芳村正乗の書、西郷と明治天皇、 宮古島のパルダマ

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 神の字の「申」がクルクルと回っているのはカミの顕現と見た。カミの憑いた字。トランス状態になって書いていたのではないか。神と言っても、聖書やコーランの神ではない。神社に祀られている神々が登場する以前の弥生時代アニミズムのカミ。

 古事記以前の時代、人々はカミをこんな存在だと考えていた。「カミは姿形がなく、物や場所に固着・定住せず漂動し、招きに応じてそこに来臨し、また人間にとりつき、カミガカリして宣託するという根本的性格を持っていた。」(『日本人の神』 大野晋

 カミは姿の見えるものではなかった。では、どうして人はカミの存在を認めたのかというと、視覚以外の感覚の異変、あるいは気分、気配、目眩のような意識の変化が起きたのではないか。それをカミとした。人にとりつく、神懸かりするというのも、変性意識状態の人を客観的に語るとそんな描写になるのではないか。

 目には見えないが、何かがいる・あるという確たるリアリティがなければ、カミは生まれなかったはずだ。これは、どこかの本に書いてあったことではなく自分の思いつきみたいなものですが、そうだとすれば、「申」の渦巻きは、書き手の意識状態を具現化したものと見ることができる。

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 幕末の尊王派の武士で、明治時代の宗教家、芳村正乗(よしむらまさのり)という人の書です。偶然、別々のところで正乗の書を何点か入手したうちのひとつ。

 なんかミロの絵にこんな感じのがあったんじゃないかと探してみました。正乗の書もミロの絵も、共にアニミズムが蠢動してるように感じている。

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 書画骨董の中でも、書は敷居が高そうで、手を出すには抵抗があった。それでも、日本の家屋から床の間が消えていき、世代が代わっていくに連れ、掛け軸や書が安く出まわっている。

 安いから買うという情けない動機なのですが、つい・・・。江戸時代の文人や幕末の志士の書で目についたものを買っていた。偏屈、隠者、天邪鬼、変人っぽい人の書が多い。

 

 正乗は神道の中臣氏の末裔・・・記紀神話にも登場する天児屋命の「子孫」で、祭祀の場で祝詞を奉じていた氏族。一方、美作国岡山県の内陸部、古代の吉備王国の一部)生まれの本人のメンタリティーとしては祖母が巫女だったことが大きく、子供のころに祖母の神懸かりの宣託を目にし、それに突き動かされた生涯だった。

 つまり、吉備、安芸、周防の山陽地方に残っていた巫女のシャーマニズムを体現していた。遡ると、弥生時代に南の海から移住してきた人々の精神世界ということになる。

 吉備国の遺跡から発掘された石に刻まれていた文様(施帯文)は、台湾の先住民パイワン族の文様と共通していることが分かっている。また、パイワン族の文化はインドネシアボルネオ島とつながりがあるとも言われている。

 台湾の南端からフリピンまでは僅か300キロしか離れていない。太平洋からインド洋までの広大な、主に海のルートで繋がっているオーストロネシア語族の一部の人々が北上して建国したのが吉備国ってことでしょうか。

 

 ところで、ホモサピエンスは、アフリカから出た初期にネアンデルタール人との混血があったが(以前は、なかったという定説だったが、10数年前、遺伝子の研究で分かった)、近年、さらに南アジアに進出した人類はデニソワ人(ネアンデルタール人の近縁)との混血もあったということが明らかになっている。

 ということでは、進化の過程で別系統の道を歩んできた違う人類の体質や心性も受け継いでいることになる。・・・吉備国の時代から万年単位の過去のことで、縄文人の中で黒潮に乗って日本列島にやってきたグループも同じなのですが。

 人と人は違いがあってもいい、それが当然、人間はホモサピエンス以外の違う人類とのミックスなのだから。容貌や能力とか体質、社会的適性の違いに優劣をつける考え方がまかり通っているけど、つき詰めていくと、そういう考え方自体、人倫に反する無理があるのではないか。違いを認めた上でみんな仲良く、和の世の中になればいいなと切に思う。

 

 明治時代になってから、正乗は山岳修行をし神習教という神道系の宗教の創設者になる。女性の場合は、生身の地でシャーマニックな霊能が備わっている人がいる。霊能が発現するきっかけは日常の延長上の生活苦や不幸、あるいは戦争であったりする。

 男の場合は、地の素養としではだいたいが無能で、神仏どっちでもいいですが、山に篭ってハードな行を積んだ末、なんとか及第というパターンが多い。 1000年以上昔の雑密時代の青年だった頃の空海から江戸時代、昭和のころまでそうだった。

 山の中で何しているかといえば、一応、行法、形式とかあるけど、そういうのは枝葉末節なことで、核心は、自然の中で長期間、原始的なサバイバル生活をするということに尽きる。五穀断ちって要は縄文食ってことしょ。やり続ける根性があれば誰でも霊能は身につく。

 ・・・奈良時代のころ、雑密の時代の山岳修行について考えたことがあるのですが、結局、剱岳の頂に登るような、常人では登るのが無理だった未踏峰に登頂すること、そういうことだったのではないか。紀州や東北には、そういう山がたくさんあったはず。行法とか形式にこだわりだしたのは江戸時代になってからのこと。

 

 元警察官だった人の本の中に、こんな話がありました。警察で殺人事件の捜査に行き詰まったとき、内々に祈祷師、山伏といった霊能者の助言に頼っていたという話で、「岡山や広島あたりの殺人事件のかなりは、こういった霊能者によって解決されている事件が多いのではないか。なぜかはしらないが、岡山は日本の多くの宗教の発生地だ。そのことに関係があるのかもしれない」(『ニッポン非合法地帯』 北芝健

 著者は、なぜかはしらないがと書いていますが、宗教の発生地ということに目をつけているあたり、いい勘をしている。弥生時代から続くシャーマニズムの精神的風土がいまも残っているということなのだから。・・・自分が実感的に知っている土地は東京(武蔵)と関東地方ぐらいで、広島、岡山、山口になると何も知らないので、本の知識をもとにイメージしてるだけなのですが。

 幕末三大新宗教のうち二つ、金光教 黒住教はこの地(吉備)で生まれているのも同根の由来があるように思える。・・・ついでに、神習教って、本殿が近所にあります。時代も代も代わり、ふつうの神社っぽく幼稚園が隣接して建っている。

 

 正乗は、西郷隆盛伊藤博文とも接点があった。幕末の尊王派に組みした人なので当然かもしれないが、本人は、いまでいうとスピリチュアル系なので、軍人、政治家の頭の西郷や伊藤とは別タイプの人間。でも、野心家ではないし人柄が良かったからか、西郷や伊藤に目をかけられていたようです。

 正乗のメンタリティーは、明治国家の公式の国家神道とはそりが合わないけど、人脈的にはつながっていて、一方、天理教大本教のような民衆宗教としての迸り、広がりには欠けていてと、なんかチグハグな感じ。まあ、現実ってスッキリ類型化できないってことの方が多いので、権勢欲や山師的なところの少ない人(正乗はそんな人物だったと思う)の歩みとしてはそれが自然の流れだったのかも。

 

 「明治天皇西郷隆盛と三人で、お忍びで鶯谷で酒を飲み、日本の将来について語った」と正乗の日記に書かれているとか。以前、なんかの資料に載っていた一節で、真偽不明な話です。西郷がらみで、明治天童に皇居で幾度も会っているのは史実のようです。

 明治天皇が16、7歳のころかと思われますが、事実だとすれば、新政府を作ったばかりのころってずいぶんラフな感じだったんですね。

 当時の鶯谷といえば、根岸の里でしょ、文人墨客の愛した風光明美な地。あのあたりときどき歩いているが、いまは全く消滅した光景・・・以前、小野照崎神社の富士塚の話しを書きましたが、本殿の裏にある立ち入り禁止のエリアに僅かに残っている情景を敷衍すると、バリ島のアグン山の裾野に広がる田園地帯、小川とこんもりとした森に朝夕、霞がたなびき鶏鳴が聞こえてくるようなところだったのではないか・・・横道に逸れました。

 でも、豪胆な策謀家の西郷(当時40代前半)、20代後半のスピ系の正乗、カゴの鳥のような少年の三人、この組み合わせで日本の将来を語るといっても、はて?といった感じ。

 

 西郷とそのころの明治天皇については、こんな話もある。「明治の新政府になったばかりのころ、少年天皇がわがままを言うと、西郷隆盛はそんなことでは昔の御身分におかえしいたしますぞと脅かした。すると天皇はおとなしくなった。」(『日本史こぼれ話』奈良本辰也ほか)。

 著者は日本史の学者で、創作した話ではなく、往時、そんな噂があったのは事実だと思われる。意味深な話しです。ふつうに考えると、言うことを聞かないと、鎌倉幕府から600年以上、武家の風下に置かれていた境遇に戻してやると西郷に脅されたというふうに読める。    

 その一方、明治天皇は、長州の倒幕派によって作られた替え玉だったという陰謀論もあって、そうなると昔の身分に戻してやると脅されたというようにも読める。黒沢映画の「影武者」、いえ小説の『影武者徳川家康』(隆慶一郎)の方が近いか。

 明治天皇からすれば、幼いころの自分の養育係を殺した人物が側近(これは史実)で、また別の側近によって父親(孝明天皇)は毒殺された(これは噂)と、すごい境遇だった。天皇家をこういう境遇から自由にしてくれたのは、マッカーサーだったというのは皮肉なことだ。

 真偽不明や噂の話しばかり(でも事実かも)なのは、まあ、しょうがないでしょうか。国とか政党、企業、メデイア、学校どこでも、ほんとうにまずい事は、起きてしまったことであっても、なかったことにする、暗黙のしきたりがあるので、ちゃんとした資料なんて無いものねだりなのかも。

 かと言って、明治天皇替え玉説みたいな陰謀論を信じてるわけでもないんです。長い間、日本の最大のタブーだったテーマなので、こんな表現でしか後世に伝えられなかったと考えるとスリリング、そう、真に受けてるんじゃなくて戯画的に取り上げてるだけです。

 そんなドンデン返し感が面白い。小説、コミックはフィクションだし、野球やサッカー、囲碁、将棋にもドンデン返しはあるけどみんなゲームの世界の中の出来事だし・・・それに対して歴史的な出来事だとよりリアルっぽいんで。

 

 ところで、伊藤博文を暗殺した安重根が、裁判の過程で暗殺をした理由を15カ条あげていますが、その14番目は奇怪な話しでした。

 「 十四、日本先帝を殺害(今ヲ去ル四十二年前現日本皇帝ノ御父君ニ当ラセラル御方ヲ伊藤サンガ失イマシタ其事ハ皆韓国民ガ知ツテ居リマス)」( 先帝というのは孝明天皇のこと)。

 伊藤が孝明天皇を暗殺したという・・・言ってることが事実かは分からない。15項目のうちで14番目なので、付け足しといったところかと思う。仮に事実だとしたら国家的な極秘機密で、果たしてそんなこと知り得たのだろうか? 

 日本では岩倉具視がやったというのが噂の定説だったのが、朝鮮半島では都合よく伊藤博文にすり替えられてるような気がしないでもない。つまり、暗殺するという忿怒の情念というか決意が先にあって、理由は後から考えたってこと。

 安重根は、例えていうと明治の40年代になってもちょんまげを結っていた人がいたそうですが、まわりはどうであろうと本人は江戸時代に生きていた。そういうタイプの人だった。

 そんな人だから、どうも背後にこの人を操っていた存在があったのではないか、ロシアの謀略だったのではないかとか、それとは別にアメリカの謀略だったとか、はたまた日本内部の権力抗争によるものだとか、いろんな説がある。

  安重根っていう人の気性は、昭和初期、血盟団事件を起こした小沼正とよく似ている。時系列では小沼が安に似ているでした。もし、生まれた時代、生まれた国が入れ替わっていたら、それぞれ同じことをしていたのではないか。一人の人間の一生分の生のエネルギーを一つの行為に集中させた彼らの心情、心理、それに気概、胆力は分かる。でも、それは主観世界のことで、やっぱり愚かな行為だったと思う。

 14項目めの文言は、当時の朝鮮半島でそんな風説(都市伝説)が一般庶民の間に広まっていたということの証言として興味深い。どうも土俗的な猟奇の匂い、昭和前半の紙芝居や貸本漫画の世界のようなノリ。それが事実かどうかより風説、噂の方が大きな力を持つ社会だったのでしょうか。はて? そういえば伊藤も若いころ、安重根と同じことをしていたので、日本も同じようなもんなんでしょうか。伊藤は知られているだけで2件の暗殺の実行犯です。

 伊藤の最期は、よく因果応報と言われたりしている。ハルピン駅で撃たれ倒れていたとき、自分が若いころ、思いこみで殺めてしまった相手のことを当然、想いだしていたでしょうし。

 

 ここからは、宮古島のパルダマの話しです。

 3月下旬から山菜、野草食に夢中になっていたのも新芽、若葉の季節がすぎ、先週、採った女竹で、ひと息ついた。一年ぶりの女竹、笹の細いタケノコですが、蒸し焼きで食べる。

 最近は、相模湾の魚、野菜は弦巻のセブンイレブンに探しにいっている。このあたり(世田谷区)は昔、江戸の郊外、武蔵の地で、西に横浜まで武蔵だったことからすれば、横浜市場の相模湾の魚は地魚と言えなくもない・・・ちょっと無理っぽいか、まあ、考え方次第で親近感が生まれ、自分の中では盛り上がっているので。

 住宅街の真ん中にあるセブンイレブン、広めの駐車場があり、端っこにテントを立て野菜を並べている。他ではあまり見かけない西洋野菜や珍しい野菜が置いてあるので、気になってのぞいている。

 また横道に逸れますが、弦巻ってところは、特徴のない住宅街で、大きな道路や電車の駅、商店街はなし、マンションやアパートも少なく、ただ庭付き一戸建ての家が続いている。

 一ヶ所、畑が残っていて、そこの竹藪を数百羽のムクドリが寝ぐらにしている。毎晩、その竹藪の横を通るのですが、近づくとピ、ピ、ピ、ピと電子音のようなムクドリの囀りが途切れることなく聞こえる。あたりの空間は、一晩中、この音に包まれている。弦巻の特徴といえば、こんなところでしょうか。

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 上の写真はパルダマ、袋に宮古島産とラベルが貼ってある。15本ぐらいの枝がパックされ値段は安い。ふーん、どんな味か気になる。

 宮古島沖縄本島でもよく食べられている島野菜だとか。宮古島といえば、確かインドクジャクが2000羽もいるとか、それから区の故郷祭りに出店していた宮古島出身者のブースで島トウガラシを片手で掴めるだけ取って150円だったのを思い出す。小さめで丸っこいトウガラシですが、痺れるような強い辛味があり、よくパスタに使った。一年以上持ち、お買い得でした。

 パルダマはサラダ、スープ、パスタにいろいろな具材になる。癖のない味で、苦味、酸味はないが、独特の風味、一瞬、ピーマンっぽく、でもまた違う風味、栽培野菜にはない味に野趣を感じる。

 先の女竹、それにここで見つけたトレビス(イタリア野菜)の苦味、また今春、出合ったイタドリの酸味、どれも野趣ですね。

 結局、料理は食材に尽きるのではないか。それが西洋、中東、インド、中国の料理とは違う日本の味覚だと思っている。世界の趨勢は調理(人為)の味を極めていくように進んでいる。でも、日本には素材(自然)の味の方を尊ぶ人たちもいる。

 翌日、パルダマを買い込んで、沖縄出身の知りあいに持っていく。ええい、この際、できるだけ多くの人に、と沖縄に縁のある人たちの家に宅配していった。値段は安いので貧民の自分でも大判振る舞いできる。

 お金を出せば、手に入るといった商品とは違い、そもそもふだんは売ってない生鮮食品、希少価値というところがポイント、喜んでもらえました。

 最近、思っていることですが、自分が楽しいということがなくなってきて、人が楽しいと思ってくれることをするのが楽しみなってきた。飲む・打つ・買うよりも、こっちの方がずっと楽しいんじゃないか。

 そんなに大それたことは出来ないし、せいぜい顔の見える範囲でのことですが、アイデア次第で出来ることはいろいろあるのではないかと思っている。

 

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