下谷「坂本富士」のお山開き

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 上の写真、中央の左上に山の頂上に登る人の姿が見える。手前の門の脇で手を合わせているのは神の使いのお猿の石像。雨あがり、草木は瑞々しく、濡れた玄武岩の黒々とした光沢、とってもいい。

 

 6月30日、下谷の小野照崎神社にある「坂本富士」のお山開きにいってきました。都会の真ん中、神社の境内にある小さな富士山(富士塚)。地下鉄日比谷線下谷駅から歩いて5分ぐらい。まわりはビル、マンション、住宅に囲まれ、そんなに広くはない敷地に盛土されている。

 高さ10メートルもないかと思います。元は古墳だったところに、江戸時代、富士山の玄武岩や溶岩を船で隅田川の船着場まで運び、荷車に載せて持ってきて積み上げている。

 江戸時代の天明年間(1782年)に築山され、富士講の信仰を受け継いでいます。富士講は、修験道が大衆化した民間信仰で、江戸の街で庶民の間に広まった。

 一年に一度、30日と7月1日の二日間だけ入山できる。この二日は誰でも入れますが、近くの小学生、家族連れがちらほら訪れているぐらいで人は多くない。

 ふだんは、入り口の門に鍵がかかっていて入れない。240年以上経っても昔のままの姿を保っているのは、人が入らないので蔦や草の根が張り巡らされ、土を固めているからのようです。

 

 この日は朝から小雨が降ったりやんだりのいかにも梅雨といった天気。小雨がずっと続いていたので空気に水の匂いがする。そういえば、この場所は以前、ブログに書いた浅草田圃の太郎稲荷の近所です。

 小林清親の版画に描かれている太郎稲荷は、江戸時代のこの辺りの原風景でした。ここにたたずんでいると、その時代と接続しているような気持ちになります。

 夏至がすぎたばかりの夕方なので6時をすぎても明るいですが、雨空の下、欅の大樹の枝が張りだしていて昼なのか夕方なのか判然としない。岩や溶岩には苔や蔦が覆っていて、雨に濡れるといっそう瑞々しく緑色が映えます。

 夏至の頃の黄昏時で、梅雨の日の雨あがり・・・ここはこんな雰囲気のときがいちばん好きです。久しぶりに来ました。どうもこの情感を自分の体で感じ、味わうために、あるいは日々の日常に埋没し忘れそうになっているのを想い出すために、ここに来たようです。

 

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 さっきまで雨が降っていたので、岩の隙間を通る細い山道は泥道になっている。

 小学生の女の子が2、3人走って登っていた。と、すぐに登れるので、降りてからまた登ってきた。靴も服も泥まみれ。聞けば、これで8回目と言っている。年の数だけ登るので、あと2回登ると元気いい。学校に入る前の男の子が、お母さんと手をつないで登っている。

 一人でやってきて、頂上で手を合わせているおじさんもいましたが、見たところ近所の子供たちの遊び場の開放日みたいな感じでした。

 ・・・ああ、でも考えてみれば、この辺り浅草から下谷、南千住、三ノ輪にかけて平坦な地形で人家が密集している。自然のある公園もないし、子供たちにしてみればこんな山があるなんて、しかもふだんは入りたくても入れない場所なので、興奮気味なのも分かる気がします。

 

 話は変わりますが、下谷富士塚と比べ、北区の十条にある富士塚は、講が存続していて参拝者も多く、道路に縁日のような屋台がたくさん出ています。地元の伝統行事になっていて賑やかな雰囲気です。

 ここは一年中、登れます。木の茂った小高い丘(やはり古の古墳)の上に祠があり、階段を登っていくといった感じなので、下谷富士塚とはちょっと趣が違いますが。富士塚は、この他、千駄ヶ谷護国寺、品川、江古田、池尻とか都内各所に残っている。

 とはいえ、江戸時代の原風景を今に留めているということでは、下谷富士塚がいちばんいいなと思っています。

 

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 写真は深山のような雰囲気のところだけ切り取ってアップしています。まわりのビルや町内会の派手な吊り提灯が一緒に写っていることが多いので。でも、こんな梅雨の夕刻、ここにいると、まわりに建物が存在していることが意識の内では消えていた。思い返すと、記憶の中に残っている情景もそう。

 その意味では、アップしている写真の方が意識に上った現実に近いように思っています。

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 ところで、この神社の狛犬、通りがかりに目に入り、驚きました。これほどの彫像、めったにないんじゃないか。これまで、神社の狛犬をそんなに見てこなかったので、あまり他のものとの比較できませんが。

 明和元年(1764年)、石屋長八という人の作とのこと。最初、明治、大正のものかと思いました。大胆で斬新な造形、江戸時代の中期に作られたとは思えなかった。

 よく神社で見かける狛犬は、どれも似ている様式化した姿ですが、この狛犬は、そういう様式化のはじまる以前の作だそうです。

 インドや中国、中央アジア、モンゴル、東南アジアの石像に、ここまで極まった、完成度の高いものないのでは? 躍動的な渦巻きのウェーブは、相模、武蔵、下総、常陸の地から出土している5000年前の縄文中期の土器の装飾を彷彿とさせる。まさか縄文土器からインスピレーション受けてたりして?

 250年以上前に作られたとは思えないほど状態がいい。石肌が穏やかで、風化、劣化していない。狛犬の表面を苔が薄く覆っていて、それが梅雨の水気を吸ってブルー系の色(まさに江戸時代の御納戸色!)に変化し、えも言われぬシックさを醸し出していた。

 

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