古代エジプト展と人智学と犬

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  5 月 に「古代エジプト展」がある。この数日、その準備で忙しい・・・というのは大げさで、しまっていた箱から小さな立像などを取り出し並べるだけと全く簡単。

 場所は、部屋の隅っこのテーブルの上。開催期間を5月1日(火曜日)から 31日(木曜日)とした。 「・・・とした」と書きましたが、別に誰にも言ってないので、自分の頭の中で、並べ方の配列や背景をどうしょうかなど考えては、ひとり盛り上がっている。

 とくに古代エジプトの発掘品にこだわって集めてるのではないんです。だから手もとにあるのは、ウシャブティ 2 点、土偶(粘土を焼いて作ったベス神)、セクメト女神像 2 点(上半身だけ、それとアミュレト)、トキ(鳥の朱鷺。トト神ですね)のアミュレット、動物(猫、バステト女神)のアミュレットの7点だけ。どれも小さなものばかり。

 古代エジプトの発掘品はもともと相場の水準が高いうえ、レプリカ(博物館や学校で展示するために、あるいは好事家の鑑賞用に、と発掘品そっくりに作られている)も混じっていて、なかなか難しい。      

 横道に逸れますが、中国の漢の時代の発掘品(明器が多いですが)は相場が値崩れしていて入手しやすい。今が底値と言う人もいますが、続々と入ってきている。さらに古い、通称アンダーソン土器と呼ばれる仰韶土器なども同様。

 また、パキスタンから流れてくるインダス文明の発掘品も博物館に展示しているようなものと遜色ないというか、いえ、それ以上のレベルと思えるものが案外、安く手に入ったりする。

 と、書いていてポリシーがないよう思われるかもしれませんが、落花流水の理とでもいうのでしょうか自然に入手しやすい方に傾いてしまいがちなのは否めない。

 

  今から30 数年前、個人的に集めた古代エジプトの発掘品約230点を地元の市に寄贈した方がいました。藤沢の医師で、なかなかの人物だと思いました。

 教育委員会の発行した「高橋コレクション」と呼ばれる目録を見ると、ほとんどは、自分の手もとにあるのと同じような小品でした。・・・もう少し大きなものもあるんじゃないかと思っていたのですが。

  3 年前、日本各地を巡回した「古代エジプト美術の世界展」は、世界屈指の古代エジプト美術コレクションと評されていた。現在は、永続的に保存管理するために財団が作られていますが、もともとはスイス人の一人のコレクターが集めたものでした。

 ナポレオンのエジプト遠征の頃から200年、帝国主義の時代にイギリスやフランス、ヨーロッパの国々は、エジプトから大量の発掘品を持っていった。価値あるもの、 大きなものなどはそういった国々の博物館に納まっている。

 

 最近、シュタイナーが晩年に語った人智学の講演録を読んでいて、古代の芸術について印象的なことを話している一節が目についた。

 シュタイナーはーー念頭にあるのは古代エジプト文明だと思われますがーー「物質素材の霊化という芸術活動」というふうに述べているんです。すごいことを言っている。   エジプト文明は、紀元前3000年頃から約3000年間あまり続いている。その文明の人々は、現実に生きているこの世と、死後、あるいは生前の世界、つまり霊的世界とのつながりを実感としてつかめていたというのです。その後のギリシャ、ローマ文明の時代になると、人間の意識の内でその実感はあやふやになっていったとシュタイナーはとらえていた。

 発掘されたいろいろな神像を見ても、今のわわれわれは、古代の人たちは、ああいうものを想像して作ったに違いないと考える。現実には存在しないものの像なので創作だと考える。それが普通の一般的な考えだと思う。

 ところがシュタイナーは、あれらは霊界に存在している神々の模写として作られたと言っている。創作ではなく模写、作り手の内的なプロセスは全然違います。だから粘土、ファイアンス、石、木などを用いて神像を作る行為(芸術活動)を、物質素材の霊化だというのですね。

 古代エジプト展を思いついたのは、このシュタイナーの指摘に刺激を受けたことが大きい。

 

 美術館や博物館にいくと立派な名品が見られる。それはそれでいいですが、日常の中で、寝転びながら、手仕事しながら、朝食食べながら、新聞見ながら、居眠りしながら、寝る前に、真夜中目が覚めたときに、と好き勝手に見たりするのもいい。

 もとをただせば、フランス革命で王族や特権階級の館にあった絵や彫刻などを没収し、人民が等しく見れるようにと作った施設が美術館の始まりでしょ。そこに納まってるものは、断頭台に消えた人たちの調度品、インテリア、要は、家に飾ってたもの。

 そういう意味では、もともとそうであったような展示の仕方をしようとしているともいえる。自分のような貧民がしてるってのは妙な話しですが、そのあたりは知恵を絞ってなんとか・・・。

 美術館や博物館だと、触っちゃいけない、立って静かに行儀よく鑑賞しなくてはいけないとかいろんな制約があります。その点、自作自演、観客も自分と犬だけなので自由気まま・・・落語の蝦蟇の油と似てなくもないですが。

   冒頭、並べ方について書きましたが、それぞれのサイズや形状、材質(色、質感)の違いを考えて、木の台を置いてみたり、いろいろ試行錯誤しているうちに、配置は「 ∧  」の字形になった。だんだん舞台の演出家のようなノリになってきた。

 間仕切りは、色の異なる小さな水晶をポールを立てるように並べてみた。半透明で紫、橙、黒、松葉色、青、水色がかかった水晶を選ぶ・・・自然と、これが結界になった。発掘品とのバランスもなかなかいい、禅語の「別是一壺天」というか、異世界の神殿みたいでもあり、少なくとも初めて見る世界といった感じです。

 

   さて、開催が近づくにつれ、誰も見にこないというのも味気ないような気がしてきた。どうしょう・・・思い倦ねて、結局、犬の J (名前のイニシャル)に見てもらうことにしました。

 毎晩、寝床も一緒なので呼んでくる手間が省け楽。 いわば人獣同衾とでもいうんでしょうか、でも犬と寝ていていろんな気づきがありました。寝ていると、J もやってきて、ちょうどお腹あたりに、奴の背中を押し付けるようにしてゴロンと横になる。

 肌に犬の体温が伝わってくる。呼吸している体の膨らみと収縮の感触が伝わってくる。眠っているときに、犬の温感と呼吸のリズムがこちらの意識に入ってくるわけです。

 昼間、起きて生活してる時間の生(人間界の生)と同じぐらいに、眠っている時間の間にも生(アストラル界の生)があることに気づいた。

 ふつうは、他者といえば人間以外ありえない、そんな世界(現実といっている世界)にいるのですが、他者が動物という世界(自己と動物で成り立っている世界)もありうるのではないか。睡眠時のような半覚醒状態だったことがこの気づきをもたらしてくれたように思っています。

 犬だけでなく、猫でも、あるいは他の動物でもーー人間だと同種どうしなので(犬の体温は人間より高く、呼吸のリズムが早い)気づきずらいと思いますがーー睡眠中にこういう相互意識の世界があるのではないか。

 そういえば、 J の先祖は、古代エジプトでも飼われていたそうで、絵に描かれていたり、ミイラが発掘されているとか。 ついでに、オードリー・ヘプバーンに似ていることも書いておきます。怪獣マリンコングにも似ています。

 この話し、人に言っても信じてもらえないことが多いので、証拠の写真を上にアップしました。左が J です。下の写真はマリンコング。

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 ところで、犬は発掘品にこびりついている塵や彩色片から古代の古代エジプトの匂いを感じとれるのだろうか?  J に聞いてみたい。

 

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