若松孝二監督と画家、岡本太郎

 渋谷駅の構内、井の頭線の改札口に向かう通路の壁に大きな絵がある。岡本太郎の「明日の神話」(1969年)、迫りくる炎の赤い舌、巨大な目玉、中心に燃える骸骨の人間と不気味な光景。

 この絵が設置されたとき(2008年)、でっかい絵だなー(幅30メートルもある)、そして、ただならぬ雰囲気に場違いな感じがした。その後、ビルの内装が改修され、広いホールになり、白を基調にしたシンプルな空間、照明も隙間なく明るくなって、今はそれなりに収まっている。毒気が薄まりモダンな雰囲気になった。

 同じ絵でもまわりの様子が変わると、絵の印象も変わるのか、足をとめて眺めていた。周囲の空間が広くなった分、絵が以前より小さくなった(ように感じる)。

 

 この絵は核爆弾の爆発した瞬間、その爆心地を描いている。確かビキニ環礁の水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件(1954年)に啓示を受けた絵だとか。ということでは、ゴジラと双子の兄弟みたいな関係になる。

 「明日の神話」という題は、当然、未来のハルマゲドン、核戦争による人類の終末をイメージしていたのだと思う。

 岡本太郎という人、核爆発の瞬間のエネルギーに魅せられ、どうかしちゃっていた人だったのではないか。戦争の悲惨さ、平和への願いなど、はなから無関心。

 この人、テレビのCMで「芸術は爆発だ!」と言って流行語になった。1970年代の中盤だったか。みんなそれをパフォーマンスだと思っていたけど、ご本人は本気だったと思う。

 

 核爆発のエネルギーを浴びた生命が、人間のエーテル体(シュタイナーの言い方だと)が消滅した瞬間、岡本氏は、それを恐怖と歓喜の融合状態として描いている。・・・シュタイナーの言い方を踏襲したけど、別に鵜呑みしてるわけじゃないんです。シュタイナーから影響を受けたのは、なんといっても行法の方面が大きかった。それから目に見えない、観察、認識できない世界をぎりぎり言葉にして表現できた人としては、この人に並ぶ人はいないんじゃないかと思っているので。横道に逸れました。

 その時、人間世の全てが終わるにしても、これまで人類が体験したことのない歓喜が得られる。・・・ふつうの人間の感性で受けとめられる臨界域を超えている。ふと、DMTの世界を、DMTはさらにコアというか、その先の世界だけど、まあ、方向性は同じなので、連想してしまう。

 昨日だったか、アメリカの大統領がウクライナ戦争の戦局に関して、アルマゲドン(ハルマゲドン)という言葉を口にした。ロシアの大統領が核兵器を使うことも辞さないと発言したことに対してのコメント。

 ハルマゲドンといえば、ヨハネの黙示録にイナゴの話がある。終末の兆として現れるんです。20年ぐらい前からあのイナゴは飛行できる超小型の昆虫型兵器のことを予言しているのだと睨んでいました。当時、イスラエルで何種類かを開発中だと噂されていた。

 今回のウクライナ戦争では、ドローンが実戦化されたが、ヨハネの黙示録に記されているイナゴの文意は偵察用ドローンと符合する。説明は長くなるので省きますが、該当箇所は簡単に見つかるので関心のある方は、読んでみてください。

 

 大阪万博の「太陽の塔」(1970年)はこの絵と同じコンセプトで制作されている。この作品(=塔)も大きいんですね。高さ、約70メートル。同時期に制作されたこの二点が岡本氏の代表作といわれている。

 絵も大きいけど、塔も大きい。見る人を圧倒する大きさに岡本氏のエネルギー、パワーが込められている。小さくて、かわいらしいものを美しいと感じた清少納言とは真逆ですね。平安時代の貴族の女性を引き合いにしてもせんない話しですが、岡本氏は日本的な感性とは全然別のある意味、破壊者として現れた人だった。

 こんなこと公言していいのか(?)、直截に言って「明日の神話」も「太陽の塔」も死の影が漂っている。

 常人にとって、死の影は忌わしくネガテイブなものだが、岡本氏には、それ以上に全否定と全肯定の並立した極限のエクスタシーの方が大きかったのではないか。密かにそれを待望していたと思わざるをえない。

 人類が想像してはいけない世界を描いた岡本太郎、この世は、想像したことはいつか必ず起きるから。換言すれば、表に出すということは、それを引き寄せていることになるのだから。

 毎日200万人が乗り降りしている駅にその絵が掲げられているのは異様なことだと思う。すぐ横を通行している人たちは、通勤、通学、買い物といった日常に忙しく、目に入ってないんでしょうが。

 若い頃のバタイユとの交流、その後、縄文中期の土器、特に火焔型土器みたいな過剰な装飾性にインスパイアされ、さらにメキシコでマヤ文明の人身御供なんかとマジで向き合うと、思うに、全て本人がそれを求め続けてきたからこそ出逢ったのですが、こんな感じになっちゃうんでしょうか? 

 

 こんなこと書いているのは、久しぶりに「明日の神話」の前を通ったからで、井の頭線に乗るとき以外、あそこを通らないので・・・絵を見ていて、若松さんことが思い浮かんだ。

 映画の若松孝二監督は、岡本太郎氏と同じようなメンタリティの人だったのではないか。世間的には両者に何の接点もないし、つながるような思想とか、作品とかあるわけではない。

 若松監督といえばポルノ映画からスタートしたアングラで反体制を貫いた人。一方、戦前のフランスに遊学、高度成長のピークの時代に国策であった万博のシンボルタワーを作った岡本太郎、いわば体制派。二人は、水と油のように見える。

 同じようなメンタリティの人というのは、二人とも魂のパトス、激しい生の衝動、そういう資質が並外れて過剰な人だってことです。魂魄でいうと「魄」の方、気魄です。

 社会や世の中、時代とは無関係に、その人、個人の内側から出てくる激しい衝動。これは天性のものだと思う。そして、その過剰さによく耐えられたなとも思う。二人とも自制心というか、タフな人だったんでしょうね。

 岡本氏は写真だと偉丈夫といった感じだけど、実際は小柄な人だったとか。若松さんも小肥りながら小柄な人だった。先に書いた人間の「魄」の力は体格とは関係ない。また、一般的な意味で、その分野の才能の有無よりは、特異な人間性というか、情動のエネルギーってことが大きい。

 映画や絵といった自分を表現するすべがあったのはラッキーだった。社会と折り合いをつけ生涯を全うできたのは、創作活動のおかげ・・・意図せずしてそれが芸術療法、内からの過剰なエネルギーを発散する圧力弁になっていたであろうから。

 ああ、ラッキーってことでは、時代(1970年前後)もあった。若松監督や岡本氏と同じような資質で、同じぐらいのポテンシャルの人はいまもいるんでしょうが、現在はそれを形にする環境がなくなっているし。意思と能力に於いて、この二人と同程度の人はそれなりにいるはずですが、時代がかわり客観的条件が変化しているので、存在に気づかないってことじゃないか。 

 もしかしたらそういう人、映画とか絵とか、そういう面倒くさいことには関わらずに、単身ウクライナに「潜入」して戦闘に加わっているのかも?

 

 分かったようなことを書いていながら、実は、若松さんの映画を観たことがない。性・暴力・反体制の政治的ラジカリズム、そんなテーマの映画ばかり撮っていたんでしょ。 

 晩年、1972年の連合赤軍事件と、1971年の三島由紀夫と盾の会の事件の映画を撮っている。極左と極右(三島と盾の会をそう言っていいのか難しいですがとりあえず)じゃ、正反対だけど、撮っている本人は、左とか右とか、イデオロギーには無関心。社会や政治のことには無関心。そういうところも岡本氏と共通している。

 関心があるのは、激しい生きざま、閉じられた小集団の中でそれが凝縮され、炸裂する。思想ではなく行為。想像や妄想ではなく行為なんですね。要は、暴力行為、犯罪行為。映画、観てないけど、たぶんそうなんじゃないか。

 『俺は手を汚す』・・・若松さんの本のタイトル。いかにもといった感じ、芸術ではなく行為、そこのところは岡本氏と違う。

 1980年代、隣に若松さんの事務所があって、よく顔を会わせていた。そこは、かって香港にあった九龍城をおしゃれにしたような(?)面白い建物だった。バブルに入るころで、1970年前後の過激で熱い時代がどんどん遠ざかっていくそんな時代。巷では、日本経済がそのうちアメリカを追い越すといわれるようになっていく。

 時代の空気は、反逆とか汗、肉体的なものはスルーされ、お上品に、明るくキレイに、清潔になっていった。撮れる映画も少なかったのではないか、忙しそうではなかった。とはいえ、丸くないし、キバってた。・・・「水のないプール」を撮っていたのを覚えている。

 そういえば、若松さんが料理を作ったことがあった。いわば監督メシというか、無頼漢の気まぐれだったので、よく覚えている。当時、海鮮中華料理の店がちょっとしたブームになっていて、会食の後、刺身にした伊勢エビの殻をもらってきて、鍋で味噌汁を作ってくれた。

 要は、山盛りのエビの殻を鍋にぶち込んで、長ネギ、味噌を入れて茹でるだけなんですが、素材からして当然、美味しわけで、ご本人は、腕自慢の披露といった感じだった。

 仕事の話はしたことがない。でも、日々顔を会わせていると、だからこそ見えてくる人柄や気性、メンタルなものがあるんですね。

 

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