風の快感

 

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(前回、塔の話しでまだ途中でした。上の写真は、かつて上野の不忍池の近くに建っていた通称「五重塔ビル」。高さ112メートル、26階建の高層ホテルで1994年から2007年までの13年間存在した。当時は変な形のビルと言われてましたが、時代を超えた独創的な建築物だったのではないかと思っている。

 設計者は一本の樹木をイメージしていたとか。クリスマスツリーの形に似てなくもない。よく池のほとりからロボット怪獣ビルガモに見たてて眺めていた。ビルガモは建設中のビルにカモフラージュされた変な巨大ロボット。手前のビルを踏み潰し、こっちに向かってくるんじゃないかと思わず身を隠す。)

 

 深夜の帰り道、住宅街の脇道に金木犀(きんもくせい)の香りが流れてきた。朝、つくつく法師の声が聞こえていたのが、夜の風はもう肌寒い。

 風は空気の流れだから潮の匂い、草いきれや水の匂い、パンを焼く匂いといろんな匂いを運んでくる。風向きにより、遠くの線路の電車の音、寺の鐘の音、飛行機、山の中で祭囃子が聴こえたり(これはタヌキの仕業か?)と、いろんな音を運んでくる。

 蒸し暑い夏の夕暮れ、急に冷んやり水気のある北風が吹いてくることがある。100キロぐらい北か、坂東太郎の夕立で吹いてきた雨風(あまかぜ)だ。

 今年、横須賀で何回か正体不明の異臭がしたと騒ぎになった。風向きにより、かなり広範囲に及んでいた。報道番組を見ていたら今まで嗅いだことのない匂いだと語る人もいる。・・・当然ながら嗅いでみたい。

 

 風と快感が結びついたのは、Aさんから聞いた話がきっかけだった。Aさんは子供のころ港の船の上で育ったとか。

 真夏は船に日除けの幌(ほろ)を張り、その中で昼寝をした。幌には水をかけ、濡らしておくそうです。ゆるい浜風が吹いていて、水をかけた幌の中は気化熱で涼しくなる。あの昼寝の気持ちよさといったら・・・聞いていて、浜風の心地よさ、ゆりかごのように波に揺られ、まどろんでいるイメージが浮かんできた。

 風はどこにでも吹いてくる。でも、そんな浜風と出逢えたこと、なんと贅沢な体験だったろうか。

 

 風が通り抜けるときの感触や温感を皮膚で感じ、息(呼吸)で感じる。風の匂い、風の音を感じる。意識していると、少しずつ感覚の扉が開いていく。もちろん、全ての風がいいなどとは思っていない。

 古来、風は季節やその地の風土と結びついたいろいろな名称で呼ばれてきた。ということで、枕草子ふうに「 風は薫風、松風、川風。どれも通り風がいい」。

 薫風、松風、川風・・・共通しているのは爽やかな快感。そしてナチュラル(あたり前か)で、ゆるやか、穏やかな心地よさ。いまさらこんなこと言うのも野暮な話ですが、こういう快感っていいなと思うようになった。

 風の快感の特徴は、基本的に受け身の快感であること。それ故、空気に意識を向け(なんか変な感じですが)ていないと、意識的に注意していないと気づかない快感だということがある。空気だから見えないし、聞こえなし、触れない。

 何度かふれているが、火球はこの上なく美しい天体現象(地表の近く)だけども、いつ現れるか分からない。観察者にとっては、受け身の現象なので見れたとしたら偶然の賜物。これまで二度しか見ていない。風の快感は、火球を見るよりはまだ機会が多いにしても、いつ、どこでと言えないところは共通している。

 

 薫風は初夏、若葉の香りを運ぶ風のこと・・・辞書の説明文にはそんなふうに書かれている。もともとは漢語で、よい香りを運んでくる風といった意味だったのが、日本でより繊細な情感(季節感)がこめられた言葉に変わっていった。若葉の香りってのは季語で、初夏の爽やかな風となる。

 薫風には自分だけのこだわりがある。東京・関東では5月、八十八夜から梅雨入り前の月末にかけて、空は雲一つない真っ青な空、湿度の低い日で、 さーっと吹き抜けていく通り風であること。 

 快晴でも気温の上がった暑い日はだめ。風が強くなると青嵐になるのでだめ。ずっと吹いている風もだめ・・・だめばかりですが、まあ、こだわりがあるわけです。

 そんな日の昼下がり、さーっと通り抜けていく爽やかな風。空気の流れが体にあたったときの初々しさ、ああこれは薫風だなと気づく。

 目に見えない、耳に聞こえない爽やかな感覚に洗われる・・・これが薫風か、そうでないかのポイント。気持ちいい風の筆頭にあげた所以です。

 ここで言ってるような薫風は、年に一、二度ほどしか出逢えない。自分にとってはまさに天恵。今年は、自分の定義の薫風は一度もなかった。

 

 毎年、5月に入ると浅草は三社祭が近づき、町の人たちはソワソワしている。地元の住人ではない自分にもお祭り気分が伝わってくる。

 五月晴れの日、菖蒲湯の湯上りだった。六区の隣道を歩いていると初音通りの藤棚から藤の花びらが風に舞ってきた。菖蒲湯に薫風、なんか出来すぎ、偶然のまぐれのような薫風だった。

 その場所は、ちょうど場外馬券売り場のビルの裏手、花やしきのBeeタワーがよく見える路上だった。Beeタワーは、吊り下げ式の観覧車(?)の鉄塔。見た目、昭和のひなびた雰囲気(1960年代中盤からの高度成長期以前の日本)を体現していて、そう、小林旭の渡り鳥シリーズとか銀座旋風児シリーズの世界、いい感じだった。

 コロナで三社祭はこの二年、取りやめになった。その前にBeeタワーは解体されていて、観音温泉も蛇骨湯も閉店、初音通りの藤棚は区画整理で縮小している。

 

 松風は、松の林を抜ける風のこと。松の爽やかな香気を含んだ風、ほんとに? 子供のころの記憶で半ばうろ覚えで書いている。都会に暮らしていると、はっきりしたことが言えない。

 近くの公園にクロマツの林がある。でも、正直、そこで松風を感じたことはない。常に手入れをしていて、枝が張り出さないように伐採し、葉が剪定されている。

 子供のころ、毎年、夏になると伊豆の海辺の家に泊まりにいっていた。と言っても、避暑とか旅行とか、そんな優雅な話しではないですが。  

 当時、隣に住んでいた一家が夜逃げして、その落ち着き先が伊豆の温泉町だったので、夏になると遊びにいっていた。呑気なもんです。片瀬白田の海の見えるミカン山の農家の離れ家。ブタも何頭か飼っていて、磯から採ってきたヒトデやウニ、カニトコブシなんでも食べるのが面白かった。

 その時代は、いまより庶民の生活は不安定だったけど、大方は深刻に考えることもなく、それがふつうだと思って生きていた。・・・社会保障は脆弱ながらも、人と人の相互扶助でなんとか支えあっていたという言い方もできる。だから一夏泊まるなんてこともあった。

 子供にとっては、夜逃げなんて大人の事情は関係ないし、東京では見たことのないクマゼミミヤマクワガタがうじゃうじゃいて、南の国に来たような気分、楽しかった。 

 

 片瀬の漁船の船着場から白田川まで海岸沿いにクロマツの林がずっと続いていた。船着場の空き地には街頭テレビが設置されていて、力道山の試合のあった夜、集落中の大人も子供も観に集まった。 裸電球がぽつんと灯されただけの暗がりに大勢の人たちが立っている。漆黒の夜空にかかった天の河と海鳴りの音を覚えている。

 そうでした、あの辺り、山の裾野はミカン畑で狭い平地は田圃だった。田圃の真ん中に掘っ建て小屋の共同温泉があって、もちろん無料で男女混浴。土用波の来るころになると、田圃を通る風は稲穂の匂いがした。

 片瀬の船着場あたりには海女のおばさんたちがいた。たしかタブノキだったか、根元に漁船の安全を願う祠があった。後年、バリ島でガジュマルの根元にある祠を見たとき、あのときの伊豆と同じだなと思ったものです。

 Googleの航空写真を見ると、現在は松林も船着場もなくなっている。

 

 あのクロマツは、江戸時代中期、海防のために植えられた松並み木だった。 けっこう太い樹齢150年以上(記憶している松の幹の太さから)のクロマツで広がった枝の日蔭が涼しかった。白田川の河口までいく一本道の地面はサラサラの砂、松の細い落ち葉に覆われていて、歩いているとクッションのよう。

 その一本道は、松林を抜けてきた涼しい海風がいつも吹いていた。風に松の葉の香りがした。広い海と広い空と松風だけの天地、茫洋とした記憶ながらも、たしかに憶えている。

 松(pine)の樹脂を香として焚くことがある。精油もある。実は、幹から流れ出て固まった樹脂の匂いも甘く芳醇でなかなかいい。蠱惑的な香りだと思う。それらの香り、いいなと思いつつも、松風ならではの生の植物の葉の香りの爽やか感は異質なよさがある。香の香りというよりは、空気の香りに近い。

 清々しいグリーンの香り、松の生葉の青臭いクセがあって、あの香りを言葉にしようと、あれこれ記憶を反芻するが、どうにもうまくいかない。

 

 ・・・ちょっと横道に逸れます。レバノン南部の丘陵地帯でレモン畑の中を歩いていたときのこと。その一角、空間全体がすっぽりレモンの花の香りに包まれていた。何百本ものレモンの木が開花すると、な、な、なんだろうびっくりするような香気。

 果実のレモンの香気と基本は同じといえば同じですが、果実とは違い生花なのでフローラルな優しさのある純で高貴な香り、よりファンタジック、うまく言葉にできない。

 そういえば、レモンの果実を3万個を展示室に敷き詰めた現代アートがあったけど、どうも不粋な感じ・・・まあ、それしか手がないのでしょうがないのか。花の香りの優美さを書いていたのでつい横槍を入れてしまった。

 う~ん、松葉にしても、レモンの花にしても、香りを言葉にできないのがもどかしい。

 松の木はアジアでもヨーロッパでもどこでも生えているけど、松風は日本だけの風ではないか、薫風もそう。

 唐突に、大上段に構えた話しになりますが、日本とは何かと突き詰めていくと、けっきょく日本とは松風のこと、薫風のことではないかと思っている。・・・別に風だけでなく、五感で感じられることといった意味です。

 歴史や文化に日本を求めていく考え方があるけども、それらは知識、情報の世界の話しで、リアリティとしては空虚。ラッキョウやタマネギの皮を剥いてくのと同じで、皮の一枚、一枚に意味を見つけようとするにしても、最後まで剥くとけっきょく何もない。

 思考や観念ではなく、なにか自分の実感とつながるものがなければ、直接体験で感じられる物事の中に感じられる日本こそほんとうの日本ではないか・・・横道に逸れました。

 

 川風は、川の上を吹き渡る風。川から吹いてくる風。子供のころの多摩川の川風は、川藻や水苔の匂いがした。二子玉川の土手沿いには釣り具屋さんが何軒もあった。夏、川で泳いでいる人もたくさんいた(いまは信じられない光景)。秋になると河原はススキの原野で、川風に揺れていた。・・・ふと思いましたが、さっきから日本、日本と書いてるけど、実は、あんまり日本のこと知らないんですね。全国どこにもその土地の川風があるはずですが、ほとんど何も知らない。

 ということで、思いつくのは、隅田川の川風。これは 平成の後半、そんなに昔のことではない。

 

 真夏の浅草、夜も蒸し暑く一晩中、気温が下がらない。風がなく、空気が淀んでいる。不快というか、不健康というか、なんとかそれに順応して息をしている。二千年代のはじめ、夜の浅草は寂れ果て死んだ街と言われていた。花やしき通りは、ガランとした廃墟感が漂っていて、昔のオールドデリーを彷彿とさせた。・・・そういうところが自分好みなので、抵抗はなかった。

 しかし東の空が明るくなってから、日が射してくるまでのごく短い間だけ、涼しい朝があった。隅田川を通り道にしてやってきた川風が淀んでいた空気を一掃した。

 空気がリフレッシュされたのが呼吸で分かる。不快が快に変わる瞬間ってあるんですね。空気が変わる、一息つくって、この感じの比喩だったのか、思いつきで書いている。

 日が昇れば、また昨日と同じようにじりじり暑くなるので、朝のほんの僅かの時間の出来事だった。風の通りがいいのか、対岸の向島の川沿いの方が爽やかに感じた。

 

 墨堤といってもコンクリートの護岸、頭上に首都高の高架がかかっている人工空間。全体的にはどうしょうもないのですが、このひと時、川面にぎりぎり近づき、水平に近い角度で水の流れだけを見ることにしていた。

 草茶色の混濁した水でとてもきれいとはいえない。近づいている分、水面下を流れるゴミなんかも見えてしまう。それでも以前よりはよくなってきたんだと思う。テムズ川もこんなこんなもんなので。

 向島側の墨堤は浅草側よりも水面に近いところまで接近できた。無理な姿勢なんですが、殺風景な護岸やビルが視界から消えて川面と空だけになる。滔々とした水の流れ、ときにより上流に遡上していくこともある。ボラがピチャリと跳ねる。

 水の流れていく様子だけは、浅草川や大川と呼んでいた時代と変わっていないんだろうな、とりとめもなく眺めていると、涼しい風がさーっと通っていった。

 

 いつの日か、この辺りは江戸時代に文人墨客が遊んだ風光明美な景観を取り戻すらしい。さすがに豊葦原瑞穂の国は無理なので、洋風にデフォルメされているでしょうが。墨田区の「隅田川水辺空間等再整備構想」にはそんな夢が描かれていて、地元の想いが込められているのを感じ、きっと実現するに違いない。

 とはいえ、それはかなり先の未来のことで、自分にとっては、これが隅田川の川風であり、清濁併せ吞んだ趣きもまた一興あって満足している。

 

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