今度は、箕とサンカ文字

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 前回、アイヌ文字の話しでしたが、ついでにサンカ文字のことも。上の写真、サンカ(山窩)研究で知られた三角寛氏の作った箕(み)。 作ったといっても、昭和32年ごろ三角氏が竹細工の職人さんに依頼し、竹を編み字を入れてもらった、いわば製作指導したものです。

 幅8センチほどの小さなもので、実用の農具ではなく民芸品ですね。 中央に書かれている絵文字みたいなのがサンカ文字。 下にサンカ文字の表を敷いてあります。

 もうずいぶん前になる、三角氏の親族の方が展示会を開いたとき購入しました。そのとき聞いた話しでは、長い間、茶箱の中に大量に詰められたまま置かれていたのが見つかった、ということでした。 たしか一つ1000 円ぐらいだった。

 自分もまた、しまいこんでたのですが、アイヌ文字の話しを書いていて、そうだ、こんなものもあったっけと思い出した。

 作ってから半世紀以上経っているはずですが、しっかりと編まれていて、たわんだり、ほつれたりしていない。

 表と見比べて「ひ」、「は」、「し」は分かりますが、それ以外は曖昧な感じです。縦に読むのか、横に読むのか、右から左か、左から右かとか、そういうこともよく分からない。

 アイヌ文字は、文字表を見た第一印象として確かに文字だと思いましたが、サンカ文字の方は、符丁のように見える。文字を組み合わせて文章を作るには、一文字、一文字書くのが煩雑で無理があるように思えるのですが。

 

 サンカには独自の文字がある。それは、ひらがな、カタカナや漢字などとは異なる文字で、日本に漢字が伝わる以前にあった神代文字と何らかのつながりをうかがわせる・・・一頃、そんな話しを書いた本が次々と出て、喧々諤々、盛り上がりました。   しかし、調べていくうちに、どうもサンカという存在自体が三角氏の創作というか嘘八百だったのではないかという疑いが深まり、話しが萎んでしまった・・・現状は、そんなところではないでしょうか。

 三角寛という人は、UFOのアダムスキーとよく似ている。ふたりとも、それぞれUFO(宇宙人)、サンカといった謎の存在とコンタクトしていると言って世間の注目を集めて本を売りました。謎の存在とコンタクトできるのは自分だけ、秘密を知っているのは自分だけというのも同じ。要するに、言葉巧みに口上で物を売る啖呵売(たんかばい)の一種、テキ屋商売みたいなことをしてたんだと思う。

 もしかしたら、実は三角氏自身がサンカで、あるいはアダムスキー自身が宇宙人で、本当の自分の正体を隠しながら、サンカに会ったとか、宇宙人に会ったとか言って人々を欺いてたのかも?

 

 サンカ文字は、よく神代文字と総称される文字グループの中に含めて語られている。アイヌ文字も同様に神代文字に含まれている。

 神代文字とは、江戸時代、国学が盛んになるとともに、中国由来の漢字が入ってくる以前に日本固有の文字はなかっただろうかといった関心が生まれ、それらしき文字を探し集め、編纂して作られた文字、そんなところではないか。

 サンカ文字もアイヌ文字も、漢字の伝わる以前までは遡れないと思うのですが、 あまり堅いこと言わずに、要は、謎めいた文字=神代文字、そんな括り方でいいのかもしれない。 みんな神代文字に、現実にはない夢やロマンを投影しているんだと思う。そういう意味では、真偽を詮索するなんて野暮な話しです。

 と、思うのですが、ここでは行きがかり上、野暮な話しを続けます。

  現在、神代文字はおおよそ20種類ぐらい挙げられている。かなり多いように感じますが、形やパターンの似ている幾つかのグループに分類できる。

 神代文字の中でも、サンカ文字と豊国文字(とよくにもじ)と呼ばれている文字はよく似ている。ついでに、やはり神代文字のひとつである阿比留文字(あびるもじ)と朝鮮半島のハングル文字もよく似ている。なんとか文字、なんとか文字と、聞き慣れない言葉が次々に出てきて難儀するのですが、とりあえず話しを進めます。

 似ている神代文字同士、なんらかのつながり、関係があるはずだ・・・おおよそ、そのあたりで話しは袋小路に入っているように見受けられます。

 思うに、神代文字が古代日本の文字だという前提なので、整合性のある解釈ができず、混乱しているのではないか。サンカ文字というか神代文字というか、そういった文字の発祥地は日本でも中国(漢字)でもないどこか、そんなふうに考えてみたらどうだろうか。

 

  前回、アイヌ文字のことを調べてるうちに、8世紀頃のモンゴルの突厥(とつけい)文字に行き着いた。

 アジアの内陸北部、モンゴル辺りにいた民族の文字が東ルートで、沿海州樺太、そして終着点の日本の北海道でアイヌ文字になったーー椀に彫られた図形の形から、そんなふうに考えてみたのですが、アジア地図を見ていて、ふとサンカ文字の箕を想い出した。

 当然、モンゴル辺りから南下するルートもあったはずで、それが数百年後の朝鮮半島でハングル文字となり、終着点の日本でハングル文字に影響を受けた阿比留文字ができたのではないか。そして最後の余興として、昭和のはじめ三角氏が豊国文字からサンカ文字を作った、そんなところではないでしょうか?

 いろいろな神代文字を見比べて、似たパターンの字体が目につくのは、もともと内陸アジアの文字が各地に伝わっていき、長い年月の間に枝分かれし、それぞれ別ルートで、時間的にもずれて日本に伝わったからだと思えるのですが。

 

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