浅草寺仁王門のかな輪
木村荘八の『現代風俗帖』(昭和27年、東峰書房)に以下のような一節がありました。終戦後、間もないころ浅草寺を訪れたときの話です。昭和20年3月10日の空襲で下町一帯は大きな被害を受け、浅草寺も本堂、五重塔、仁王門をはじめ主だった建物は焼け落ちていた。
上の写真は焼失する前の仁王門。戦前の絵葉書です。
「まだその時は仁王門の焼け跡がよく整理されていずに、私はそこで、門の金具として打付けてあった、鉄瓶の蓋程の大きさの、かな輪を拾って来ましたから・・・そこらじゅう未だ戦跡の片付いていなかった、生々しかった頃です。」
仁王門は1964年、東京オリンピックのあった年、鉄筋コンクリートで再建され、宝蔵門と改名された。仲見世通りから本堂に向かうとき通る大きな赤い門で、長さ4.5メートルの大草鞋(わらじ)が掛かっている。コロナ騒動が起きる前は、海外からの観光客が門の下でよく記念写真を撮っていました。
仁王門が建てられたのは江戸時代初期の1649年、同じ年に 本堂(観音堂)、前年に五重塔が建てられている。戦前、観音堂と五重塔は国宝になっていた。当然、同時期に建てられた仁王門もそれらと同格に目されていた。
しかし戦災で三つとも焼失、江戸時代に作られ、いま残っているのは二天門、六角堂、橋下薬師堂、被官稲荷のお堂と小ぶりな建物だけ。二天門は近年、改修され真新しくなっているし、被官稲荷は幕末に作られたものなので、古色のある建物はほとんどない。
ついでに一言。浅草神社(三者様)の裏にひっそり建っている被官稲荷は、僅かに江戸時代の気配が残っている希な空間です。まず気づくのは、建物内部のスケール感、その頃の日本人の身長、体格は今とは違ってたんですね。また、周りはすっかり観光地化していますが、死角みたいな場所に建っていることもあり、この内部には江戸の庶民信仰が今も息づいてるのが見てとれる。
ここは浅草をシマ(窟)にしていたテキ屋・博徒兼火消し(消防組織)の大元締めの有名な人物の奥さんがキツネに憑かれて難儀していたのをこのお稲荷様が救ってくれたことから建てられた社です。・・・現在、被官稲荷の前に置かれているプレートは、体裁というか品位を気にしてか、キツネの話しはぼかして書かれていますが。
・・・伝法院にはタヌキを祀った社があるし、タヌキ通りには願掛けタヌキがあるとか、キツネに憑かれた、タヌキに化かされたといった話しは、現代だとメンタルヘルスの領域になるのですが、江戸時代の人々の心はキツネやタヌキの動物霊と感応していたってことかと思っている。
被官稲荷を訪れるなら夜、まわりの雑多なものが闇に紛れて見えなくなるのでここで書いていることがリアルに感じとれます。
もう一言だけ。木村荘八(1893〜1958)といえばなんと言っても『濹東綺譚』の挿画です。永井荷風の文章に劣らずというか、戦前の玉の井界隈を描いた挿絵は、文章に勝る風情、情感がある。
『濹東綺譚』は、もともと新聞の連載小説として書かれている。荷風は、偏奇な人物といった面ばかり語られているが、仕事面では読者にウケる文章を作れる器用な人だったのではないか。一方、挿画は文章の脇役ながらも、というか脇役だからこそ木村庄八は自分の個性をそのまま出して仕事ができた。その辺りの違いを感じるのかもしれない。
この人の描いた街並みや路地、私娼窟の長屋、めし屋、飲み屋などいいですね。場末美というか、夜の街の情景はすごくいい。ペン画は、相性がいいようで、それもまたいい。一方、女と男、人物、動物などの描写は、それほどではないように思える。
個性的ってことは、あんまり器用じゃないこと、得手、不得手がはっきりしてるってことなんでしょうか。
木村荘八の拾ってきたかな輪は、けっこう由緒あるものでした。かな輪は玄関あたりに吊るしていたんでしょうか。下に苔玉を吊るしてもいい。
なにげなく焼け跡から拾ってきた物がお宝だった。そういうことって、ままあるのではないか。昨年、パリのノートルダム大聖堂の屋根、尖塔が火災で焼失した。世界遺産にもなっている建物で、大きく報じられた。
焼け跡から尖塔の先端に付いていた銅製の風見鶏を見つけた人がいて、奇跡的だとニュースになりました。写真の左は、焼失する前の尖塔の先っぽ。右は、発見者が現場近くの路上で手に抱えているところ。
写真を見比べると、尖塔の頂点の90メートル以上の高さから、それも火災の中に落ちたにしては状態がいいように思える。奇跡的と言ってるわけですね。
このケースでは見つけたのが作業関係者の一人で、すぐに公になりましたが、もし、その人が黙って自分の家に持ち帰っていたら、焼失したということで終わっていたはず。サイズ的にも持ち出そうとすれば、可能な大きさですし。
こういった話しは、焼け跡だけではなく災害、戦乱・紛争、盗掘・盗難、間違い・手違いによる紛失とか、いくらでもあるようです。
発掘品でも、いちばんいいもの、価値あるものは、公になる前に誰かが持っていっちゃってるのではないか。発掘現場を取り仕切っている当事者も気づいていないところで、現場の警備員とか、作業の手伝い、近くに住んでるオヤジなんか怪しい。
美術館や博物館にあるものよりも秀でたものを隠し持ってる人は大勢いるはず。
ピラミッドに収められていた物品から正倉院の宝物まで、かってイギリスやフランスが自国に持っていった世界各地の文化財も、故宮博物院の収蔵品も、最近ではイラクでISに破壊された発掘品も、三国志の曹操の墓に埋まっていた遺品も、その他きりがないですが、誰かに中抜きされているはず。
持ち出すにはサイズの制約がありますが、いいものから先に持っていくのは自然の流れでしょうか。また、中抜きに限らず、落とした、忘れたの類でどっかにいっちゃって、誰かが持ってるものもあるはず。
そういう物の一部は、市場に流れている。でも多くは映画の「タイタニック」の結末で「碧洋のハート」っていうダイヤのネックレスがトレジャーハンターの手を逃れ、密かに海に捨てられてしまうのと同じような運命を辿っているはず。
・・・さっきから「はず」ばっかりですが、まあ、このあたりは人智を超えたことなので。
レオナルド・ダビンチの作品も、まだ知られていない絵を誰か持っている人がいるはず・・・テレパシーで分かる(と、思っている)。
もしどこにあるか分かったら『黒蜥蜴』(江戸川乱歩)の緑川夫人のように「この世の美しいものという美しいものを、すっかり集めてみたいのがあたしの念願なのよ」と言って盗んじゃう? いえ、そういうやり方は小乗的でなんか反りが合わない。それを国家としてやったのがイギリスやフランスの帝国主義でしょ。
と思いつつ、でも映画「Vフォー・ヴェンデッタ」のV(主人公)も緑川夫人と同じことしてるんだけど、Vの方は許せるような気がして、どうも一律には言えないようです。
何でも念力で引き寄せることができるのではないかと思っている。それは誰でも可能、でも、普通に探しても出てこないのも当然。カネ目当ての欲で探しても無理。プロだから、専門家だからどうかなるって話でもない。
想念を練りに練って、極まるところまでいくと、そこは無色界で無欲の世界、すると自然に向こうから転がり込んでくる。外見上は、偶然、手にするという形になるのですが、それは起こされた偶然なのではないかと思っている。
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