富士山と貧乏飯と飯場料理

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 真冬の朝、手前の丹沢山地の奥に真っ白の富士山、見とれるばかりで言葉が出てこない。とってもいい。富士山の左の稜線に頂上が接しているのが大山(1252メートル)。

 小田急線の代田駅から撮りました。駅の崖下には環七が通っている。駅前の正面、西の天地が大きく広がっていて、なにも富士山を遮るもののない絶好のビューポイントです。

 代田の駅は、下北沢から上ってきた台地の端っこにあり、この辺りがピーク(標高46m/駅前)、次の梅ヶ丘駅(標高37m)にかけてぐーっと下っていく。写真中央の建物が梅ヶ丘駅の近辺。その標高差、大したことないように思われるかもしれませんが、平野の真ん中なので

視覚的にはずいぶん下ってるように見える。

 

 改札口を出ると、視線の真正面に地平線から純白の台形が突き出ているのが否応なく目に入ってきて、思わず足を止める人たちがいる。見ているここは武蔵の国、手前の丹沢山地は相模の国で、富士山の山頂は駿河と甲斐の国境、こう書くとずいぶん遠くに思えてくる。

 左の端の黒っぽい樹木はケヤキ、冬は葉が落ちて樹形がはっきり分かる。街のビルやマンションよりも高い大樹になる武蔵野の代表的な木。ケヤキの幹、枝の黒いシルエットに冬の武蔵野の風情を感じている。

 富士山は、白色の台形、それに抜きんでた高さの独立峰、別格の山容スケール、なんか出来すぎで、造り物っぽくもあり、巨大なオブジェのように見える。考えてみれば、ふつうの山っぽくない奇妙な山です。

 

 そうでした! 『日本百名山』(深田久弥)の富士山の紹介文に、この山は世界に二つとない特徴があると指摘していました。それは稜線のライン(線)で、「頂上は3776米、大宮口は125米、その等高差を少しのよどみもない一本の線で引いた例は、地球上に他にあるまい。」と書いている。

 「地球上に他にあるまい」・・・そこまで書かれると急にすごい山に思えてくる。

 確かに、富士山の稜線は、独立峰で見た目、棒線というか長い直線なんですね。日本の他の山、あるいはヒマラヤやヨーロッパ・アルプスの山の稜線とは異なる。独立峰の山容ということでは、アグン山とかポポカテペトル山は似ているが、どちらの稜線も富士山のような直線ではない。

 本にはまた「(富士山の稜線の)そのスケールの大きさ、そののんびりとした屈託のない長さは、海の水平線を除けば、凡(およ)そ本邦において肉眼をもって見られ得べき限りの最大の線であろう」(小島鳥水)とある。

 なるほど、稜線の「線」に着目してるわけですか。ふつうの山っぽくない奇妙な山と書きましたが、富士山は左右の稜線が直線で、上が水平の直線・・・つまり台形なので、自然の山の類型化したイメージから外れてるんですね。

 自然に直線は存在しないというイギリスの造園家の言葉がありました。富士山の姿は、反自然的な景観ということですか。奇妙な山に見えたのが分かってきました。

 直感は統合された感覚なので、富士山を眺めていて全体としてなんか奇妙に感じられても、分析的に見る眼ではなかったから、その理由が分からなかった。それを指摘した文章を読んでやっと気づきました。

 

 前回、最後に「(江戸時代の)庶民の贅沢」を紹介したとき現代の庶民の贅沢についてもふれた。実は、書いていて少し違和感がありました。

 格差社会といわれる現代、庶民といっても幅広いわけで、自分も含めて知り合いは、だいたい庶民の中でも下の方。たまに美味しいものを食べ、ちょっとした旅行にいく、そんな庶民の贅沢を楽しむ余裕もあまりないのが実情。そんな人たちのことです。

 貧すれば鈍すという格言がある。でも、なかには貧にして楽しむ(論語)みたいな人もいるのではないか。

 思い浮かべるのは、北宋文人、蘇東坡のことです。流罪に遭いながらも窮乏生活の中で、 自然を愛で、 詩文を作り、書画を描き、友とつきあい、ついでに東坡肉(中華料理)を考案した人。

 ああ、蘇東坡は士大夫でした。つまりエリート。でも、そんな特別な人じゃなくても、凡庸な庶民の中にも貧にして楽しむ人がいるのではないか、日々、生きることの中に楽しみを見つけること。心の持ち方次第で、いくらでも開けてくるのではないか。

 「へうげもの」の登場人物、 茶人の丿貫(へちかん)のようなノリならそんなに難しくないんじゃないか。別に人と比べてどうこう気にすることでもなく、要は、自分の気持ちが充足できればそれでいいのですから。

 今回は、三界の中では欲界、ドロドロした話しが多く、ちょっと気がひけるのですが、まあ、人間界はいろいろあるので、これもその一面ということで。

 

 アパートで一人暮らしの友人がいる。仮にAさんとしておきます。電話でときどき雑談している。いかに安上がりに暮らしていくか、そんなことを日々、研究している人で、当然、自炊。玉ねぎ10キロを600円で買ったので分けますよとか、トビウオが山盛りで安かったですが持ってきませんかとか、浮世離れしたところ、常ならざるところが面白い。

  経済力はないけど、生存力があるというのが個人主義者(?)Aさんの生活パターン。 かってアジアやアフリカの途上国を貧乏旅行していた旅の知恵が身についていて、今はそれが生存力に転化している。

 普通の人だったら鬱になってもおかしくない状況なのに、そうならないのは、本人の資質もあるでしょうが、バックパッカー時代に生存力を鍛えられたことが大きい。窮すれば通ずですね。そんな旅の体験がAさんの財産になっている。

 Aさんのしぶとい生存力を見ていると、大地震があっても核戦争が起きても、飢餓や疫病、なにがあってもこの人は生き延びるような気がする。都市生活者型のサバイバリストというか、要は、コアな個人主義者、別の言い方をするとエゴイスト。

 ・・・ちょっと横道に逸れます。自分はいくつもの危うい状況を、例えば戦場でも超えてきましたが、生きているのは、偶然の要素が大きかった。正直、能力も生存力もたいしてないなと思っている。

 何度も偶然に助けられ、ある場合は、偶然、見知らぬ人の好意で助けられた。そんな偶然が繰り返されると、偶然x偶然x偶然・・・と確率的には理解できなくなり、神仏の加護のようなものを感じられざるを得なくなってきた。幻覚とか幻聴の類ではなく、経験科学から導き出された結論のようなものとして受けとめている。だから神仏といっても、別に、特定の宗教ってわけではなく、超越的な何か。自力の信仰ではなく、他力の信仰に近い。

 なにが言いたいかと言いますと、人はいろんなパターンがあって、ここでは生存力を持ち上げてますが、それにこだわることもなく、自分のパターンでやりましょうよ、ってことです。 

 

 Aさんの生存力の一例、なんか可笑しかった話しです。Aさんは、エジプトで、滞在費を稼ぐためにテレビドラマに出ていた。演技経験はゼロ、それでも出来る役があった。

 エジプトでは、イスラム教の戒律に反した人間=ならず者という社会通念があるので、酒を飲んだり(実は水を飲むだけ)、女性にちょっかいを出す(ふりだけ)、それで悪役が務まった。極悪というよりは醜悪の方の悪。

 テレビの視聴者にとっては、法律を犯した人=犯罪者よりもイスラムの教えに反する人間の方が嫌悪すべき存在で、現地の俳優はイスラム教徒なのでそういう役はやりたがらない。そこでお鉢がまわってきたわけです。

 イスラエル軍の兵隊とよく似た軍服を着て出演したりもしていた。当時は、第四次中東戦争の記憶もあって、エジプトの人々にとってイスラエルは憎き敵、その兵隊は鬼畜という目で見られていた。

 えーっ、日本人では顔つきが違うんじゃないかと思うのですが、向こうのテレビはあんまり細かいことは気にしない作りだった。後にふれますが、本人の容貌がそんな役に向いていたこともある。

 カイロの街を歩いていると、テレビを観ている子供たちがあーっ、怖いと声を上げるぐらい顔を知られるようになっていた。

 ・・・そういえば、天本英世という俳優さん、死神博士とかムー帝国の長老とか演じてカルト的な人気ありました。画面の中の天本さんは、不気味な容貌、偏執者というかエキセントリックな雰囲気、存在自体が非日常的だった。

 並の悪役にとどまらない特異性として、世界征服の陰謀を企てている悪の秘密結社の首領みたいな荒唐無稽さが味でした。今だったらQアノンの陰のリーダーといった感じ。

 一時期、仕事の用事で三宿にいくことがあった。・・・また横道に逸れますが、交差点の近くにある古本屋、江口書店には子供のころ毎週、通っていた。レジの台に高く平積みされた本が何列も連なり、本の壁が出来ていて、その奥のコックピットみたいな隙間に店主のおじさんが座っていた。

 昭和はじめの円本が新本のようにたくさんあって、本を開くとページから戦前の匂いがした。ちょっとすえたような静謐な匂い。

 あれから月日がたち、店主さんは亡くなり、最近、通ったときは店のシャッターが閉じたままですが、聞くところ、あの店は古本屋業界(?)のレジェンドになっているようです。

 通りに面したファミレスに入ると天本さんがよくいました。そこを事務所代わりにしていた。特異な風貌なのですぐに分かる。挨拶するぐらいでたいして話さなかったけど、ごく普通の人でした(当たり前)。

 いま結びついたのですが、Aさんの容貌、天本さんに似ているのに気づいた。ともに180センチ以上の長身で痩せ型、彫りの深い顔つきの細面、世界共通なんでしょうか、視聴者の想像力を膨らませるのにうってつけの容貌。・・・なんの話しをしてたんでしょうか? ええと、貧乏飯の話しでした。

 

 毎日、何を食べているか、Aさんの貧乏飯の聞いていると、本人にとっては必死にやっていることでしょうが、聞いている方は、いかに安く食べるかの工夫を楽しんでいるような感じです。巻頭でふれた蘇東坡に通じるところがある。

 蘇東坡の創作といわれる料理、東坡肉は、いまは中華料理の定番の一つになっていて、沖縄のラフテーもこれから派生した料理という説もある。しかし、その時代、豚肉は卑しい食べ物と見なされていたとか。東坡肉はそんな食材を使った貧乏飯だったわけです。

 Aさんの家の台所にガスはない。カセットコンロで煮炊きしている。ガスボンベは安売りの店で3本で200何十円、夏は一週間に2本、冬は3本使うとか。ガス代よりも安くすむ。

 以前はコンビニの弁当、レトルトや缶詰を安く買えるときに食べていたが、5年ほどそんな生活を続けているうち、体調を崩し、体のあちこちが痛くなってきてやめることになる。安いだけで不健康な食だった。

 今は、自転車で新大久保までいってハラルフードの店で豆を買ってくる。レンズ豆、ウズラ豆、ヒヨコ豆など1キロ200円で買える。炭水化物の米やパスタ(小麦)を控えめにして、ビタミン、ミネラルの豊富な豆を増やす食生活。肉や魚は食べなくなった。

 貧乏飯として豆に目をつけたところ、Aさんでなければ思いつかないのではないか。

 中東には豆を使った料理が多い。インドのダールもそう。フムスも、と豆を食材としてよく用いる文化圏ではいろいろな料理がある。

 Aさんは豆を煮て、味付けはいろいろ、塩、味噌、スパイス、卵など選んでを入れている。

 ついでに、卵って、都会生活のサバイバルでは最も重要な食材かも、最近、そんな場面に出くわした。ホームレスで、小さな公園を拠点の一つにしている人がいる。

 その人がスーパーで買ってきた食料、それが生卵でした。なるほど、 価格と栄養価のコストパフォーマンスでは、卵がいちばんだし調理する必要がなく、そのまま飲み込めばいい。ギリギリの現金で卵を選んだのは、生活の知恵なんだなと思った。

 ついでのついで、荻生徂徠の貧乏飯ってのもありました。若いころの貧乏生活で、三食、豆腐のおからを食べていた。また、戦後の食糧難の時代、配給の食パンに味噌をつけて食べていた小説家とか、こういう話し、探していくとたくさんありそう。

 

 ハラルフードの店で売っていた豆の話し、すらすら書いていますが、Aさんは、自転車で都内の食材店を探しまわり、価格と栄養価の両方を考え、試行錯誤を繰り返した末、この貧乏飯にたどり着いた。

 予々、Aさんの生存力、凄いなーと思っているので、そのAさんの結論なら、これこそ究極的な貧乏飯だと思っている。

 

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(ロシアのナマズ。どーんっとしている。本文とは関係ありません) 

 近所のおじさんで、朝、ときどき話をするBさんは、昔、テキ屋をしてたり飯場を渡り歩いてきた人。やはり一人暮らし。先週、雑談していたら、飯場にいたころナマズを獲ってきて鍋にしたと言っていた。

 実は、以前からナマズ鍋にはこだわりがあったので話しに引き込まれた。というのは「怪談蚊喰鳥」(1961年、大映)という映画のワンシーンがずっと記憶に残っていたからです。

 怪談物なのに、いつまでたってもお化けが出てこない変な映画でした。どんな話しかというと、「大映が真夏に放つ『怪談蚊喰鳥』は人間の業ともいうべき、凄まじき物欲と色欲に対するあくなき執着が巻き起こす悲劇を描く」(角川映画の説明文)・・・これだけでは、なんだか分からないけど、ドロドロ凄そうなことだけは分かる。

 大映は、有名なワンマン社長がいて、その人の好みだと思うのですが、愛欲がらみの因果話しと仏教の教えが混濁した変な映画がたくさんある。浅草の映画館でよく観ました。

 この映画でいちばん印象的だったのは、沼から獲ってきたナマズを調理するシーン。葦の茂ったジメジメした沼にいるナマズを獲ってきて、長屋の土間で調理する。 モノクロの映画で、それが土俗的なイメージを膨らませている。

 それから、包丁でナマズをトン、トンと輪切りにして小ぶりの鍋に放り込む。七輪の上に鍋をのせ、下から団扇でパタパタして煮込むシーン、あの鍋は飯田屋のドジョウ鍋と似ているなと思いながら、見ていて無性に食べてみたくなった。

 以来、いつかあんなナマズ鍋を食べたいと思っているのですが、実現していない。

 

 Bさんは、千葉の飯場にいたとき、近くの用水路にナマズがいるのを見つけ、ミミズを餌に釣ってきた。 30センチぐらいのナマズが15、6匹獲れた。

 飯場では、お金は盗まれるはろくな奴がいないからナマズのいる場所は秘密にしていたとか。キノコ採り名人が松茸山のポイントを他人に隠しているみたいな口調。

 じゃあ、だいたいどの辺りだったの? 聞いたら、う〜ん、と悩んだ末、取手の競輪場の近くと告白。・・・ああ、これは競輪にハマってたのをバレないように口籠もってたのかも。世間の目からすれば、Bさんはお金が入れば朝から酒とパチンコ、競輪、競馬で擦ってしまうダメ人間なわけですが。

 調理はシンプル。まず水桶に入れて泥を吐かせる。それから飯場の台所で頭とハラワタを除けて、輪切りにして鍋で煮るだけ。飯場で作っているから飯場料理。

 「ぶつ切りの肉の山もり鯰鍋」(俳人・野村喜舟)・・・こんな感じですね。

 粗塩をつけて食べる。味は聞いても、美味しかったよぐらいで、はっきりした言葉が出てこない。もともと寡黙な人なので、あんまり言わない。その分、聞いているこちらは夢が膨らむ。

 勝手に飯場料理と言ってますが、他にもテキヤ料理もそうで、粗野な中にも常民の日常的な食とは異なる非定住民の食の遺風を感じている。潜在的な意識の領域のことではっきり言い切れないですが、映画のナマズ鍋に土俗的なイメージを感じたのもたぶん源泉は同じ。それがいっそう夢を膨らませている。

 

 ところで、ナマズってそんなに簡単に獲れるんでしょうか? 素人が手作りの仕掛けで獲れるのか。聞けば、Bさんは、子供のころ小学校にはあまりいかず、裏山でメジロ、ウグイス、ヒヨドリなど野鳥を獲ってきては、道端で鳥を売っていた。通りがかりのトラックの運転手がメジロを買ってくれたとか。そんな生活をしていたので鳥や魚を獲るのはお手のものだった。 

 今の感覚では、小学生が学校にいかず鳥を売ってるのって変な話しですが、昭和の高度成長の頃までは、そういうこともあったんですね。

 そういえば、戦争中、ビルマ戦線の極限状況を生き延びてきた人で、野鳥獲りの名人がいました。田圃でウナギを手で獲ったりするのも上手、ジャングルで、鳥や魚を獲っていた技が身についていた。

 カスミ網で獲ったツグミが焼き鳥屋に並んでいて、スズメの焼き鳥もふつうにあった時代、鳥を捕まえ生計を立てていた人たちがいた。

 伊豆の山で鳥黐(とりもち)を使ってメジロを捕まえ、こ使い稼ぎにしていた。今は違法になっていますが、そのころは、メジロの鳴き声を競いあっていた趣味人たちがいて、メジロは愛玩用に売り買いされていた。

 お金が入ると、各地の公営ギャンブル場をまわっていた。インパール作戦は、兵隊の8割が死んでいて、補給が途絶え餓死者が多い。帰国はできたけど、人間が壊れ、変わってしまった人でした。いま振り返ると、嬉々として競輪場や競艇場を渡り歩いていた姿、本人にはそれが地上天国だったのかも。

 

 貧乏飯のAさん、飯場料理のBさん、共にいまの日本社会の中ではマイノリティー的存在かもしれない。でも、窮すれば通ずの人生体験を通して得た知恵で楽しみを見つけていました。・・・今回、通して読むと、富士山の話から、エジプトの悪役、ハラルフードの豆、怪談映画のナマズ鍋、飯場メジロ獲りと話しの流れが支離滅裂、毎度、そんな感じで申し訳ありません。

 

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