バングラデシュ・・・ハルマゲドンとノコギリエイ

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ダッカ市内の船着場。ドラム缶を運んでいた。岸辺のどこにもコンクリートや金属、石、木の建造物がなく、すべて土で水辺は泥々。ゴミやガラス片のない泥土なのでみんな裸足でした。

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ここも市内の川辺。オレンジを積んだ小舟。ぐるりと見渡すと低平な大地で、写真を撮ると空ばかりが写っていました。デルタ地帯って、結局、泥土と水の世界だってことを実感します。・・・2枚とも現在のバングラデシュではなく、独立後すぐの写真です。

 

 6月下旬、ブーゲンビリアが開花している。いつも歩いている道の横のマンションの玄関脇、管理人さんが手入れしていて鮮やかに咲いていました。少し紫の入った赤い花は目に眩しい。

 そういえば、この色は、モーリタニアとかアフリカで採れるルビー原石の色にありました(ピュアーな赤からは外れた色なのでルビーとしての価値は低いですが)。

 ブーゲンビリアは炎天下が似合ってる・・・バングラデシュでそこらじゅうに咲いていたのを想い出しました。 

 もうずいぶん昔になってしまったので、バングラデシュの記憶、曖昧になっている。ダッカの路地裏、夕闇の奥に蝶の群れのように咲いていたブーゲンビリアの茂み、この情景は脳裏に焼き付いている。地べたの黒い泥の色と熱帯の夕闇の中に、赤い花の塊が溶けたように見えました。

 

 急に懐かしくなり、YouTubeで最近のバングラデシュの様子を観ました。旅行者の人が撮った動画を次々観ていく。自分の記憶している国とはすっかり様変わりしている。

 あの頃は、まさに泥と水の国でした。人口は今の半分ぐらい、パキスタンからの独立(1971年)後、少し経った頃で約300万人が独立戦争で亡くなり、膨大な難民が生まれ、ダッカの街には人がそんなにいなかった。妙にがらんとした街で、そこかしこに道端で火を焚き、煮炊きする人たちがいた。

 かってバングラデシュはインドのベンガル州に属していたので、全体的にはインドっぽかったですが、ビンズー教色がインドよりずっと薄く、またイスラムの影もあまりなかった。YouTubeを観ていると、現在は、イスラムの服装をしている人が増えてるのを感じる。

 いま振り返ると、一戸建ての洋館が建ち並んでいたり、イギリス植民地の地方都市がそのまま残っていた。その時は、そんなことまで考え及ばず、ヨーロッパの古い映画のセットみたいだなと眺めてました。

 たしか街を歩いていても店も屋台もあまりなかった。食べ物がなくて困った記憶はないので、それでもなんか食べてたんだと思う。道端に一人用のスチームバスみたいな妙な物体が転がっていて、聞いたらパキスタン軍の拷問器具だという。中に人を入れて穴から首だけ出すようになっていた。

 隣国、インドのカルカッタコルカタ)は、植民地時代のインドの首都だったので、中心部には重圧感のあるビクトリア朝といった雰囲気の大きなビルが建ち並んでいた。しかし、道路は穴ぼことゴミだらけ、キンマ (檳榔)を吐いた赤いシミだらけ、路上で暮らしている家族がいて、いかにも貧困という言葉があてはまるようなところでした。

 コルカタはリキシャ(人力車)が多かったが、ダッカは馬車がちらほら歩いているぐらい。

 バングラデシュは、コルカタをさらに一段とデイープに・・・と書きそうになりましたが、そう書いてしまうと、なんかニュアンスが違うような気がする。単に、インドよりもっと深刻とか、あるいは貧困というのとは違う。

 確かに物質的にインドよりも貧しかったということになるでしょうが、それよりも、ところどころ、まっさら原始的な世界があるように感じたことの方が印象的でした。

 原始的な世界・・・それはステレオタイプに発展が遅れていたということではないと思う。いま思うに、独立戦争(内戦)の被害が甚大で、文明的なものが崩壊した後、亜熱帯のデルタ地帯の風土に回帰した世界が現出していたのではないか。

 上に約300万人という数字を書きましたが、とんでもない数だ。少し後のことですが、カンボジアポルポト政権時代の強制収容所で亡くなった約200万人もそうでした。カンボジアは人口がそれほど多くはなかったので、国家の人口の4分の1が消えたことになる。

 バングラデシュカンボジアもモンスーン地帯で米がたくさん取れ、衣食住に不自由しない貧しくとも豊かな農村社会だった。

 カンボジアは凄いことをした。都市を廃止し、全ての国民を強制農場に移住させた。これはマルクス主義とかスターリン主義というよりもクメールルージュの中心的な理論家が留学中に19世紀フランスの空想的社会主義の影響を受けてたってことだと思っている。

  いま感じるのは、現実ってものは、ちっぽけな人間の想像を超えているということです。人間世界は、なんでも起きうる、いつでも起きうるんだなと思いました。ハルマゲドンは映画のように未来のことではなく、すでに1970〜80年代のアジアで起きていた。

  バングラデシュカンボジアのハルマゲドンは、国の内部で起きていたことで、メデイアの目に届き難い地域での出来事だったこともあり、残っている記録は少ない。結局、これは想像力の問題ではなく認識力の問題なのではないかと思っている。起きているのだけど、それが見えていないからないと思っている、そういうことなのではないか。

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 自分の目に映ったバングラデシュは、時間の流れの緩やかな、土の大地にブーゲンビリアの咲き乱れる美しい国でした。戦乱で大人の数が減ったせいか、子供ばかり多く、みんな働いている。

 バングラデシュの「貧しさ」はそれほど気にならなかった。もともと子供の頃の日本は、庶民はみんなそれほど豊かではなかったですから。高度成長期以前の普通の日本人の衣食住を知っている人間にとっては、バングラデシュの「貧しさ」もそれほど抵抗なく受け入れられました。

  日本が経済大国とか、飽食の時代だとか、言い出したのは1970年代に入ってからのことです。その頃から唐突にGNP(途中からGDPになる)とか言い出しはじめた。

 ・・・本音を言うと、庶民の暮らしは今より高度成長期以前の方が豊かだったように思う。その時代を知っている友人に聞くと、だいたい同じように感じている。日本は1960年代の高度経済成長で豊かになったという一般の社会常識と反対のこと言ってるって? この話は「豊か」という言葉の意味になるので、ここでは端折ります。

 ゴツゴツした大木に大きなジャックフルーツ波羅蜜)の実がずた袋みたいに垂れ下がっていて、割って口にするとミルキーなフルーツキャンディのような味がした。人が作ったケーキやお菓子よりも美味しいなんてと感動しました。

  そして、この実の大きさ、人間の幼児よりも大きい。何十キロもあって重くて持ち上げられない。熱帯のフルーツの魅力にこのとき開眼しました。

 フルーツキャンディの味では分かりずらいので、ちょっとこだわると、最近、売れゆきが低調で販売を終了したフルーツ牛乳の味といえば伝わるでしょうか。昭和の時代、よく銭湯にこの牛乳ビンが並んでいた。特定の果物から抽出された味ではなく、バナナのようなオレンジのような現実には存在しない合成された味でした。

 はじめて食べた自然の味の感想が、以前から知っていた合成の味に似ていたという味覚の既視感は、天然と人工があべこべで妙な気がしました。

 これが仏典の波羅蜜多の味? 完璧さ、完成された、悟りの彼岸を意味する名前のついた果物の味覚は、柿、ミカン、桃、梨といった日本の温帯の果物とはずいぶん違いました。確かジャックフルーツの原産地はこのあたりでした。

 そういえば妙法蓮華経にしても泥沼に咲く蓮(ハス)の花の教えってことでした。つまるところ、仏の世界を誰にでも分かるイメージで伝えようとすると、濃密で大振りな果物(の味覚)や花の姿(視覚)になるのですね。

 

 あのときのバングラデシュはハルマゲドン後の世界だったのだろうか? ちょっと飛躍しますが、もしそうならば、人類の文明が崩壊するとか、地球上の人間の大多数が死滅するとかしても、その後、生き残った人間たちがいたとしたら、その人々が作る新しい世界は、まんざら悪くないかもという気もしてくる。

 大人は死に絶え、子供だけで新しい世界を創っていく、そんなパターンもあるかもしれない。文革紅衛兵にもそんな兆しがあった。子供が大人に造反しだして旧来の社会が崩壊していく。文革は途中で頓挫しましたが。

 奇しくもクラークのSF『幼年期の終わり』の結末がそうでした、人間の魂が浄化されるってそういうことなのかも。

 20世紀はじめの地球の人口は約15億人だったのが20世紀末に約60億人になっている。100年でおおよそ4倍に増えた。いまは74億人ですか、でも、長い目でみると、20世紀が極めて特異な時代だったので、将来、8割減の人口15億人の地球に戻るとしても、それほど大事でもないように思える。

 ハルマゲドン後の世界をテーマにした小説、映画、コミックはたくさんあります。でも、そういうのって頭の中で想像してるよりも、現実になると案外「普通」で、そんな世界にも日常はあって、すぐに現実に織り込まれていくように思えるのですが。

 少し前のブログのアブサン酒の話しで「プラセーボ」のこと書きましたが、それともうひとつ、この「織り込み」という現象ーー株価や石油、金とかの価格はそれによって上がったり下がったりしているーー人間はこの二つの「魔法」に翻弄されている。

 魔法って前近代の迷信の類と思っていると、現代にもしっかりあって、それが「プラセーボ」と「織り込み」という現象だと思うのですが。いまのわれわれは、そんなふうには考えていないですが、後世の人類は、21世紀の頃に信じられていた魔法と見なすのではないか。・・・横道にそれました。

 

 話を転じます。前から感じていたことですが、平地で近くに水のある土地は心が休まる。鎮まる。そして、そういう土地柄ならではの居場所がありました。なんで浅草が自分にぴったりしたのか考えると、寺町なのに加えて隅田川があるから、上野は不忍池があるからだと思っています。

 西葛西に定住するインドの人が多いのは、近くを荒川が流れているからだと聞いたことがある。その気持ち分かる気がする。

 どうも水郷みたいな土地に惹かれる。関東だと、利根川の関宿、五霞から下流霞ヶ浦あたりの情景にそういう所がありました。関宿の利根川と江戸川の分岐した河川敷を歩いていたとき、湿った土に靴が食い込む感触にダッカの川辺を思い出した。

 ・・・あまり関係ない話ですが、その河川敷にカモシカと見誤るぐらいの大きなタヌキがいます。以前、ブログに書きました。

 日本の温帯の風土では、水郷の自然も中庸ですが、同様の地勢が熱帯になると、自然がさらに濃密で、米や野菜は一年中実るし、原始的な豊かさーー黄金のベンガルという呼び名がありましたーーに満ちていた。たぶんそこに魅かれていたんだと思う。

 温帯の水郷に潜んでいる大物といえば、ナマズ雷魚、鯉とか草魚といったところでしょうか。1メートルを越えるのもいて迫力あります。

 また関係ない話に脱線しますが、昔の映画を観てたときのワンシーン。江戸時代、沼から大きなナマズを採ってきて、七輪に土鍋をのせ、団扇でパタパタあおいで調理し食べていた。題名は忘れました。モノクロの怪談映画です。

 それがまた美味しそうで、一度、ナマズ鍋食べてみたい。薬味はなにがいいだろうか。ついでに、草魚を釣って、中華料理の唐揚げで食べてみたい。・・・食べ物のこと書きはじめると、どんどん話がそっちの方にいってしまい、話を戻します。

 一方、ラオス南部のメコン川にいるメコンオオナマズは3メートルに迫るとか。こうなると人が持ち上げるどころではなくなる。バングラデシュの川にはさらに大きなノコギリエイがいました。熱帯の自然には、こんな化け物みたいな生き物を育む力があるのですね。

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 ダッカの川辺に人が集まっていて、近ずくと巨大な怪魚が引き揚げられていた。

 写真に収まりきれず写っているのは胴体の一部で、尻尾の方がさらに伸びている。象のような肌をした巨体の上に人が4、5人乗っていた。先端のノコギリの部分だけでも人の身長よりも長く2メートルはある。写真では奥域がよく分かりませんが、全長は8〜10メートルぐらいだったでしょうか。

 ノコギリザメ? 調べるとノコギリエイのようです。ノコギリエイは海から大河の淡水域まで、泥で濁った水底を好んで生息しているとか。

 でも、ネットで検索して出てくるノコギリエイの画像とはサイズがかなり違う。こっちの方が桁違いに大きい。どうなってるんでしょうか?

 まあ、世の中で写真に撮られてない巨大魚はけっこういて、これはたまたま通りがかりに写したということなのかもしれない・・・自分の中では魯迅の小説「故郷」に出てくる正体不明の獣、チャーみたいな存在になっている。

 UMAでもUFOでも何でもいい、そういう存在と接すると、その人の生が+α豊かになる。その人の内で何かが開くという言い方をしてもいい。この+αは、お金には換算できない価値です。考えてみれば、こういうのも原始的な豊かさの一つかもしれない。

  チャーは、海辺の砂地の畑に西瓜を食べに現れる子犬みたいな姿の動物で、すばしこく毛皮が油のように滑るので捕まえられないという話しでした。

 あれからずいぶん月日が経ちましたが、あの怪魚は今もダッカの川底の泥の中に潜んでいるのだろうか?

 

 YouTubeバングラデシュを観ていて、屋台めしなんか食べたいなと思いつつも、行きたいという想いはそれほど湧いてこない。今のダッカは、人口密度世界一の喧騒の街になっていて、自分の想っているところとはずいぶん違うようですから。

 昔のバングラデシュに行きたい。過去の世界なので、現実には、どこにもないところ。地球上どこでも、近代化と開発は進む一方なので、自分の親しい世界はどんどん消滅している。

 

 ところで、先週、親しい友人と雑談してたときふと言われました。「あんたの言ってることは、人の参考にはならないよね。エキセントリックな話ばかりで、言ってること事実かもしれないけど、役に立たないから」と。もっともな指摘です。

 

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