奇木・臥竜の松

 

      (中央のヒトデ(?)みたいな塊が臥竜の松。後方に弁天堂が見える)
 連休中、用事ができ新小岩にいく。駅からはバス、「松本弁天」という停留所で降りる。江戸川区松本1丁目にある弁天さまなので松本弁天。

 用事はすぐ終わり、天気もいいし、薫風に誘われ付近を散策することにした。知らない街は面白い。

 最初に、風に気づいた。さーっと体を通り抜けるさざ波のような風。この辺りは、まわりに大きな川があって、それが東京湾からの海風の通路になっている。この風はいい。

 薫風に誘われと書いたけど、自分の基準では、薫風と呼べる風は年に一、二度しかない。「薫風」は、言葉の修辞、時候の挨拶に留まらない体感の一つだと思っているわけです。天気、温度、湿度とこの季節の南風、絶妙なバランスにより生起する爽やかさが薫風なんです。

 この日は、陽射しが強く、気温が上がっていて、爽やかさで薫風と言うにはちょっとだけど、まあ、いい線いってたので、一応、薫風としときます。

 

 住宅街の中にある松本弁天にいってみた。珍しい古木があるらしい。庭園みたいな開放的な感じのお寺、「黄檗宗 江島山 寿昌院」に弁天さまが祀られている。

 芝生の境内、小さな弁天池と弁天堂がある。どことなく異国風・・・昭和のころ建てられたコンクリートの簡素なお堂ですが赤く塗られた手すり、柱と白壁のコントラスト、中華街にありそうな、中国の明の時代に由来する黄檗宗の建築様式を模しているようだ。浅草の川向う、向島弘福寺黄檗宗の建築様式の寺(再建ですが)で、細かい話は省きますが、建築物としての原イメージが似てるんですよ。

 弁天さまは、七福神の一柱、もともとはインドの女神、サラスヴァティーで、水辺にいることになっている。だからよく池のほとりに弁天堂がある。

 境内を歩いていたときヤモリの鳴き声を聴いた。キ、キッという声、実に久しぶり。穴を掘ったみたいに窪んだ池に菖蒲が咲いている。池から牛蛙(ウシガエル)の汽笛のような鳴き声が聴こえてきた。これだけでも、ここに来た甲斐があった。

 境内の真ん中にもっこりした樹木の塊がある。大木や高木ではない。大正時代に大風で幹が折れたとのことで、上に伸びた幹はない。 でも、けっこう大きな塊といった感じで「高さ5メートル、東西16.5メートル、南北18.4メートル」とある(江戸川区の説明文)。

 巨大な盆栽というか、これが臥竜の松でした。近くに寄ると、太い幹が枝分かれしてグニュグニュ横に伸び、大きな洞(うろ)が黒々とした口を開けている。樹皮のブロックはウロコのよう。

 臥竜(がりゅう)ってのは、竜が横に伏してる姿のことで、臥竜の松と呼ばれる木は、珍しい姿から目を引くので、ここ以外にも全国各地にある。

 近くに高いビルや大きなマンションがないので、境内から見る空は広い。静かな住宅街。昼間、訪れたのですが、月夜の晩、同じ場所に立てば、昔の情景に近づける。余計なものが見えなくなることで見えてくるものがあるんです。闇の中に漆黒の臥竜を幻視できるはず。

 

 推定樹齢500年のクロマツ、江戸時代後期の文献に「奇木」とか、とても珍しい木と記録されている。200年ぐらい前は、こんな様子だったようです。『新編武蔵風土記稿』の挿絵。

 中央近くに三本の高い松の木がある。高さ27メートル、マンションの9階ぐらい。200年前の時点で既に古木だった。左隣は田圃。地面の近くに横に広がっている傘の形をした枝が描かれている。これが冒頭の写真の「ヒトデ(?)みたいな塊」、臥龍の松ですね。

 

 「直立の老松三本あり。その中央なる松、いかなるゆえにや、土地一尺より別に枝を生じて、傘の形に藩延せること八、九間四方もあるべし。尤も奇木というべし。」(『葛西志』1821年)

 

「社に向かい左方に老松三株並び立り、共に高さ十五間許、中の松樹地上三尺許より西へ指る大枝ありて、それより左右へ広がれること凡九間余に及へり、いとめつらかなる木なれば、その図を右に出せる境内図に載たり。」(『新編武蔵風土記稿』(1804から1829年に編纂)

 

 そのころこの辺りは、江戸湾の近くで、田圃が広がり、池や小川、水路の流れる土地だった(はず)。この辺り松本だけでなく、松江、松島、それから瑞江、春江、一之江と「江」、「松」のつく町名が多いのは、海のそばの河口近くで松林があったってことなんですね。

 近所の人の話では1964年のオリンピックの前ごろまでは、田圃と畑が半々で、レンコン畑の沼が点在していた。金魚の養殖池がいくつもあったとか。

 話を聞いていて面白いなと思ったのは、子供のころの昆虫の話し。トンボやミズスマシ、ゲンゴロウといった水生昆虫のことが多い。ふつう定番のクヌギ林のカブトムシやクワガタ、カナブンは出てこない。なるほどね、このあたりは水辺の地なんだ。

  この弁天さまの裏手は、現在、幼稚園がある。話によれば、そこはかって田圃で、ザリガニがうじゃうじゃいて、タコ糸に煮干しやスルメを結んで釣り上げていたとか。いまもその頃の情景を憶えている人たちがいる。そうか、60〜70年ぐらい前にここに来ればよかったのか、ちょっと残念。

 蓮や菖蒲の花の咲き乱れる水郷のような情景が目に浮かぶ。豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)の原風景ではないか・・・ひとり懐かしんでいる。

 そして、遠くからも見える、近隣の街道を通る旅人の目印になった松の高木が三本立っていた。根元近くの枝が横に伸び、まるで傘を開いたように見える。これは天下の奇観だったんだろうな。

 現在、まわりは住宅街、松の幹はなくなっているので、目に見える景色は往時とは全く違う。でも、目を開けているときは見えない、目を瞑ると見えてくる景色もあるんです。そう、最初に気づいた南風は昔と同じ風だし、想像して、江戸文化の見立てを援用して楽しんでいた。

 

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