ちびまる子ちゃんと笑気ガス

 さくらももこさんのエッセイ『たいのおかしら』に笑気ガスの体験記が載っていた。歯医者さんの椅子に座ったさくらさん、『人工楽園』(ボードレール)のような白昼夢が現れるや、あっという間に消え去る・・・手品にびっくりしているみたいで可笑しかった。

 さくらさん、と書いていて、どうもしっくりしない。やっぱり、ちびまる子ちゃんと書く方が自然な感じ。以下、そうさせてもらいます。

 それで「ちびまる子ちゃんと笑気ガス」・・・これもなんか変だなーと思う。「笑気ガス」って語感がよくない。まる子ちゃんが笑い呆けてる姿を連想してしまう。

 笑気ガスは、歯医者さんの治療で、患者の緊張を解くために用いられる亜酸化窒素(N2O)のこと。笑気ガスといっても、笑い出す作用などないのですが。

 ガスにより緊張が解け、弛緩した顔の表情が、あたかも笑っているかのように見えるので、Laughing gasと呼ばれるようになり、その直訳で笑気ガスになってしまった。そういえば、笑茸(ワライタケ)も同じ、笑い出す作用なんかないのに。

 

 ちびまる子ちゃんの体験、どんなだったか、本を引用しておきます。

「・・・次第に頭がボンヤリしてきた。普段からボンヤリしている私だが、そんなボンヤリとは比べものにならない、とびきりのボンヤリである。

 もう、どうでもいいやと、何がどうでもいいのかわからないが、何もかもどうでもよくなっていった。

 今、自分がここで歯の治療をしに来ている事も、仕事の事も、全て無縁の世界の事だと感じはじめていた。

 目をつぶると、どこかアラビアか何かの王様になった気がする。カシャカシャという、歯科医達の器具の音が、王様のためにフルーツを運んでくる食器の鳴る音に思えてくる。

 私は非常に漠然としてしまった。この気分は漠然としか言いようがない。とにかく馬鹿馬鹿しいほど漠然なのだ。

 死んだ魚の様に漠然としている私を医者がチラリと覗き、「だいぶ効きましたね、そろそろ始めましょうか」と言った。

 私はまだアラビアの王様になっていたため、「そろそろ始めましょうか」の声が、どこか遠い町のカーニバルでも始まる知らせの様に感じていた。

 ・・・(略)

 もう笑気ガスの効能はほとんど残っていなかった。何と潔く消えてしまうものだろう。」(さくらももこたいのおかしら』)

 

 うん、うん、そうそう。アラビアの王様とか、フルーツを運んでくる食器の鳴る音とか、「漠然」と書いている状況、よく分かる。以下、まる子ちゃんの体験を自分なりに解釈してみた。

 「ボンヤリ」、「漠然」というのは、擬似的に植物の意識になっている(退行している)のだと思っている。木は、考えたり、記憶したりしていないが、ボンヤリとした意識みたいな世界に生きている。

 植物は地面に根をはりその場所から動かない。動かないということは、体と周りの環境、自然が一体化しているってことだと思う。まる子ちゃんが「何もかもどうでもよくなっていった」のは、それが樹木の意識、つまり無為自然の境地だから。人間でいえば、ちょうど生と死の境目の意識と言ってもいい。

 「 今、自分がここで歯の治療をしに来ている事も、仕事の事も、全て無縁の世界の事だと感じはじめていた。」というのは、心の中から共同幻想や個人幻想の消えた、なくなった、それらから自由になった心の状態。別の言い方をすると、この世から去る時の人間の心理状態だと思っている。

 

 「 どこかアラビアか何かの王様になった気がする」・・・よく観ている。こういった体験は、夢と同じで、目が醒めると忘れてしまい、おおかた憶えてないことが多い。とても淡いイメージで、ふだんの意識に戻ったのち、思い出して具体的な何かに例えて書くのは、けっこう難しい。

 肉体とまわりの外界の境界がなくなっていくとき、意識の自覚としては、体の外皮(表面)から分解していくような、粒になっていくように感じられる。

 皮膚と空気や着衣、座っている椅子の接地面の感触が分からなくてなって、全体というか体と空間が共振しているように感じられる。炭酸飲料を飲んだときのシュワーとした感触に似ている。また、音や色や皮膚の触覚の共感覚も起きている。

 でも、実際に体が震えたり、振動してるわけではないです。それは十分かっていて、感覚の上でのことだと自覚してもいる。

 自分が微細な粒になっていき、それが音叉のように共振している状態・・・こう書くと抽象的でよく分からないかもしれないが、具体的には、それを自分の中でいろいろな原イメージに変換して受けとめる。

 その原イメージは人により、いろんな比喩になると思いますが、まる子ちゃんは、そこからアラビアの王様になった。

 まる子ちゃんは、(たぶんというか、察するに)煌びやかなベリーダンス、色鮮やかなモザイク・タイル、絨毯の細かい模様だったり・・・そんな原イメージの渦ーーそれがありありと、包みこまれるように起きるーーとして受けとめ、それに誘発されてアラビアの王様になったのだと思う。

 そういえば、まる子ちゃんは、星やキレイな宝石が大好きだったとか。

 金属の医療器具が触れあった音が、フルーツを運んでくる食器の鳴る音になるのも同じことだと思っている。その音も倍音のように聴こえていたはず。

 笑気ガスの効いている時間は短く、「何と潔く消えてしまうものだろう」というのもその通り。あっけないというか、えっ、今のはなんだったのという感じ。

 

 笑気ガスは、昔、20世紀のころ(1990年代)、何十回か体験してる。あれ以来、してないんで、記憶をもとに書いている。 なんでそんなことしてたのかといえば、純粋に探究心というか、どんな意識になるのか知りたかった。

 この場合、知るということと、自己意識の観察は、同義なんですね。知識や情報を知るのではなく、自分自身を知ること。言葉では同じ「知る」でも全然、違うことなので、「知る」よりは「気づく」という言葉の方がふさわしいでしょうか。

 楽しいとか、面白いとか、それで繰り返してたわけではなかった。まあ、面白いといえば、面白いのですが、それより知りたいということの方が大きかった。・・・振り返ると、モチベーションからして辛気くさい。野暮だったなと思う。

 別に依存性もなかった。だから、それがなんなのか自分なりにつかめた(と思った)時点で終了。それ以来、全くしていないので、過去の記憶と照らし合わせて書いているだけです。

 ああ、でもこういうのって、人それぞれ個人により異なるので、自分には依存性が皆無でしたが、万人にそう言えるのかは分からない。

 

 ところで、20世紀のころの話しをしていて、ふと思ったのですが、今年は2022年、3年後には21世紀も4分の1が終わることになる。早いですね。人間は、20世紀とたいして変わってないような感じ。

 リンゴでもスイカでも、まるまる一個あったものが、4分の1なくなると、気分的にはガクンと減ったなと感じる。

 人間は20世紀に自然界の4つの力のうちの一つ電磁気力をコントロールする文明を築いた。文明の大枠はいまも同じ、当分、残りの3つの力には手が届きそうもない。なんとなく20~22世紀は同じような世界なのかも、そんな気がしはじめている。

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