星と鉱物の結晶、どちらがきれい?

f:id:alteredim:20180808152555j:plain

 7月下旬から夜10時すぎになると東南の空に大粒の星が光っている。火星の大接近です。写真は、近所の若林公園、シイの林のこんもりした茂みの上に見える火星、けっこうミステリアス。

 最初から横道に逸れますが、この公園で最近、猛禽類のツミを見た。小ぶりのタカといった感じで、キジバトを鋭い爪でつかんで食べている。そういえば、以前からときどきキジバトの羽や骨が落ちていて気になっていた。

 朝、ボランテアで公園を掃除している方に聞くと、3 年前からタカみたいな鳥(ツミのことですね)が公園に住みついていて、今では二つがいの巣があるという。ついでに、イタチや野ネズミもいるとか。

 ここは子供の頃からよく知っている公園で、昔は、キジの仲間のコジュッケイなんかもいて、今よりもっといろんな種類の野鳥がいました。ふつうにいたホオジロカワラヒワを見かけなくなって久しい。でも猛禽類はいませんでした。

 

  アップした画像は、少し前に書いた安治の「浅草太郎稲荷」と似た昏い夜に見えますが、肉眼の実感とはズレています。都会の夜空は、街の明かりで暗くないし、モワーッとした赤黒っぽい緞帳みたいにも見え、安治の描いた夜とはずいぶん違う。

 それに、写真の火星はポツンとした点で寂しげな感じ。しかし、マイナス2.8等で、ビカーッと伸び縮みする針のような瞬きに目を見張る。

  火星は決まり文句のように「赤い」と言われてます。でも、実際のところ赤には見えない。夜空のほとんどの星の色は、大まかに言ってしまうと白光といった感じですが、火星は、はっきり違う色、暖色系なのは分かります。実感としては、黄橙(ダイダイ)色、メキシコのフルオロアパタイトの結晶みたいな色しています。

 毎晩、歩きながら住宅街の上に光っている火星を見ているのですが、光度の迫力、それに色も他の星と違うし、ミステリアスな存在感を醸し出している。

 と、書いていて、でも、現実は連日の猛暑。ミステリアスな存在感とか悠長に言ってるような状態ではないです。日中 35 度前後、夜になっても気温30 度、湿度80パーセント近くで無風。外に立っているだけで額に汗がにじんできて、半ば朦朧としながら星を眺めてました。

 つくづく感じるのですが、暑さだけでなく湿度が体にこたえる。イランやイラクの土漠、メキシコの半砂漠なんかも暑かった。炎天の日差しは日本より苛烈で、その意味では酷ですが湿度は低い。岩陰や木陰で水分補給をちやんとしてればなんとか過ごせる。日本の場合は、暑さ+湿度の相乗効果のもたらす不快感で、これにはまいりました。

 

 ・・・今月6日、人類の活動が地球の生態系や気候に及ぼす影響によって、このままいくと地球は温室化し人が住めない環境になってしまうというレポートが発表された(米科学アカデミー紀要)。

 子供のころ、東京の一般家庭に(電気)冷蔵庫やエアコンはなかった。あったのは扇風機、団扇(団扇)ぐらいで、夏は、もちろんそれなりに暑かったですが、みんなふつうに暮らしていた。そんな記憶を振り返ると、日本は別の世界になってしまったかのように感じます。

 

 前回、人が作ったもの(骨董・古美術品)よりもサファイアのような鉱物の方がきれいだと書いた。しかし、鉱物、石に肩を並べてきれいなものがありました。鉱物の本にこんな一節がありました。

 

 「自然界のもので美しく光り輝くものといえば、夜空の星と鉱物の結晶であろう。蝶のような昆虫や草花は鮮やかな色彩を持って入るが、光輝きには乏しい。夜空の星はあまりにも遠い存在で、われわれが実際に手にとって鑑賞するというわけにはいかない。

 その点、鉱物は、ダイヤモンド、黄鉄鉱、水晶とそれぞれ特徴ある美しい輝きを持ち、それを手にとって見ることができる。だから、世の中に鉱物のコレクションくらいぜいたくなものはないと筆者は考えている。」(『楽しい鉱物』堀秀道)。

 

 引用文に書かれていること、ちょっと飛躍しているけど、飛躍の仕方が自分のパターンと似ていて共感しました。このあたり言葉にするのが難しいですが、文章に永遠を希求する魂の衝動みたいなものが垣間見え、こちらの胸を衝く。

 たしかに鉱物の結晶なら手にしたり、あるいは自分のものにすることが出来ますが、もし触ったり、所有することにそれほど拘らず、純粋に星と鉱物の結晶、どっちがきれいかだけで判定したら、どちらがきれいなんでしょうか?

 人里離れた山の上から見る夏の天の川、目にしたとき言葉が出ない、沈黙してしまう美しさ。天の川は、自分たちのいる銀河系星雲の渦巻きの層を内から見ているんですね。

 漆黒の闇夜に見るプレアデス星団(昴・すばる)は震えるほどきれい。この美しさダイヤに優っているうえ、ただというか、お金で買えない。こういった星々、都会の夜空ではほとんど見えないのが残念。

 一方、朝、目覚めたばかりにシエリー酒の色をしたインペリアルトパーズの結晶を見ると、意識が引き込まれてしまうほど極まっていて、こっちの方もなかなかです。

 どうもピカピカしてればいいみたいな話しになってますね。そのあたり、テーブルの上にジルコンや白鉛鉱の結晶を転がしてテカテカの光沢を見飽きない、そんな自分の嗜癖が露呈しちゃってるのかもしれない。だからここで言ってることが一般化できないことは承知してます。

 ついでにジルコンの原石、ミャンマーアフガニスタンマダガスカルのものなど、けっこう見ました。穴のあくほど見て、結局、この石の魅力は、眩しいといったぐらいの照りにあるんだなと一人納得している。ガーネットを並べ見比べると分かる。色や透明度ではなくピカッとした照り、それに尽きる。

f:id:alteredim:20180808163851j:plain

 ・・・横道に逸れますが、去年の8月の夕方、突然の嵐のように降ってきた大粒の雹(ひょう)の結晶。金平糖のような氷の塊で、奇妙な形に思わず見とれてしまいました。

 

 前回、絶賛してたイエローサファイアと今回、ミステリアスと讃えてる金星、一体どっちがきれいなんでしょうかーー先に結論を言ってしまうと、こういう設問、主観のマジックが関わっているので答えがないんですね。

 主観のマジックってどういうことかと言いますと、一つは、人間って、その時、その時の時勢、物事の勢い、弾みによって動いてるということがあります。人間世界の転期となるような出来事は、みんなそう、結婚とか転職とか、あるいは明治維新や太平洋戦争も究極的には物事の勢い、弾みで起きているという言い方もできる。

 つまり、その時々に夢中になっているマイブームの勢い、弾みで、同じものでも、別の時には違うものに見えてきたりする。主観の世界のことなので、いつも同じ基準、物差しでは見れないんですね。   

 主観のマジックのもう一つのケースは、金星でもサファイアでも、イコンでも仏像でもなんでもいいですが、とにかく何かに惚れ込むのですから、それは恋心の一種で、恋は盲目とか、あばたもえくぼみたいな心理が生じていることです。

 主観のマジックがどうして起きるのか考えていくと、結局のところ偶然の要素が大きく、その都度、乱数発生器にお伺いを立てているようなもので、そこで行き止まり、思考停止になってしまう。

 でも、それでは自分は行き当たりばったりでやってますと言ってるのと同じで、なんか気が済まない。正直にいえば、行き当たりばったりなのかもしれませんが、なにかもう一歩、納得できる、腑に落ちる説明がほしい。

 仏教は人間世界の偶然を縁として捉えていて、南方熊楠はそれを踏襲し、この世の仕組みを縁と縁の交差として考えていた(仏教には業(カルマ)という要素もあるのですが、思うにそれは、それほど気にしなくていいことだと観ています)。

 縁と縁の公差・・・なるほど、思い返すと、自分の行き当たりばったりな流れも納得できるような気がしてくる。

 主観のマジックは、コンピュターやAIの思考にはない、人間だけがしている思考というか、いわば人の性(さが)で、美しいとか、きれいとかいった情感と深く結びついている。そんな訳で、答えがないんですね。

 

 今年の9月、金星は最大光度マイナス4.7等になります。昔からUFOと間違える人がいるように異様な輝きで、ダイヤよりもきれいといっても過言ではないと思うのですが。

 

f:id:alteredim:20180808153332j:plain

 

 7月のはじめ代々木公園のイベント中に見えたハロ現象。快晴の炎天下、青空に現れた虹、きれいでした。

 

☆世界の香など揃えたショップ。よかったらご覧下さい。 http://alteredim.com