戦前のフリーメイソン、秘密結社の本と焚書

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上/『日本に現存するフリーメーソンリー』(大沢鷲山著、内外書房刊、1941)、『支那を繞り政治・経済・並に宣伝に活躍する上海猶太銘鑑』(国際政経学会編、国際政経学会刊、1937)

下/『秘密結社』(F.Ligreur原著、藤田越嶺訳補、東京高原書店刊、1934)、『世界各種秘密結社研究』(納式律著、一進堂書店刊、1929)

 

 暑い中、本の整理をしている。置き場がなくなり、まとめて古書店に引き取ってもらう話になった。

 これはもういいかなという本を大雑把に分け、ダンボール箱に詰めたり、ヒモで束ねたりしている。 長年の間に、置き場所は三軒の家に分散していて、押入れや廊下から次々出てきてきりがない。家に1、2、3、5、6巻あるが、4巻だけ他所にあるとか、箱はこっちにあるけど、本体はどこにあるのかとか手間取っている。

 分野、テーマごとに集めた本があり、まるごと処分するか、残しておきたい本を選ぶか悩ましい。 昭和20年代に出版された本は紙質も製本も悪く、整理しているうちにボロボロ崩れてくる。

 梅雨の頃からやっていて、大体のカサの目安はついてきました。

 本って一冊、一冊はなんてことないけど、集まると容積にしても重さにしても、とんでもないことになるんですね。はじめは軽く簡単に持てたのが、どんどん重くなってきて、遂には持った人を押し潰す妖怪の子泣き爺を思い出します。

 

 今回、フリーメイソン、秘密結社関係の本で戦前に出版された34冊(うち1冊は英語の本)と戦後1960~70年代に出版された28冊を一括して手放すことにしました。

 上の写真は、戦前の4冊です。全部の本のタイトルを書き写すのは時間がかかるので、購入をお考えの方はお問い合わせください。

 

 戦前のこの関係の本は、いまも古書展の目録でたまに目にしますが、これだけ揃って出ることはまずないと思います。主に1970年代後半、神田の古書会館で開かれていた古書展、それに五反田と高円寺の古書展などで購入しました。

 その頃、毎週送られてくる目録を丹念にチエックして購入していた。ザーッと、小さな字で書かれた雑多な本のタイトル、著者名、出版年を見て探すのですが、いま振り返ると、延々、よくやったものです。

 目録から同じ本を複数の人が希望したときは、クジ引きで一人決めることになっていた。戦前の34冊の中には国会図書館と競合して入手した本、競合者が何人もいて運よく入手した本、けっこうな値段だった本もあります。

 いまはどうなっているのか知りませんが、その頃は、クジ引きで競った他の人の名前など書かれた札が本の扉に挟まれていた。それをみると、2倍からせいぜい5、6倍の競り合いで、けっこう当たりました。

  当時、本を箱に収めて押入れに仕舞ったまま、いつの間にか月日が経っていました。タイムカプセルに入れたまま忘れてたといったところです。

 

 結局、フリーメイソンや秘密結社に関心があって、読むために、あるいは何か調べるために集めたというよりは、「フリーメイソン、秘密結社の本」を集めるために集めてた(?)わけです。

 今思うに、テーマは何でもよかった。ふとした偶然の切っ掛けからそういう本を集め出し、収集すること自体が目的になっていた・・・どうも変な話しですが。

 究竟、本の競い合いでクジに当たると嬉しくて、埃をかぶった古書の山の中から掘り出し物を見つけたりするとまた嬉しくて、そんな感激(?)を味わうために集めていたのかも・・・振り返ると、そんな気もしてくる。なんか依存症っぽい。

 本は基本的に印刷物=複製品なので一般人でも買える範囲の相場ですし、古書展はオークションのように値段が釣り上がっていくシステムではない。だから、飲む・打つ・買うの道楽に比べると、そんなにお金がかからない。・・・ええ、古本なので、紙屑、ゴミを集めて喜んでるのと紙一重でもあるのですが。

 囲碁・将棋、登山、読書は昔からの日本人の手軽な道楽で、一般的には月並な趣味程度に見られがちですが、中にはそれにハマって身を滅ぼす人もいる。やっぱり、それぐらい、人を破滅させるぐらいじゃないと、本当の道楽とは言えないのではないか。

 古書の収集は、貧者の道楽としてはコストパフォーマンスの面で大穴的なフィールドでした。しかし、そこに陥穽がありました。

 本って全くたちが悪い。一冊、一冊は軽く、小さくても、たまると重く、大きくなってゆき、愛着があるので捨てるに捨てられず、さらに増え続けどんどん重く、大きくなっていく。

 長い年月をかけて、やっと気づきました。 本という存在は、群体生命のように増殖して初めて正体を明かすのです。 その正体は、子泣き爺の化身、人に取り憑く妖怪なんですね。

 

 神田の古書会館と言っても、場所はJRの御茶ノ水駅から坂を下った駿河台下にあり、そこの2階の広いフロアーで毎週金・土曜日に古書展をやってました。いまは新しいビルになって地下で開催されている。

 真冬の寒い朝、古書会館前の路上に不精そうというか不健全というか、独特の雰囲気の男たちが列を作っていた。古書展の初日、平日の金曜日なので、朝からそんなところに並んでいるのは、大体がマニアのブックハンターや、せどり師たち。開場と同時に入り口に殺到し、我先に階段を駆け上っていく光景を想い出す。・・・妖怪に取り憑かれちゃってる!

 その後、神保町の細い路地にある喫茶店「さぼうる」や「ラドリオ」の薄暗い店内でゲットした古書を取り出しては黄色くなったページを撫でたり、古い紙の匂いを嗅いだり、戦時色の濃い装丁を眺めていた。 

 愛書狂の変人、奇人について、紀田順一郎氏がよく書いていました。「書鬼」ってところまで極まっちやった人もいる。紀田氏の『推理小説 幻書辞典』(三一書房、1982)は、小説の形式をとりながらも、そこに登場する本の収集家たちは実在しているはず。知り合いにそういう人、何人かいましたので。・・・なんの話をしてたんでしたっけ?

 

 1990年代に太田竜氏が反ユダヤフリーメイソンといったユダヤ陰謀論に傾倒していったのは、戦前、ユダヤ問題を研究していた国際政経学会の影響が大きかったといわれている。その国際政経学会の本も7冊ほど含まれています。

 戦後1960~70年代に出版された26冊は、戦前の本ほどには時間も経っていないので、コツコツ古書展を探していけば、その多くは見つけられるのではないかと思う。それほど珍しい本ではないですが、知る人ぞ知る国際政治評論家の山川暁夫氏が注目していた本もあります。

 太田氏と山川氏は、共に故人ですが、昔、両者と会ったことがありました。

 太田氏とは1980年代にある研究会で顔を合わせている。でも、奇を衒った浅薄なところが垣間見えてしまい、物足りないというか、どうも馴染めなかった。この人の得意技はハッタリでした。

 太田氏がユダヤ陰謀論と出会う前のことで、あのころ、太田氏と波長が合っていれば、既にず~っと眠ったままになっていたこれらの本や資料をお渡ししていたのですが。

 山川氏と会っていたときのこと。話の途中で、ふと、『ユダヤ人と世界革命』(1971、永淵一郎著、新人物往来社)という本を評価する言葉を耳にしたのを覚えている。硬派の左翼で、かつリアリストだった氏にしては、意外な感じがしたからです。

 山川氏は、そのころロッキード事件の背後に日本、北米、欧州の三極委員会の存在があるという記事を雑誌に書いており、その絡みで口から出た言葉でした。この本も戦後の28冊の中に入っています。ネットを検索するとけっこう出てくるので、比較的容易に入手できる本のようですが。

 それにしても、山川氏はソ連のスパイだったという話があり、その一方、生家はマンガのサザエさん一家のモデルだっという話もあり、事実は小説よりも奇なりを地で生きた人っているんですね。

 

 これらの本、まとめて古書店に引き取ってもらうことも考えましたが、どうも味気ない。やっぱり誰か、譲るべき人の元に渡ってほしい。

 でも、もしそういう人がいなかったら、出会う縁がなかったら、最後は、全部、焼却施設に持っていくかとも考えている。いわば自作自演の焚書

 誰にも知られてないこと、そんな秘密の知識、情報が記されている本が、世界に一冊だけ残っているとして、その一冊を焼却してしまえば、その知識、情報はこの世から永久に消える。そういう行為って、無上の甘美な全能感に浸れるのではないか。

 ここで話題にしている62冊は、そこまでレアーな本ではないですが、数少なくなっている本なのは確かで、焚書するだけの価値(?)、あるんじゃないか。 

 これらの本によって、最初はクジに当たった時のラッキー!って悦楽感を堪能したし、最後は焚書の全能感を満喫できるなら、それは、読んで得られる知識や情報、あるいは売って得られる金銭を超えた価値と言えるのではないか、そんなふうに思っています。

 

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