ヘリオトロープの香りと大脳タイムマシン

f:id:alteredim:20200703175114j:plain
 6月の花の香りといえばクチナシスイカズラヘリオトロープをあげたい。梅雨の真ん中、湿り気のある空気と生花のしっとりした香気が混じり合った水無月ならではの香りです。

 ・・・と、書きはじめたが、もう7月に入りました。

 今年の梅雨は、雨の日と晴れや曇りの日が交互に繰り返してる。近年は長雨、台風、それから連日、猛暑日の梅雨といった記憶ばかり残っていて、本物の梅雨は久しぶりです。

 アジサイは雨上がりの朝に見るのがいちばん映える。今年はそんな朝が幾度もあった。そういえば、以前は葉の上にカタツムリがよくいたのですが、最近は全く姿を見かけない。

 そうでした! 昨日の午前2時半ぐらいに火球が上空を落下してたようで、朝、ニュースで知った。爆発音も聞こえたという。残念、眠っていて全く気づかなかった。

 7年ほど前の深夜、家の中で火球の音を聞いていて、いつも見たい、見たいと思ってたのですが、いつ落ちてくるのか分からないし、見れないままでした(この話しは、少し前のブログ「トラフズク の鳴き声」に書いています)。

 これまで火球を何度かは見ているのですが、最後に見たのは15年ぐらい前か、少し落ち込んでいる。・・・横道に逸れていました。

 

 ということで、今回はヘリオトロープの香りに絞ります。写真(上)、紫色の花がヘリオトロープです。

 この植物はペルー原産で18世紀にフランスで園芸種として広まり、明治時代に日本に移入された。今頃の季節、小さな紫色の花が塊になって咲く。ときどき庭植えや鉢に植えられているのを見るが、どちらかと言うと、地味な目立たない花です。

  和名は香水草、匂ひ紫。香りの強さは、それほどでもなくクチナシなどに比べるとずっと控え目。そんなことからでしょうか、ヘリオトロープの香りに関心を持つ人はあまりいないようです。

  しかし、けっこう個性的で、癖のある香りです。 ヘリオトロピンという香気成分を含んでいて、これはバニラビーンズの香気成分でもあるので、第一印象はバニラっぽい香りですが、丁寧に香りを感じようとすれば、バニラビーンズよりも複雑で重層的な香りなのに気づく。 

 どう表現すればいいのか、比喩的に書くと、映画や小説を一瞬に凝縮したような香りです。

 香木の伽羅や沈香を焚いた香りも、複雑で重層的ですが、これらはゆっくりと玄妙に変化していくのに対し、生花のヘリオトロープの香りは一瞬の中に凝縮されている。絵の具を重ね塗りしていくとだんだん黒に近ずいていくように、いろいろな香りが重ね合わされた深重な香りです。

 ヘリオトロープは、もともと自然の状態でそんな香りなのですが、思い返すと香気を発する花の中でも、これほどの複雑さは稀で、人工的な香りと言っても通りそうです。

 19世紀後半、フランスで合成香料が開発され、現代的な香水が作られるのですが、その際、ヘリオトロープは調香のアイデアの源泉になったに違いない・・・と想像している。当時の調香師の職人さんたちの日記やメモ(が残っているとして)を調べれば、実証されるかも。

 

 実は、久しぶりにヘリオトロープの香りを聞いて(嗅いで)みて、20数年前、はじめて聞いた時の記憶が蘇ってきた。

 鉢植えの花を両手で持って鼻に近ずけ匂いを嗅いだ。その時、その場にいた人のことを、表情や仕草、それが20年以上前の年齢、人格なのが奇妙でしたが、ありありと存在感を感じました。眠っているときにみる夢よりも抽象的ながら、よりありありとしている。

 また、人の周りにはバブル期の世の中の雰囲気、日本社会の空気もありました。身体感覚にも近い、でも、もう少し体の外に広がった情感でした。

 香りから過去の記憶が蘇ってくるのは別に珍しいことでもなく、体験したことのある人はけっこういるのではないか。こういった体験のことをマルセル・プルーストの小説に出てくるお菓子のマドレーヌと紅茶の話しを引き合いに出してプルースト効果とも呼んでいる。

 

 ひとつ気づいたことがあります。というのは、はじめてヘリオトロープの香りと出会った時の記憶が蘇ってくるのであって、いわば一対一の対応で、その後、度々、同じ香りと接しているのですが、その時々の記憶は霞んでいることです。

 プルーストのマドレーヌと紅茶の記憶も、幼いとき、はじめてその香味を意識したのがその時だったからこそ蘇ってきたのだと思います。

 

 コリン・ウイルソンは、プルースト効果が起きるのは人間の大脳に備わっているタイムトラベル機能の働きによるもので、過去をありありと感じている時、実は過去に接しているのだと言っていました。

 1980年ごろ、今から40年ほど前ですが、 コリン・ウイルソンはこの大脳タイムマシン説に基づいた評論やSFを書いている。大まかに、こんな話しです。

 

 大脳タイムマシン説の前提として、現在、多くの人の懐いている「時間」という概念は全くの誤りで、そもそも時間は存在していないとコリン・ウイルソンは言っている。近年、物理学者の中にも同様のことを言ってる人がいました。

 時間が存在しないというのは、物理的な物体の変化を時間の経過と取り違えていることから生じる錯誤で、われわれが時間と言っているのは大脳(左脳)の創作した心理的観念だという。

 もし意識が極度に集中した状態になれば時間は消えるとも言っている。奇異なことを言ってるようですが、ふと、機械時計が作られるまでは、今の1分とか5分や秒単位の時間はなかったはずで、そのころは物事の前後関係は意識されていたでしょうが、それと時間は異なったもののように思いました。

 コリン・ウイルソンの大脳タイムマシン説は、19世紀ロマン派の詩人や宗教家、超常現象などの知識を組み合わせて作られている。科学、物理学や医学に基ずいているのではないからこそ、大胆なことも言えるわけで、それはそれでいいんじゃないかと思っている。

 考えてみると、時間にしろ意識にしろ現在の科学では、本質的なことは何も分かっていない。時間や意識の定義もはっきりしていないし、定義できるようなものなのかも分からない。ということでは、コリン・ウイルソンのようなアプローチの仕方もありなのではないか。

 ところで、最近はあまり耳にしませんが、当時は右脳と左脳の違いを解説した本がブームになっていて、コリン・ウイルソンも人間の意識や心、知性など、なんでも右脳と左脳の機能の違いに還元して説明していて、そのあたりは  ? ですが、ここでは深入りしません。

 

 宇宙と個人のすべての過去と未来は、人間ひとりひとりの大脳の中に、あらかじめ情報として存在している。 過去と未来は、新しいことを発見したり、学んだり、知ることで分かることではなく、あらかじめ内にあることなので、それとアクセスできれば分かることになる。過去と未来は、現在の中に隠れているわけです。

 しかし、人間はその過去と未来の情報にアクセスできないので現在しか分からない。アクセスできないのは、努力や能力の不足というよりは、アクセスする機能を自己抑制しているからだという。

 もし意識を過去にアクセスすることができれば、それがタイムトリップだと言っています。

 補足しますと、コリン・ウイルソンの言っている人間の中にある情報は、 読み方によっては、 銀河系の外のどこかの星の過去と未来、あるいは50億年前に地球に落ちてきた隕石のことも全て含めた情報のようにも、一方で、人類が生まれてから滅びるまでの時間的な範囲内の情報のようにも、どちらにも読めてしまい、このあたりは判然としない。

 コリン・ウイルソンは、結局、ストーリーテーラーなんですね。要は、本人の思いつきの直観をまとめあげたのが大脳タイムマシンなのだと思います。

 とはいえ、コリン・ウイルソンは24歳のときの『アウトサイダー』から晩年までブレずに一貫して人間の可能性みたいなことを書き続けた人です。だから、それが思いつきにしても、気まぐれに出てきたものではなく、本人の中で熟成されてきたものが表れてきたのではないかと思う。

 ということでは、コリン・ウイルソンの思いつきの直観にリアリティを感じられるか否かが核心で、矛盾点を詮索するのは野暮のようです。

 

 大脳タイムマシン説は、事実(?)かどうかよりも、夢があるというところに惹かれていました。

 現実はといえば、人間は半世紀前に月には行ったけど、それからたいして進んでいない。今世紀中に火星に行ければ上出来といったところで、時空をコントロールできるような文明にはほど遠いところにいる。

 大脳タイムマシーンは、誰でも個人で実現可能で、嗅覚をキー(鍵)にして過去にアクセスする一種の瞑想法と言えなくもない。

 ただ、いつの過去にアクセスするのかは、やってみないと分からない。おそらく一対一対応なので、いつかを自由に選べるようなものではないだろう。未来にアクセスするかもしれない。そのときは、未来のいつの日か既視感を感じる香りとして気づくときがくるのかもしれない。

 一般論としては、嗅覚は他の感覚器官よりもキーとして優れているように思われる。

 視覚や聴覚は、光や音を感覚器官がキャッチしたデータを大脳で変換して、それを大脳辺縁系が受けとる。そこで感情、情感が生まれる。一方、嗅覚は、匂いの分子を嗅覚細胞がキャッチしたデータを直に大脳辺縁系が受け取る。回り道をしてないわけです。視覚や聴覚より原始的な感覚ともいえます。

 そういったことから嗅覚の方が、よりダイレクトに強く感情、情感を揺さぶる。つまり、大脳タイムマシンのキーとして優れているわけです。

 キーになる感覚は、嗅覚に限らず人により音楽とか詩句とか、食べ物だったりとか、その他にもいろいろあると思う。そのあたりのことは、人それぞれの個性、気質の違いによりキーは異なるはずで一般論では決められない。

 例えば、ケガの古傷を見ると、ケガをした時の情景が蘇ってくることがある。これは文字のない古代の時代に記憶術として用いられていた連想法とも関連しているのですが、こういうのもキーになりうる。

 

 夏至の余韻でしょうか? 6月の花の香り、火球、アジサイヘリオトロープ、コリン・ウイルソンとずいぶんと話しがワープしてました。

 

  ☆世界の香など揃えたショップ。よかったらご覧下さい。 http://alteredim.com