「下の下」か「幻魚」か

f:id:alteredim:20200406213448j:plain


 明日、新型コロナウイルスの感染拡大に対する措置として、政府の緊急事態宣言が七都府県に出されるとメデイアで報じられています。

 世の中は、こんなこと書いてる状況ではないのかもしれませんが、日常生活の方はしっかり対応していただくとして、ここではいつものノリで最近あったことを書いてみました。

 

 前回は博多人形、今回はゲンゲという魚、ともに偶然の出会いと捨て目の話しです。捨て目とは「目に入るものを心に留めておくこと。また、広く見て心に留めておくこと。「捨て目を使う」「捨て目を利かせる」」(デジタル大辞泉)といった意味。

 そういえば、捨て目って言葉、骨董の世界で掘り出し物を見つけるコツとして口にしていた人がいました。全然、場違いなところで、何か価値のあるものを偶然見つけること、そんな意味で用いられている。

 よく自己啓発の本で「引き寄せ」と言ってるのと同じことのようです。これって別の言い方だと、仏教で言ってる縁のことになる。

 縁は、その時、そこで出会う=起きるかどうかに関わってるので、それをさらに掘り下げると、空間的というよりは時間的な交差現象ではないか。だから究極的には意識の問題だと思うのですが。出だしから横道に逸れすぎました。

 あまり変わりばえのしない日常の中でも、捨て目を育てていくと、案外、面白い物や事と出会えたりするんじゃないか。

 

 近くのスーパーの魚売り場、ふだんは行くことのないスーパーで、店内の通路を歩いてたとき、変な魚が並んでいた。姿形はハモのようなアナゴのような、顔はトカゲ、胴体は軟体動物みたいにドロンとした異形の魚。 大きなオタマジャクシといった感じ。 ゲンゲ、岩手産と走り書きした札が付いている。

 店の人に、旬はいつなんですか? と尋ねましたが、さあ、分かんないとあっさりした答え。調べると、深海魚で、以前は雑魚以下の扱いだったので旬なんて聞くのも野暮なようです。

 ゲンゲの名前の由来が面白い。昔、底引き網漁で網に入っても、売り物にならず浜に捨てられていた魚だったので、下の下の魚、それが訛ってゲンゲという名前になったとか。後に、市場に出荷する話しになった時、下の下じゃあんまりだと、ゲンゲを当て字で幻魚にしたという。

 たしかにマンガの絵に出てくるお化けに似てるので、それに後に書きますがフワフワした食感なので「幻」という字、当たっている。

 少し前、鮮魚の店に出ていたヤガラを刺身にした。これまた異形の魚で、長い棒みたいな胴体、ストローみたいに長いくちばしと、袋に収まらず持って帰るのに苦労した。どうも異形の魚に釣られてしまってるようです。

 考えてみれば、ゲンゲにしろヤガラにしろ、お店で食べるとしたら調理され皿に載って出てくるので原形は分からない。好き嫌いの基準は味覚で、元の姿形は関係ない・・・当たり前ですね。

 でも、自分でその日、並んでいる魚を選んで、捌いて、皿の盛りつけにちょっとした趣向を凝らして口にするときは、最初の選択の段階で姿形、見栄えが決め手になることがある。ついでに、その魚にまつわる蘊蓄(うんちく)話しなんかを調べて頭の中で味わったりもしている。

 

 どうやって食べようか? ブツ切りにして味噌汁に入れよう。頭に浮かぶのは漁師料理、簡単ですぐにできるし、なにより美味い。 ゲンゲは、かなり大きく、それにしては安い。早々、持って帰ることに。

 いまが旬の栗蟹も並んでいた。 見た目は毛蟹に似ているが、これまたけっこう大きなのがずいぶんと安い。小さいのはよく見かけるがこのサイズはお買い得。青森では花見の宴に出るので桜蟹とか花見蟹と呼ばれている。こんな話しを知ると、俄然、美味そうに思えてくる。これで出汁を取ろう。

 ゲンゲも栗蟹も安かった。そういえば今年は富山のホタルイカ、いまが旬ですが例年に比べ安い。イクラやウニも安い。新型コロナの影響で外食需要が激減し、値崩れしているからだと聞いた。

 帰り道、空き地に土筆(つくし)がたくさん出ていたので摘んできました。こちらは偶然ではなく毎年、出るので知っていた。ヘタを取るのが少し面倒ですが、これで今夜の食材は揃ったと盛り上がり、やる気になっている。

 

 そこから先、細かな話は端折り、栗蟹とゲンゲと土筆の汁ができました。椀には入らないので丼にしました。とにかくドーンとしている。

 汁は栗蟹のほんのり甘くコクのある旨味が濃厚に出ている。毛蟹に比べて脚の肉が少ないのは残念。それでも甲羅の下に筋肉の塊があり、殻が硬くないのでかぶりついて食べる。

 汁物には栗蟹がいい。紅ズワイガニなら焼くのがいい。もともとズワイガニに比べ、紅ズワイガニは格段に安いうえ、いまは上に書いたようにさらに安くなっている。そんなわけで、いろいろやってみた。蟹の種類により旨味を引き出す調理の仕方が異なってくる。

 天然素材では蟹がいちばん旨味が濃いい。どうもこの旨味には依存性があるのではないか。そんなこと言ってるのは自分だけなのか、気になっている。

 そういえば、昭和の頃はなんにでも味の素を振りかけていた。ご飯の上にかけたり、味噌汁、漬物、ハンバーグ、ナポリタンにとなんにでも白い粉末をかけていた。いま思うに、あれは国民的なグルタミン酸ソーダ依存症だったのではないか。

 土筆はいつも思うのですが、味も風味も希薄というか、食材としては頼りない。ふがいないのは分かっていても、春になったという気分を盛り上げるために、もっと自然の豊かな地に住んでいれば山菜を採ってくるのですが、土筆なら近所で摘んでこれるので入れている。

 

 肝心のゲンゲですが、妙な魚でした。 一口目、プルン、ツルンとした口当たり、のどごしが印象的。これは、まさにその一瞬の瞬間芸のような感触です。そう、生卵の白身を飲み込んだときの感触に似ている。

 その後、タラやアンコウに似た白身は、豆腐のような、白子のような食感で、スカスカ、フワフワしていて噛んでも歯ごたえがなく口の中で消えていく。あれっ?という感じ。お麩(ふ)、いえ、それよりコシがなくて綿アメを引き合いに出せば伝わるでしょうか。

 ゲンゲの白身の色、どこかで目にした白だなと思っていました。無垢な白、牛乳の白、後から、中国福建省の徳化窯の白磁の色、あの白を想い出した。

 味ですが、クセのない味なのは分かる。しかし、正直、薄味なので栗蟹の濃厚な旨味に紛れ、イマイチはっきりしない。 また、皮の部分はゼラチン質でドロドロになってる。

 なるほど幻魚って命名、言い得て妙だなと納得。大きな切り身もほとんどが水分で、石川県の方ではミズウオと呼ばれてたとか。 この魚、乾燥させると細い棒みたいになってしまう。店に出ていたときは、太くてどっしりしてたけど水増しだったってことですね。

 

  ☆世界の香など揃えたショップ。よかったらご覧下さい。 http://alteredim.com