「 朝風呂丹前長火鉢」と享楽文化

(師走の浅草寺、恒例の羽子板市でのこと。境内に羽子板を売る露店がたくさん並ぶ。その中で、これだけフツーじゃない雰囲気。なんか妖しい。目が飛んじゃってる。)   

 

 「鯛の目玉」って、ご存知でしょうか?  江戸時代の隠語で「恋情。男女間の愛情」のことらしい。その由来は「鯛の目玉=最も味のよいもの=何物も及ばない味」から派生したという(『隠語辞典』楳垣実編)。

 ふ~ん、鯛の目玉ってそんなに美味なの? ひところ魚の目玉にはDHAEPAが豊富に含まれ、食べると頭が良くなるなんて言われてた。

 でも、マグロの頭部、ツノトロみたいに、特に美味だと持ち上げる話は耳にしなかった。知り合いの料理人に聞いても曖昧な答え。まあ、江戸時代のことだから・・・。

 

 「何物も及ばない味」って、よっぽどの美味に違いない。現在、その味は途絶えたのか。それは調理法、要するに職人(料理人)がいなくなったのか。明治以降、肉食、乳製品、洋食、スパイス、化学調味料の味に順化されて日本人の味覚自体が変化し、その味を感じられなくなったのか。

 あるいは、そんな大仰な話ではなくて、江戸時代の庶民にとって鯛は高嶺の花で、象徴的な意味で用いられていただけなのか。

 隠語は、その時代、仲間内の間には通じる意味があったのだけど、後世の人間にとっては、なぞなぞ言葉になってしまうのですね。

 

 よく分からないついでに「朝風呂丹前長火鉢」という言葉もあった。朝湯に入り、丹前(どてら)を着て、長火鉢の前に座っているさま、一般的な説明では気楽な生活の喩えらしい。

 気楽な生活ですか・・・現代人の感覚からすればそうかもしれないが、なんか怪しい?

 

 江戸時代、銭湯は夜明けから開いていた。朝一番に訪れるのは、徹夜で博奕場や遊郭にこもっていた人たち。

 「丹前」は寒いときに着る「どてら」ですが、一方、隠語の意味もあって、風呂で営まれていた風俗業に通う客のことだった。『隠語辞典』には「呂衆」という隠語が載っていました。風呂屋の湯女で実質的に私娼のことだそうです。また、浮世絵には、よく遊郭に長火鉢が置かれている場面が描かれている。長火鉢は喫煙具一式がセットになっていて、凝った造りの工芸品もある。

 

 「朝風呂丹前長火鉢」を深読みすると、一晩、博奕で得た金で、朝、私娼のいる風呂にいき、その後、昼間はぬくぬくしてる。江戸時代は、いまよりも寒冷な気候だった。隅田川が凍ったそうで、北海道の冬といった感じ。長火鉢のまわりでキセルをふかし、ダラダラしてる。 

 仕事しないで、遊蕩というか淫蕩というか、享楽に耽っている輩(やから)、そんな感じだろうか・・・暗号の解読みたいになってきた。

 

 なるほど、と思うことがある。江戸時代の日本には、中国やインド、アラビア、ヨーロッパなど、ユーラシア大陸の享楽文化とは異なる独自の享楽文化があったのではないか。

 そういえば、快楽主義を肯定し、こんなことを言ってた人がいる。

 

「精神力と物質力のありったけをつぎこむ、ねちっこい、油っこい、生命力に満ち満ちた、西洋流の快楽主義もあれば、物質的欲望を軽蔑し、社会に背を向け、自然を友とし、風流に興じる東洋風の快楽主義もあります。大きく分ければ、ほぼ、以上の二つではないかと思う。」(澁澤龍彦『快楽主義の哲学』)

 

 60年以上前に刊行された、しかもメモ書きをそのまま出版したような本なのですが、直球勝負の勢いがあって、いまに至るまでこれを超えた本、出ていない。高尚なこと、難しいこと、目新しいことが書いてある本はあるが、だいたいが翻訳かその引き写しでしかない。

 澁澤氏の論旨は、明快な区分けで、それはそれでいいんですが、先ほどの江戸時代の享楽文化は、「西洋流」でも「東洋風」でもない、つまりどちらにも当てはまらない第三の快楽主義だと思っている。

 ちょっと整理すると、こんな感じになる。「西洋流」の快楽主義は、支配層、富裕層が独占していた。一方、「東洋風」の方の担い手は、風流人、数奇者、文人墨客、 隠者、禅僧といった人たち。

 要は、快楽主義にも肉食系と草食系があると言ってるんですね。澁澤氏の目には「東洋風」(=草食系)は、物質的にはおそまつで、みじめで、貧寒としていると映った。そういうのは、貧しい社会ならではの快楽主義だと蔑んでいた。

 確かに1960年代の高度成長の前まで、日本は長い間、貧乏な国だった。江戸時代、藩の家老、旗本、公家にしても体裁を整えるのに手一杯、たいした贅沢はしていない。澁澤氏は、そんな日本のショボさにうんざりしてたんだと思う。

 

 ここまでは、まあ、そんな見方もありかなといった感じです。でも、見落としてることもあるんじゃないか。世の中の大勢はそうだとしても、ダイレクトに快楽のみに特化したライフスタイルもあったってことです。

 見落としているというのは、それが見えづらい、いわば日陰の、陰の文化だったからだ。

 ・・・・言い方が難しい。なにしろ「朝風呂丹前長火鉢」のような自堕落な輩、堅気の世間からすれば最低、当人にとっては最高ということで自己完結してる。そんな輩の脳内天国を美化しても詮無い気がする。良くも悪くもそれが江戸時代の享楽文化の華だった(と思っている)。

 ということでは、その享楽文化は、表社会からドロップアウトした者の抜け穴みたいなもので、案外、「西洋流」の快楽主義の亜流といっていいのかも。社会全般の豊かさでは、見劣りするにしても、こと享楽に関しては一点突破、日本ならではの巧みさを発揮、職人的に凝っていたのではないか。

 

 博奕打ちのことを昔は遊び人と言っていた。酒や風俗ではなく博奕なんですね。飲む・打つ・買うの三道楽の中では、博奕がいちばん面白いとか・・・これに関しては、残念ながら全く縁がなかったので、本に書いてあることを言ってるだけですが。

 ふと、気づいたのですが、先に引用した澁澤氏の『快楽主義の哲学』には博奕・ギャンブルの話しが出てこない。三道楽のうち飲む・買うは出てくる。性的な快楽主義をはじめ、酒仙や美食家、アヘンとかSMとかいろいろ出てくる。博奕は見落としていたってことでしょうか?

 昔の日本映画に、任侠や博奕打ちの話しが多いのは、その名残なのではないか。隠れてやってたことだし、書き遺したりしないので、後世の人間には分からなくてなってしまったが、往時、大都市でも地方でも博奕が蔓延してたのではないか。

 その時代に生きていた庶民が、貧富を問わず、子供から年寄りまで、心底面白い、興奮すること(自由意思の行使)といえば博奕だったんだろうなと思う。飲む・打つ・買うの中で、いちばん少額から行えるのは博奕で、それだけすそ野が広かった。

 事実、幕末のいろいろな文書には、街や村の道端、空き地、河原から宿屋、市場、漁港、寺、武家屋敷といたるところで博奕が行なわれていたことが記されている。博奕の種類もたくさんあった。農村で昼夜を問わずやっていたとか、取り締まり側の役人も博奕をしていたという話しもあって、現在の感覚では、理解しずらい世の中だった。

 

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