日本の山奥にライオンがいる!

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 旧約聖書のユダの獅子(ライオン)に由来する紋章。エチオピアの発掘品で土がこびり付いている。時代としては、近代に入ってから造られたもの。以前のエチオピア国旗は、中心にこのライオンが描かれていた。また、音楽のレゲエ、ラスタのシンボルでもある。

   

 常識的には荒唐無稽としか言えないような話しですが、実際に山の中でライオンを見た人がいるようなのです。それも各々遠く離れた地域で、何人もの人たちが見ている。  

 目撃談は、1970年代から90年代前半のことで、現代の出来事といってもいい。マスメデイアやネットには、ライオンの存在に関する情報は見当たらないので、これは大スクープなんじゃないか?

 

 たまたま読んでいた本、それから雑誌の中に別々のライオン目撃談があるのを見つけた。本と雑誌の内容は、互いに年代も場所も異なり、まったく関係なく同じようなものを見たというところに興味を惹かれた。

 目撃談の記事は、小さなトピックス程度の扱いだった。実害があったのではないし、写真に撮られてはいないので、そんな扱いなんでしょうね。

 

 最初は『山怪』(田中康弘、2015)という本、奇妙な体験談が載っていた。秋田の雪山でライオンを見たというのですが、 作り話にしては、あまりに非現実的なところが、逆にリアリティを感じた。そう、「不合理ゆえにわれ信ず」です。

 この本は、山の中で猟師の人たちが体験した不思議な話を集めた現代版「遠野物語」として、けっこう話題になっていた。

 秋田県北部の雪山で、マタギの猟師がウサギ狩りをしていたとき、こんな体験をしたという。 1990年代前半のことです。 本文の一部を引用します。

 

「雪も止んで結構穏やかな天気だったんだ。ウサギ狩りには最適だな。まだ勢子が動き始めるまで時間があったから、辺りを何気なく見てな、こう下の斜面の方に顔向けたら、驚いたよ。」

 Iさん(本文では苗字)が立つ位置から少し下がった雪の斜面に大きな何かが見えた。

「ちょうどなあ、ライオンみたいな感じだった。それが何かって言われると、はっきりとは分からねえどもな、感じはライオンだったな、それがこう這いつくばってこっちを見てるんだ」

 静かな雪山、明るい広葉樹の森の中でとてつもない怪物と対峙したマタギは銃を構えた。

 「いやこれは何とかせねばなんね。そう思って銃を構えたけどなあ、とても敵う相手じゃねえって」

 ライフルやスラッグ弾なら大物でも倒せるが、今銃に装填されているのはウサギ狩り用の散弾だ。とてもこれでは歯がたたない。

「もう生きた心地がしねえもんなあ。こりゃあとても駄目だと思ってゆっくり後ずさってよ、仲間の所さ走ったさ」

 この後、猟師仲間にライオンのことを話すが、全然相手にされなかった。付け加えると、Iさんは、他にも狐に惑わされた体験もあったりしてサイキックな資質の人だったと書かれている。

 

 その本を読んだ、ちょうど同じころ、古雑誌を整理していて、パラパラ、ページをめくっていたら、またライオンの記事が目に入ってきた。

 『別冊 宝石』(1973年1月号)、「日本列島を騒がせた怪獣たち」(斎藤守弘)という記事でした。そのころ日本各地でヒバゴンツチノコ、クッシーなどUMA(未確認動物)の目撃談が相次いでいた。

 1973年は、高度成長の晩期、田中角栄氏が首相で、第四次中東戦争によりオイルショックが起きている。そういえば先日、亡くなられた作家・政治家の石原慎太郎氏がネッシー探検隊の総隊長になりスコットランドネス湖に行ってたのもこの年だった。

 そんな時代風潮の中で、関西の和歌山、京都、舞鶴でライオンが次々と目撃されていた。

 1971年1月、和歌山県新和歌浦で駐在所の警察官が見たライオンはこんな感じだった。以下、引用です。

 

「あれは昼飯をとった後でしたな。腹ごなしに近くの雑木林にはいって行くと、奥のほうから耳なれない唸り声がする。いままで見たことのない大きな動物なんですわ。

 見ると、岩の上にごろり横になっていて、前足でしきりに口のまわりをこするところなどまったく猫そっくり。けれど、それにしては図体が大きい。約2メートルくらい。尻尾は長く、耳は小さかった」

 

 記事によれば、警察官が見たということから、その後、大がかりな捜査を行ったが、ライオンは見つからなかったという。

 また、 1972年5月、丹波山中で亀岡市の中学生が見たライオンはこんな感じだった。

 

「まるで巨大な猫のようだった。体に模様はなく、全身、うす茶色。とてもしなやかな身のこなしで、雌のライオンか、ピューマに似ていた」

 わずかに開けた草っ原の上を、跳ねたり転がったり、しきりにたわむれる様子。

「それは記録映画なんかで見るライオンの遊び方そっくりだった。野良犬や山猫なんかの見間違いじゃ絶対ない」

 

 引用文のライオンは、地域、年代が離れていて、互いに無関係の存在だと思われる。みんな虚言? あるいは、なにか他の動物、岩や倒木の類いを錯覚したのか? 客観的な視点で、それが何かと詮索してもどうも先に進まない。思考停止になってしまう。

 異なる視点から、これは人間の主観性の世界に棲息している幻獣ライオンなのではないかと思った。 伝説や神話に登場する、民間伝承で伝えられてきた、あるいは妖怪の一種、そんな動物をひっくるめて「幻獣」と呼ばれている。

 「いる」という言葉の解釈になるのですが、物質的な存在ではないが、「いる」ということもありえるのではないか。また、客観的に誰にも見える「いる」とは異なる人により見える人と、見えない人がいる、そんなパターンの「いる」もあるのではないか。

 じゃあ、幻獣ライオンって何なの? すぐに思い付くのは、ユングの説いている「元型」・・・人類の集合的無意識の象徴ではないか。元型と言っておけば、UFOでもなんでも、よく分からないことはみんな当てはまってしまうので、なんか安直な考えのような気がしないでもないが。

 そんな心理学的な解釈では面白くないという人には、幻獣ライオンは、この世界(三次元空間+時間)に属していない何か、異次元獣だといってもいい。同じ出来事でも、山奥で幻覚を見たというより、異次元獣と遭遇したといった方がドラマチック。

 意識の本源はこの世界に属していないんじゃないかと疑っている・・・DMTやケタミンサルビノリンAから得た直観で、科学ではまだ未解明の領域。思うに、客観世界を主観世界の観察対象として分離し捉えている現在の科学のパラダイムでは解明できないのではないか。

 ということでは、結論だけ直観的に分かっていて(と、思い込んでいて)、そこから察するに、元型も異次元獣も同じことになる。

 

 人類の始まりを仮にチンパンジーの祖先と分岐した約600万年前とすると、現在までの大部分の間、ライオンと人類は、捕食者と被食者という関係だった。人間は、一方的に食べられちゃうだけ。ライオンは、SF映画プレデターみたいな存在。

 人類が集団でなんとか対抗(反撃)できるようになったのは3~4万年前ぐらいからではないか。

 忘れてならないのは、ホラアナライオンやスミロドンのような既に絶滅した、ライオンよりも大きくパワフルなネコ科の肉食猛獣が1万年前ぐらいまでヨーロッパやアメリカにいたということだ。それらより少し小型になるがヨーロッパ南部には西暦1世紀ぐらいまでライオンがいたし、イランには19世紀までいた。

 1万年前といえば、日本では縄文時代に入っていて、そんなに大昔(?)でもない。 文字はなかったけど、すでに言葉を使っていたから文化的な伝承、つまり人から人、ある世代から次の世代への情報のコピーがなされていたはず。

 こんな猛獣たちが跋扈していたころの人類にとって、ライオン・・・ネコ科の大型猛獣は現代人には想像できない恐怖というか畏怖というか、そういう絶対的な存在だったはず。

 人類は、何千世代もの間、そんな一生を繰り返していたのだから、人類の潜在意識に情報のファイル、つまり元型として刷り込まれていないわけがない(変な論証かも。まあ、瞑想的な推測として)。

 ライオンが王権の象徴であり、スフインクスの胴体がライオンなのも、神社の狛犬も、その名残りだと思っているわけです。

 

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