エノキとムクの実はおいしい/縄文文明と木の実

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 8月下旬、公園のエノキ(榎)の木の下に小さな赤い実が落ちていた。まん丸の球形で、小豆色やオレンジ色に近いものなど地面にたくさん転がっている(上の写真、左がエノキの実。右はムクの実)

 前から鳥がよく集まってくる木だなと思っていた。 枝先の実をヒヨドリオナガメジロがついばんでいる。 本には人も食べれると書いてあったけど口にしたことはない。気になり、拾って何粒か食べてみた。

 仄かに甘みのあるアンコのような味。木の実なのに、お饅頭やたい焼きのアンコと同じ味がするのがなんとも不思議。果肉に水気がなく粉っぽい。そんなところもアンコに似ている。これは案外、いけるんじゃないか。

 きれいに洗った実を人にも食べてもらったところ、白あんのような味、確かにアンコっぽいと好評でした。

 しかし、小さくて食べたという気がしない。測ってみたところ直径6ミリ、中に硬い種が一つ入っていて果肉層は薄い。それならということで20粒ほど口に入れた。でも、種が気になり食べづらい。

 たくさん集めてペースト状にしてみようか。パンやお餅につけたらいいかも。乾燥させればこな汁粉もできる。しかし、いざやってみると、100粒ぐらいでも僅かしかできない。果肉の量が少ないので手間がかかる。

 ということで、どうも食材にするのは難しい。9月の中旬になると、実が硬くなってきて食べるのには適さなくなる。来年、もっと効率的な方法を試みようと、今回はここまででした。

 

 エノキと次に取り上げるムクは一見、似た樹木です。エノキもムクも里山や郊外でよく見かける木で、見分け方として葉の形が違うので分かる。特に、葉の表面を指で触るとザラザラしているのがムク、ここを覚えておくといい。

 しかし、ともに高木で葉を採るのが大変なときもある。そんなときは、幹を見ても分かる。人の身長の目線の位置なので楽です。

 エノキの大木の幹は白灰色から褐色で、象の足を太く長くして、それがすくっと直立したように見える。根元から幹の先を見上げると聳え立っている。幹の根元を見るとタコの足のような根が地面に伸びている。・・・う~ん、書いていて、エノキとムクの幹の違いを文字や写真で説明するのは難しいかも。それぞれ個体差があるし、樹齢によっても変わってくるので。

 でも、幹をたくさん見ていると、違いのパターンも自然に分かってきて、それぞれの特徴を集合的に掴めてくる。何度も繰り返し見ていると分かってくる。

 そうしていると、特徴に当てはまらない部分があっても、全体的な判断として、こっちだと分かるようになる。このあたり、中国の陶磁器を見るのと似てるなと思う。

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 写真の左は、根元から見上げたエノキの幹。雨上がり、緑色の苔に覆われた幹が目に映える。右は、ムクの幹。地面にヒダのように広がる板根は迫力がある。

 写真でも分かりますが、エノキもムクもシイ(椎)の木に囲まれている。共に鳥が他所からシイの林の中に種を運んできて芽を出し成長したものです。

 いろんな木の幹を見比べるのも面白い。理想的には手つかずの原生林の木であればいいのですが、公園に植えられる木は定期的にきれいに剪定されているので、それはこの辺りでは無理っぽそう・・・。

 同じ種類の木でも一本、一本異なる個性がある。古木の太い幹は、そこに長い時間が蓄積されている分、個性がより強く現れているように感じる。

 幹の膨らみや節くれ、瘤や洞、筋のおうとつ、樹皮の色模様、地肌についた苔や寄生木、虫食いや腐朽の跡も、根元から出てきた「ひこばえ」(新たな芽)も、見ているとけっこう味わいがあります。

 そうでした・・・この公園は、昔は長州藩の関係の霊廟だった敷地で、戦前、まだ公園になる前、クロマツ(黒松)とシイが植林されている。二種類の木を東と西の二つのブロックに配置し、それが現在は林になっている。

 いつだったか、朝、シイの林を歩いていたとき、妙にメンタル的に鎮まっていることに気づいた。照葉樹林なので下は光が抑えられ、自然に魂と魄が鎮まり、いわば軽い鎮魂の状態に入っている。また、クロマツの針葉樹林は空が明るくすっきり清涼、こちらは心身が清められる。

 ここでメンタル的にと言っているのは、内臓系の心(三木成夫氏の言葉だと腸管系・血管系・腎管系の植物性臓器が司っている心)のこと、別の言い方をすると魂魄のうちの「魄」の方のことです。

 この二つの空間は当時、木々が人にメンタルな作用を及ぼすことを知っていた造園家(?)が、意図的に計画して作ったのではないか? 

 ということで、原生林ではなく、人の作為が入っている林ですが、それはそれで面白い。

 

 9月に入るとムク(椋)の実が落ちはじめた。ムクの大樹の下にたくさん落ちている。ムクやクスノキ(楠)は成長が早く、樹齢80〜90年でけっこう大木になる。苔に覆われ、樹皮が剥がれて樹齢何百年かという古木の風格を漂わせていても、意外に若かったりする。樹齢150年ぐらいのケヤキ(欅)に匹敵するというか。

 ムクの大樹は「板根」と言って、幹の下が張り出したヒダ状になる。こんな大樹が一本あると、その周りの空間が亜熱帯のジャングルのような雰囲気になります。宮崎駿のアニメで描かれる森にもこんな木が出てきた。夕方、日が陰ると、魑魅魍魎の気配が醸し出され、なんかワクワク感がある。

 ムクの実は、エノキの実より少し大きい(直径約8ミリ)。エノキの実より僅か2ミリほど大きいだけですが、見た目も違いを感じる。

 8月下旬、緑色の実が落ちているのに気づいた。でも、緑色の実は、まだ硬く味もない。熟してくると黒く萎んだ実になり、それが食べごろ。

 口にすると、甘酸っぱいブルーベリーのような味。これはジャムにもなる。こちらもなかなかいけるんじゃないか。

 しかし、熟した実は地面に落ちてきた時点で、潰れた状態のものが多いというか、薄い外皮が裂け果肉に土がついて食べるのには抵抗ある人も多いかも。枝についている実を採ればと思われるかもしれませんが、ムクもエノキもけっこうな高木で、細い枝先についている小さな実を一つ一つ採るのは大変で、難しいのではないか。

 結局、木の周りに落ちてきたものを集めるしかないようです。

 ・・・ところで、日本は野生の果実が豊富だという話がありました。ほんと? そういう指摘、初めて耳にしました。その中でもエノキとムクノキの実は「かなりおいしい果実」だと言われている。以下、引用してみます。

 

「日本の植物相には、野生の果物が非常に豊富である。キイチゴ類は、世界一種類が多く、日本全土にわたって分布しており、主に二次林クヌギーコナラ林やアカマツ林のなかでみられる。・・・

 日本の北半分には、ヤマブドウ類やサルナシなどの優れた果樹が野生しているが、これも野生利用にとどまった。

 また、日本の南半分にはエノキ、ムクノキのような大木がどこにでも野生しており、小さいがかなりおいしい果実がなる。エノキは「餌の木」から名付けられたの説もあり、食用として有用である。しかし、このふたつとも今日では見捨てられている。日本原生の果樹で発達したのは、ただひとつ日本梨だけで、ほかにはナッツの栗があるだけである。」(杉田直儀「週刊朝日百科 世界の食べもの 日本編 24 野菜・果実」)

 

 エノキ、ムクノキがおいしい果実というのはもちろん同感、一方、食用にするには実が小さく量が足らないし、採取が大変なので見捨てられているのもしょうがないとも思う。

 引用文の文末で栗(クリ)を挙げている。クリは種実類と言って硬い殻や皮に包まれた木の実、いわゆるナッツ・・・ナッツという言葉からは、アーモンドとかカシューナッツとかピスタチオなどスナック、お菓子を思い浮かべるのですが、クリもナッツなんですね。

 

 縄文時代の日本人(?)は動植物、魚貝類などいろんなものを食べていたが、主食は、クリ、クルミ、トチノミ、ドングリなどナッツでした。栄養的にクリ、トチノミ、ドングリはデンプン質で穀物の代用になった。

 今回、エノキ、ムクの実がなんとも小さいとボヤいてましたが、ドングリはそれに比べると一粒が大きいし、一本の木からそれこそうじゃうじゃ採れる。木の下に歩く場所がないぐらい実が落ちてくる。クリやトチノミは、うじゃうじゃとまではいかないですが、一粒がずっと大きい。

 縄文時代の中期から後期にかけて人口と集落数、建造物や土偶、土器、漆器の製作などの文化は、地域的に東日本に偏っている。青森県三内丸山遺跡のような数百人規模の砦というか村落もあった。最大時は500人が定住していたというから狩猟採集社会のイメージとはずいぶん違う。

 縄文人の暮らしは、現代人の感覚だと自然の中でサバイバル生活をしているのと同じで、それにしてはよくそんな規模の村を作れたものだとびっくりする。遭難してなんとか生き延びるというのではなく、持続的な共同体を築くのですから。

 サバイバル生活の必須条件は、水、食べ物、火、雨風をしのぐ寝ぐら(住居)があることの四つ。その四つが確保できれば、なんとか生き延びられる。

 サバイバル生活を体験する海外の動画がネットにアップされている。熱帯のジャングル、砂漠、北極圏、山奥、無人島などでその四つを確保するため知恵を絞り工夫するシーンを撮っている。毒ヘビやワニ、クマなんかに遭遇する場面もあるのですが、終始、能天気なノリで次はどうなるかとつい観てしまう。

 水と火と住居の三つは日本の風土ならばどこでも確保できたでしょうが、食べ物、それも安定的に人口をまかなう量が採れるという条件はどこでも満たされた訳ではなかった。

  日本の森の植生は、東西の二つに大別される。本州の中部から東、北海度の半分ぐらいまでは温帯落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)、西は中国、四国、九州と暖温帯常緑林帯(照葉樹林帯)に分けられる(佐々木高明氏の説による)。

 クリ、クルミ、トチノミ、ドングリは、東のナラ林帯で育つ木の実なので、中期以降の縄文人の生活圏が東日本に偏っているのは、結局、植物の植生によって決まってきた。

 

  縄文中期は、世界で最も高度に発展した石器文明だったのではないか。人類の文明の趨勢が農耕・牧畜から都市が生まれ、文字や金属を作る世界に移行しつつあった時期に、石器文明をベースにしたまま木や草、鉱物、土=セラミックスを素材にして発展していくのって奇妙な感じですが・・・ああ、後のマヤ文明もそうでした。

 縄文人はそういう生活を一万年も続けていたなんてその長さ、まさに悠久って言うのでしょうか、こういう文明のパターンもあるんだとすれば、凄いなというか、他人事みたいなこと言ってますが、日本人はその末裔なんですね。

  ついでに、別コースの発展パターンということでは江戸時代の和算も似ていたなと思う。他の文明と比較すると、縄文文明は、生産力の技術よりも土偶や土器のデザインや装飾性に見られるように美的な感性を極めていく方向に進化していったようにも感じる。

 

 一方、21世紀の現在も、少数ながら石器時代と同じような生活を続けている人々がアマゾン奥地やベンガル湾北センチネル島ですか(あるいは他にもいるかもしれませんが)いるので、人間世とは、そんなものなのかもという気もする。

 そんなものってのは、人間世はこの数千年間は前に進むだけだったので、そのパターンでこれからもそうだと思っているけど、全てを疑えじゃないですが、本当は前に進むのも、止まるのも、後ろに進む(後退する)のも、潜在的可能性として全てありなのではないか。

 アメリカの遺伝学者、ジェラルド・クラブトリーという人が、人類の知性は狩猟採取時代の2000~6000年前にピーク達し、その後、知的、感情的な能力は徐々に衰えているという仮説を発表していました。言われてみれば、そんな気がしないでもない。

 2000~6000年前(0.2〜0.6万年)というと、文字を使いはじめた時期、そのあたりが人類の能力のピークで、それから現在までいわばその惰性でやってきたということになる。

 人間世の起点をどこにするかで変わってくるのですが、道具(石器)を作った時点とするとおおよそ300万年ぐらい前、火を使いはじめた時点とするとこれは諸説あってはっきりしないが一声おおよそ50万年ぐらい前、はじめに言葉ありき(言語)とすると5万年〜10万年ぐらい前。   

 0.2〜0.6万年は、全体としては比較的短い時間なので、渦中にいる自分たちには、まだトレンドがはっきり見えないのかも。直近の0.02万年前に産業革命が起きたので、それで勘違いしてるなんてことないでしょうか?

 ふと、夢想するのですが、1万年後は、現在とあまり変わっていない、あるいは縄文文明やマヤ文明みたいな世界になってるとか、そんなパターンもあるのかも。「猿の惑星」は後退する方のパターンの未来でした。猿の代役がAIだとしても同じことになるですが。

 

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