「博物館のいっぴん 」展

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 足立区立郷土博物館の「博物館のいっぴん 」展にいってきました。

 「いっぴん」って、どんな物が展示されているのか・・・「博物館では歴史・民俗資料をたくさん収集保管しています。めずらしいもの、貴重なもの、面白いもの、博物館資料のなかから、ちょっと楽しいコレが「すごい!」を紹介します。」(案内文)といった内容。

 要は、収蔵品の中からふだんの展示企画ではあまり出番のない珍品を選んでみましたってことです。 言葉は悪いですが、ガラクタとの線引きが難しいものも含まれている。

 この企画を知ったとき、江戸時代後期に変な物(奇物)・本(珍書)を集めてきては批評し合っていた「耽奇会」、また昭和のはじめにそれを再現した「新耽奇会」とつながる匂いというかオーラを感じ、見にいかなきゃという思いになりました。

 展示されているのは主に足立区内に関係した物品がですが、このあたりは昔から「東郊」(江戸・東京の東の郊外)という文化圏で括られるので、そのエリアともいえる。大まかに足立区、葛飾区、江戸川区に広がる地域です。

 企画展は、主に明治以降に作られた珍品の類いと、江戸時代から幕末の布告、高札、算額などの二部構成になっている。ここでは前者の珍品の方を紹介します。併せて常設展示品の中で面白いなと思ったものも選びました(そうでした、今月の8日までの開催期間ですでに終了していますが、常設展はやっています)。

 以下の説明文は、会場の解説文を要約したものと、そのままの引用、それに私見が入り混じっています。横道に逸れているのはだいたい私見です。

 

 上・左の写真「張り子心臓模型」

 医学教育用の教材の心臓模型、思いっきりキュートな彩色に目を見張る。外側を取り外すと、心臓の内部が見え、精緻に作られている。動脈、静脈が色分けされきれいに塗られている。

 見た目、これが一番インパクトがあり、「すごい!」ということで会場の入り口に展示されているのだと思いました。この企画のポスターにもこれが載っている。

 いつ頃のものか解説はないですが、状態からして昭和の戦後に作られたものだと思いました。

 この模型は、人形のダルマさんと同じ張り子の作り方で製作されています。工程としては、型にすき返し紙をはって重ねて、それから型を抜く。そして、上に和紙を貼り、切り口には板を貼って、上塗り、彩色とまさに職人技です。 

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 左・「木製の洗濯器」 

 大正11年に実用新案登録された手動の安倍式洗濯器。中は見えないので仕組みは分かりませんが、洗濯板を用いていると解説にありました。

 昔、洗濯物は手でゴシゴシ洗っていた。大正時代に洗濯板が普及し、昭和30年代に電気洗濯機が登場するまで、一般家庭では盥(たらい)に洗濯板を置いて洗濯していました。

 当時、家電の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と呼ばれていました。考えてみると、そんなに大昔のことではないのですね。

 右・「栓抜器」 

 ビンのコルク栓を抜くための道具。てこの原理で栓を抜く、現代でいえばワインオープナー明治41年に実用新案登録されている。洗濯器にしても栓抜器にしても街の発明家が作ったもので、全国各地にこういう発明家がたくさんいた。農村部にも新しい脱穀器や種まき器など農機具を作った発明家がいて、一部は各地の資料館などに保存されています。

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左・「人体解剖模型」 

 こちらも和紙を貼って作られている。こういった人体模型は、江戸時代の終わりころから作られはじめ、その後、技巧がさらに巧みになり、戦後は海外輸出もされていたという。プラスチックなど新素材が登場することで、時代遅れになり廃れていった。

 解剖模型や骨格模型、それに鯉のぼりや大凧など、区内には和紙、張り子の職人さんたちが大勢いたようです。そういえば、幕末・明治期の見世物に生人形がありました。あれは不気味なほど妙にリアルな造形で、職人さんたちの間につながりがあったんでしょうか?

右・「骨格標本のパーツ」 

 展示には全身の骨格標本(模型)もありました。でも、見るからにガイコツ(あたり前か)、なんかホラー的な感じがして、その写真はパス。総じてホラー的なものは、映画でも小説でもどうも嘘っぽくて面白味がないように感じるのですが。

 写真は、背骨と足の指の骨の未完成品。古紙で形を作り、加工、彩色して完成させます。いっしょに右側に写っているのは和装マネキンのボデイで、これも古紙で作られている。

 そういえば、去年、区内の空き家で500人分の人骨(インドから持ち運んできたもの)が見つかってニュースになりました。骨格標本を製作していた会社のストックだとか。ダンボール箱に長年放置されたままになっていて、一部、箱が破けて庭先に骨が転がっていた。

 骨格標本の場合は、状態の良し悪しが問われるので、本物よりも模型の方が適しているように思われるのですが。

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左・「名物看板だった下駄」

 千住4丁目の旧日光街道沿いにあった下駄屋さんの店先に飾られていた大きな桐下駄。ふつうの下駄の50倍の重さとか。長さ40センチぐらいか(?)。幕末、下駄の産地の会津で作られたものだそうです。

 この下駄は、店の看板になっていて、あまりの大きさと派手な赤い鼻緒にみんなビックリ、街道を通る人々の目印になっていたという。いま郷土博物館に収まっているのですから、往時の千住で知らない人はいない存在だったのだと思う。昭和39年ごろ店先に飾ってあるモノクロ写真も展示されていた。何代かにわたり100年は店先にあったことになる。

 ところで、明治後期に見つかった安藤昌益(1703〜1762)の『自然真営道』の稿本(手書きの清書を冊子にしたもの)は、この下駄屋さんの近くの穀物問屋に約150年間秘蔵されていたんですね。江戸時代、本の内容が公になれば首が飛ぶようなことが書かれていたので隠されていたわけです。

 昌益は秋田の大館で生まれ、青森の八戸で町医者をしていたこと、大館で没したことは分かっているが、それ以外のことはほとんど不明、肖像画のようなものも残っていない。時代は赤穂浪士の討ち入りがあったころ、階級、身分を否定した世の中を構想していた。

 当時、千住には昌益の話を聞く非公然の集まりがあった。千住の宿は江戸市中の郊外だったので幕府の目につきずらかったことがある。その集まりのメンバーが本を保管し、そのまま時代が移り変わりタイムカプセルみたいになっていた。

 長い眠りから覚め世に出てきた『自然真営道』は、その後、当時の東京帝国大学附属図書館が購入するのですが、関東大震災で大部分が焼失してしまった。

 昌益の思想については、いろいろ考えてきたことがあるのですが、それはまた別の機会にということで一言だけ、この人は「すごい!」ですね。

 ・・・あまり関係ない話ですが、築地の場外市場で、店先にヤマネコの剥製を置いていた乾物屋さんがありましたが、あれはどうなってるんでしょうか。

 ヤマネコといっても豹、ピューマぐらいの大きさで猛獣といった感じ。市場の路地の角にあって目印になっていた。ああいうのも名物看板(店のシンボル)。また、看板娘って言葉もありました。笠森お仙、柳家お藤、蔦屋およしから始まって、今だとアイドル、だから人間でもいいんですね。

 たぶん全国いたる所に、この手の人の目を引く名物看板があるのではないか。

右・「紙製の鯉のぼり」

 長さ4メートルとけっこう大きい。和紙は丈夫で色もつけやすい手ごろな材料だったので、昭和の中頃までは和紙の鯉のぼりが作られていたという。江戸時代の鯉のぼりは黒い色で、錦鯉の赤が作られるようになったのは明治以降のことだそうです。

 鯉のぼりの胴体が風に膨らんだ姿を想像して思ったのですが、戦時中のアメリカ本土攻撃用の秘密兵器、風船爆弾も和紙で作られていた。爆弾を付けて太平洋を横断するぐらい丈夫にできている。その製作には、こういう職人さんたちの技がベースになっていたのではないか。

 風船爆弾の材料は和紙(コウゾ、ミツマタの繊維)とコンニャク糊、それに麻紐でしょ、そして細菌兵器を搭載する案もあったようで、素材がみんな草食系というか、地下資源に乏しいことから省エネ・エコロジー兵器(?)みたいな方向に進化していった(いくしかなかった)ことが分かる。このあたり日本的だなと思う。 

右の奥・「大凧」

「足立区梅田界隈では、昭和時代の初めころ和紙をはりあわせて大きな凧をあげることが行われていました。」(解説文)。和紙をはりあわせて大きな一枚の紙にしたもので作られている。凧は、大正時代、千住の名産品の一つだったそうです。

 当時、凧揚げは大人の遊びで、大風が吹くと一日中凧揚げをしていたとか。・・・バリ島が毎日、そんな感じでした。クタの空にはいつもたくさんの凧が見えていた。郊外を歩いていたら車ぐらいの大きな凧が路地に不時着していて、通行できなくなったりもしていたのを思い出しました。

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千住大橋を描いた欄間」

 地元のお大尽の家にあった欄間だそうで、横幅3.6メートル、「大正14年5月 貞卜作」という銘が記されている。「木材の木目や節を川の流れに見立てて背景とし、そこに橋脚、筏をあやつる船頭、船を木、貝、鉄などをはめ込む象嵌の技術を使って表しています。」(解説文)。

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左・「輸出用セルロイド製品」

ここからは常設展示品の中から面白そうなものをピックアップしてみました。「アジア風俗を表現したミニュチアの置物のセットと帆船、象牙風、鼈甲風に色づけされており、セルロイドの加工しやすく、着色しやすい特徴がよく生かされた製品である。」(解説文)

右・「松本昌久作 手彫り花札牌」

「通常使われるものではないが職人が腕試しで彫った花札牌。花札の細かな絵柄が、麻雀牌と同様の彩色を使いながら見事に表現されている。」(解説文)

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左・「文化フライ」

 地元のソウルフードですね。一見、ハムカツに似ているが、ハムの入っていないハムカツといったところ。文化フライも次のポッタもどこか戦後のヤミ市の雰囲気がある。自分の勝手な造語ですが、テキ屋料理っていうのがあり、それに含まれます。

 「ガムシロップを入れて練った小麦粉にパン粉をつけてあげたものです。梅田の長谷川商店が発案したもので、西新井大師をはじめ下町の縁日で長年販売されたため、懐かしい味として思い出す多くのファンがいます。」(解説文)

右・「 ボッタ」

 こちらも地元のソウルフード。「足立区周辺では水で溶いた小麦粉を焼いた「もんじゃ」をボッタと呼び、子供たちに人気があり駄菓子屋の鉄板で焼きました。値段が安く、具はほとんどなく、鉄板にボタボタと落とすことからついた名前といわれています。」(解説文)

 これは以前、駄菓子屋さんで食べたことがある。 地元の人に車で店まで案内されて行ったので場所ははっきりしない。舎人ライナーの高架が近くに見えた所でした。あれが開通したのは2008年なのでそんなに昔しというほどでもない。

 味はよく覚えていませんが、ランドセルをしょった小学生たちが下校中、寄り道して食べていたのを覚えている。

 

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