贅沢について・・・サン・テグジュペリと古本屋さん

(野イチゴの葉陰にたたずむ星の王子さま(人形)。今年はもう実が熟してきた。赤くなった実を採って、そのまま食べる。甘さは薄いが、柔らかく口の中でとろんと溶けるところがいい。)

 

「真の贅沢というは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。」(サン・テグジュペリ『人間の土地』堀口大学訳)

 サン・テグジュペリは『星の王子さま』で知られる作家、また飛行機の操縦士でもあった・・・というより本人の中では、生涯、飛行機乗りだった。スタートはプロペラの複葉機、その少し前まで、空を飛ぶことは冒険と見なされていた時代のこと。最期は、第二次大戦中、偵察機に乗っていて行方不明になっている。

 引用文は、南大西洋で墜落し亡くなった仲間を回想する文中にある文言で、よくいろんなところで紹介されている。人間関係の贅沢・・・読んですぐピンと来なくても、なにか後を引くところがあって、人の心をつかむ言葉だと思う。

 

 『人間の土地』(1939)は、空を飛ぶ機械(飛行機)を操作する人間と天候、地形、地理など自然界の関係を自身の体験に基づき考察したエッセイです。

 「人間」対「自然」の構図なら遥か昔から考えていた人がいる。それまで人の手の届く自然は、地表と海に限られていたが。

 この本の「人間+機械」対「自然・・・それも空に特化した自然」という構図は、20世紀的な世界を示している。 「人間+機械」という存在が出現したということでは、汽車や自動車もそう(地表に限られているが)。

 サン・ テグジュペリはそれを文学という形式で表現した。構図の中心にあるのが「人間」という要素なので、他の記述法(例えば科学や技術の)では表現しきれない。この人は絵(イラスト)も描いていた。

 そういえば、アニメ監督の宮崎駿はこの本から大きな影響を受けたと語っている。

 

 ふつう贅沢といえば、物質的な贅沢のことだ。それが当たり前の常識になっている。しかし、 サン・ テグジュペリは、そういう贅沢は、大したものではないと思っていた。この人は、子供の魂のまま大人になった純な、そして稀有な人だった。

 大人の世界、いろんな言い方ができるが、資本主義の世界と言ってもいいだろう。それが現実なのだから、人は、その中で生きるしかないのだけど、この人はそれを超えて、それに拘束されずに生きようとした。ということでは、自由の問題になるんじゃないか。

 この場合、つまり人の生に於いて、ポイントは、そういう生き方を実現できたか、できなかったかではなくて、その方向を目指したかどうか、志しの有無にある。

 ちょっとつけ足すと、 サン・ テグジュペリは恵まれた時代、恵まれた家に生まれた人だった。そのことは大きいと思う。人は生まれてくる時代と、そして生まれてくる国、民族、階層、境遇など選べないから。

 19世紀フランスの絶頂期(ベルエポックといわれる時代)の末、貴族の家系に生まれた人なので、贅沢とか豊かさについての価値観は、日本のふつうの庶民とはかなり違う。それでもというか、そういった違いがあるにしても、この人の言葉には、素朴に共感するものがある。

 自分のような貧民はふだんの生活で、贅沢(物質的な贅沢の方)はしていない。でも、そんなこと、大して気にしていないのも事実で、人生を振り返ると、広い意味で人間関係の贅沢こそ大きかったなと思っている。

 人間関係といっても、有名人、有力者、偉い人、お金持ちに知り合いはいない。だから、どこにでもいるような人たちのことで、その中にいました。人間関係の贅沢を享受させてもらった人が。

 

 ・・・横道に逸れますが、浅草に通っていたころ、あの街の何に、どこに惹かれていたかといえば、それはどこかの店とか場所よりは、出会った人たち、その人間関係が大きかった。昔からよく「浅草に美味いものなし」と揶揄されてたし、自分は下戸だし・・・ああ、あの街ならではの饐(す)えた場末感に魅了されてたことはあったけど。

 

 話を戻して、人間関係の贅沢といえば、こんなことを想い出した。例によって、エキセントリックな話ですが。

 以前、近所にあった古本屋さん、世田谷通りに面した小さな店で、 店主のAさんには、ずいぶん贅沢をさせてもらった。お金に換算できない、方外な贅沢だった。

 たまたま近くにその店があったということでは偶然の出会い・・・棚の一角に並んでいた本について、あれこれ話しているうちに親しくなっていった。

 この古本屋さんにいく度、いつも何時間も、そして何年にもわたり、息抜きの居場所にさせてもらった。そう、小さなアジール(聖域、自由領域)、極私的な解放区になっていた。古本は買わないのに、つまり、お客でもないのに、毎回、雑談につきあってくれた。いま振り返ると、よく出入禁止にならなかったものだ。 

 夕方、店を訪れ、夜の10時すぎまで。長時間なので、木の丸椅子を出してもらい居座ってる。お喋りは、主にこちらが聞き役で、Aさんの昔話を聞き、質問したり、感想を述べたり、話が面白くていつまでも帰らない。

 途中、来店したお客さんが本を買うときも、細い通路を塞ぐように丸椅子に座ったまま。営業妨害してたのと同じだった。今にして申し訳ない気持ち。

 

 真夏、熱帯夜の夜。台風が通過する中、当然ながらお客さんが一人もこない夜。師走の木枯らしの夜。いろんな夜があった。

 寒い夜、石油ストーブの灯油と古本の匂いが入り混じった独特な匂い・・・暖かくて静謐な、心の落ち着く匂い、忘れられない。周りを古本の棚に囲まれた狭い空間、目の前に平積みの古本の山、別に音楽もコーヒーもなにもないんだけど、居心地がいい。

 要は、Aさんの人生体験を聞いていたのだが、それが面白く、根掘り葉掘り尋ねては、途中で脱線して世間話になっていたりと、いつまでも終わらない。まるでアラビアンナイト千夜一夜物語みたいで、そうなると話を聞いている自分は、いわば王様ではないか!

 

 Aさんは、戦争中、一兵卒として満州ソ連国境近くに配属されていた。戦後は、共産党で活動、いろいろあって既に党から離れていた。本好きで、晩年になってから古本屋をはじめた。  

 Aさんは淡々とした口調で、厭世的でありながらユーモアがあり、受苦的な人でありながら漫談っぽく話す人だった。よく相手をしてくれたもんです。年齢差もあって、それにAさんの話を共感性を持って、面白がって聞く人間が珍しかったのだと思う。

 いまになって思うのですが、Aさんは隠者だったんですね。元革命家の隠者。なるほど、市隠ってのはこういうことなのか。思うに、そういう人、全国どこにでもいるはずで、でもほとんどの人が気づいていない、そういうことなんですね。

 

 敗戦(1945年)から50年代に入るころまでの日本は、国家の統治機構、ガバナンスが崩れていた。実際、アメリカ(GHQ連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にあり、その時代の話しは、いわばなんでもありのアナーキーな世の中、荒廃と貧困と、そして青天井の自由と破天荒な出来事がごちゃごちゃになっていて面白いわけです。 

 どんな時代だったかというと・・・敗戦から9ヶ月ほど、都市部は食糧難で至る所にヤミ市が生まれていた。世田谷区のおばさんたちが、食べ物がないと皇居に押しかけた有名な事件があった。

 

 「1946(昭和21)年5月12日、配給米の遅配が続いていた東京・世田谷で「米よこせ区民大会」が開かれ、天皇に食糧危機を訴えようと皇居に向かってデモ。赤旗が初めて坂下門をくぐった。この1週間後の「飯米獲得人民大会」(食糧メーデー)では皇居前広場に約25万人が集まった。」(共同通信

 

 1949年の春には、9月に革命が起きる(起こす)と本気で言われはじめた。人民政府が出来る・・・都市伝説とかSNSで拡散している噂と違って、街角で職場で、ふつうの人々の間で囁かれていたとか。

 今では想像できない社会状況、でも、かって起きたことは、いつか再び起こり得る、そんな気もしている。やっぱり革命の話しがいちばん面白い・・・う~ん、なんと言えばいいのか、例えると、落ち武者から合戦の様子を聞いているといった感じ。敗れたにしても、部分的には勝ったりもしていたとか、あの時、こうすれば流れが変わっていたとか、敗軍の兵なので、将ではない分、好きに語ってもいい。

 そういえば、上記の9月革命説を盛り上げたのは、6月の徳球(後述)の発言だったのですが、翌月の7月から8月にかけて下山事件三鷹事件松川事件と立て続けに謎っぽい大事件が起きている。党のシンパでもあった松本清張は謀略説を唱えていましたが、物事が煮詰まってくると起きるんですね、こういうことが。

 ああ、またタラタラ書いている。Aさんの話し、書いていくときりがないし、実は、かなり忘れてしまっている。なので一つだけ紹介しときます。

 

 本で読むのと、当事者に直に聞くことの違いで、具体性というか、リアルさ、物事の枝葉の部分が面白い。大局的なレベルの話し、当時の綱領やソ同盟、コミンフォルム共産党・労働者党情報局)との関係(要は親分・子分関係)などは本や資料はたくさん出ているんでパス。

 Aさんは、あの徳球の話をするとき、身振り手振りで、表情や口調を真似しながら話す。徳田球一(略して徳球)はそのころ党の書記長、革命の首魁だった人物。戦前、政治犯として逮捕され18年間獄中に閉じ込められていて、つまり浦島太郎状態で米軍によって解放されるや革命の機運が日に日に盛り上がりつつあるその中心、指導者になった人。徳球本人の心象風景は、ジェットコースターに乗ってるような感じだったんじゃないか?

 ついでに、横道に逸れますが、「徳球」という呼び方は「隠語文化」(?)の中で生まれた。「徳球」の次に指導者になったのは「宮顕」という人、『日革展』(内輪の隠語。この人の主著だと思っている)という本を書いている。

 ミヤケンのニッカクテン・・・何て本か分かりますでしょうか?

 徳田球一という人は、ざっくばらんな性格の熱血漢だそうで、目をぐっと見開いて大きな怒声、手をドーンと振り下ろす様子をジェスチャーで再現するAさん。

 (Aさんの扮した)徳田球一の印象は、ファナティックな人ではない。独裁者でも官僚的な人でもない。庶民的な明るさというか、言い方を変えれば、粗な野趣があって、ちょっと滑稽(微妙に愛嬌)な感じがしないでもないけど。

 まあ、時代と状況の中では、そんなテンション、とにかくパワフルだったんだろうな・・・面白く聞いていたんですが、いま振り返ると、時代を見極める目、つまり物事が煮詰まるとこんな感じになってくんだなというリアルさ、感触を養ってもらったように思っている。

 

 

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