今年、いちばんのキレイ&いちばんのビックリ

 2020年も残すところあと2日。今年は新型コロナで大変でした。

 2月の中旬、横浜港に停泊したダイヤモンドプリンセス号のニュースが連日、テレビで報道されていたのがずいぶん昔のことのよう。あれから春、夏、秋そして冬と季節感の欠けたのっぺらぼうのような日々が過ぎていった。

 

 6月、浅草の地下鉄銀座線の改札口を出てすぐの地下商店街にあった「たんぼ」が閉店した。この店の名物は肉豆腐。 旦那さんが亡くなられてから女手一つで店をきりもりしてきた。肉豆腐定食は昭和の味がしました。

 それから湯島の「天久」の閉店。湯島坂下から不忍池の方にちょっと行った所で、江戸風のごま油で香ばしく揚げた天ぷら、この店の天丼、濃いめのタレとご飯の相性が格別旨かった。 また、神保町のキッチン南海、ずっと行ってないまま閉店のニュースをテレビで見ました。

 近所のすし屋さんが唐突に閉店した。実は一度も入ったことはなかったですが、深夜まで頑固おやじ風の店主一人でやっていて、いつも帰るとき煌々と明かりが灯り、のれん越しにお客さんの姿が見えた。

 世田谷通りの信号待ちをしているとき、並木の銀杏の向こうに店が見え、毎日、今夜はまだ空いているな、今夜は遅くまでお客さんが多く賑やかだな、と目に入ってきてしまう。いまシャッターの降りた暗い店を見ると、自分の世界の一部が消失しているように感じる。

 コロナ禍は、個人経営の飲食店にとってほんとに酷、そして世代交代の流れ=時間を加速させている。人間世の常で遠からず引退するにしても、もう少し先までは残ったはずのものが消えていった。

 

いちばんのキレイ

 9月中旬、空が高くなってきた秋晴れの朝、近所の路地を歩いているとき目にした鈴なりの赤い棗(ナツメ)の実、今年、いちばんキレイだなと思ったのはこれでした。

 この路地は真っ直ぐ西の方角に延びている。歩いていると、路地に面した家の庭に大きなナツメの樹が植わっているのが目に入る。二階建ての家屋よりも背が高く、茂った枝に熟した実が覆うようについていた。

 東から朝陽がナツメの樹に真っ直ぐに当たり、赤い実も緑の葉もキラキラ輝いている・・・別になんということもない景色に思われるかもしれませんが、ちょっと違うんです。 

 ナツメの表皮はツルツルで光沢のある赤、最も赤のよく出ている珊瑚の色で、そこに光が当たるとまるでガーネットの粒のよう。また、なかには、所々、萎んだへこみのある実もあって、へこみに光が当たると乱反射して白光に瞬くように見える。緑色の小さな葉も緑釉のような光沢があるので、朝陽を浴びた樹全体が赤、白、緑の光の粒になり、真っ青な空とのコントラストで引き立てられている。

 実が落ちるまでの半月ほど、晴れた朝は、足をとめて眺めていた。この心象、写真には写せないので、何度も見てはイメージを胸というか、記憶というか、内界に焼きつけた。

 去年は、星と鉱物、どっちがキレイかなんて、とりとめなく思い巡らしていましたが、今年は、これでした。そう、2月の宵の口、寒風の吹きっ晒しのビルの屋上から見た月の地球照も絶美だった。透き通った群青色の夜空に月齢3.5の細く輝く白い月。欠けた部分が地球の反射光で仄かに円(まる)く見える。仄かに黒い色感はコヒーゼリーのよう。

 先の木星土星の最接近はいまいち。また、人間が作ったものでは、それほどのものとは出会いませんでした。

 

いちばんのビックリ

 「新潟県佐渡島では、島で生まれて生涯、島から出なかった人もいる。それどころか、島の内陸部で暮らし、一度も海を見たことのない人もいた」・・・久しぶりに会った友人と雑談していたとき耳にした話しです。

  友人は埼玉で生まれたのですが、佐渡島出身のお父さんから聞いたそうです。時代は、昭和の戦前から戦後すぐぐらいのことだと思います。

 えーっ、島で生まれ一度も海を見ないで一生を終える人がいたなんて! その人にとっての世界は生まれた家の近所だけだったってこと? そんなことってあるんでしょうか。まるで映画の「トゥルーマン・ショー」みたい。

 四国、九州、北海道、本州も世界地図では島だし、海を見ないまま一生を終える人もいるかもしれないとは思う。でも、佐渡島って、そんなに大きくはないのでは? 行ったことがないので実感がつかめない。

 

 ちょっと調べると、佐渡島の面積は東京23区よりも広く、大阪府の45パーセントだとか。東西の両側をついたてのような山地に挟まれた国中平野がある。

 平野の真ん中にいたとしたら南北両端の海岸まで7キロぐらい。平野は山手線の内側だけが世界といった感じでしょうか。最初、聞いたときにイメージしたよりは広く、ありえない話でもないような気がしてきた。

 それにしても、その人は外の世界には関心、好奇心なかったんでしょうか。新潟の街に行ってみたい、船や汽車に乗ってみたいとか。海ってものを見てみたいと思わなかったんでしょうか。・・・そういえば、北朝鮮では自分の住んでいる所から半径40キロ以上離れた場所に行くときは当局の許可が必要だとか。脱北者の人の語っていた話しです。

 考えていくと、結局、人間にとっての自由とは何かって問題になるのではないか。

 

 人間は自由がなくても生きることができる。 自由よりは生存の方が優先順位としては上位にある。「自由刑」は、人を牢屋に入れて自由を奪う刑罰ですが、それでも生存は保証している。

 狭い世界の中だけで生きるのは自由刑の受刑者と同じようにも感じるのですが、ただ自発的にそういう生き方を選んでいる場合もあり、自由がないとは感じていないのかもしれない。もし竜宮城みたいなところにいたら、あえて娑婆世界に戻りたい、行きたいとは思わなくなるのかも。

 あるいは、唐突な比喩かもしれませんが、家の中で劣悪な状態のまま多頭飼育されていた犬を救出し、保護犬として育てている人から聞いた話で、そういう犬は散歩で外に出るのを怖がるとか。これは人間にも当てはまるのではないか。

 佐渡島の話に出てきた人はどうだったのでしょうか?

 そういえば、昭和天皇の発言の中に、戦前、20歳のとき初めて訪欧したときの感想があり、そのとき「自由の楽しみ」をはじめて知ったと語っていました。

 それまでは(あるいはそれからも)、江戸城の奥でかごの鳥みたいな人生だったはずで、自由の楽しみという言葉はすごくリアルに感じました。あそこは東京の中心にありながら周りを堀で囲まれていて、小さな島と同じなんですね。

 ヨーロッパで初めて街の店に入って物を買う、お金を使うという体験をしたのではないか。資料を見ていて、ある皇族が、イギリスで店の人にお金を手渡しして、お釣りを受け取るという動作に戸惑ったという言葉がありました。未体験の行為だったので、手を出すタイミングがつかめなかったようです。本人にとっては凄い体験だったんだろうなと思う。

 昭和天皇は後年、若き日の訪欧をたびたび懐かしそうに回想している。その言葉に切なさみたいなものを感じる。あのときが人生で一度だけ体験した自由で、それをいつも想い出していたのかも。

 

 今年の春先、似た言葉をテレビニュースで目にしました。昨年末(12月29日、ちょうど今日)に日本からレバノンに逃亡したカルロス・ゴーン被告のテレビインタビューです。

 関西空港でプライベートジェットに搭乗する際、大きな楽器を入れる箱の中に身を隠していた。下の右の写真はトルコ政府が押収したその箱。・・・この作戦、元米軍のグリーンベレー隊員が立案したようですが、江戸川乱歩怪人二十面相のトリックにありました。トロイアの木馬からある古典的な手口ですね。

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 箱の中に隠れていたときの心境を聞かれたとき「過程はどうであっても自由とは甘いものだ」と答えていた。「過程はどうであっても」って、この人らしい。それに続く「自由とは甘いものだ」という表現、濃いい。上の写真左は、自由を勝ち取った勝利者の貌といった感じ、怪人二十面相っぽい顔相。

 ちょっと横道に逸れます。叶恭子さんの自伝、20年前に出版された本で、タイトルが『蜜の味』。編集者が考えたタイトルだと思いますが、「自由とは甘いものだ」と「蜜の味」って同じノリですね。イブとアダムの食べたリンゴも甘かったんでしょうか?

 

 自由には、権利として与えられる自由と、自分の力で勝ち取るというか自分で生み出す自由があるようです。また、何か行動する、行為する自由と頭の中で考える思考、思想、想像、妄想の自由も別の話になるようです。

 さらに、何もしない自由、怠惰とか堕落というか愚行権って言うんでしょうか、隠遁なんかも。隠者、老荘の道の自由ということになる。これは別の言い方をすると、時間を自分のためだけに使う自由ってことですね。人間がこの世にいる時間は有限(しかもそれほど長くない)ですが、自分の自由になる時間ってどれぐらいあるんでしょうか。

 

 「自由の楽しみ」と「自由とは甘いものだ」は通底している・・・砂糖がそうですが、水や食物、塩と違って、なくても生きていける。しかし、昔、初めて精製された砂糖の甘さを知った人は、圧倒的なインパクトに魅せられた。近代以前の世界では砂糖は特権階級しか手に入らない貴重品でした。江戸時代の庶民は砂糖を口にすることなどほとんどなかった。

 そういえば、香辛料、お茶、タバコ、酒、コーヒーといった嗜好品は、なくても生存することはできる。戦時中、「ぜいたくは敵だ!」という有名なスローガンがあって、そういったものは贅沢品として統制(制限)されていましたが、世の中から自由もなくなっていたんですね。

 

 佐渡島の話しと競うような話がもう一つありました。それは、ふと耳にした、小学生の子供さんが二人いるお母さんの言葉。家族で多摩動物園に行ったときのこと。

 園内を一周して、ゾウやライオン、シマウマなど見てきた後、そのお母さんは、ポツリと「カッパをまだ見ていない。カッパの檻はどこにあるの?」と旦那さんに尋ねたそうです。

 カッパなんているわけないよ。あれは想像上の妖怪みたいなもんだから、と旦那さんが言ったら逆にびっくりしたようで、「えっ? 信じられない。カッパっているもんだと思ってた。動物園にいないわけがない」と腑に落ちない様子だったとか。

 話を聞いて、このお母さんは、心が豊かな人なんだなと思った。お金に豊かな人でも、心が豊かかというと、多くは、心は普通人というか常人と大差ない。仮に、誰かに大金を積んでカッパ実在を信じなさいと言って相手が承諾しても、このような心の豊かさにはなり得ない。

 日本人の大人でカッパが実在していると思っている人、何人ぐらいいるだろうか? カワウソのような他の動物とか絶滅種、UMAとか、あるいは妖怪とか、そういうのがいると思っている人ではなく、本当にそのまま動物として100パーセントいると思っている人。

 心が豊か・・・普通人の常識に拘束されていない心。無知とか迷信というのではない。心が純粋とか、優しい、広い、明るいとか、そういうのともまた異なるカテゴリーで天衣無縫の自由なのかも。努力してなれるものでもなく、天啓のような資質なのではないか。

 

 最後に、一昨日かかってきた電話、研師をしていた友人からでした。彼は、興奮した口調でこう言っていた。

 「聞いてください! 自分の生まれた年の西暦に、自分の年齢を足すと2020になるんです。さっき知り合いから電話で聞いて、紙に書いて計算してみたらその通りになりました。こんなこと1000年に一度しかないんです!」

 えーっ、言ってることおかしい、あたり前でしょ、いつだってそうなるんだけど(誕生日とか細かいことは端折って)。後の付け足しはゾロ目の一種で、1010の次は2020で、次は3030、4040ってことでは1010年に一度だけど、それは前の話しとは別でしょ。

 電話の向こうでは、感動して盛り上がっているので話が噛み合わなかった。検索すると、外人タレントの女性のツイッターから広まった話しのようです。

 これは、後世、コロナ禍でうっ積した世相を反映した「流言飛語」のひとつ(その変形パターン)と位置ずけられるのではないか。コロナ禍がなかったならば、こんなふうに広く拡散しなかったのではないか。人々の間に情報が拡散していく土壌にストレスや社会不安の高まりが作用しているということです。たぶん、それに敏感に反応するシャーマニックな人たちがいるのだと思う。

 昭和20年、戦局が悪化していたときにも、庶民の間で突飛な流言飛語が広まったのを思い出した。当時の憲兵隊の記録に巷で流布していた奇妙な噂や流言飛語が収録されている。予言獣の件(くだん)なんかも出てくる。

 日本社会も、世界中どこもそうなのかと思いますが、コロナ禍で結構こたえてはいるようです。でも、こういう状況だからこそ、悲観論にも楽観論にも流されることなく、冷静に物事を見ていきたいと思っています。

 

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