遠くから見る山

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 下妻市の外れから見た夏の筑波山。30キロほど離れたところから撮っている。

 茨城県の下妻は映画「下妻物語」の中でも言ってましたが、何もない・・・というのは極端で、関東平野の真ん中に位置する広々としてきれいな田園地帯です。

 夏の青空と筑波山は、なんか自由を感じる。ずーっとどこまでも平坦な大地、空ってこんなに広かったのかと、ちょっとした感動。青天井って言葉、これでした。利根川も近く、坂東太郎の大入道(積乱雲)が雄大にそびえ立つ。

 そういえば、奈良時代ぐらいまでは蝦夷(えみし)の地で、朝廷の支配圏外でした。要するに、昔、ここは日本ではなかった。ここだけでなく、いま東京のある場所(武蔵)もそうでした。

 明治の初期には、自由民権派の先鋭的な人々が新政府に対して加波山で蜂起している(1884年加波山事件)。加波山筑波山に連なる山で、上の写真のもう少し左にあります。同じ年、そんなに遠くない秩父では秩父困民党の蜂起があった(1884年秩父事件)。共に「心に自由の種を蒔け」(オッペケペー節)ってことを行為で示したんだと思っています。

 そういったまつろわぬ民の歴史は郷土史の中にちょっと出てくるだけですが、言葉の端々から人々の集合的無意識にその息吹きが伝わっているのを感じる(察する)ことがある。

 この青空、大瀧詠一っぽいね、と言ってた人がいた。そっちの方面は疎く、聴かせてもらったら、言ってること分かるような気がした。

 離婚してキャンピングカーに生活用具一式を積み込んで暮らしている自由人が、下野(栃木県)、常陸茨城県)はアメリカに似ていると語ってましたが、こういった地理、気象や風土、人の気風などをひっくるめた印象のように感じました。

 なるほど、空の広さに感動するってことが、別の言い方をすると自由を感じるってことなんですね。いつも都会の狭い空の下、チマチマ暮らしているとそういう感覚とは縁遠く、なにかを新しく見つけたような気になっていた。ええ、自由を発見したわけです。

 

 筑波山は、東京から関東平野を北上していくと大地にぽつんと出ている姿がどこからでも見える。江戸時代の浮世絵には向島から隅田川の上流に筑波山が大きく描かれている。王子の飛鳥山からは田圃や湿地帯の原野の向こうに筑波山がやはり大きく見える。

 現在の向島や王子から筑波山がこんな大きく見えるなんて、ちょっと信じられない。左・歌川広重「名所江戸百景」隅田川水神の森真崎。右・同、飛鳥山北の眺望。

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 最初は、誇張して描かれているのかと思っていましたが、現在の東京のように人家が密集し、ビル、送電線、道路など人工的な構築物がなかった江戸の人々の目には、筑波山は本当に大きく見えたに違いない。

 

 だだっ広い関東平野、その東に住んでいるなら筑波山(871、877メートル)、西ならば丹沢山地の大山(1252メートル)は、誰でもすぐ分かる山です。ラクダのコブのように二つでっぱった形なのが筑波山、底辺がやけに長い二等辺三角形、偏平なピラミッドみたいな形なのが大山、と特徴ある形をしている。

 共に昔から信仰の山だったのは、遠くからでもひときわ目立っ山なことが理由だと思っている。理屈抜きに一目瞭然、目に見える形としてあるのだから誰もがその山が特別な存在であると意識する。カミが宿っていると感じられたはず。それは人間の自然な心理で、古代人もそう感じていたに違いない。

 現代に生きているわれわれは、誰でも簡単に世界中の情報と接することができるようになった。知識は豊富になっている。だから形の変わった山を見ても、そんな山、世界中、他にもあることを知っているし、そもそも山の形なんかに気をとめたりはしない。

 古代人のようにそこにカミが宿っていると感じる素朴な感性を失ってしまった。

 

  どこかで筑波山と似た姿の山を見ていたが思い出せない。書いていて浮かんできた。南インドの聖なる山、アルナチャラでした。アルナチャラは筑波山より低い山で、聖性は高さじゃないんですね。

 通天閣から奈良の二上山を探したとき、筑波山と同じラクダのコブのような形の山なので、土地勘のない者でもすぐに分かった。二上山も昔から神聖な山でした。・・・考えてみれば、日本の山はどこもみな神域とされてきたので、神聖な山とか言ってるのは野暮な話でした。

 別にラクダのコブ形だからというのではなく、一風変わっていれば、どんな形でもよくて、有名なところではオーストラリアのエアーズロックアメリカのデビルスタワーとか先住民の聖地がそうだし、そこまでコアではないですが、日本各地にもそういう山はけっこうある。だいたいの山は、それほど高くないので、地元、近隣の人達に知られているぐらいですが。

 要は、普通の形ではないところにポイントがあるのだと思っているわけです。

 

 筑波山も大山も30~40キロから60キロぐらいの距離から見るのがいい。この場合、その距離の間に他の山が存在しない平野から見るのですが。

 筑波山も大山も登ったことはない。登るってことは、その山自体は見えなくなるわけで、それよりは見てる方がいい。それも、近くで見るより、ちょっと遠くから見るのがいい。

 朝と夕、天気、季節によって変わる山の姿をただ見ているだけで満足してる。これは瞑想なんだなとも思っている。日想観って浄土宗の流れを汲む観想法がありますが、まあ、広い意味で瞑想といってもよく、観想の対象を太陽から遠くの山にしたようなもの。

 

 東京の西側、三軒茶屋キャロットタワーの展望台から大山は60キロ、筑波山は100キロといった距離。そこから見る大山は、富士山の裾野をつい立のように遮っている。背は低いが横幅が広いので目につく。筑波山も都心の向こうに見えますが遠いのでちっちゃく存在感は薄い。

   登戸からだと大山までの距離は、45キロになり、見た目、ぐっと迫ってくる。

 三茶の展望台の下を通っている246は、溝の口、厚木を経て大山に至る大山街道と呼ばれていた。江戸から大山街道を歩いていくと、常に、前方に大山が見えていた。

 筑波山も大山も、昔の人々の目には、今とは違って、もっと大きく、特別な存在に見えたはずだ。江戸開府以前の15世紀ぐらいまで原野に見えていた筑波山や大山を見てみたい。

 

 つい立てで思い出しました。東京から富士山を見るとき、常に丹沢山地がじゃまして裾野が見えない。子供のころからずっとそんな富士山を見てきたので、それが当たり前だと思っていた。

 しかし、埼玉県の春日部あたりから見る富士山は、190キロと距離はさらに離れますが、間を遮る山がなく裾野まで見事に見えました。春日部は絶妙な位置にあり、丹沢山地奥多摩の山々の切れ目の隙間から富士山を見ていることになる。

 地形的に隙間は僅かで、絶好のビューポイントです。この富士山は、他の地からは見られない秀逸さがありました。新4号国道バイパスの春日部あたりから見えます。

 あまり関係ない話ですが、バイパスは原野や畑、田圃、林を切り開いた新しい道路で、一般道なんですが、武蔵(埼玉県)から下野(栃木県)に入るとみんな100キロぐらいのスピードで走ってるんですね。

 ついでに、静岡県三島市から見た富士山は50キロぐらいで、近い分、裾野の広がりが一望に望め雄大な荘厳さがありました。駅から見る富士山は、手前の山からヌッと迫り出していて、ゴジラの顔がアップで出てくるシーンを思い出した。知らないで、突然、この富士山を見たらびっくりするんじゃないか。

 平地から見る山は、距離と地形の位置関係によってずいぶん見栄えが違います。

 

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