竜涎香の香り(1)

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 上の写真は竜涎香(アンバーグリス)。竜涎香はマッコウクジラの体内で生じた結石様の塊を乾燥させたものです。その塊は通常ヤシの実ほどの大きさで、写真は、それを小分けしたもの。

 香りを確かめたくて、4カ所から集めました。サンプルが一種類だと、こういう香りだと言い切るには不十分に思え、伝を頼って探してきました。(左から以下の4つ)

1.理科実験の試料を扱っている日本の業者さんから購入したもの。僅かに粘性のある黒茶色の粒。

2.ドバイの香の店のもの。素焼き粘土のような灰色の塊。

3.マスカットの香の店のもの。脆い砂岩のような灰茶色の粒。

4.カタールの香の店のもの。発掘した陶片のような灰黒色の塊。

 

 ドバイ(アラブ首長国連邦)、マスカット(オマーン)、カタールは、アラビア半島ペルシャ湾オマーン湾に面した一角にある国々、いわゆるアラビアです。

 アラビアは日本とはかなり違う風土、ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカよりも違うのではないでしょうか。半島といっても面積が日本の約7倍と巨大(半島全体の面積の80%が石油で知られるサウジアラビア)で、大部分は砂漠。そこにイスラム教の国が5つある。

 7~8世紀、海岸に打ち上げられた漂流物(竜涎香)が美香を発することを発見したのがアラビア人でした。以来、現在に至るまでアラビアは竜涎香の主要な消費地というだけでなく、アラビアンナイトの物語に登場しているように、伝統文化の一部になっています。

 伝統文化と書きましたが、オマーンでは乳香に関連した旧跡や交易路、乳香木の群生地などが世界遺産になっているほどで、アラビアは世界で最も香の文化の栄えた地域でした。また、今日でも盛んです。

 竜涎香は、中国、そして日本にも伝わりましたが、いろいろな種類の香の中で、それほど大きな存在ではなかった。よく知られているように、東アジアでは香の中でも沈香が抜きん出た位置を占めてきました。

 竜涎香の香りは、アラビアの人々にとって、この上なく相性が良かったのだと思います。ある香と相性のいい民族、それほどではない民族というような関係があるのではないでしょうか。

 その相性は、土地の気候、風土や住んでいる人々の体質、感性、嗜好などが関わっているのかもしれない。・・・と、思いつつも、そういう理由付けは、後解釈で辻褄を合わせているだけかも、という気もする。

 日本で沈香が香の中心になったのは宋の文化の影響でしょ、後に成立する茶道や華道や香道など始まりはみんなそう。鎌倉時代以前の貴族文化のころの香を調べてみると、けっこう竜涎香の香りと相性合っいそうなので。

 

 4つを、固形状態(乾燥させただけの破片)のままの常温での匂い、それと電気香炉の低温(60~70度)で熱したときの匂いを比べてみました。あまり細かい話になってもしょうがないので、大まかにまとめた香りの印象を書いてみます。

 

 常温のもとでも、どれも香りが分かります。動物性の香の麝香や霊猫香は、常温でははっきりしない曖昧な香りなのに比べ、竜涎香は、共通した香りの個性があるのが分かる。

 分かるとはいえ、そのままでは弱い香りです。でも、一週間ぐらい、日に何度か繰り返し嗅いでいると、最初のころは曖昧だった香りがだんだんはっきり分かるようになってきました。

 後に思いついたことですが、竜涎香それ自体の香りを堪能するには、常温のままクンクンしてるのがいいのかもしれません。・・・これでは香ではなく匂いフェチですが。

  

 ところで、いざ香りを言葉で表現しようとすると、なかなか難しい。

 竜涎香について調べていたとき参考になったのは山田憲太郎という人の本でした。この人は、香料会社に勤めた後、学者になり、語学、歴史、文学方面にも造詣が深く、世界の香料史を終生のテーマとし何冊も本を書いています。 

 山田憲太郎さんは、竜涎香の香りについて、こんなふうに述べています。

 

 「精力的で粘っこく、はなはだ甘美でなまめかしく、強くはげしいようでしとやかに、いついつまでも匂いのただようのがアンバル(竜涎香)である。」(山田憲太郎『香談 東と西』)

 

 魅惑的な香りのイメージ、雰囲気が伝わってくる文章で、初めてこの本を読んだとき、この一節で自分も竜涎香に惹かれてしまいました。その一方、抽象的な表現なので、一体どんな香りなのか、つかみようがないところもあります。

 そこで、自分としては、具体的に特定の香りを引き合いに出して、竜涎香の香りのイメージを描いてみました。

 4つそれぞれ、香りに若干の強弱があり、また甘みを感じられるもの、より薬っぽさを感じるものなど細かくは違いがありますが、共通しているところ(香りの最大公約数とでもいえばいいのでしょうか)を言葉にすると、シンプルにこんな香りです。

 

 仁丹や龍角散の匂いといえば連想できると思います、あの一種の清涼感のあるクールな生薬っぽい匂い・・・それにプラスして沈丁花の芳香、この二つを「生薬っぽさ6~8」対「沈丁花っぽさ2~4」ぐらいの比率でミックスした香りを頭の中でイメージすると竜涎香に近いと思います。連想できるでしょうか?

 

 補足しますと、多くの人が知っている芳香植物として、沈丁花クチナシ金木犀があります。それぞれ香気が異なるので比較対象として分かりやすいのであげてみました。その中で、竜涎香と似ているといえば、一も二もなくはっきりしていて沈丁花です。ちょうどいまが開花期ですね。

 近世のヨーロッパ人は、竜涎香をコスメティック(化粧品)の匂いとして賞美したそうですが(山田憲太郎さんの本からの知識)、竜涎香の中に沈丁花のような香りを感じると、ああ、この香気を香水やオーデコロンに転用したかったのだな、と納得できます。

 そうでした、樹脂系の香、ラブダヌムの匂いはかなり似ています。予想外によく似ていました・・・これは、今回、びっくりしたことの一つです。

 アラビアでは、歴史的にラブダヌムの方が古くから知られていて、竜涎香はラブダヌムに似た香りだったので関心を集めたという経緯があったのですが(これも山田さんの本から)、もっともだと思いました。

 

 少し横道に逸れます。平成に入ってから顕著になってきたトレンドですが、公園や公共施設、緑道、マンションの敷地、道路脇の植込みなど至る所に沈丁花クチナシ金木犀が植えられています。

 昭和の頃も民家の庭木としてそれぞれ植えられてはいたけど、公共空間にこれほど画一的に植えられてはいなかった。温帯の樹木で、花の香気が強い植物といえば、この三つぐらいだからでしょうか。

 でも、沈丁花クチナシ金木犀は、昔からの日本の自然にある香気とは異質な香りですし、どんどん植えられているので、開花期になると、どこでも同じ香りが漂ってきて、自分には、なんかワザとっぽく、不粋に感じられるのですが。

 

 竜涎香という名称が半ば伝説化している上、希少な存在なので、類い稀な美香かと思いきや・・・。いろいろな香を聞き分けてきた、香りに関心のある人でなければ、別になんということもない香りといった印象かもしれません。

 今の日本人だったら、子供の頃から多様な合成香料で香りずけされたお菓子や飲料、芳香剤、石鹸、洗剤、フレグランス・・・と接しているので、そういう香りを知らなかった、香りにうぶな昔の人たちが竜涎香の香りと出会ったときの印象とはずいぶん違うはずです。

 アラビア以外の地では、クジラから採れるといった突飛な由来や媚薬的な香料でもあったとか、最近では海岸で拾った塊が法外な値段で売れたとか、そんな夢物語ふうの逸話の数々がプラセボ効果を生んでいるようです。

 しかし、現実には供給量が極めて少ないので体験者がほとんどいない。体験者のいないプラセボ効果って変な現象ですが、結局、都市伝説に転化していくということですよね? 愚直というか野暮なこと書きました。

 ここまでは、常温のときの匂いでしたが、加熱すると、趣が変わってきます。

 次回は、加熱したときの香りについて書きます。

 

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