山口草平、立野道正の挿絵
豪徳寺駅前の商店街にある小さな古本屋さん、空き倉庫にスチールの棚を並べた仮設店舗のような造りで入り口に一冊100円の棚がある。店の向かいの鶴の湯にいくとき、棚が目に入りついのぞいてしまう。
先週、そこに並んでいた『現代 大衆文学全集 21 澤田撫松集』を購入した・・・100円なんで購入というと大袈裟ですね。
現代といっても出版されたのが昭和2年だから93年前の「現代」です。また、「大衆」という言葉は、この時代、社会に登場した労働者、勤労者といった新しい階層のことで、昭和の初めには流行語になった。
探偵小説のような読み物や新聞小説の中心的な読者が彼らであったことから大衆文学というネーミングがつけられた。娯楽的な文学なので、ビジュアル性が求められ、必然的に挿絵の全盛期となる。当時の活版印刷は、写真だと濃淡がベタになり不鮮明、挿絵の方が見栄えが良かった。
著者については何も知らなかった。本を開くと挿絵が目に入り、寝る前にパラパラ眺めるのに打ってつけだと選びました。
著者は明治のはじめに生まれ、この本が出版された年に亡くなっている。新聞記者(司法記者)から作家に転じ、雑誌に犯罪事件の実話物を書いていたようです。
当時の円本ブームに乗って刊行された全集の一冊。箱入りの上製本、布クロースに金箔押しと立派な装丁。保存状態が良く現代の新刊本と見間違えるほど。日焼けや痛み、紙魚がなく、おそらく丁寧に仕舞ったまま1世紀近くどこかで眠ってたのではないか。
1000ページを越える本で、33篇が収められていて、内容は大正時代に巷で起きた犯罪事件の話しでした。
貧富や身分の差が大きく、封建的な因習が色濃く遺っていた時代、底辺の庶民は不平等が当たり前の世界に生きていた。そこでは親孝行や義理人情が人々の行動原理だった。この本の物語は、どれもそんなリアリティで書かれている。
人々の価値観や善悪の基準からして、現代とはかなり違うのでここで作品を紹介しても疲れてしまうのでパス。なにせ明治維新から59年目、江戸時代に生まれた人が珍しくない時代からのタイムカプセルを開封したような感じでした。
思うに、大衆という言葉が一般化する昭和はじめの時点で、著者はすでに前時代の存在になっていたのではないか。
自分の読み方も、文中にちりばめられた当時の世相、風俗から面白い話しを見つけては、何か発見したような気分になり、いつの間にか眠っている、そんな感じです。
そうそう、よく行く馴染みの浅草を舞台にした話も二篇ありました。一つは宝蔵門の右手、弁天山を縄張りにしている美人局(つつもたせ)の話しで、もう一つは六区の活動街(映画館街)を縄張りにしている女スリの話し。・・・浅草の土地柄、当然ながら縄張りがあるというか、現代ではその種の家業は犯罪ですが、かつては浅草の伝統的な地場産業だったことが読み取れる。
当時の弁天山や映画館の様子が描かれていて、現在と比較しながら読むのが楽しかった。
深夜、本を開くと1世紀近く昔の淡黄色に変色した紙にルビのふられた活字が行儀よく並んでいる。
活版の文字は、なぜか気持ちが落ち着く。活版印刷は、植字工と呼ばれた専門の職人さんが枠木に一字一字、小さな金属のハンコを組んでたんだなと、工芸品を見るような思いです。
明朝体の書体は、ところどころインクがかすれていて、それもまた味わい深い。挿絵は昔の版画を見ているよう。・・・本の内容はどこかにいってしまい、物として古陶を愛でるような眼になっていた。
随所に挿入されている挿絵は数えると22点、高畠華宵、岩田専太郎、山口草平、立野道正の四人の画家が描いている。前の二人は、美人画で有名、いまもファンがいる。 それぞれ個人美術館もあるし、折にふれ雑誌や本で紹介されている。
山口草平(1882-1961)は日本画家、挿絵でも知られていた。立野道正(生没年不明)は児童書の挿絵画家として活躍している。二人の活動期間は、大正から戦争をはさんだ戦後復興期にあたっている。この世代は、平和な時代に活動できた作家に比べ大きなハンディがあったのではないか。
両者の挿絵を見ていると、作者の個性は異なっているけど、ともに昭和モダンの雰囲気が伝わってくる。それは、谷中安規の版画の、例えば「蝶を吐く人」のような幻想的な夜の闇です。前時代のロウソクやランプの陰ではないし、現代の蛍光灯やLEDでもない、電球の陰が生む闇。
この何日間か、毎晩、春の夜の夢のような挿絵の世界に浸っていた。そう、ちょうど枕元の小瓶にほころびはじめた桃の花の小枝を挿していたのですが、桃の花はこの挿絵の世界にぴったりでした。
それからもうひとつ、和風の模様が目を引く装飾的な挿絵ということも挙げておきます。そういう作風が様式化していたということは、その時代の流行だったわけで、別の言い方をすると、電球の新時代と着物の前時代が混じった世界だったのを見て取れる。そんなところも面白味の一つです。
二人の挿絵の中から4点ほどアップしてみました。冒頭とこの下の4、5枚目が立野道正。この下の1~3枚目が山口草平です。
紙とインクの経年変化に味があるといってる手前、それをできるだけ再現したつもりです。1000ページを越える本なので、造本上、ツカ(本の厚さ)を抑えるため薄い紙を使っている。そのため裏の活字が僅かに透けて見えるのですが分かるでしょうか。
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