手塚治虫さんの3つの夢

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 近くの公園、一本だけ満開の桜。タカトウコヒガンという名の伊那盆地、高遠の彼岸桜でした。少し離れたところから見ると、小振りの淡い桜色をした花が枝を覆っている様は、まるで大きな綿飴のよう。

 杏(アンズ)と木瓜(ボケ)の花は、ほころびかけている。ボケの深い赤、クリムゾンレッドは、ガーネットの色でした。それにしても目が痒くて痒くて、今年の花粉は酷です。

 前回の「竜涎香の香り」は、まだ途中ですが、ちょっと別の話題になります。よくいく浅草の喫茶店、ピーターの壁に吊るされてた「手塚治虫カレンダー」の話しです。 

 月毎に一枚めくると、手塚さんの言葉が載っている。

 月はじめ、カレンダーの言葉が新しくなり、なんとなく目に入ったけど、特に印象もなくその場で忘れてしまった。

 次の週、カレンダーを見て、なんか変わったこと書いてあったっけと思い出した。

 三週目、改めて見直し、けっこういいこと書いてあると気づく。この言葉は、人の純粋さの極致だと思いました。

 月末の四週目、カレンダーを切り取ってもらってきた。こんなことが書かれている。

 

「昔から人間は3つの夢を持っている

 ひとつは空を飛ぶこと

 ふたつめは変身すること

 もうひとつは動物と対話すること」

 

 この3つの夢は、当然、手塚さん自身の夢であるとともに、全ての人間にとっての夢だと(手塚さんは)思ってたはず。

 この夢って、要は自由のことですよね? だって、空を飛ぶのは重力からの自由、変身は自分(自己同一性)からの自由、動物と話すのは人間世(人間界)からの自由ってことでしょ。老荘の道、仙術に近い。

 自分からの自由って分かりにくいかもしれませんが、要は、荘子の至人に己なしのことです。

 

 大人になると、夢といっても社会的な成功とかお金、ステータス、名誉みたいな、現実的な夢になるんでしょうか。不老不死とか、宇宙人に会いたい、タイムマシーンで未来にいきたい、その手の夢、当分は無理(?)っぽそうですし。

 この3つは、そういう大人の夢とは違って、社会性の芽生える前の成長段階、幼年期の夢ということかもしれない。

 手塚治虫という人は、幼な子の魂のまま大人になった、しかもマンガ家で生活できたのでそのまま一生を終えた稀有な人のようです・・・人の純粋さの極致だと思ったのは、そんなことからでした。

 

 空を飛ぶことが昔からの人間の夢だということについて、最近、気づいたことがあります。オリンピックで新たに加わる競技は、どれも空を飛ぶことの代償行為だと思うのですが。

 来年の東京オリンピックには5つの新競技が加わります。その5つの競技の中で2024年のパリでも採用候補に入ってるのはスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの3競技。パリではブレークダンスを加えた4競技が候補に上がっている。

 この4つの競技は、実際には空を飛べない人間が、斜面を下る加速や波の力で僅かの時間浮遊したり、高い所に登ったり、体を回転させたりと、どれも空を飛んでる状態の一部分を模したものです。

 20世紀のオリンピックは、時間や距離の記録を競ったり、球技の点数を競ったりする競技がメインでしたが、ここにきて、21世紀もそれなりに経過してきたので、前世紀とは異なるトレンドが見えてきた。

 

 そういえば、3つの夢と同じことが、ネイティブアメリカンやアボリジーニといった先住民の人々の言葉を集めた本に出てくるのを思い出しました。

 先住民のシャーマン、例えば、昔、読んだドン・ファンの教えとか、ペルーのパブロ・アマリンゴさんの回想などの中に、空を飛んだり、変身したり、動物と話す話しが出てきました。

 ところで、シャーマンの目的は知恵を得ることで、飛ぶ、変身、動物と話すのは、その途中にいろいろ出てくるエピソードというかメタファーみたいなもので、いわば副産物です。

 

 また、空を飛んだり、変身したり、動物と話すのは、どれも能力に属することです。能力と言っても人間の能力では不可能なことができるのですから超能力ですね。 

 仏や菩薩は6つの超能力を持っているとされ、それを六神通と言います。手塚さんの3つの夢は、六神通の中の二つ、神足通、他心通に当てはまる。とはいえ、六神通のような超能力は、覚者の徴(しるし)、証明であって、それを獲得することが目的ではなかった。やはり副産物でした。

 

 副産物とニ度書いてますが、手塚さんの夢を貶めたくはありません。幼な子の魂と覚者の悟りを比べて、どっちが上かなんて言い出したら、もうかなりおかしいですから。

 薬の作用と副作用と別々に呼んでいるのも、人体にいろいろな作用が起きるのを人間の都合で区分けして呼んでるだけでした。シャーマンとか仏教とか、そういう枠組みから自由になれば、目的も副産物も区分けなくなる・・・なるほど、神仙ヨガ界ってこんな世界なのかもしれない。

 人間の意識の世界を図表化したスゴロクみたいな表があるのですが(金井南龍という古神道の行者の人が描いたものです)、神界や霊界、仏界といった割とメジャーなエリアとは別に神仙ヨガ界というエリアが独立峰のようにありました。

  日本的霊性の目からすれば、インドのヨガと中国の道教・仙術は、同類として一括り見てたわけです。要は、人間のミュータント化と見ていたはず。

 長い間、折にふれそのスゴロクみたいな表を見直しては、あれこれ解釈したりしてきたのですが、いまいち腑に落ちなかったエリアでした。ジグゾーパズルでどうもうまく嵌らない一片みたいでした。

 「スゴロクみたいな表」といわれても意味不明かと思います。端折って、始まりが人間界で、上がりが神界というスゴロクだと思ってください。人間界からスタートして最初に生と死の2つに別れ、仏界とか霊界とか、またそこからも先に繋がっていたり、一方通行だったりするルートが伸びている、そんな表です。

 神仙ヨガ界はマニアックな感じのエリアで、変人、奇人の寄り集まりと言えなくもないのですが、手塚さんの夢を糸口にして見えてきました。

 

 手塚さんの理想とした地球は、国家も社会も存在しない世界連邦のような調整機構と、男と女、大人と子供の区分けのない人間個人がいる世界のように思えます。人種、民族、宗教の区分けもなくなっているか、あったとしても空無化した地球人の世界。

 こういう言い方は、奇異に聞こえるかもしれませんが、手塚さんの考えは個人主義アナーキズムだったのではないでしょうか。

  さらに、手塚さんの心の内では、人間と動物の区分けもないような世界までいってたんじゃないか。このあたりは、いまの世界では理解されないだろうと表に出すのを自制していたのだと思う。

 いまの地球の現状からすれば、手塚さんの理想は、夢物語りですが、人間は紆余曲折を経ながらも長期的スパンでは、幼子の魂の導く方向に引きつけられていくのではないか、そんな気もする。意識的に目指すというよりは、無意識に惹きつけられていくように思える。

 1000年ぐらい先でしょうか、31世紀の世界はそうなってるのかも。それまでの間に人間が滅びているかもしれなくて、けっこうその可能性あるんじゃないかと思ってるのですが、とりあえず人間はまだ存続しているとして。

 古代の発掘品を集めていて感じるのですが、千年、二千年ぐらいはすぐ経ってしまうんですね。

 

 四国八十八箇所のお遍路さんとか、あるいは、深田久弥の日本100名山を全座登りたいとやってる人いますが、いえ200名山、300名山まで目指してる人もいる。

 ・・・昨日のニュース。「オリンピックおじさん」亡くなられたのですね。14大会連続でオリンピックの応援に出かけていた人。4年x14回=56年! すごい。この方、若い頃、あの阿部定と遭っていて「あんたね、男は人生一代だよ」と言われたとか。御冥福をお祈りします。

 

 手塚さんの夢の方は3つなので、88や100、200、300よりずっと楽(?)。夢の実現、簡単には出来ないでしょうが、「人生一代だよ」の心意気でやれば可能かも(?)。

 トライしてみる人、いるでしょうか。自分は毎日、犬と対話しています。ああ、正しくは、対話しようとしていますですが。

 

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