い、 ビディというインドタバコの煙の匂い、消毒液の匂い、ジャスミンスイカズラの花輪の匂い、クミンやカルダモンなどスパイスの匂い、廃屋の匂い・・・これら雑多な匂いがカラカラに乾燥した熱帯夜の空気に溶け込んだ、そんな匂いーー頭の中でイメージできるでしょうか?

 匂いにこだわっているのは、 目に見えない、音のしない出来事の体験でありながら、今も忘れられないぐらいインパクトが大きかったからです。 あたかも物の怪に遭遇したような感じ。

 この時点では、まだインドの地面を踏んでない、息をしてるだけなのに、こりゃあすごいところだ。 空気に圧倒される! これが最初のインド体験でした。

 

  アグラに行ったときのこと。 タージ・マハルーー大理石の宮殿みたいな霊廟、インドを代表する観光名所のひとつーーがあるところです。

 駅からリキシャ(自転車で引く人力車)でタージ・マハルに向かう途中、市街地の路地で凄いものを見た。  路地の横にある廃屋の空き地、インドの場末によくあるような場所で、崩れた壁のレンガ、古新聞の包み紙、果物の皮などが散乱したゴミ捨て場みたいな所でした。

 空き地の一角に土煙が上がっている。見ると、大きな動物、野獣?と野犬の死闘。野獣に見えたのは泥まみれの巨大な豚。

 豚が猛スピードで犬に突進する。吹き飛ばされる犬。ガオーと咆哮(ほうこう)って言葉、こういう声なんだと思いました。犬は牙を剥き出しにして豚に噛みつき血飛沫が。凄い迫力に圧倒されました・・・アグラで一番印象に残ったのは、このバトルの光景で、肝心のタージ・マハルは記憶に薄い。でも、こういう予想外の展開がインドなんですね。

 

 コルタカ(カルカッタ)の公園 でのこと。街の中心にある大きな公園で見た大道芸、いえ芸というよりもっと手前のプリミティブな段階の、要は素人の見世物なんですが、それにもびっくりした。一時期、大道芸とか見世物小屋、日本でもよく見にいってたけど、こんなのはありえない、そんな見世物でした。

 歩いていると一人の子供に、これから何かやるから見てろと呼び止められた。身振り手振りで、お金を出すようにといってる。半ズボンをはいた小学生ぐらいの年で、木の棒で地面に 20 〜30センチぐらいの穴を掘っている。

 足をとめると、子供は唐突に逆立ちをした。そのまま頭からすっぽり穴の中に入り、地面に顔を埋め、器用に両手で土を被せた。見た目、地面から人の体が逆さまに植わってる。

 えーっ、自分で自分を地面に埋めるなんて、間違ったら自殺と同じになってしまう。見世物で、こういうことするの? 

 そんなに長い間してたのではないので、呼吸とか大丈夫だと思うのですが、予想外のエキセントリックさに圧倒されました。そういえば、ヨガの苦行やスーフィの修行者もああいうのをやっていたので、その辺りに由来してるのかも。

 また、ちょっと視点を変えてみます。江戸時代の風俗を書き残した岡本綺堂の本に乞食の芸の話しが出てくるのですが、インドの少年の芸は、それとも似ているように思いました(ここでは乞食の芸について、具体的にどんな芸だったのか列挙していくと長くなるので省きます)。

 ただ哀願的に銭を乞うのではなく、とにかく何か人と変わったことをして銭を得ていいたというところに着目します。なぜなら、それは小沢昭一さんの説いていた芸能のはじまりのキーポイントだからです。

 芸能の始源を世阿弥に求めるのか、乞食芸人に求めるのか、それぞれ全く異なる芸能史が見えてくる。・・・横道に逸れました。

 

 その近く、200メールも離れてない所に、今度は夫婦らしき男女がいて、やはり見世物をしてるらしい。というのは、二人の周りに人垣ができてたからです。

 なにが始まるのか、とまた足が止まる。白いワイシャツにグレーのズボンの男と赤ちゃんを抱いた白いサリーの女性。芝生の上にシーツが一枚。

 やはり唐突に、ささーっと赤ん坊をシーツの真ん中に載せるやいなや、二人でシーツの両端を持ち、勢いよく引っぱる。あーっ、と思ったとき、赤ん坊は空中に飛び出した。

 二階ぐらいの高さに上がり、宙を落ちてくる。と、下で亭主らしき男が赤ん坊を両手でキヤッチ。凄い!  でも、これ、失敗したら死んじゃいます。こんなことしていいの?

 ドストエフスキーの『カマラーゾフの兄弟』の中に、戦争の渦中、赤ん坊を放り投げて殺してしまう話が出てきて、神は人にそういう行為を行う自由を与えているか、といった神学問答がありました。これって、究極的には西欧文明とインド文明の違いってこと?

 インドは(もしかしたら今はもう違ってるかもしれないので)、あの頃のインドは、日本で生まれ育った自分の内の常識や価値観、あるいは人倫までも、そういうものが溶解していくようなところでした。

 生来、自我の殻の堅かった自分にとって、それは解放感のような、自由の感覚ともいえました。一方、あまりに箍(たが)が外れすぎても、人生、塩梅のよくないことが多いかも。それに気づいたのは後年のことで、後の祭りでしたが。

 

 インドは、本当に予想外の国でした。事前に調べてた話し、想像していたインドと、インドで体験する現実は、全然違いました。たぶん、バックパッカー(まだそういう言葉はなかったですが)のような旅でインドにいった日本人は、みんなそうだったんじゃないかと思う。

 それを面白いと感じるか、酷いと感じるか、そのあたりがインドを好きになるか、嫌いになるかの分水嶺になっていた。

 

 ここで書いてるのは、1ドルが 300円、アルバイトの時給が180円ぐらいの時代でした。 日給 5ドルではインドに行くにも経済的に大変で、タイまではなんとか飛行機代を工面し、タイからインドへは貨物船に乗せてもらう、そんな計画をしていた。その頃、パキスタン航空の格安チケットが出回るようになり飛びついた。

 パキスタンからアフガニスタン、イランと、まだ気ままな旅ができた。ネパールからシルクロードをヨーロッパまでいくヒッピーのバスがあった・・・今の政治状況からは夢のようですが、自分の内では、ついこないだのような気がしてる。

 思うに、 現実って、全く自明の、盤石の存在のようでありながら、過ぎ去るとうたかたの夢のようなものかも。

 振り返ると、1979 年のイランのイスラム革命ソ連のアフガン侵攻を境に、そんな牧歌的な世界は消えていった。あの地域の今の状況を見ると、どうも自分が生きてる間には、ああいった旅は出来ないのかな、と思うようになっている。

 

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