夜の雷雲はけっこう綺麗

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 昨日は夕方、ゲリラ豪雨に見舞われました。天気が急変し、近くで稲光と落雷の音が轟く。その後、雨はあがって、夜になると雲間に星が見えました。

 11時ぐらい、外に出て歩いていると東の方向、夜空が光った。雲の向こうで白い光が間歇的に瞬いている。それが小一時間続いた。

 その時間、千葉の市川市の方で雷が発生していて、それが見えたようです。前線に伴って発生する界雷と呼ばれる雷らしい。ここは桜新町なので、都心部をまたいで距離は30キロぐらいか、音は聞こえない。

 間に雲があって、その中で光っている。内側から光の当たった雲は超巨大なドームのようでした。雲の濃淡によって、閃光の明るさに差が出て、それがいっそう幻想的に見える。

 打ち上げ花火は光の点ですが、これは雲のヴェールを通って光の面になっている。この雲のドームは、高さ4〜5キロ、直径15キロぐらいか? けっこうきれいで、そう、人間が作ったどんなものよりも大きくきれい。

 殺風景な都会で暮らしていても、たまには自然界の美しい光景に出会えるのですね。

 しばらく立ちどまって眺めていたが、ちょうどバッグにカメラがあったので、思わず写真を撮ってみました。光っている時間は、ほんの一瞬なので、眼に見えた雷雲とそれが画像に写っている姿は何か違っているように感じる。

 100枚以上撮っているのですが、イメージと合っている写真は僅かでした。

 上の写真は、世田谷1丁目の畑で撮りました。あとの写真は、桜新町2丁目で撮ったものです。

 このすぐ下の写真は超巨大ドームの出現、7枚目で天の扉が開いちゃって、一番下は異世界の都市が現れる・・・という見立て。

 

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戦前のフリーメイソン、秘密結社の本と焚書

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上/『日本に現存するフリーメーソンリー』(大沢鷲山著、内外書房刊、1941)、『支那を繞り政治・経済・並に宣伝に活躍する上海猶太銘鑑』(国際政経学会編、国際政経学会刊、1937)

下/『秘密結社』(F.Ligreur原著、藤田越嶺訳補、東京高原書店刊、1934)、『世界各種秘密結社研究』(納式律著、一進堂書店刊、1929)

 

 暑い中、本の整理をしている。置き場がなくなり、まとめて古書店に引き取ってもらう話になった。

 これはもういいかなという本を大雑把に分け、ダンボール箱に詰めたり、ヒモで束ねたりしている。 長年の間に、置き場所は三軒の家に分散していて、押入れや廊下から次々出てきてきりがない。家に1、2、3、5、6巻あるが、4巻だけ他所にあるとか、箱はこっちにあるけど、本体はどこにあるのかとか手間取っている。

 分野、テーマごとに集めた本があり、まるごと処分するか、残しておきたい本を選ぶか悩ましい。 昭和20年代に出版された本は紙質も製本も悪く、整理しているうちにボロボロ崩れてくる。

 梅雨の頃からやっていて、大体のカサの目安はついてきました。

 本って一冊、一冊はなんてことないけど、集まると容積にしても重さにしても、とんでもないことになるんですね。はじめは軽く簡単に持てたのが、どんどん重くなってきて、遂には持った人を押し潰す妖怪の子泣き爺を思い出します。

 

 今回、フリーメイソン、秘密結社関係の本で戦前に出版された34冊(うち1冊は英語の本)と戦後1960~70年代に出版された28冊を一括して手放すことにしました。

 上の写真は、戦前の4冊です。全部の本のタイトルを書き写すのは時間がかかるので、購入をお考えの方はお問い合わせください。

 

 戦前のこの関係の本は、いまも古書展の目録でたまに目にしますが、これだけ揃って出ることはまずないと思います。主に1970年代後半、神田の古書会館で開かれていた古書展、それに五反田と高円寺の古書展などで購入しました。

 その頃、毎週送られてくる目録を丹念にチエックして購入していた。ザーッと、小さな字で書かれた雑多な本のタイトル、著者名、出版年を見て探すのですが、いま振り返ると、延々、よくやったものです。

 目録から同じ本を複数の人が希望したときは、クジ引きで一人決めることになっていた。戦前の34冊の中には国会図書館と競合して入手した本、競合者が何人もいて運よく入手した本、けっこうな値段だった本もあります。

 いまはどうなっているのか知りませんが、その頃は、クジ引きで競った他の人の名前など書かれた札が本の扉に挟まれていた。それをみると、2倍からせいぜい5、6倍の競り合いで、けっこう当たりました。

  当時、本を箱に収めて押入れに仕舞ったまま、いつの間にか月日が経っていました。タイムカプセルに入れたまま忘れてたといったところです。

 

 結局、フリーメイソンや秘密結社に関心があって、読むために、あるいは何か調べるために集めたというよりは、「フリーメイソン、秘密結社の本」を集めるために集めてた(?)わけです。

 今思うに、テーマは何でもよかった。ふとした偶然の切っ掛けからそういう本を集め出し、収集すること自体が目的になっていた・・・どうも変な話しですが。

 究竟、本の競い合いでクジに当たると嬉しくて、埃をかぶった古書の山の中から掘り出し物を見つけたりするとまた嬉しくて、そんな感激(?)を味わうために集めていたのかも・・・振り返ると、そんな気もしてくる。なんか依存症っぽい。

 本は基本的に印刷物=複製品なので一般人でも買える範囲の相場ですし、古書展はオークションのように値段が釣り上がっていくシステムではない。だから、飲む・打つ・買うの道楽に比べると、そんなにお金がかからない。・・・ええ、古本なので、紙屑、ゴミを集めて喜んでるのと紙一重でもあるのですが。

 囲碁・将棋、登山、読書は昔からの日本人の手軽な道楽で、一般的には月並な趣味程度に見られがちですが、中にはそれにハマって身を滅ぼす人もいる。やっぱり、それぐらい、人を破滅させるぐらいじゃないと、本当の道楽とは言えないのではないか。

 古書の収集は、貧者の道楽としてはコストパフォーマンスの面で大穴的なフィールドでした。しかし、そこに陥穽がありました。

 本って全くたちが悪い。一冊、一冊は軽く、小さくても、たまると重く、大きくなってゆき、愛着があるので捨てるに捨てられず、さらに増え続けどんどん重く、大きくなっていく。

 長い年月をかけて、やっと気づきました。 本という存在は、群体生命のように増殖して初めて正体を明かすのです。 その正体は、子泣き爺の化身、人に取り憑く妖怪なんですね。

 

 神田の古書会館と言っても、場所はJRの御茶ノ水駅から坂を下った駿河台下にあり、そこの2階の広いフロアーで毎週金・土曜日に古書展をやってました。いまは新しいビルになって地下で開催されている。

 真冬の寒い朝、古書会館前の路上に不精そうというか不健全というか、独特の雰囲気の男たちが列を作っていた。古書展の初日、平日の金曜日なので、朝からそんなところに並んでいるのは、大体がマニアのブックハンターや、せどり師たち。開場と同時に入り口に殺到し、我先に階段を駆け上っていく光景を想い出す。・・・妖怪に取り憑かれちゃってる!

 その後、神保町の細い路地にある喫茶店「さぼうる」や「ラドリオ」の薄暗い店内でゲットした古書を取り出しては黄色くなったページを撫でたり、古い紙の匂いを嗅いだり、戦時色の濃い装丁を眺めていた。 

 愛書狂の変人、奇人について、紀田順一郎氏がよく書いていました。「書鬼」ってところまで極まっちやった人もいる。紀田氏の『推理小説 幻書辞典』(三一書房、1982)は、小説の形式をとりながらも、そこに登場する本の収集家たちは実在しているはず。知り合いにそういう人、何人かいましたので。・・・なんの話をしてたんでしたっけ?

 

 1990年代に太田竜氏が反ユダヤフリーメイソンといったユダヤ陰謀論に傾倒していったのは、戦前、ユダヤ問題を研究していた国際政経学会の影響が大きかったといわれている。その国際政経学会の本も7冊ほど含まれています。

 戦後1960~70年代に出版された26冊は、戦前の本ほどには時間も経っていないので、コツコツ古書展を探していけば、その多くは見つけられるのではないかと思う。それほど珍しい本ではないですが、知る人ぞ知る国際政治評論家の山川暁夫氏が注目していた本もあります。

 太田氏と山川氏は、共に故人ですが、昔、両者と会ったことがありました。

 太田氏とは1980年代にある研究会で顔を合わせている。でも、奇を衒った浅薄なところが垣間見えてしまい、物足りないというか、どうも馴染めなかった。

 太田氏がユダヤ陰謀論を唱える前のことで、あのころ、太田氏と波長が合っていれば、既にず~っと眠ったままになっていたこれらの本や資料をお渡ししていたのですが。

 山川氏と会っていたときのこと。話の途中で、ふと、『ユダヤ人と世界革命』(1971、永淵一郎著、新人物往来社)という本を評価する言葉を耳にしたのを覚えている。硬派の左翼で、かつリアリストだった氏にしては、意外な感じがしたからです。

 山川氏は、そのころロッキード事件の背後に日本、北米、欧州の三極委員会の存在があるという記事を雑誌に書いており、その絡みで口から出た言葉でした。この本も戦後の28冊の中に入っています。ネットを検索するとけっこう出てくるので、比較的容易に入手できる本のようですが。

 それにしても、山川氏はソ連のスパイだったという話があり、その一方、生家はマンガのサザエさん一家のモデルだっという話もあり、事実は小説よりも奇なりを地で生きた人っているんですね。

 

 これらの本、まとめて古書店に引き取ってもらうことも考えましたが、どうも味気ない。やっぱり誰か、譲るべき人の元に渡ってほしい。

 でも、もしそういう人がいなかったら、出会う縁がなかったら、最後は、全部、焼却施設に持っていくかとも考えている。いわば自作自演の焚書

 誰にも知られてないこと、そんな秘密の知識、情報が記されている本が、世界に一冊だけ残っているとして、その一冊を焼却してしまえば、その知識、情報はこの世から永久に消える。そういう行為って、無上の甘美な全能感に浸れるのではないか。

 ここで話題にしている62冊は、そこまでレアーな本ではないですが、数少なくなっている本なのは確かで、焚書するだけの価値(?)、あるんじゃないか。 

 これらの本によって、最初はクジに当たった時のラッキー!って悦楽感を堪能したし、最後は焚書の全能感を満喫できるなら、それは、読んで得られる知識や情報、あるいは売って得られる金銭を超えた価値と言えるのではないか、そんなふうに思っています。

 

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野鳥の羽を集める

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 近くの公園で見つけた野鳥の羽を額に入れてみた。左からワカケホンセイインコ、 キジバト、 ツミ、 オナガ

 

 梅雨明けから東京では、気温35度、湿度70パーセントの日が続いている。馴染みの浅草はあい変わらず外人観光客でいっぱいですが、この蒸し暑さに参っている様子。来年のオリンピック、大丈夫なんでしょうか? テレビでもそういうこと触れないのは、もう開催まで一年を切ってどうしょうもないんで、野暮なこと口にしないってことでしょうか。

 去年の今頃は、イエローサファイアと火星の大接近に夢中になっていました。6月末に梅雨が明け、外に立ってるだけでじとーっと汗が流れてくる夜、朦朧としながら火星を見ていた。

 朦朧で思い出しましたが、蒸し暑さの酷さでは、スリランカは大変でした。日差しの強さではイラクやメキシコの方が上でしたが、それ以上に湿度が心身に与える影響の大きさを思い知らされました。

 どのぐらい酷かといえば、意識があっても考えや思考がまとまらない朦朧とした状態になっていた。もう我慢できないっていう不快感がずっと続くのですから。この時期の東京より上だった。上には上があるって言葉、あんまり気休めにはなりませんが。

 

 5月に小振りの鷹、ツミが近所の若林公園にいるという話しを書きました。 あのとき、クロマツの枝にとまっていたツミを眺めてると上から羽がクルクル回りながら落ちてきた(「雀鷹(ツミ)の声、海馬(トド)の匂い」参照)。

 それ以降、朝、公園に行くとツミの羽が落ちてないか探すようになった。しかし、なかなか見つからない。実は、あのとき羽が落ちてきたのはけっこうレアーなことだったようです。

 毎日、ツミの羽を探しているうち、いろんな鳥の羽が落ちているのが気になり出し、拾っては種類を調べるようになった。そのうち羽から鳥の種類が分かるようになりました。 都会の公園なので、そんなに種類が多くはないので簡単です。落ちている羽の多くはキジバトでした。

 

 集めた羽を額に入れてみたのが上の写真。どれもそれほど珍しい鳥ではないです。これらとは羽の色の違うメジロやジョウビタもいるのですが、都合よく羽が落ちていないので、いまのところこんなラインナップ。

 色や模様のきれいな野鳥の羽を選んだ。よくいるヒヨドリムクドリ、スズメは羽の色が地味なのでスルーしています。 鳥屋ではないので鳥の種類や分類を網羅しょうとは思っていない。並べてきれいに見えるかを選択の基準にしてます。

 野鳥観察をしている人、野鳥の専門家というか、そういう人たちのことを「鳥屋」と呼ぶらしい。ネットを検索していて知りました。鳥屋ですか・・・技術屋という言葉がありますが、そこからきてるんでしょうか。

 鳥屋から思い浮かぶのは、かなり奇矯でいて、一方、真面目で几帳面な普通人の顔もしてる人、頭の中は理工系で、性別は男、そんなイメージ。鉄道マニアのことを仲間内で自嘲気味に「鉄ちゃん」と呼んでるのと似てるなと思いました。

 似てるというのは、同好の仲間の内では自慢できても、世間ではちょっと気恥かしくて隠しているような嗜好、そのアンバランスさに萌える(?)ってところでしょうか。

 

 並べ方をいろいろ考えた末、色の配列でワカセホンセイインコの緑、キジバトの赤茶、 ツミの鷹紋、 オナガの藤色にしました。羽の色に模様、大きさ、形状といった要素を加味し、順番を替えたり、繰り返した末、こうなりました・・・細かい話ですいません。

 ワカセホウセイインコは外来種で、ペットとして飼われていたのが逃げ出し、東京の西部の世田谷、杉並、大田で繁殖している。群れで移動し、公園でもよく見かける。鮮やかなイエローグリーンの色彩は、いかにも熱帯の鳥といった感じです。インド原産の鳥で、日本の野鳥というのは苦しいのですが、羽の緑色がきれいなので、まあ良しとして並べました。

 緑と対比して見栄えがいいのはということで、隣は赤茶のキジバトにした。この緑と赤茶の対比を選んだ時点で、後の2つは決まったも同然でした。

 キジバトの尾羽は形の見栄えはいいですが、黒っぽい地の先に白い円形の模様と、どうも華やかさに欠ける。キジバトで雉っぽい赤茶色が目立つのは胴体の小さな羽の部位で、そうなると今度は左右に並んだ羽との大きのバランスが崩れる。

 比較的、赤茶が目立ち、大きさもある羽を見つけたのでそれにした。羽先の赤茶が蝋燭を灯したようにも見えます。

 では、左端がキジバト、隣にワカセホンセイインコという配列もあるかというと、キジバトの羽は色の部分が小さくて端に置くには力不足で、その配列は気が進まなかった。

 そしてキジバトの隣はツミ。羽の色は地味ですが、鷹紋の模様がポイント。配列で左右の両端は色のついた羽でないと味気ないので、この順番になるのは必然でした。

 最後に右端がオナガ。武蔵野の鳥と称されていて、地元、世田谷区の鳥にもなっている。関西には生息していないと聞きましたが、どうなんでしょうか。

 これは細長い形状と藤色がポイントで、左端のワカセホンセイインコと入れ替えてみたりもしましたが、そうなると藤色と赤茶が並ぶことになる。しかし、緑と赤茶のインパクトに比べると、藤色と赤茶のコントラストはどうも弱い。

 

 結局、上の写真のような配列になりました。途中、配列を考えるのはパズルを解いてるようでもあり、でも、普通のパズルは客観的なルールがあるのですが、こちらは印象、イメージ、感覚に基づく主観のパズル。正解のないパズルを解いてるといった感じです。

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 ところで、一番きれいなのは、カラスの羽だと思っています。遠くから見るカラスは黒いだけですが、近くからよく見ると違う貌が現れる。カラスの羽の色を表した烏羽色とか濡羽色という言葉がありました。昔から女性の黒髪と重ねて語られている。  

 そういう深淵なまでの光沢のある黒もいいですが、群青色に近い黒の構造色を斜めから見るのもいいです。それが上の写真。神社の境内の石の上に置いて撮ったのですが、下の石が透けて見えるのが分かるでしょうか。

 鳥の羽ならではのフワッとした希薄な透明感は、同じような構造色でも鉱物や貝殻、昆虫のような物体の持っている質感がない分、美しさを増しているように感じます。

 

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バングラデシュのブーゲンビリア

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ダッカ市内の船着場。ドラム缶を運んでいた。岸辺にコンクリートや石、木の建造物がなく、どこも土で水辺は泥々。ゴミやガラス片のない泥土でみんな裸足。

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ここも市内の川辺。オレンジを積んだ小舟。ぐるりと見渡すと低平な大地で、写真を撮ると空ばかりが写っていました。デルタ地帯って、結局、泥土と水の世界だってことを実感します。・・・2枚とも現在のバングラデシュではなく、独立から少し経った頃の写真です。

 

 6月下旬、ブーゲンビリアが開花している。いつも歩いている道の横のマンションの玄関脇、管理人さんが手入れしていて鮮やかに咲いていました。少し紫の入った赤い花は目に眩しい。

 そういえば、この色は、モーリタニアとかアフリカで採れるルビー原石の色にありました(ピュアーな赤からは外れた色なのでルビーとしての価値は低いですが)。

 ブーゲンビリアは炎天下が似合ってる・・・バングラデシュでそこらじゅうに咲いていたのを想い出しました。 

 もうずいぶん昔になってしまったので、バングラデシュの記憶、曖昧になっている。ダッカの路地裏、夕闇の奥に蝶の群れのように咲いていたブーゲンビリアの茂み、この情景は脳裏に焼き付いている。地べたの黒い泥の色と熱帯の夕闇の中に、赤い花の塊が溶けたように見えました。

 

 急に懐かしくなり、YouTubeで最近のバングラデシュの様子を観ました。旅行者の人が撮った動画を次々観ていく。自分の記憶している国とはすっかり様変わりしている。

 あの頃は、まさに泥と水の国でした。人口は今の半分ぐらい、パキスタンからの独立(1971年)後、少し経った頃で300万人が独立戦争で亡くなり、膨大な難民が生まれ、ダッカの街には人がそんなにいなかった。妙にがらんとした街で、そこかしこに道端で火を焚き、煮炊きする人たちがいた。

 この国は、かってはインドの一部だったので、全体的にはインドっぽかったですが、ビンズー教色がインドよりずっと薄く、イスラムの影はあまりなかった。YouTubeを観ていると、現在は、イスラムの服装をしている人が増えてるのを感じる。

 いま振り返ると、一戸建ての洋館が建ち並んでいたり、イギリス植民地の地方都市がそのまま残っていたように思う。その時は、そんなことまで考え及ばず、ヨーロッパの古い映画のセットみたいだなと眺めてた。

 当時、隣国インドのカルカッタコルカタ)の街は、植民地時代の重圧感のある古びて煤けたビルがあり、道路は穴ぼことゴミだらけで汚く、路上で暮らしている人たちがいて、いかにも貧困という言葉があてはまるようなところでした。

 バングラデシュは、インドをさらに一段とデイープに・・・と書きそうになりましたが、そう書いてしまうと、なんかニュアンスが違うような気がする。単に、インドよりもっと深刻とか、あるいは貧困というのとは違う。

 確かに物質的にインドよりも貧しかったということになるでしょうが、それよりも、ところどころ、まっさら原始的な世界があるように感じたことの方が印象的でした。

 原始的な世界・・・それはステレオタイプに発展が遅れていたということではないと思います。いま思うに、独立戦争(内戦)の被害が甚大で、文明的なものが崩壊した後、熱帯のデルタ地帯の風土に回帰した世界が現出していたのではないか。

 上に300万人という数字を書きましたが、これはとんでもない数です。カンボジアポルポト政権時代の惨劇と並んで、1970〜80年代に東南・南アジアで未曾有のハルマゲドンが起きていたのですが、共に国の内部で起きていたことであり、メデイアの目に届き難い地域での出来事だったので、残っている記録は少ない。

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 わたしの目に映ったバングラデシュは、時間の流れの緩やかな、土の大地にブーゲンビリアの咲き乱れる美しい国でした。

 バングラデシュの「貧しさ」はそれほど気にならなかった。もともと子供の頃の日本は、庶民はみんなそれほど豊かではなかったですから。高度成長期以前の普通の日本人の衣食住を知っている人間にとっては、バングラデシュの「貧しさ」もそれほど抵抗なく受け入れられました。

  日本が経済大国とか、飽食の時代だとか、言い出したのは1970年代に入ってからのことです。その頃から唐突にGNP(途中からGDPになる)とか言い出しはじめた。

 ・・・本音を言うと、庶民の暮らしは今より高度成長期以前の方が豊かだったように思う。その時代を知っている友人に聞くと、だいたい同じように感じている。日本は1960年代の高度経済成長で豊かになったという一般の社会常識と反対のこと言ってるって? この話は「豊か」という言葉の意味になるので、ここでは端折ります。

 ゴツゴツした大木に大きなジャックフルーツ波羅蜜)の実がずた袋みたいに垂れ下がっていて、割って口にするとミルキーなフルーツキャンディのような味がした。人が作ったケーキやお菓子よりも美味しいなんてと感動しました。

  そして、この実の大きさ、人間の幼児よりも大きい。何十キロもあって重くて持ち上げられない。熱帯のフルーツの魅力にこのとき開眼しました。

 フルーツキャンディの味では分かりずらいので、ちょっとこだわると、最近、売れゆきが低調で販売を終了したフルーツ牛乳の味といえば伝わるでしょうか。昭和の時代、よく銭湯にこの牛乳ビンが並んでいた。特定の果物から抽出された味ではなく、バナナのようなオレンジのような現実には存在しない合成された味でした。

 はじめて食べた自然の味の感想が、以前から知っていた合成の味に似ていたという味覚の既視感は、天然と人工があべこべで妙な気がしました。

 これが仏典の波羅蜜多の味? 完璧さ、完成された、悟りの彼岸を意味する名前のついた果物の味覚は、柿、ミカン、桃、梨といった日本の温帯の果物とはずいぶん違いました。確かジャックフルーツの原産地はこのあたりでした。

 そういえば妙法蓮華経にしても泥沼に咲く蓮(ハス)の花の教えってことでした。つまるところ、仏の世界を誰にでも分かるイメージで伝えようとすると、濃密で大振りな果物(の味覚)や花の姿(視覚)になるのですね。

 

 あのときのバングラデシュはハルマゲドン後の世界だったのだろうか? ちょっと飛躍しますが、もしそうならば、人類の文明が崩壊するとか、地球上の人間の大多数が死滅するとかしても、その後、生き残った人間たちで作る新しい世界は、まんざら悪くないかもという気もしてくる。

 20世紀はじめの地球の人口は約15億人だったのが20世紀末に約60億人になっている。100年でおおよそ4倍に増えた。いまは74億人ですか、でも、長い目でみると、20世紀が極めて特異な時代だったので、将来、8割減の人口15億人の地球に戻るとしても、それほど大事でもないように思える。

 ハルマゲドン後の世界をテーマにした小説、映画、コミックはたくさんあります。でも、そういうのって頭の中で想像してるよりも、現実になると案外「普通」で、そんな世界にも日常はあって、すぐに現実に織り込まれていくように思えるのですが。

 少し前のブログのアブサン酒の話しで「プラセーボ」のこと書きましたが、それともうひとつ、この「織り込み」という現象ーー株価や石油、金とかの価格はそれによって上がったり下がったりしているーー人間はこの二つの「魔法」に翻弄されている。

 魔法って前近代の迷信の類と思っていると、現代にもしっかりあって、それが「プラセーボ」と「織り込み」という現象だと思うのですが。いまのわれわれは、そんなふうには考えていないですが、後世の人類は、21世紀の頃に信じられていた魔法と見なすのではないか。・・・横道にそれました。

 

 話を転じます。前から感じていたことですが、平地で近くに水のある土地は心が休まる。鎮まる。そして、そういう土地柄ならではの居場所がありました。なんで浅草が自分にぴったりしたのか考えると、寺町なのに加えて隅田川があるから、上野は不忍池があるからだと思っています。

 西葛西に定住するインドの人が多いのは、近くを荒川が流れているからだと聞いたことがある。その気持ち分かる気がする。

 どうも自分は、水郷みたいな土地に惹かれる。関東だと、利根川の関宿、五霞から下流霞ヶ浦あたりの情景にそういう所がありました。関宿の利根川と江戸川の分岐した河川敷を歩いていたとき、湿った土に靴が食い込む感触にダッカの川辺を思い出した。

 ・・・あまり関係ない話ですが、その河川敷にカモシカと見誤るぐらいの大きなタヌキがいます。以前、ブログに書きました。

 日本の温帯の風土では、水郷の自然も中庸ですが、同様の地勢が熱帯になると、自然がさらに濃密で、米や野菜は一年中実るし、原始的な豊かさーー黄金のベンガルという呼び名がありましたーーに満ちていた。たぶんそこに魅かれていたんだと思う。

 温帯の水郷に潜んでいる大物といえば、ナマズ雷魚、鯉とか草魚といったところでしょうか。1メートルを越えるのもいて迫力あります。

 また関係ない話に脱線しますが、昔の映画を観てたときのワンシーン。江戸時代、沼から大きなナマズを採ってきて、七輪に土鍋をのせ、団扇でパタパタあおいで調理し食べていた。題名は忘れました。モノクロの怪談映画です。

 それがまた美味しそうで、一度、ナマズ鍋食べてみたい。薬味はなにがいいだろうか。ついでに、草魚を釣って、中華料理の唐揚げで食べてみたい。・・・食べ物のこと書きはじめると、どんどん話がそっちの方にいってしまい、話を戻します。

 一方、ラオス南部のメコン川にいるメコンオオナマズは3メートルに迫るとか。こうなると人が持ち上げるどころではなくなる。バングラデシュの川にはさらに大きなノコギリエイがいました。熱帯の自然には、こんな化け物みたいな生き物を育む力があるのですね。

 

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 川辺に人が集まっていて、近ずくと巨大な怪魚が引き揚げられていました。写真に収まりきれず写っているのは一部です。胴体の上に人が4、5人乗っていた。先端のノコギリの部分だけでも人の身長よりも長く2メートルはある。象のような肌で、全長は10メートルぐらいだったでしょうか。

 ノコギリザメ? 調べるとノコギリエイのようです。ノコギリエイは海から大河の淡水域まで、泥で濁った水底を好んで生息しているとか。

 でも、ネットで検索して出てくるノコギリエイの画像とはサイズがかなり違う。こっちの方が桁違いに大きい。どうなってるんでしょうか?

 まあ、世の中で写真に撮られてない巨大魚はけっこういて、これはたまたま通りがかりに写したということなのかもしれない・・・自分の中では魯迅の小説「故郷」に出てくる正体不明の獣、チャーみたいな存在になっている。

 UMAでもUFOでも何でもいい、そういう存在と接すると、その人の生が+α豊かになる。その人の内で何かが開くという言い方をしてもいい。この+αは、お金には換算できない価値です。考えてみれば、こういうのも原始的な豊かさの一つかもしれない。

  チャーは、海辺の砂地の畑に西瓜を食べに現れる子犬みたいな姿の動物で、すばしこく毛皮が油のように滑るので捕まえられないという話しでした。

 あれからずいぶん月日が経ちましたが、あの怪魚は今もダッカの川底の泥の中に潜んでいるのだろうか?

 

 YouTubeバングラデシュを観ていて、屋台めしなんか食べたいなと思いつつも、行きたいという想いはそれほど湧いてこない。今のダッカは、人口密度世界一の喧騒の街になっていて、自分の想っているところとはずいぶん違うようですから。

 昔のバングラデシュに行きたい。過去の世界なので、現実には、どこにもないところ。地球上どこでも、近代化と開発は進む一方なので、自分の親しい世界はどんどん消滅している。

 

 ところで、先週、親しい友人と雑談してたときふと言われました。「あんたの言ってることは、人の参考にはならないよね。エキセントリックな話ばかりで、言ってること事実かもしれないけど、役に立たないから」と。もっともな指摘です。

 

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下谷「坂本富士」のお山開き

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 上の写真、中央の左上に山の頂上に登る人の姿が見える。手前の門の脇で手を合わせているのは神の使いのお猿の石像。雨あがり、草木は瑞々しく、濡れた玄武岩の黒々とした光沢、とってもいい。

 

 6月30日、下谷の小野照崎神社にある「坂本富士」のお山開きにいってきました。都会の真ん中、神社の境内にある小さな富士山(富士塚)。地下鉄日比谷線下谷駅から歩いて5分ぐらい。まわりはビル、マンション、住宅に囲まれ、そんなに広くはない敷地に盛土されている。

 高さ10メートルもないかと思います。元は古墳だったところに、江戸時代、富士山の玄武岩や溶岩を船で隅田川の船着場まで運び、荷車に載せて持ってきて積み上げている。

 江戸時代の天明年間(1782年)に築山され、富士講の信仰を受け継いでいます。富士講は、修験道が大衆化した民間信仰で、江戸の街で庶民の間に広まった。

 一年に一度、30日と7月1日の二日間だけ入山できる。この二日は誰でも入れますが、近くの小学生、家族連れがちらほら訪れているぐらいで人は多くない。

 ふだんは、入り口の門に鍵がかかっていて入れない。240年以上経っても昔のままの姿を保っているのは、人が入らないので蔦や草の根が張り巡らされ、土を固めているからのようです。

 

 この日は朝から小雨が降ったりやんだりのいかにも梅雨といった天気。小雨がずっと続いていたので空気に水の匂いがする。そういえば、この場所は以前、ブログに書いた浅草田圃の太郎稲荷の近所です。

 小林清親の版画に描かれている太郎稲荷は、江戸時代のこの辺りの原風景でした。ここにたたずんでいると、その時代と接続しているような気持ちになります。

 夏至がすぎたばかりの夕方なので6時をすぎても明るいですが、雨空の下、欅の大樹の枝が張りだしていて昼なのか夕方なのか判然としない。岩や溶岩には苔や蔦が覆っていて、雨に濡れるといっそう瑞々しく緑色が映えます。

 夏至の頃の黄昏時で、梅雨の日の雨あがり・・・ここはこんな雰囲気のときがいちばん好きです。久しぶりに来ました。どうもこの情感を自分の体で感じ、味わうために、あるいは日々の日常に埋没し忘れそうになっているのを想い出すために、ここに来たようです。

 

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 さっきまで雨が降っていたので、岩の隙間を通る細い山道は泥道になっている。

 小学生の女の子が2、3人走って登っていた。と、すぐに登れるので、降りてからまた登ってきた。靴も服も泥まみれ。聞けば、これで8回目と言っている。年の数だけ登るので、あと2回登ると元気いい。学校に入る前の男の子が、お母さんと手をつないで登っている。

 一人でやってきて、頂上で手を合わせているおじさんもいましたが、見たところ近所の子供たちの遊び場の開放日みたいな感じでした。

 ・・・ああ、でも考えてみれば、この辺り浅草から下谷、南千住、三ノ輪にかけて平坦な地形で人家が密集している。自然のある公園もないし、子供たちにしてみればこんな山があるなんて、しかもふだんは入りたくても入れない場所なので、興奮気味なのも分かる気がします。

 

 話は変わりますが、下谷富士塚と比べ、北区の十条にある富士塚は、講が存続していて参拝者も多く、道路に縁日のような屋台がたくさん出ています。地元の伝統行事になっていて賑やかな雰囲気です。

 ここは一年中、登れます。木の茂った小高い丘(やはり古の古墳)の上に祠があり、階段を登っていくといった感じなので、下谷富士塚とはちょっと趣が違いますが。富士塚は、この他、千駄ヶ谷護国寺、品川、江古田、池尻とか都内各所に残っている。

 とはいえ、江戸時代の原風景を今に留めているということでは、下谷富士塚がいちばんいいなと思っています。

 

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 写真は深山のような雰囲気のところだけ切り取ってアップしています。まわりのビルや町内会の派手な吊り提灯が一緒に写っていることが多いので。でも、こんな梅雨の夕刻、ここにいると、まわりに建物が存在していることが意識の内では消えていた。思い返すと、記憶の中に残っている情景もそう。

 その意味では、アップしている写真の方が意識に上った現実に近いように思っています。

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 ところで、この神社の狛犬、通りがかりに目に入り、驚きました。これほどの彫像、めったにないんじゃないか。これまで、神社の狛犬をそんなに見てこなかったので、あまり他のものとの比較できませんが。

 明和元年(1764年)、石屋長八という人の作とのこと。最初、明治、大正のものかと思いました。大胆で斬新な造形、江戸時代の中期に作られたとは思えなかった。

 よく神社で見かける狛犬は、どれも似ている様式化した姿ですが、この狛犬は、そういう様式化のはじまる以前の作だそうです。

 インドや中国、中央アジア、モンゴル、東南アジアの石像に、ここまで極まった、完成度の高いものないのでは? 躍動的な渦巻きのウェーブは、相模、武蔵、下総、常陸の地から出土している5000年前の縄文中期の土器の装飾を彷彿とさせる。まさか縄文土器からインスピレーション受けてたりして?

 250年以上前に作られたとは思えないほど状態がいい。石肌が穏やかで、風化、劣化していない。狛犬の表面を苔が薄く覆っていて、それが梅雨の水気を吸ってブルー系の色(まさに江戸時代の御納戸色!)に変化し、えも言われぬシックさを醸し出していた。

 

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アブサンと「緑の妖精」の秘密

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 キッチンの洗い桶の下の扉を開けたら埃をかぶったビンが出てきた。ワイン? もともと下戸だし、置いた覚えがない。誰が、いつそこに置いたのか分からない。

 手にして栓を捻るとカチと開封した音がしたので、それにつられて衝動的に舌に流しこんでしまった。ラベルぐらい見てからにしておけばと、思ったときは、すでに口に液体が入ってた。

 もし劇薬、洗剤、塗料とかだったらと誰でも考えると思うのですが、自分の行動パターンはいつもこんな感じ。

 

 強烈に甘く苦い、喉にジワーとくる熱い感覚。甘苦(かんく)って言葉があるように、本来、正反対の方向性にある甘いと苦いが融合している! 

 これって、人を驚かすブレンドを工夫、それを豪腕でもって無理矢理作ったリキュールだなと、下戸の素人がおこがましいこと書いてますが。

 最初の第一印象は強いアニスの香り、続いて強い甘味、それから強いアルコールの乾いた熱い辛さが来て、隠し味にフェンネル茴香ウイキョウ)の癖のある香味、そして全体のベースに苦味(これは中程度に抑えている)・・・ああ、これはアブサンだなと気づきました。以前、読んだ本に書かれていたアブサンの成分と同じでしたから。苦味は当然、ニガヨモギです。

 全体のバランスとして、苦味が比較的抑制されていること、アニス+甘味が過剰なこと、フェンネルの超個性的な香気が妙に出しゃばってる。このあたり、本やネットに出ているアブサンに関する話には、書かれていないことでした。

 

 そういえば、北欧、フィンランドのなんとも変な味のキャンディ、アンモニア臭と塩味の混じった「世界一まずい味」といわれてる飴ですが、あれの隠し味にもフェンネルが用いられてたのを思い出しました。

 あのキャンディの味、自分はだめでした。独断的な言い方しちゃうと異臭症フェチでないと無理(好きな方、失礼しました)。書いていて、那須温泉の源泉、鹿の湯や殺生石あたりにたちこめている臭いが蘇ってくるような・・・アンモニア臭と硫黄臭、違いはあるのですが、自分の内ではイメージがつながってる。

 ついでに、もうひとつだめだった味も書いておきます。イランで向こうの人たちは美味しそうに食べていた山羊(ヤギ)のスープ、あの味もだめでした。

 別にフェンネルに恨みはないですが、変わった味のリキュールやキャンディに限って、それも隠し味に用いるのって、どうしてなんでしょうか。

 改めてビンのラベルを見ると「ABSINTH  TABU  CLASSIC」とある。アルコール度55%。ドイツ産のアブサンでした。

 アイスクリームに垂らしてみたり、あるいは、バナナを食べながらちょっと口にしてみる。バナナと一緒だと悪酔いするというか、たぶんアブサンだからということではなく、バナナと酒類は、相性が良くないのかも。

 

 ニガヨモギ の苦さはよく知っています。口にしなくても苦い(?)ほど苦いハーブです。

 大きな袋に入った乾燥ハーブのニガヨモギ を、スプーンですくって小袋に分けるときのこと。よくコーヒー豆の売り場で、焙煎した豆をすくうときに使ってるのと同じようなスプーンを使う。

 ニガヨモギの葉や茎をスプーンですくうと、細かな微粒子が僅かに舞い上がります。それが目に見えない埃のように空気に混じり、気づかないまま鼻から吸い込んでしまい、喉を通り抜け舌に接触して強い苦味を感じる。

 そんなわけで、口にしなくても苦いというのは本当です。

 本来、それぐらい苦いハーブなので、入れすぎたら飲めなくなってしまう。抑え目にブレンドしているのは当然ですね。

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ゴッホアブサンのある静物」(1887年)

 

 19世紀の後半のフランスでアブサンが流行したことは有名で、ネットにもその話がたくさん出てきます。紹介していくと長くなるので、端折って書くと、当時、アブサンは「麻薬」のような存在と見なされていた。幻覚を見たり、身を滅ぼす人もいて、20世紀に入って禁止される。

 そして、約1世紀後の21世紀になってから過去の有害性論は誇張だということが分かり解禁、いまは普通に売られています。

 

 アブサンの流行は、フランスの資本主義勃興期から世紀末を中心に、それに続くベルエポック(繁栄の頂点)の時代に当たり、有名な詩人、文学者、画家たちの生き様とアブサン酒にまつわるエピソードが重ね合わされ、その時代の文化現象として語られている。

 ・・・と、書いていて、フランスには行ったことないし、ましてや1世紀以上昔の話で、自分の中でいまいちリアリティがない。

 よく語られてたのは、ボードレール の「人工楽園」とかユイスマンの「さかしま」などを引き合いに出した物質的快楽を極めた退廃の美といったイメージで、昭和の高度経済成長のころ澁澤龍彦なんかが憧れてた世界。バブル的、絢爛豪華な雰囲気で、特権階級や文化人のデカダンスというんでしょうか。

 一方、その時代は貧富の差の激しい階級社会でもあって、庶民というか下層階級のデカダンスもあったんじゃないかと思う。こっちの方は、あんまり話題になっていない。

 その時代に生きた人々の生活実感、実相を知りたくて、昔買って積ん読のままになってた『生活の世界歴史10 産業革命と民衆』(角山栄、村上健次、川北稔)や『パリの聖月曜日 19世紀都市騒乱の舞台裏』(喜安朗)といった本を読み直した。

 19世紀のパリでは、その日暮らしだった庶民が、休み明けの月曜日に仕事に行かず居酒屋で酒を飲んですごし、その一日を聖なる日、つまり日曜日にしてしまう習慣がまかり通っていて、街頭の騒乱、ストライキもそういう中で頻発していたとか・・・『パリの聖月曜日』の一節から。

 なんだか「日本全国酒飲み音頭」とか、あるいは浅草の脇道に僅かに残ってる朝からやってる立ち飲み屋なんかを連想してしまう。洋の東西を問わず場末美にはアナーキーな匂いがして惹かれます。

 要は、快楽を取るか、自由を取るかってことですよね? そういう選択が俎上に上がるところまで文化が極まってたとしたら、けっこう凄いなと思う。

 どちらにしろアブサンで酔っぱらってたということでは共通してたのかな・・・とお茶を濁しときます。

 

 それにしても、積ん読の本の処分に困っている。本って、いつの間にか増えているし、増えると嵩張るし、重たいし、昔はけっこういい値がついていた古書もいまは二足三文。 ゴミの日に束ねて捨てると、ささっと抜いてくセミプロが徘徊してるし、まったく始末に負えない。

 家業でやっていた古本屋さんが町から消えてしまったのは、もうずぶん前のこと。町を歩いていて、知らない古本屋を見つけると、宝探しのような気分になったのを想い出す。

 ふつうの人には雑本でしかなくても、自分にとっては掘り出し物、そんな発見体験は楽しかった。

 ついでに、いまはお腹がすいても、どこの街も同じ外食のチエーン店ばかりで味気ない。馴染みだった十条の「ランチハウス」(洋食)が閉店、神保町の「いもや」(天丼)が閉店、ついでに浅草の「蛇骨湯」が今月末で閉店と残念です。

 そう、浅草にうまい店がない。まあ、「浅草にうまいものなし」(知る人ぞ知る昭和の時代の格言)は昔からのことで、土地柄、観光客相手とイカモノ商売が伝統なのでしょうがないか。大井町の「ブルドッグ」みたいな洋食屋が浅草にあればといつも思っていた。・・・ずいぶん横道に逸れました。

 

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ヴィクトル・オリヴァ「アブサンを飲む男」(1901年)

 400~500年にわたるヨーロッパの世界支配が頂点を極めつつある時代ーーベルエポックを頂点とすると、その前の半世紀間ぐらいーーアブサンは、ヨーロッパの文化的中心地の爛熟と退廃の象徴として記憶されている・・・大上段に書くと、なんか凄いことのような、でも案外、他愛ないことのようにも思える。しょせん人間の文明って、その程度なのかも。

 フランスのベルエポック(「わが世の春」の時代)ってそんなには長くはなかった。株でいえば大天井、そういうのは後から気づくのですが。イギリスだとヴィクトリア朝がそれにあたり、ちょっとだけ長いですが、20世紀に入って第一次大戦が起き、そこから先は、共に下り坂。

 10年ぐらい前でしたか、ローマ法王が、かっては輝いていたヨーロッパもいまは年老いた、といった趣旨の発言をしてたのが印象的でした。思うに、20世紀の前半、世界戦争を続けざま二回やってしまったダメージは限りなく大きく、いまも尾をひいている。

 ついでに、日本にもベルエポックに該当する時代があって、1980年代後半(バブルの時代)がそうだったのではないかと思っています。


  アブサンは、よく「緑の妖精」と言われていた。アブサンを題材にした絵もあり、緑色の女性の幻想--女神のような、幽霊ではないし、やはり妖精でしょうね--が描かれている。こういう雰囲気、けっこう惹かれる。

 植物の緑色の精っていうと、ジャポニズムやアールヌーヴォーと底流でつながる反機械文明的な匂いを感じるのですが・・・。

 なんで緑の妖精が出てくるのか、アブサンを飲んで酩酊すると、そういうイメージ、幻覚が見えたのか、ちょっと考えてみました。

 アブサンは薄い緑色をしています。澄んだきれいな若草色、日本の色の呼び方だとヨモギ色。

 アブサンは、最初にスイスかフランスで作られたのですが、 そのときニガヨモギの生草の色をリキュールに着色したことに由来してると思います。

 アブサンにまつわるいろいろな逸話の秘密は、この緑色にあるのではないでしょうか。

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アルベール・メニャン「緑の女神」(1895年)

 

 当時は、ニガヨモギ に含まれるツヨンという成分が幻覚をもたらすといわれたそうです。でも、薬草のことを調べてみればすぐに分かりますが、その説は見当違い。

 アルコール濃度の高いリキュールなので(それに値段も安かったそうで)、アルコール依存症になり幻覚を見る人が出てきたということなのだと思います。

 そういえば、かき氷のシロップは、イチゴもメロンもレモンも同じ味だとか。それぞれ色と香料を変えて、イチゴ、メロン、レモンの味に感じるようにしている。色と香りによって、脳が味を錯覚して、違う味に感じている。これはプラセボ効果(偽薬効果)ですね。

 アブサンの秘密は、結局、この緑色、それと冒頭に書いたような特異な香気のもたらすプラセボ効果ってことではないでしょうか。 

 ついでに、法律で禁止されることがプラセボ効果を高めるということも補足しておきます。禁制品で手に入らないからこそ価値が上がるというのは、人の世の常。

 ほんとうは、たいしたものではなくても、禁止されていることで、たいしたものになってしまう。酒がご法度のサウジアラビアに駐在していた日本人で、ある晩、やっとビールが飲め大酔いした人がいました。ところが、翌朝、ビールの缶を見たらノンアルコールビールだったという話しを聞いたことがあります。

 抗うつ薬プロザックも、SSRIというタイプの抗うつ薬が日本ではまだ認可されていなかった頃、なんとか入手した人たちの間ではとてもよく効いた。ところが、SSRIが認可されると、効き目が以前ほどではなくなリました。こういう話しは、たくさんあります。

 アブサンは、禁止されたからこそ、1世紀もの間、人々に忘れ去られることなく、都市伝説化したのだと思います。いまもネットにはそういう話がたくさん出ています。

 

 モネ、ロートレックゴッホランボーボードレールヴェルレーヌ・・・アブサンに魅された人たちですが、プラセーボ効果と人間のアートや文学的な創造性の間には親和性があるもかも。

 AIにはプラセーボは効かない。そこに人間の知能とAIの知能の違いがあると思うのですが。人間は夢をみたり、恋したりするけどAIはしないし・・・恋心もプラセーボだなどと身も蓋もないこと浮かんできましたが。

 思うに、緑の妖精の正体は、プラセーボのことなんじゃないでしょうか。

 ところで、『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)に出てくる宇宙人(オーバーロード(上帝))は、人類より何万年も進んだテクノロジーを築いていた。

 宇宙人と人間の科学技術の格差は、現代の人類と石器時代の人類ぐらいの開きがあって、これはもう勝負にならない。まあ、両者の時間差を仮に3万年とすると、地球ができた約35億年前からすれば、10万分の1とちょっと向こうが早かったに過ぎないのですが。

 でも、その宇宙人は、AIと同じタイプの知能で思考する存在で、そこに壁があることを彼ら自身、自覚していた。そんな一節がありました。

 この小説、1953年に発表されているって、クラークという人の先見性すごいと思いました。

 プラセボだから騙されてるだけ、だからダメというんじゃないんです。

 思うに、騙される能力(妙な言い方ですが)と夢を見る能力は、同じことで、やっぱり、人間は、夢を見れないとダメなのではないでしようか。緑の妖精、見えるでしょうか。

 

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雀鷹(ツミ)の声、海馬(トド)の匂い

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 タイトル、漢字のクイズみたいですが、ツミは猛禽類、小型のタカ。トドは北海道の海にいる馬のように大きなアシカ・・・ではないですが、だいたいそんな動物。 雄の成獣は1トンにもなるとか。 正確な説明は検索すれば出てくるのでそちらをご覧ください。

 

 上の写真は、ツミの羽根。昨日、公園のクロマツの枝にとまっていたツミを見上げてると、上からクルクル回りながらゆっくり落ちてきた。雄の幼鳥の羽根です。羽根に鷹班と呼ばれる黒茶色の帯がついている。

 昔の日本の弓矢は、猛禽類の羽根が使われていてこの模様が見えます。また、家紋の「鷹の羽」のデザインもこれに由来している。

 袖振り合うも多生の縁ってことでしょうか(?)、連日、ファンみたいに眺めてたので、ツミからのプレゼントかなと思いました。

 近所の若林公園にツミの巣があることは少し前から知っていた。ここは住宅街に囲まれた公園、世田谷区役所や環七も近いところでタカが巣を作るにはいい自然環境とは思えないのですが。検索すると、近年、ツミは都市部に進出しているとか。

 昨年末、キジバトを捕まえて食べてる猛禽類を見つけ、後に、その特徴からツミだと分かりました。そのことは、以前、このブログに書きました。

 

 4月のはじめ、公園の林を歩いていて、変わった啼き声の鳥がいるのに気づいた。

「ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー、 ヒュー」と高い啼き声・・・カタカナで書くと、なんか変ですね、耳に聞こえた音をそのまま表記するのは不可能なので、とりあえずこんな感じです。声だけで、姿は見えない。

 野鳥にちょっと関心のある人なら、啼き声で種類は分かるはず。目を瞑っていても、この公園で数の多いキジバトヒヨドリの声がしているのはすぐに分かる。

 他の野鳥もいますが、数が少なかったり、シジュウガラのようにあまり啼かなかったり、オナガムクドリ外来種のワカケホンセイインコのように群で移動してたりと、公園内で常に聞こえているのは、キジバトヒヨドリです。

 変わった啼き声の鳥は、どれとも違いました。はて? 気になって声のする方向、クロマツの枝を探した。

 この公園は、江戸時代は長州藩の敷地の一部でした。隣接して松陰神社がある。公園になる前は、長州藩に関係した霊廟があって、戦前、計画的に植林されたと思われるのですが、公園の東側はクロマツ、西側はシイが植えられている。

 樹齢は百年近いか、すくっと伸びたクロマツはけっこう高木です。ちょうど真上の枝にそれらしき鳥を見つけた。

 地面から枝まで30メートル以上距離があって真下に人がいても枝にとまったまま動かない。キジバトぐらいの猛禽類としてはミニサイズ、丸っこい胴体から尾が伸びている。鷹班という褐色の小さな波模様が見えたのですぐに分かった。啼き声の主は、ツミでした。

 

 耳で啼き声を聞いた(聴覚)のと、目で姿を見た(視覚)の二つがつながると、それからツミについて、いろんなことが分かるようになりました。

 例えば、啼き声にいくつかのパターンがあって、カラスの群が巣の近くに寄ってくると威嚇するときの声だなと分かるとようになった。遠くで小さな点にしか見えなくても、飛ぶスピードの早さや旋回の敏捷性で他の鳥と区別がつきます。

 江戸時代の鷹匠が書き残したタカのランク付けでは、ツミはハイタカオオタカイヌワシクマタカなどと共に上物に分類されていたようです。その理由に挙げられてるのは、非常に気が強いタカだということでした。

 なるほど、と思い当たることがある。自分よりも何倍も大きなカラスが群れで来ても、ツミは巣を守るため単独でやり合ってました。B29の編隊と零戦の迎撃戦みたいです。体力というか性能で劣る分、気の強さ、闘志でそれをカバーしてたということですね。

 以前から公園内でときどきキジバトの羽根が散乱してたのですが、これはツミが捕食してたからでした。啼き声に気づいたのが4月だったのは、繁殖期に入るとよく啼くようになるからだったようです。

 また、調べていて、ツミは針葉樹の枝に巣を作る習性があることを知りました。この公園は、背の高い針葉樹がまとまって植わっている区内では稀な場所(昔、霊廟だったことから)で、ツミがここにいる理由が分かってきました。

 ツミは、ふだんは木の高いところにいて、数も少ない(雄、雌の二羽)ので、人間には気づかれないですが、公園内で独自の生活圏を築いていました。

 

 朝のテレビで、北海道の石狩湾の防潮堤にトドの群が居着いているという話題を紹介していました。なんとなく番組を観てたのですが、船で川下からトドに近ずくと、生臭い匂いがしたと言ってました。トド臭か、どんな匂いなんだろうか気になった。

 この間、近所にハクビシンが出没していて、実際、上町のボロ市通りの天祖神社でも見ています。ついでに、今月のことですが、弦巻の給水塔(詳しくは給水塔の柵の外の民家の庭)でタヌキを見ました。

 ハクビシンはジャコウネコ科です。ジャコウネコの写真を見るとハクビシンによく似ている。ともに見た目、ネコっぽくなく、強いて言えばイタチのようなキツネのような姿しています。

 そして、ジャコウネコといえば、体内の分泌物である霊猫香(シベット)です。クレオパトラが霊猫香を体に塗ってたというのですから。

 捕獲業者の話では、ハクビシンには独特の匂いがあるという。糞の話ではなく、体臭の方です。もしかして、霊猫香を彷彿とさせる匂いかも。香は、生の匂いではなく、乾燥させたものを稀釈した匂いですが。サンプルとして少量の霊猫香があるので比較して見たい。

 

 クレオパトラに会うのは不可能だけど、霊猫香をかげば、それを手掛かりに、こんな人かと分かるんじゃないか? 例えば、『十住心論』を読んでいると、空海の思考のパターンが再現できて、それを手掛かりに、こういう人なんだなと分かる(ような気になってる)。

 要は、なにか手がかりがあれば、そこからリモートビューイングできるんですね。時空を隔てた実物の全体に接するのはなかなか難しいですが、実物の無数ある断面のひとつには交差できるという感じです。

 

 話が逸れてきたので戻します。クジラ(竜涎香)、シカ(麝香)、ジャコウネコ(霊猫香)と、アニマルノートの香りを追っかけてきた手前、トドの臭いも気になったわけです。

 ・・・そういえば、インコ臭ってどんな匂いなのか知りたくて、あっちこっち尋ね歩きクンクンして、やっと分かるようになった。もともと嗅覚があまり良くないので苦労してる。この話は、別の機会に書きたいと思っています。

 

 公園にきている犬の散歩の常連の人、ドッグトレナーさんに、トド(海馬)の臭いの話をしたら、そういえばカバ(河馬)ってすごく臭いそうですね、と思ってもみなかった言葉。カバの口臭はとくに臭いとか。    

 「海」と言ったら「川(河)」とは。赤穂浪士の討ち入りは「山」と「川」でしょ。う~ん、まだまだ知らないことだらけのようです。

 

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