トラフズクの鳴き声

 4月18日、この日は午前中まで大雨、陽が沈むころになって晴れ間が広がり、澄んだ西空に金星がプラチナの大粒みたいに輝いていました。

 夜半、若林公園のクロマツの林で妙な鳴き声を聞いた。「ホーッ」というか「フーッ」というかうまく表記できない単発的な音。歩いていたら唐突に聞こえてきて、しばらく沈黙、また聞こえる。

 ウシガエルの鳴き声にも似ているが、こちらはくぐもった低音でどうも違う。高い松の木の上から聞こえてくるので鳥に違いない。暗闇で姿は見えない。

 

 去年は冬の朝、同じ場所でタカのツミ(雀鷹)を見つけ、一人盛り上がっていた。ツミは小動物や鳥を餌にしている小型の猛禽類で、以前はこの公園にはいなかった。

 ツミがキジバトを捕食しているのを何度も見かけた。体は小さいが、脚が太くがっちりしていて鋭い爪、目に焼き付いている。

 毎日、見ていて分かってきたのですが、キジバトはスピードや敏捷性が緩いのと、中サイズなのでツミが狙うのに打って付けだった。例えば、ヒヨドリは敏捷だし、スズメやシジュウガラは小さくて効率が悪い。

 東京の区部では、ずっと前から野鳥の種類も数も減り続けてるけどキジバトは逆に増えていた。明け方、キジバトの鳴き声で目を覚ますことがある。電信柱にとまってたのだと思いますが、以前は人の生活圏とこんなに接近していなかった。

 察するに、キジバトが増えたので、それを捕食するツミがやって来たってことのようです。こんな街中にも自然の摂理が働いているようです。

 新型コロナ対策で、外出する人が減ったヨーロッパの各都市では、鹿や野兎、イノシシ、山羊といった野生動物が目撃されるようになり、港にイルカが現れているとか。人類滅亡の映画のラウトシーンはこんな感じでした。

 地球上から人間がいなくなれば、自然は数百万年ぐらい前の状態、もともとの姿にすぐに戻るんじゃないか。

 いま見つかっている最古の石器はだいたい260万年ぐらい前(アウストラロピテクスという初期の人類というか猿人で、学問的にはヒト亜科に分類されるとか)まで遡ると言われている。さらに330万年前まで遡った石器も見つかっているという。

 人間の祖先がチンパンジーなど類人猿の祖先と枝分かれしたのが600万年前ぐらいということになっているので、人間に向かっていく方向(道具を作るってこと)がはっきりするまで半分以上の時間(約340万年)がかかっている。

 動物園のチンパンジーでも落ちている細い木の棒を道具にしてましたが、自分で道具を作ることはしていない。人間になっていく方向が定まるまで、折り返しの半分の時間がかかってるということは、その間、よほど紆余曲折があったってことのようです。

 これは、自然(動物)から人間になっていくってことは、それほど反自然的なことだったってことを示してると思うわけです。・・・横道に逸れていました。

 公園の松林に二つがいのツミの巣があり、春になると外敵のカラスを威嚇する鳴き声が聞こえてきた。しかし、ちょうど今頃だったか大嵐の日、ツミの巣は吹き飛ばされてしまった。

 今年はツミを見ていない。大切なものをなくしたような欠落感をずっと引きずっていた。

 

 翌日、鳥の正体をネットで調べる。「サントリーの愛鳥活動」というサイトで鳴き声から鳥の種類を検索できました。

 「春」「夜」「森林」「一音」という条件を入れると7種類の野鳥が出てきた。それぞれ鳴き声を聞いてみて、すぐトラフズクだと分かりました。前夜、鳴き声を繰り返し聞いていたのでまず間違いない。

 トラフズクはフクロウの仲間で漢字で書くと虎斑木菟。羽がトラ模様のミミズクといった意味で低山地や平地の林に生息している。英語だとLong-eared owl  、長い耳(羽角という)のフクロウと言ったところ。キジバトよりも大きい鳥です。

 画像の検索をすると、けっこうかわいい感じ、丸顔で羽角がピンとしたところは猫っぽい。知恵の象徴、ミネルヴァのフクロウはこんな目をしてたのか、なんかを深く考えてるようにも見える。

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トラフズク(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)。写真が撮れないのでこれでご勘弁を。

 トラフズクだと分かり、新しい発見をしたような気分になって、やはり一人盛り上がっている。周りの人に話しても無関心な様子、まあしょうがない。

 姿は見えなかったが、たしかにいる・・・そういえば火球を聞いた時のことを想い出す。

 あまり関係ない話ですが、諸葛孔明とラマナマハリシ岡本太郎の三人に共通していることが一つある。三人とも亡くなったとき、夜空に火球が見えたってことです。

 岡本太郎の逝去を報じた新聞記事をみると、少し離れたところに前夜、火球が目撃されたという記事が載っている。

 そういえば、7年ほど前のことでした。真冬の深夜、室内にいたとき屋根に何か落ちてきたような音が聞こえた。大きな音ではなかった。ガタンというか、雨戸を揺さぶったような音。静かな晩で、そのときは空耳、錯覚かと思っていた。

 翌日の夕刊で、同じ地域、同時刻に火球が落下するのを見た、その音を聞いた人が大勢いたことを知りました。火球は音速の数十倍のスピードで大気を落ちてくるので、その衝撃波が届いたときの音でした。

 いまもそのときの音の記憶、残っていて、天狗の石飛礫(いしつぶて)ってこれじゃないかと思っている。

 テングは、もともとは中国の漢字で天の狗(いぬ)、隕石が落ちてきたとき、つまり火球の音がして、それを空から犬の鳴き声がしたと思ったという話しでしょ。稀な椿事で、なんとも不思議な出来事だったから後世に残る言葉になり、そして日本にも伝わったわけですよね。

 

 いまのところトラフズクの姿は見ていない。そうか、ウシガエルも同じだったなとつながった。弦巻の中央図書館の池にウシガエルがいたのですが、そこは人の近ずけない茂みの奥で、春から夏、牛のような、汽笛のような大きな鳴き声が聞こえてくる。

 図体の大きな動物かと思うほど大きな鳴き声でした。でも、姿形は見えない。

 見えないけど、そこにいる。こんな関係も案外、面白い。見えない分、逆に存在感があって、少なくともそこに行くと、いつも意識するようになっている。それは、妖怪のような存在といえなくもない。

 なくても(見えなくても)、ある(居る)というリアリテイ。思い込みで感じてるのとは違うんです。本当にある(居る)のですから。幻覚を見るより、こっちの方がワクワクする。

 日常世界にこういうリアリテイがたくさんあったら面白い。日常がもっと豊かになるんじゃないか。この話は結局、豊かさって何かということになるのですが。

 お金に換算できる豊かさの世界は、まだ貧しいのではないかと思っている。UFOでも妖怪でもUMAでもなんでもいいですが、そういうのが身近に、周りにいた方が人間界としては豊かなのではないか。

 

 ふと思ったのですが、今までこんなところにはいなかった鳥がどうしてここにいるのだろうか? 郊外の山野から街中に移動してきたのか、ペットとして飼われていたのが逃げたのか。 日本の野鳥のトラフズクを飼うことは法律で禁止されており、輸入されたトラフズクが高値で売られている。

 一昨日、雨の中、三軒茶屋の三角地帯を通ったとき、ここは小さな飲食店の密集しているエリアですが、路地の脇に調理器具や敷き布、箸立てなどを包んだ大きなビニール袋が山のように捨てられているのを目にした。

 新型コロナの影響で飲食店はどこも営業を自粛している。いまコロナ騒動で廃業する店が出始めているというニュースを見ましたが、捨てられていたビニール袋は、そんな一例なのかもしれない。

 この数年、猫カフェの後続で各地でフクロウカフェが開店していましたが、若林公園にいたトラフズクはフクロウカフェにいたのかも? でも、そういう業者の人は放ったりせずに、しっかり転売するでしょうから、その可能性は少ないか。

 

追記・・・下の写真は、チンパンジーが木の棒を道具にして使ってるところ。横浜のズーラシア動物園で、奥の方で座って何かしている人物(?)の左手に注目。細い棒を指でつまんで、朽ちた倒木の幹の中にいる虫をほじくっていた。

 親指が短いので、正確にはつまむことができず、指と指の間に挟んでいる。ぎこちない様子です。

 使っているのは細めで真っ直ぐな枝。近くに落ちていたのを拾ったもの。太い枝から細い枝を折り、葉を除いて棒(道具)を作ることはしていない。この違いはすごく大きい。

 道具を作るってことは、予めその道具を作った後の用途や使い方を頭の中で考えてるわけで、もしかしたら未来という観念が芽生えたのはこのときだったのかも、いずれにしても、そこまで複雑な思考をしはじめたのは人類だけだった。

 道具を使うけど、道具を作るまでには至らない段階、これが600万年前の知性なんですね。

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