アブサンと「緑の妖精」の秘密

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 キッチンの洗い桶の下の扉を開けたら埃をかぶったビンが出てきた。ワイン? もともと下戸だし、置いた覚えがない。誰が、いつそこに置いたのか分からない。

 手にして栓を捻るとカチと開封した音がしたので、それにつられて衝動的に舌に流しこんでしまった。ラベルぐらい見てからにしておけばと、思ったときは、すでに口に液体が入ってた。

 もし劇薬、洗剤、塗料とかだったらと誰でも考えると思うのですが、自分の行動パターンはいつもこんな感じ。

 

 強烈に甘く苦い、喉にジワーとくる熱い感覚。甘苦(かんく)って言葉があるように、本来、正反対の方向性にある甘いと苦いが融合している! 

 これって、人を驚かすブレンドを工夫、それを豪腕でもって無理矢理作ったリキュールだなと、下戸の素人がおこがましいこと書いてますが。

 最初の第一印象は強いアニスの香り、続いて強い甘味、それから強いアルコールの乾いた熱い辛さが来て、隠し味にフェンネル茴香ウイキョウ)の癖のある香味、そして全体のベースに苦味(これは中程度に抑えている)・・・ああ、これはアブサンだなと気づきました。以前、読んだ本に書かれていたアブサンの成分と同じでしたから。苦味は当然、ニガヨモギです。

 全体のバランスとして、苦味が比較的抑制されていること、アニス+甘味が過剰なこと、フェンネルの超個性的な香気が妙に出しゃばってる。このあたり、本やネットに出ているアブサンに関する話には、書かれていないことでした。

 

 そういえば、北欧、フィンランドのなんとも変な味のキャンディ、アンモニア臭と塩味の混じった「世界一まずい味」といわれてる飴ですが、あれの隠し味にもフェンネルが用いられてたのを思い出しました。

 あのキャンディの味、自分はだめでした。独断的な言い方しちゃうと異臭症フェチでないと無理(好きな方、失礼しました)。書いていて、那須温泉の源泉、鹿の湯や殺生石あたりにたちこめている臭いが蘇ってくるような・・・アンモニア臭と硫黄臭、違いはあるのですが、自分の内ではイメージがつながってる。

 ついでに、もうひとつだめだった味も書いておきます。イランで向こうの人たちは美味しそうに食べていた山羊(ヤギ)のスープ、あの味もだめでした。

 別にフェンネルに恨みはないですが、変わった味のリキュールやキャンディに限って、それも隠し味に用いるのって、どうしてなんでしょうか。

 改めてビンのラベルを見ると「ABSINTH  TABU  CLASSIC」とある。アルコール度55%。ドイツ産のアブサンでした。

 アイスクリームに垂らしてみたり、あるいは、バナナを食べながらちょっと口にしてみる。バナナと一緒だと悪酔いするというか、たぶんアブサンだからということではなく、バナナと酒類は、相性が良くないのかも。

 

 ニガヨモギ の苦さはよく知っています。口にしなくても苦い(?)ほど苦いハーブです。

 大きな袋に入った乾燥ハーブのニガヨモギ を、スプーンですくって小袋に分けるときのこと。よくコーヒー豆の売り場で、焙煎した豆をすくうときに使ってるのと同じようなスプーンを使う。

 ニガヨモギの葉や茎をスプーンですくうと、細かな微粒子が僅かに舞い上がります。それが目に見えない埃のように空気に混じり、気づかないまま鼻から吸い込んでしまい、喉を通り抜け舌に接触して強い苦味を感じる。

 そんなわけで、口にしなくても苦いというのは本当です。

 本来、それぐらい苦いハーブなので、入れすぎたら飲めなくなってしまう。抑え目にブレンドしているのは当然ですね。

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ゴッホアブサンのある静物」(1887年)

 

 19世紀の後半のフランスでアブサンが流行したことは有名で、ネットにもその話がたくさん出てきます。紹介していくと長くなるので、端折って書くと、当時、アブサンは「麻薬」のような存在と見なされていた。幻覚を見たり、身を滅ぼす人もいて、20世紀に入って禁止される。

 そして、約1世紀後の21世紀になってから過去の有害性論は誇張だということが分かり解禁、いまは普通に売られています。

 

 アブサンの流行は、フランスの資本主義勃興期から世紀末を中心に、それに続くベルエポック(繁栄の頂点)の時代に当たり、有名な詩人、文学者、画家たちの生き様とアブサン酒にまつわるエピソードが重ね合わされ、その時代の文化現象として語られている。

 ・・・と、書いていて、フランスには行ったことないし、ましてや1世紀以上昔の話で、自分の中でいまいちリアリティがない。

 よく語られてたのは、ボードレール の「人工楽園」とかユイスマンの「さかしま」などを引き合いに出した物質的快楽を極めた退廃の美といったイメージで、昭和の高度経済成長のころ澁澤龍彦なんかが憧れてた世界。バブル的、絢爛豪華な雰囲気で、特権階級や文化人のデカダンスというんでしょうか。

 一方、その時代は貧富の差の激しい階級社会でもあって、庶民というか下層階級のデカダンスもあったんじゃないかと思う。こっちの方は、あんまり話題になっていない。

 その時代に生きた人々の生活実感、実相を知りたくて、昔買って積ん読のままになってた『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(角山栄、村上健次、川北稔)や『パリの聖月曜日 19世紀都市騒乱の舞台裏』(喜安朗)といった本を読み直した。

 19世紀のパリでは、その日暮らしだった庶民が、休み明けの月曜日に仕事に行かず居酒屋で酒を飲んですごし、その一日を聖なる日、つまり日曜日にしてしまう習慣がまかり通っていて、街頭の騒乱、ストライキもそういう中で頻発していたとか・・・『パリの聖月曜日』の一節から。

 なんだか「日本全国酒飲み音頭」とか、あるいは浅草の脇道に僅かに残ってる朝からやってる立ち飲み屋なんかを連想してしまう。洋の東西を問わず場末美にはアナーキーな匂いがして惹かれます。

 要は、快楽を取るか、自由を取るかってことですよね? そういう選択が俎上に上がるところまで文化が極まってたとしたら、けっこう凄いなと思う。

 どちらにしろアブサンで酔っぱらってたということでは共通してたのかな・・・とお茶を濁しときます。

 

 それにしても、積ん読の本の処分に困っている。本って、いつの間にか増えているし、増えると嵩張るし、重たいし、昔はけっこういい値がついていた古書もいまは二足三文。 ゴミの日に束ねて捨てると、ささっと抜いてくセミプロが徘徊してるし、まったく始末に負えない。

 家業でやっていた古本屋さんが町から消えてしまったのは、もうずぶん前のこと。町を歩いていて、知らない古本屋を見つけると、宝探しのような気分になったのを想い出す。

 ふつうの人には雑本でしかなくても、自分にとっては掘り出し物、そんな発見体験は楽しかった。

 ついでに、いまはお腹がすいても、どこの街も同じ外食のチエーン店ばかりで味気ない。馴染みだった十条の「ランチハウス」(洋食)が閉店、神保町の「いもや」(天丼)が閉店、ついでに浅草の「蛇骨湯」が今月末で閉店と残念です。

 そう、浅草にうまい店がない。まあ、「浅草にうまいものなし」(知る人ぞ知る昭和の時代の格言)は昔からのことで、土地柄、観光客相手とイカモノ商売が伝統なのでしょうがないか。大井町の「ブルドッグ」みたいな洋食屋が浅草にあればといつも思っていた。・・・ずいぶん横道に逸れました。

 

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ヴィクトル・オリヴァ「アブサンを飲む男」(1901年)

 400~500年にわたるヨーロッパの世界支配が頂点を極めつつある時代ーーベルエポックを頂点とすると、その前の半世紀間ぐらいーーアブサンは、ヨーロッパの文化的中心地の爛熟と退廃の象徴として記憶されている・・・大上段に書くと、なんか凄いことのような、でも案外、他愛ないことのようにも思える。しょせん人間の文明って、その程度なのかも。

 フランスのベルエポック(「わが世の春」の時代)ってそんなには長くはなかった。株でいえば大天井、そういうのは後から気づくのですが。イギリスだとヴィクトリア朝がそれにあたり、ちょっとだけ長いですが、20世紀に入って第一次大戦が起き、そこから先は、共に下り坂。

 10年ぐらい前でしたか、ローマ法王が、かっては輝いていたヨーロッパもいまは年老いた、といった趣旨の発言をしてたのが印象的でした。思うに、20世紀の前半、世界戦争を続けざま二回やってしまったダメージは限りなく大きく、いまも尾をひいている。

 ついでに、日本にもベルエポックに該当する時代があって、1980年代後半(バブルの時代)がそうだったのではないかと思っています。


  アブサンは、よく「緑の妖精」と言われていた。アブサンを題材にした絵もあり、緑色の女性の幻想--女神のような、幽霊ではないし、やはり妖精でしょうね--が描かれている。こういう雰囲気、けっこう惹かれる。

 植物の緑色の精っていうと、ジャポニズムやアールヌーヴォーと底流でつながる反機械文明的な匂いを感じるのですが・・・。

 なんで緑の妖精が出てくるのか、アブサンを飲んで酩酊すると、そういうイメージ、幻覚が見えたのか、ちょっと考えてみました。

 アブサンは薄い緑色をしています。澄んだきれいな若草色、日本の色の呼び方だとヨモギ色。

 アブサンは、最初にスイスかフランスで作られたのですが、 そのときニガヨモギの生草の色をリキュールに着色したことに由来してると思います。

 アブサンにまつわるいろいろな逸話の秘密は、この緑色にあるのではないでしょうか。

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アルベール・メニャン「緑の女神」(1895年)

 

 当時は、ニガヨモギ に含まれるツヨンという成分が幻覚をもたらすといわれたそうです。でも、薬草のことを調べてみればすぐに分かりますが、その説は見当違い。

 アルコール濃度の高いリキュールなので(それに値段も安かったそうで)、アルコール依存症になり幻覚を見る人が出てきたということなのだと思います。

 そういえば、かき氷のシロップは、イチゴもメロンもレモンも同じ味だとか。それぞれ色と香料を変えて、イチゴ、メロン、レモンの味に感じるようにしている。色と香りによって、脳が味を錯覚して、違う味に感じている。これはプラセボ効果(偽薬効果)ですね。

 アブサンの秘密は、結局、この緑色、それと冒頭に書いたような特異な香気のもたらすプラセボ効果ってことではないでしょうか。 

 ついでに、法律で禁止されることがプラセボ効果を高めるということも補足しておきます。禁制品で手に入らないからこそ価値が上がるというのは、人の世の常。

 ほんとうは、たいしたものではなくても、禁止されていることで、たいしたものになってしまう。酒がご法度のサウジアラビアに駐在していた日本人で、ある晩、やっとビールが飲め大酔いした人がいました。ところが、翌朝、ビールの缶を見たらノンアルコールビールだったという話しを聞いたことがあります。

 抗うつ薬プロザックも、SSRIというタイプの抗うつ薬が日本ではまだ認可されていなかった頃、なんとか入手した人たちの間ではとてもよく効いた。ところが、SSRIが認可されると、効き目が以前ほどではなくなリました。こういう話しは、たくさんあります。

 アブサンは、禁止されたからこそ、1世紀もの間、人々に忘れ去られることなく、都市伝説化したのだと思います。いまもネットにはそういう話がたくさん出ています。

 

 モネ、ロートレックゴッホランボーボードレールヴェルレーヌ・・・アブサンに魅された人たちですが、プラセーボ効果と人間のアートや文学的な創造性の間には親和性があるもかも。

 AIにはプラセーボは効かない。そこに人間の知能とAIの知能の違いがあると思うのですが。人間は夢をみたり、恋したりするけどAIはしないし・・・恋心もプラセーボだなどと身も蓋もないこと浮かんできましたが。

 思うに、緑の妖精の正体は、プラセーボのことなんじゃないでしょうか。

 ところで、『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)に出てくる宇宙人(オーバーロード(上帝))は、人類より何万年も進んだテクノロジーを築いていた。

 宇宙人と人間の科学技術の格差は、現代の人類と石器時代の人類ぐらいの開きがあって、これはもう勝負にならない。まあ、両者の時間差を仮に3万年とすると、地球ができた約35億年前からすれば、10万分の1とちょっと向こうが早かったに過ぎないのですが。

 でも、その宇宙人は、AIと同じタイプの知能で思考する存在で、そこに壁があることを彼ら自身、自覚していた。そんな一節がありました。

 この小説、1953年に発表されているって、クラークという人の先見性すごいと思いました。

 プラセボだから騙されてるだけ、だからダメというんじゃないんです。

 思うに、騙される能力(妙な言い方ですが)と夢を見る能力は、同じことで、やっぱり、人間は、夢を見れないとダメなのではないでしようか。緑の妖精、見えるでしょうか。

 

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