南宋青磁の小皿

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 京成線中山駅にある法華経寺で年二回、春秋に開催される骨董市にいってきました。      駅から続くなだらかな上り坂に沿って門前町があります。寺は、起伏のある地形の一角、まわりは小山でその底面にあたる敷地に境内が広がっていて、山門、五重塔や大仏、いくつもお堂が建っている。

 上野、浅草や鎌倉なども広い敷地に寺社が幾つも建っている所がありますが、観光客が多く、ここのような静かで鄙びた感じはない。木立に囲まれた境内は、日が陰ると山の中のよう。

 近世、開拓地の風土ということなんでしょうが、 関東にある社寺は、樹木が多いのと、武家文化の影響でシンプル(質実)な感じですね。以前、大阪の生駒山石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)にいったとき、呪術的なコテコテさ、派手さにびっくりしたのを想い出します(正直言うと、西の方が面白い)。

 参道にある茶屋は、昭和 30〜40年代のレトロな雰囲気です。ここに来ている本当の目的は、こんな雰囲気にひたるためだったような気がします。

 

   そうでした、骨董の話しです。これは!というようなものはなかったですが、素見しているうちに、南宋青磁の小皿と出合いました。南宋青磁といっても、大仰なものではなく、わけありの発掘品が巡り巡って、行き着いた先が自分のところだった、そんな話しです。

 なんだか行き当たりばったりっぽいですが、別にひとつの分野、ひとつのテーマを追っかけてるのではないので、70 万年前のホモエレクトスの石器から仏像でも書画でも古今東西、ピンと来たものなら何でもいいといったわけなので・・・。

 

 初日の朝でした。会場を歩きはじめてすぐ、向こうで馴染みの業者さんが手を振っている。こちらは、軒を連ねている店の陳列台に並ぶ品々に気をとられ下ばっかり見ているのですが、その業者さんは、少し高くなっている敷石の上に立って来場者の中に顧客はいないかチェックしてるので、すぐに分かってしまうのですね。

 いろいろ話しがあちこち飛んだ末のことで、細かい経緯は省きますが、上の小皿を持って帰ることに。 2010 年に中国の福建省の古窯を発掘して出てきたものだとか。その手の発掘品は、だいたい広州に集まっていたので、そこで仕入れてきたといった話しでした。

 こういう発掘では、焼き物がたくさん出てくるのだけど、その中で、特にいいものは、写真に撮り図録に載せ、展示のために保管する。あと、そんなではないものを、労賃として分配してるのだとか。

 現場で穴を掘ったり、運んだりする人にお金は支払われず、代わりに発掘品を現物支給し、働いた人は、それを換金してお金を得るのだという話しでした。たしか日本の漁村でも地引き網漁で、網縄を引っぱる人たちが、網元から労賃代わりに、獲った魚を分けてもらうといった話しがあったのと似ている。

 ああ、もしかしたら現実は、もっと複雑怪奇かもしれない。というのは、昭和7年、 今から80年以上前ですが、魯山人が日本の古窯を発掘したときの話しが思い浮かびました。そのことを書いている本の一節を引用します。

 「・・・発掘中に、完器もしくはそれに近いものはみんな持ち出され、売りに出されていたという評判は度々耳にした。発掘した出資人の愛好者魯山人の手もとには、屑の破片が送られて来ただけだったかとも見受けられた。」(秦秀雄『やきものの鑑賞』)

 察するに、人の世の常として、近年行なわれている中国の古窯の発掘も、現場ではこんなことになっているのではないか。 優品の中でもだんとつのものは、公にならないまま流出し、図録にも載らず、展示もされず、どこかに収まっているのかも。

 

 青磁といっても、青っぽくない青磁。微妙な色で、光によりベージュにもアイボリーにも黄褐色にも見える。クヌギの落ち葉の色のみたい。南宋青磁について調べていると、釉薬焼成の具合により、黄褐色に焼き上がったものがあり、それを稲穂の色に見立てて米色青磁というそうですが、そんな系譜になるのでしょうか。

 表面は、透明感のあるガラス質で、発掘品によくあるカセはほとんどない。伝世品ではないので、表面のスレやいわゆる「育った」(人の手元にあっことによる経年変化)感じもない。

 一方、目立った傷はないものの、胴についたへらで圧したような筋や、見込みにニキビのような小さなでっぱりがあったり、口縁の一部にちょっとカセている部分があると、粗も見え、まあ、そんなものなのでといったところでしょうか。

 

・・・実は、胴についたへらで圧したような筋ですが、これは作られたとき誤ってついてしまった傷とばかり思ってましたが、中国青磁と日本の茶の湯の歴史を書いた本を読んでいたら、珠光青磁と呼ばれ、侘(わ)びの美の原点に位置づけられている南宋青磁の特徴だということを知りました。

 民窯で作られた雑器で、青さのない、青磁としての魅力に乏しい色、胴についた筋、こういったそれまでの青磁の基準からすればマイナス評価のものに、室町時代村田珠光という茶人が、侘びの美を見いだしました。この新しい流れを後に完成させたのが利休ということになっています。

 観念の世界のことなので、無から有が作れるわけですね。誰かが、なんのへんてつもない雑器の茶碗を見て、これが侘びだと言えば、その瞬間から、それまでこの世になかった侘びという観念が現れる。

 その誰かは、ほんとうは誰でもいいのですが、とりあえずカリスマ性のある人か、あるいはカリスマ性があるように演じられる人でないと按排が悪い。

 これは価値観の逆転なのですが、例えばヨーロッパのニーチェマルクスニュートンアインシュタインピカソみたいな全力投球型の力技ではなく、直観的な、機転を利かした、あるいは即興の手品みたいな技で、そういうのが日本文化の特異なところなのかもしれない。付け足しですが、こういう技は『無門関』のような公案禅とは相性がいい。・・・横道に逸れました。

 

 この皿にピンと来たのはデザインがシンプルでモダンな感じ・・・ありきたりな話しに聞こえるかもしれませんが、そんなデザインにプラス、見た目、ピカピカ、ツルツルで、街の雑貨や100均の店で売っている新品みたい、約800年前の南宋の時代に作られたものとは思えない、そんなところに惹かれたわけです。

 中国の焼き物の歴史を俯瞰すると、ざっくり言って宋の時代と清の時代の二つのピーク(黄金時代)があったといわれている。二つのピークを精神的な面で唐から宋の時代、技術的な面で明から清の時代という理解をしてもいい。

 焼き物の本を読むと、どの本もそんな歴史観になっていて、それが業界(骨董というか古美術の業界ですが)の定説になっている。

 焼き物に限らず中国文化全体の歴史を見ていくと、「唐詩宋詞」といわれるように、唐から宋の時代が最盛期だったように思えます。

 宋詞といえば蘇東坡。この人は現代にも通じる隠者でした。老荘は人気はあっても、現代とは時代が離れすぎていて、リアリティという面では通じえないのではないかと思っている。

 疲れた晩、蘇東坡詩選のページをめくっていると、人間の生の営みを 21 世紀の現代人と同じところまで見つめ書いているのを感じ、その普遍性に引き込まれ、安堵する。

 

 

 宋の時代の陶磁器については、 高い精神性とか気品に満ちといった記述を目にするのですが、それがある物(陶磁器)を評する核心的な指摘だと思いつつも、それだけでは観念的、抽象的で、よく分からないまま、そーなんだと納得しているのが実情ではないでしょうか。

 でも、小皿を見てて、ふと、こんなことを感じました。過去に人間が作ってきた物を、その機能とデザイン(彩色)という二つの異なる要素を両立させながら、それぞれの要素を突き詰めた物として、そのバランス、完成度を具現している物を探す、万物をそんな基準の篩にかけてチェックしてみたら・・・そんな目で見て、これはいいと感じられる物を指して「高い精神性」と言ってるのではないか、こんなふうに解釈してみた。

 精神性といっても、例えば、神道キリスト教のような宗教的な境地と解するのではなく、あるいは芸術作品や工芸品、また白樺派的な民芸の目線なんかともちょっと異なって、その時代の実用品として作られた物の中に具現している完全さ、普遍性を言っているのではないかと思うわけです。

  800年前に作られたもので、いまごく普通に、違和感なく日常の生活に使われるものに混じっていても気づかないぐらい普通な物ということは、それが物として完全な域に達してるということではないか。 これ以上、新しくなることのない物。いつまでも古くならない物。

 帰ってから、この皿、どこで買ってきたか分かる?と聞いたら、ニトリでしょ、同じような皿、あそこで売ってたと言われました。その答えは、ある意味、いま書いてることの裏付けともいえる。それは時間を超越してるということなのですから。

 その物の形状、デザインが現代的で、かつ古色がついてない物。いつの時代でも、その時代に生きている人の目に現代的なフォルムの、新品に見えるような物です。

 いま身のまわりにあるもので、服、椅子やテーブル、グラス、カバン、靴、携帯、財布、工具、鍵と何でもいいですが、 それをタイムカプセルに入れ、800年後に取り出し、未来の人間にまったく気づかれずに、その時代の普通の物として紛れ込んでしまうような物、あるでしょうか。

 

 上の写真は、境内の茶屋の向かいの土手を上って林の中で一休みしたときの一枚。もらった温泉饅頭(まんじゅう)をのせてみた。

 まんじゅうの包みを開けると、栞が落ちてきた。なにげなく読むと、群馬の伊香保温泉の和菓子屋さんで、伊香保温泉の茶褐色の湯の色をイメージして明治43年に発案したと書いてありました。これが温泉まんじゅうの発祥だとか。

 倒木に腰かけ、崖下の茶屋で買ってきた温かいお茶を飲み、まんじゅうを食べる。

 

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