若松孝二監督と画家、岡本太郎

 渋谷駅の構内、井の頭線の改札口に向かう通路の壁に大きな絵がある。岡本太郎の「明日の神話」(1969年)、迫りくる炎の赤い舌、巨大な目玉、中心に燃える骸骨の人間と不気味な光景。

 この絵が設置されたとき(2008年)、でっかい絵だなー(幅30メートルもある)、そして、ただならぬ雰囲気に場違いな感じがした。その後、ビルの内装が改修され、広いホールになり、白を基調にしたシンプルな空間、照明も隙間なく明るくなって、今はそれなりに収まっている。毒気が薄まりモダンな雰囲気になった。

 同じ絵でもまわりの様子が変わると、絵の印象も変わるのか、足をとめて眺めていた。周囲の空間が広くなった分、絵が以前より小さくなった(ように感じる)。

 

 この絵は核爆弾の爆発した瞬間、その爆心地を描いている。確かビキニ環礁の水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件(1954年)に啓示を受けた絵だとか。ということでは、ゴジラと双子の兄弟みたいな関係になる。

 「明日の神話」という題は、当然、未来のハルマゲドン、核戦争による人類の終末をイメージしていたのだと思う。

 岡本太郎という人、核爆発の瞬間のエネルギーに魅せられ、どうかしちゃっていた人だったのではないか。戦争の悲惨さ、平和への願いなど、はなから無関心。

 この人、テレビのCMで「芸術は爆発だ!」と言って流行語になった。1970年代の中盤だったか。みんなそれをパフォーマンスだと思っていたけど、ご本人は本気だったと思う。

 

 核爆発のエネルギーを浴びた生命が、人間のエーテル体(シュタイナーの言い方だと)が消滅した瞬間、岡本氏は、それを恐怖と歓喜の融合状態として描いている。・・・シュタイナーの言い方を踏襲したけど、別に鵜呑みしてるわけじゃないんです。シュタイナーから影響を受けたのは、なんといっても行法の方面が大きかった。それから目に見えない、観察、認識できない世界をぎりぎり言葉にして表現できた人としては、この人に並ぶ人はいないんじゃないかと思っているので。横道に逸れました。

 その時、人間世の全てが終わるにしても、これまで人類が体験したことのない歓喜が得られる。・・・ふつうの人間の感性で受けとめられる臨界域を超えている。ふと、DMTの世界を、DMTはさらにコアというか、その先の世界だけど、まあ、方向性は同じなので、連想してしまう。

 昨日だったか、アメリカの大統領がウクライナ戦争の戦局に関して、アルマゲドン(ハルマゲドン)という言葉を口にした。ロシアの大統領が核兵器を使うことも辞さないと発言したことに対してのコメント。

 ハルマゲドンといえば、ヨハネの黙示録にイナゴの話がある。終末の兆として現れるんです。20年ぐらい前からあのイナゴは飛行できる超小型の昆虫型兵器のことを予言しているのだと睨んでいました。当時、イスラエルで何種類かを開発中だと噂されていた。

 今回のウクライナ戦争では、ドローンが実戦化されたが、ヨハネの黙示録に記されているイナゴの文意は偵察用ドローンと符合する。説明は長くなるので省きますが、該当箇所は簡単に見つかるので関心のある方は、読んでみてください。

 

 大阪万博の「太陽の塔」(1970年)はこの絵と同じコンセプトで制作されている。この作品(=塔)も大きいんですね。高さ、約70メートル。同時期に制作されたこの二点が岡本氏の代表作といわれている。

 絵も大きいけど、塔も大きい。見る人を圧倒する大きさに岡本氏のエネルギー、パワーが込められている。小さくて、かわいらしいものを美しいと感じた清少納言とは真逆ですね。平安時代の貴族の女性を引き合いにしてもせんない話しですが、岡本氏は日本的な感性とは全然別のある意味、破壊者として現れた人だった。

 こんなこと公言していいのか(?)、直截に言って「明日の神話」も「太陽の塔」も死の影が漂っている。

 常人にとって、死の影は忌わしくネガテイブなものだが、岡本氏には、それ以上に全否定と全肯定の並立した極限のエクスタシーの方が大きかったのではないか。密かにそれを待望していたと思わざるをえない。

 人類が想像してはいけない世界を描いた岡本太郎、この世は、想像したことはいつか必ず起きるから。換言すれば、表に出すということは、それを引き寄せていることになるのだから。

 毎日200万人が乗り降りしている駅にその絵が掲げられているのは異様なことだと思う。すぐ横を通行している人たちは、通勤、通学、買い物といった日常に忙しく、目に入ってないんでしょうが。

 若い頃のバタイユとの交流、その後、縄文中期の土器、特に火焔型土器みたいな過剰な装飾性にインスパイアされ、さらにメキシコでマヤ文明の人身御供なんかとマジで向き合うと、思うに、全て本人がそれを求め続けてきたからこそ出逢ったのですが、こんな感じになっちゃうんでしょうか? 

 

 こんなこと書いているのは、久しぶりに「明日の神話」の前を通ったからで、井の頭線に乗るとき以外、あそこを通らないので・・・絵を見ていて、若松さんことが思い浮かんだ。

 映画の若松孝二監督は、岡本太郎氏と同じようなメンタリティの人だったのではないか。世間的には両者に何の接点もないし、つながるような思想とか、作品とかあるわけではない。

 若松監督といえばポルノ映画からスタートしたアングラで反体制を貫いた人。一方、戦前のフランスに遊学、高度成長のピークの時代に国策であった万博のシンボルタワーを作った岡本太郎、いわば体制派。二人は、水と油のように見える。

 同じようなメンタリティの人というのは、二人とも魂のパトス、激しい生の衝動、そういう資質が並外れて過剰な人だってことです。魂魄でいうと「魄」の方、気魄です。

 社会や世の中、時代とは無関係に、その人、個人の内側から出てくる激しい衝動。これは天性のものだと思う。そして、その過剰さによく耐えられたなとも思う。二人とも自制心というか、タフな人だったんでしょうね。

 岡本氏は写真だと偉丈夫といった感じだけど、実際は小柄な人だったとか。若松さんも小肥りながら小柄な人だった。先に書いた人間の「魄」の力は体格とは関係ない。また、一般的な意味で、その分野の才能の有無よりは、特異な人間性というか、情動のエネルギーってことが大きい。

 映画や絵といった自分を表現するすべがあったのはラッキーだった。社会と折り合いをつけ生涯を全うできたのは、創作活動のおかげ・・・意図せずしてそれが芸術療法、内からの過剰なエネルギーを発散する圧力弁になっていたであろうから。

 ああ、ラッキーってことでは、時代(1970年前後)もあった。若松監督や岡本氏と同じような資質で、同じぐらいのポテンシャルの人はいまもいるんでしょうが、現在はそれを形にする環境がなくなっているし。意思と能力に於いて、この二人と同程度の人はそれなりにいるはずですが、時代がかわり客観的条件が変化しているので、存在に気づかないってことじゃないか。 

 もしかしたらそういう人、映画とか絵とか、そういう面倒くさいことには関わらずに、単身ウクライナに「潜入」して戦闘に加わっているのかも?

 

 分かったようなことを書いていながら、実は、若松さんの映画を観たことがない。性・暴力・反体制の政治的ラジカリズム、そんなテーマの映画ばかり撮っていたんでしょ。 

 晩年、1972年の連合赤軍事件と、1971年の三島由紀夫と盾の会の事件の映画を撮っている。極左と極右(三島と盾の会をそう言っていいのか難しいですがとりあえず)じゃ、正反対だけど、撮っている本人は、左とか右とか、イデオロギーには無関心。社会や政治のことには無関心。そういうところも岡本氏と共通している。

 関心があるのは、激しい生きざま、閉じられた小集団の中でそれが凝縮され、炸裂する。思想ではなく行為。想像や妄想ではなく行為なんですね。要は、暴力行為、犯罪行為。映画、観てないけど、たぶんそうなんじゃないか。

 『俺は手を汚す』・・・若松さんの本のタイトル。いかにもといった感じ、芸術ではなく行為、そこのところは岡本氏と違う。

 1980年代、隣に若松さんの事務所があって、よく顔を会わせていた。そこは、かって香港にあった九龍城をおしゃれにしたような(?)面白い建物だった。バブルに入るころで、1970年前後の過激で熱い時代がどんどん遠ざかっていくそんな時代。巷では、日本経済がそのうちアメリカを追い越すといわれるようになっていく。

 時代の空気は、反逆とか汗、肉体的なものはスルーされ、お上品に、明るくキレイに、清潔になっていった。撮れる映画も少なかったのではないか、忙しそうではなかった。とはいえ、丸くないし、キバってた。・・・「水のないプール」を撮っていたのを覚えている。

 そういえば、若松さんが料理を作ったことがあった。いわば監督メシというか、無頼漢の気まぐれだったので、よく覚えている。当時、海鮮中華料理の店がちょっとしたブームになっていて、会食の後、刺身にした伊勢エビの殻をもらってきて、鍋で味噌汁を作ってくれた。

 要は、山盛りのエビの殻を鍋にぶち込んで、長ネギ、味噌を入れて茹でるだけなんですが、素材からして当然、美味しわけで、ご本人は、腕自慢の披露といった感じだった。

 仕事の話はしたことがない。でも、日々顔を会わせていると、だからこそ見えてくる人柄や気性、メンタルなものがあるんですね。

 

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野ネズミとトマト

 

 畑のトマトが赤く色ずき、毎朝、もう収穫かと見ていたのですが、気づいたら大きな穴があいていた。庭に畑を作り野菜を作っている。ウクライナやロシアのダーチャ生活の動画を見ているうちに自家菜園の真似事をしたくなった。

 えっ、鳥? いつも来ているキジバトの仕業か。でも、よく地面を突いてはいたけど、枝になっているトマトを啄むとは考えづらい。木登りの出来ないタヌキが壁を越えてくるのは無理だし、ハクビシンかアライグマか?

 これらの動物が近所を徘徊しているのは、それにアナグマ(これは桜、経堂の近く)がいるのは知っている。人間の活動している時間帯は隠れていて、寝静まったころ徘徊しているので、気づいていない人が多い。タヌキの棲家のすぐ近く、彼らの通路に面した住宅に住んでいるおばさんと雑談していて分かったことですが、タヌキの存在に全く気づいていないんですね。

 

 ふと、思い出すのはメキシコ南部のジャングルを根拠地にしているサパテイスタ民族解放軍(EZLE)の人たちのこと。あの地域、一応、昼間はメキシコ政府の支配下にあるのだけど、夜になると先住民の反政府勢力サパテイスタ側の「領土」(?)になる。

 二重権力っていうんでしょうか、昼間の「政府」と夜の「政府」、同じ空間に二つの政府がある。あんなカオス的状況を夢想している。

 ・・・横道に逸れますが、あの辺りグアテマラ国境に近いジャングルには吠え猿(ホエザル)がいて、体は小さいんですが、とんでもなく大きな声で唸る。ジャングルに埋れた遺跡には、けっこう大きなイグアナがいる。小川には1メートルぐらいのワニがいて土手でゴロゴロしている。

 ホエザルは高い木の枝にいて、ギャーというかガオーというか強烈、獰猛な声で、とんでもない大音響が5〜6秒続く。100メートル以上離れていても音で動けなくなる。なんでも地上の動物でいちばん大きな声だとか。5キロ先でも聴こえる。こいつを動物園で飼育するのは無理。

 対テロ用の非殺傷兵器に大音響で相手にショックを与え、動きを封じる投擲弾があるのですが、あれと同じ。ついでに、7月に起きた元首相の事件ですが、あの時、元首相の周りにいた警護の4人(SP一人、警官三人)が外れた一発目と命中した二発目の間の2秒ちょっとの間、全く動けなかったことが問題になっている。

 要は、棒立ちになってたってことですが、あれは手製火薬の爆発音にやられちゃってたんですね。あの瞬間、警護員がサッと動けたらってのは一般論でしかないんです。ホエザルの声は140db、人間が音として聴こえる最大値に近いそうで、それ以上の数値になると失神してしまう。

 ホエザルは、荘子の「無用の用」の生き物なんだなと思う。声があまりに大きすぎることから、捕獲されて動物園に閉じ込められることなく、ジャングルで平穏に暮らしていられるのですから。・・・ああ、何の話をしてたんでしょうか、話を戻します。

 

 しかし、70~80センチの高さの枝についているトマトの実を、それも周りの枝を荒らさずに実だけ食べるなんて出来るんだろうか。

 そんなことがあって、他のトマトの実に注意していたら、何日か後、正体が分かりました。昼下がり、トマトの実に何か小さな動物がくっついている。茶色っぽいリスのような姿。

 野ネズミ(ハツカネズミ)でした。こちらに気づかず、実に乗って食べている。思わず撮った写真のうちの一枚が上の写真です。小さな体ながらジャンプ力があるとか。

 見ていると、けっこうかわいい。春から育ててきたトマトで怒る気持ちがありつつも、かわいさの方が優って、まあ、いいかと、そんな気持ちになっていた。特に、つぶらな黒い目がかわいい。   

                 「アパッチの涙」と呼ばれるアリゾナ産のオブシディアン(黒曜石)

 オブシディアン(黒曜石)のような目。アメリカのアリゾナ州ニューメキシコ州で採取されるオブシディアン、丸っこい涙の塊のような原石を「アパッチの涙」と呼んでいるあれに似ている。原石の表面の艶(ツヤ)は、濡れているような、涙目みたいに見える。

 この石の名称は、アメリカが建国される前、ヨーロッパから来た白人、アングロサクソンに先住民が駆逐された歴史があるのですが、黒い目の先住民たちが流した涙に由来している。アメリカは、先住民のジェノサイドによって建国された国だった。カナダもメキシコも、南米の国々も先住民を駆逐して作られた国ということでは同じですが。

 アメリカ先住民は、4~1.5万年前にシベリアから陸地だったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移住したモンゴロイド系の子孫でした。

 

 どうもネズミというと、昔からネガテイブなイメージが固定化していた。 しかし、考えてみれば、野ネズミも都市部に生息するタヌキやハクビシン、アライグマ、アナグマと同じ「仲間」と見なすべきなんじゃないか。

 

 ところで、平成のいつ頃からか、飼いネコを家の外に出さなくなった。路地、道端、家屋の塀や庇、屋根、以前は当たり前にいたネコの姿が消えていった。少し前のブログで、冬鳥のジョウビタキツグミが庭に姿を現すようになったのは、野外にネコがいなくなったからではないかと書いた。

 世田谷線松陰神社前駅、軌道線という二両編成の「ちんちん電車」の通っている鄙びた駅で、踏切の遮断機の脇の草叢に野ネズミの巣がある。  

 昼間もけっこう大ぴらに動き回っていて、これも街からネコが消えたことによる新しい状況だ。また、ハクビシンが増えてきたのも同じ要因がある・・・くだらない話しかもしれませんが、自分にとっては大事なんで。

 先日、踏切で待っていたとき、偶然、耳にした会話、ネズミを見た幼稚園ぐらいの女の子がお母さんに言っていた言葉が印象的だった。

 「あっ、ネズミ。かわいい!」とお母さんに指差していた。

 なるほどね、まっさら素直に、偏見のない目で見ると、かわいいんですね・・・全く当たり前のことを今になって気づく。

 小さくて、かわいい・・・枕草子であげられている「うつくしきもの」に当てはまっている。清少納言が野ネズミを見たら「うつくしい」と書いたんだろうな。

 

 昭和の高度成長のころ、既に都市化の進んでいたこの辺りにいた哺乳類といえば、コウモリ、モグラ、ネズミといったところで、その頃はタヌキやハクビシン、アライグマ、アナグマはいなかった。現在、コウモリ、モグラはほぼ絶滅。

 これが令和の、21世紀前半の都会の野生動物(?)。ネズミや元はといえばペットの外来種の動物がメインの自然って変ですが、現況優先しかあり得ないので。

 理想的な「自然」、それは頭の中のイメージとしてしか存在していない。人類は農耕を始めたころから自然を破壊しはじめ、現在、人間の関与していない自然は殆どなくなっている。結局、地球に人類がいる限り、折衷案的な、人工的な自然しかあり得ないんじゃないか。

 

 いま動物園や小学校で「動物介在教育」なるものが行われている。情操教育の一環として、動物に触れあったり飼育をしている。また、学校教育とは別に、いろんな場所で、子供、大人を含めた野生動物観察も行われている。

 なんでそんなこんなことしているのか? 欧米の受け売りでやりはじめたでは身も蓋もないですが、いま流行のSDGsにしてもジェンダー平等にしても、ほんとはみんなそうなんでしょ? でも、言ってることに納得してしまえば、違和感なく受け入れられるわけですが。

 察するに、「動物介在教育」の底流には、いかに人間が自然、この場合は動物たちと切り離されて生きているか、その不自然さを修復しなければという衝動が起きているからではないか。

 言葉としては、そういうことはいっていない。その目的や動機、つまりその底にある衝動は、集合的無意識なので、学会、文科省教育委員会NGOとかNPO、それぞれいろん語り口で言葉にしているでしょうが、自然からの乖離によって人類の内の人間性が危うくなっていることの修復として起きているんだと思える。

 話しが面倒くさくなるんで、大まかな言い方ですが、人間性が危うくなっていると見ているのは、子供の教育に遡って考えていくと、例えば、ざっとAI化社会、親子関係、新自由主義、戦後77年の占領下体制の継続・・・まあ、いろいろ理由はあるでしょうし、交互に絡みあってるでしょうが、思い当たる節として自然と切り離された暮らしってことがあるのではないか。

 教育現場で子供たちと接していて、はっきりつかめているわけではないけれど、思い当たる節がある・・・そんな想いを持っている人たちが少なからずいる。その想いを衝動と言ってるわけです。

 人間は、人間だけの世界で、あるいは人間+AIだけの世界で成長していくのは、なかなか難しいように思える。もちろん、そんな世界でもちゃんと、というか適応して成長していく子供もいるでしょうが、全体としては難しいし、危うい。

 多くの人々が犬やネコを飼ったりしているのも、ベランダにプランターを置いて植物を育てているのも、根っこには同じ衝動が働いているのではないか。犬やネコはペットで自然でも野生でもないし、ベランダの植物じゃあ・・・という疑問もあるかもしれないが、でも、それでもいいんです。この世は、現況優先の世界なので、次善の策でもいいんです。

 

 いっそのこと、野ネズミ、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、アナグマ、それにキョンヌートリアなどを身近な野生動物観察の対象にしてみたらいいんじゃないか。

 この場合、当然ながら、ふつう頭の中で想い描いている「自然」とはかなり違う。線路脇の雑木林にいるタヌキだったり、空き家を棲み家にしているハクビシンだったり、雑草の茂った河原、住宅地の崖と、美しい自然とは言い難い場所だし、見つけるには人間の往来している時間帯ではない時に出向かなければいけないのでけっこう大変かも。

 また、動物園とは違うのだから相手と出逢うこと自体、簡単にはいかない。何度も空振りしても、もともとそんなものなんだと、肯定的に理解できるようになれればいいんじゃないか。

 近くの公園に榎(えのき)の大樹が二本ある。夏の後半から初秋に幹の周りに赤い、深緋(こきあけ)色というか、小さな実が散らばるように落ちている。

 榎の実を見ると、「桐一枚」で、連日の猛暑でも秋が近いんだなと感じる。

 口にすると、ほんのり甘く、和菓子のアンコの味がする。でも、実は直径5ミリほど、中の種を除くと食べるところは、ほんの僅かしかない。

 昔は子供が食べたりしていた。毎年、拾っているのですが、あまりに小さく、いくら集めても増えてる気がせず、途中でやる気が失せてしまう。

 正岡子規は随筆「くだもの」の中で、一番小さいくだものとして榎の実をあげている。子規は榎の実に思い入れがあるようでこんな俳句も残している。明治のころは、子供たちにとって榎の実はお菓子みたいなものだったことが分かる。

 

一本に 子供あつまる 榎の実かな

榎の実 散る此の頃うとし 隣の子

 

 今月のプロジェクトとして、知り合いに榎の実をパックして配っている。昨日、浅草の馴染みの店では大好評。半信半疑で口にして、ほんとにアンコの甘さだと、そんなびっくり感でウケました。

 珍しいものをありがとう、貴重なものをありがとう・・・そんな言葉をいただいた。浅草の地元では、そうなんでしょうね。本来、どこにでもある木なのですが、どこにも実は売ってないってところがミソ。

 縁のある人たちに、拾ってきた木の実をプレゼントし、自分で作ったキュウリやトマト、ナス、ゴーヤを配る。自分にとっては、喜んでもらえるってのが最大の「利益」です。

 

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ちびまる子ちゃんと笑気ガス

 さくらももこさんのエッセイ『たいのおかしら』に笑気ガスの体験記が載っていた。歯医者さんの椅子に座ったさくらさん、『人工楽園』(ボードレール)のような白昼夢が現れるや、あっという間に消え去る・・・手品にびっくりしているみたいで可笑しかった。

 さくらさん、と書いていて、どうもしっくりしない。やっぱり、ちびまる子ちゃんと書く方が自然な感じ。以下、そうさせてもらいます。

 それで「ちびまる子ちゃんと笑気ガス」・・・これもなんか変だなーと思う。「笑気ガス」って語感がよくない。まる子ちゃんが笑い呆けてる姿を連想してしまう。

 笑気ガスは、歯医者さんの治療で、患者の緊張を解くために用いられる亜酸化窒素(N2O)のこと。笑気ガスといっても、笑い出す作用などないのですが。

 ガスにより緊張が解け、弛緩した顔の表情が、あたかも笑っているかのように見えるので、Laughing gasと呼ばれるようになり、その直訳で笑気ガスになってしまった。そういえば、笑茸(ワライタケ)も同じ、笑い出す作用なんかないのに。

 

 ちびまる子ちゃんの体験、どんなだったか、本を引用しておきます。

「・・・次第に頭がボンヤリしてきた。普段からボンヤリしている私だが、そんなボンヤリとは比べものにならない、とびきりのボンヤリである。

 もう、どうでもいいやと、何がどうでもいいのかわからないが、何もかもどうでもよくなっていった。

 今、自分がここで歯の治療をしに来ている事も、仕事の事も、全て無縁の世界の事だと感じはじめていた。

 目をつぶると、どこかアラビアか何かの王様になった気がする。カシャカシャという、歯科医達の器具の音が、王様のためにフルーツを運んでくる食器の鳴る音に思えてくる。

 私は非常に漠然としてしまった。この気分は漠然としか言いようがない。とにかく馬鹿馬鹿しいほど漠然なのだ。

 死んだ魚の様に漠然としている私を医者がチラリと覗き、「だいぶ効きましたね、そろそろ始めましょうか」と言った。

 私はまだアラビアの王様になっていたため、「そろそろ始めましょうか」の声が、どこか遠い町のカーニバルでも始まる知らせの様に感じていた。

 ・・・(略)

 もう笑気ガスの効能はほとんど残っていなかった。何と潔く消えてしまうものだろう。」(さくらももこたいのおかしら』)

 

 うん、うん、そうそう。アラビアの王様とか、フルーツを運んでくる食器の鳴る音とか、「漠然」と書いている状況、よく分かる。以下、まる子ちゃんの体験を自分なりに解釈してみた。

 「ボンヤリ」、「漠然」というのは、擬似的に植物の意識になっている(退行している)のだと思っている。木は、考えたり、記憶したりしていないが、ボンヤリとした意識みたいな世界に生きている。

 植物は地面に根をはりその場所から動かない。動かないということは、体と周りの環境、自然が一体化しているってことだと思う。まる子ちゃんが「何もかもどうでもよくなっていった」のは、それが樹木の意識、つまり無為自然の境地だから。人間でいえば、ちょうど生と死の境目の意識と言ってもいい。

 「 今、自分がここで歯の治療をしに来ている事も、仕事の事も、全て無縁の世界の事だと感じはじめていた。」というのは、心の中から共同幻想や個人幻想の消えた、なくなった、それらから自由になった心の状態。別の言い方をすると、この世から去る時の人間の心理状態だと思っている。

 

 「 どこかアラビアか何かの王様になった気がする」・・・よく観ている。こういった体験は、夢と同じで、目が醒めると忘れてしまい、おおかた憶えてないことが多い。とても淡いイメージで、ふだんの意識に戻ったのち、思い出して具体的な何かに例えて書くのは、けっこう難しい。

 肉体とまわりの外界の境界がなくなっていくとき、意識の自覚としては、体の外皮(表面)から分解していくような、粒になっていくように感じられる。

 皮膚と空気や着衣、座っている椅子の接地面の感触が分からなくてなって、全体というか体と空間が共振しているように感じられる。炭酸飲料を飲んだときのシュワーとした感触に似ている。また、音や色や皮膚の触覚の共感覚も起きている。

 でも、実際に体が震えたり、振動してるわけではないです。それは十分かっていて、感覚の上でのことだと自覚してもいる。

 自分が微細な粒になっていき、それが音叉のように共振している状態・・・こう書くと抽象的でよく分からないかもしれないが、具体的には、それを自分の中でいろいろな原イメージに変換して受けとめる。

 その原イメージは人により、いろんな比喩になると思いますが、まる子ちゃんは、そこからアラビアの王様になった。

 まる子ちゃんは、(たぶんというか、察するに)煌びやかなベリーダンス、色鮮やかなモザイク・タイル、絨毯の細かい模様だったり・・・そんな原イメージの渦ーーそれがありありと、包みこまれるように起きるーーとして受けとめ、それに誘発されてアラビアの王様になったのだと思う。

 そういえば、まる子ちゃんは、星やキレイな宝石が大好きだったとか。

 金属の医療器具が触れあった音が、フルーツを運んでくる食器の鳴る音になるのも同じことだと思っている。その音も倍音のように聴こえていたはず。

 笑気ガスの効いている時間は短く、「何と潔く消えてしまうものだろう」というのもその通り。あっけないというか、えっ、今のはなんだったのという感じ。

 

 笑気ガスは、昔、20世紀のころ(1990年代)、何十回か体験してる。あれ以来、してないんで、記憶をもとに書いている。 なんでそんなことしてたのかといえば、純粋に探究心というか、どんな意識になるのか知りたかった。

 この場合、知るということと、自己意識の観察は、同義なんですね。知識や情報を知るのではなく、自分自身を知ること。言葉では同じ「知る」でも全然、違うことなので、「知る」よりは「気づく」という言葉の方がふさわしいでしょうか。

 楽しいとか、面白いとか、それで繰り返してたわけではなかった。まあ、面白いといえば、面白いのですが、それより知りたいということの方が大きかった。・・・振り返ると、モチベーションからして辛気くさい。野暮だったなと思う。

 別に依存性もなかった。だから、それがなんなのか自分なりにつかめた(と思った)時点で終了。それ以来、全くしていないので、過去の記憶と照らし合わせて書いているだけです。

 ああ、でもこういうのって、人それぞれ個人により異なるので、自分には依存性が皆無でしたが、万人にそう言えるのかは分からない。

 

 ところで、20世紀のころの話しをしていて、ふと思ったのですが、今年は2022年、3年後には21世紀も4分の1が終わることになる。早いですね。人間は、20世紀とたいして変わってないような感じ。

 リンゴでもスイカでも、まるまる一個あったものが、4分の1なくなると、気分的にはガクンと減ったなと感じる。

 人間は20世紀に自然界の4つの力のうちの一つ電磁気力をコントロールする文明を築いた。文明の大枠はいまも同じ、当分、残りの3つの力には手が届きそうもない。なんとなく20~22世紀は同じような世界なのかも、そんな気がしはじめている。

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「 朝風呂丹前長火鉢」と享楽文化

(師走の浅草寺、恒例の羽子板市でのこと。境内に羽子板を売る露店がたくさん並ぶ。その中で、これだけフツーじゃない雰囲気。なんか妖しい。目が飛んじゃってる。)   

 

 「鯛の目玉」って、ご存知でしょうか?  江戸時代の隠語で「恋情。男女間の愛情」のことらしい。その由来は「鯛の目玉=最も味のよいもの=何物も及ばない味」から派生したという(『隠語辞典』楳垣実編)。

 ふ~ん、鯛の目玉ってそんなに美味なの? ひところ魚の目玉にはDHAEPAが豊富に含まれ、食べると頭が良くなるなんて言われてた。

 でも、マグロの頭部、ツノトロみたいに、特に美味だと持ち上げる話は耳にしなかった。知り合いの料理人に聞いても曖昧な答え。まあ、江戸時代のことだから・・・。

 

 「何物も及ばない味」って、よっぽどの美味に違いない。現在、その味は途絶えたのか。それは調理法、要するに職人(料理人)がいなくなったのか。明治以降、肉食、乳製品、洋食、スパイス、化学調味料の味に順化されて日本人の味覚自体が変化し、その味を感じられなくなったのか。

 あるいは、そんな大仰な話ではなくて、江戸時代の庶民にとって鯛は高嶺の花で、象徴的な意味で用いられていただけなのか。

 隠語は、その時代、仲間内の間には通じる意味があったのだけど、後世の人間にとっては、なぞなぞ言葉になってしまうのですね。

 

 よく分からないついでに「朝風呂丹前長火鉢」という言葉もあった。朝湯に入り、丹前(どてら)を着て、長火鉢の前に座っているさま、一般的な説明では気楽な生活の喩えらしい。

 気楽な生活ですか・・・現代人の感覚からすればそうかもしれないが、なんか怪しい?

 

 江戸時代、銭湯は夜明けから開いていた。朝一番に訪れるのは、徹夜で博奕場や遊郭にこもっていた人たち。

 「丹前」は寒いときに着る「どてら」ですが、一方、隠語の意味もあって、風呂で営まれていた風俗業に通う客のことだった。『隠語辞典』には「呂衆」という隠語が載っていました。風呂屋の湯女で実質的に私娼のことだそうです。

 『銭湯の歴史』(中野栄三)によれば、丹前風呂は当時、評判になり芝居にも出てきたとか、伊達(要は、かっこいい)な風俗だったようです。着物の丹前はそこから派生して生まれた言葉だとか、つまり表の意味と裏の意味が逆で、元は隠語の方が先にあったってことですね。

 横道に逸れますが、丹前風呂の湯女で、勝山という有名人がいて、外出の際、玉ぶちの編笠に裏付けの袴、木刀の小太刀を腰にさして歩いていたという。カブキ者というか、当時の身分社会の常識からすれば奇行ですが、そんなぶっ飛びがまかり通っていたところに享楽文化の片鱗を見る思いです。

 また、浮世絵には、よく遊郭に長火鉢が置かれている場面が描かれている。長火鉢は喫煙具一式がセットになっていて、凝った造りの工芸品もある。

 

 「朝風呂丹前長火鉢」を深読みすると、一晩、博奕で得た金で、朝、私娼のいる風呂にいき、その後、昼間はぬくぬくしてる。江戸時代は、いまよりも寒冷な気候だった。隅田川が凍ったそうで、北海道の冬といった感じ。長火鉢のまわりでキセルをふかし、ダラダラしてる。 

 仕事しないで、遊蕩というか淫蕩というか、享楽に耽っている輩(やから)、そんな感じだろうか・・・暗号の解読みたいになってきた。

 

 なるほど、と思うことがある。江戸時代の日本には、中国やインド、アラビア、ヨーロッパなど、ユーラシア大陸の享楽文化とは異なる独自の享楽文化があったのではないか。

 そういえば、快楽主義を肯定し、こんなことを言ってた人がいる。

 

「精神力と物質力のありったけをつぎこむ、ねちっこい、油っこい、生命力に満ち満ちた、西洋流の快楽主義もあれば、物質的欲望を軽蔑し、社会に背を向け、自然を友とし、風流に興じる東洋風の快楽主義もあります。大きく分ければ、ほぼ、以上の二つではないかと思う。」(澁澤龍彦『快楽主義の哲学』)

 

 60年以上前に刊行された、しかもメモ書きをそのまま出版したような本なのですが、直球勝負の勢いがあって、いまに至るまでこれを超えた本、出ていない。高尚なこと、難しいこと、目新しいことが書いてある本はあるが、だいたいが翻訳かその引き写しでしかない。

 澁澤氏の論旨は、明快な区分けで、それはそれでいいんですが、先ほどの江戸時代の享楽文化は、「西洋流」でも「東洋風」でもない、つまりどちらにも当てはまらない第三の快楽主義だと思っている。

 ちょっと整理すると、こんな感じになる。「西洋流」の快楽主義は、支配層、富裕層が独占していた。一方、「東洋風」の方の担い手は、風流人、数奇者、文人墨客、 隠者、禅僧といった人たち。

 要は、快楽主義にも肉食系と草食系があると言ってるんですね。澁澤氏の目には「東洋風」(=草食系)は、物質的にはおそまつで、みじめで、貧寒としていると映った。そういうのは、貧しい社会ならではの快楽主義だと蔑んでいた。

 確かに1960年代の高度成長の前まで、日本は長い間、貧乏な国だった。江戸時代、藩の家老、旗本、公家にしても体裁を整えるのに手一杯、たいした贅沢はしていない。澁澤氏は、そんな日本のショボさにうんざりしてたんだと思う。

 

 ここまでは、まあ、そんな見方もありかなといった感じです。でも、見落としてることもあるんじゃないか。世の中の大勢はそうだとしても、ダイレクトに快楽のみに特化したライフスタイルもあったってことです。

 見落としているというのは、それが見えづらい、いわば日陰の、陰の文化だったからだ。

 ・・・・言い方が難しい。なにしろ「朝風呂丹前長火鉢」のような自堕落な輩、堅気の世間からすれば最低、当人にとっては最高ということで自己完結してる。そんな輩の脳内天国を美化しても詮無い気がする。良くも悪くもそれが江戸時代の享楽文化の華だった(と思っている)。

 ということでは、その享楽文化は、表社会からドロップアウトした者の抜け穴みたいなもので、案外、「西洋流」の快楽主義の亜流といっていいのかも。社会全般の豊かさでは、見劣りするにしても、こと享楽に関しては一点突破、日本ならではの巧みさを発揮、職人的に凝っていたのではないか。

 

 博奕打ちのことを昔は遊び人と言っていた。酒や風俗ではなく博奕なんですね。飲む・打つ・買うの三道楽の中では、博奕がいちばん面白いとか・・・これに関しては、残念ながら全く縁がなかったので、本に書いてあることを言ってるだけですが。

 ふと、気づいたのですが、先に引用した澁澤氏の『快楽主義の哲学』には博奕・ギャンブルの話しが出てこない。三道楽のうち飲む・買うは出てくる。性的な快楽主義をはじめ、酒仙や美食家、アヘンとかSMとかいろいろ出てくる。博奕は見落としていたってことでしょうか?

 昔の日本映画に、任侠や博奕打ちの話しが多いのは、その名残なのではないか。隠れてやってたことだし、書き遺したりしないので、後世の人間には分からなくてなってしまったが、往時、大都市でも地方でも博奕が蔓延してたのではないか。

 その時代に生きていた庶民が、貧富を問わず、子供から年寄りまで、心底面白い、興奮すること(自由意思の行使)といえば博奕だったんだろうなと思う。飲む・打つ・買うの中で、いちばん少額から行えるのは博奕で、それだけすそ野が広かった。

 事実、幕末のいろいろな文書には、街や村の道端、空き地、河原から宿屋、市場、漁港、寺、武家屋敷といたるところで博奕が行なわれていたことが記されている。博奕の種類もたくさんあった。農村で昼夜を問わずやっていたとか、取り締まり側の役人も博奕をしていたという話しもあって、現在の感覚では、理解しずらい世の中だった。

 

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You Tubeの脱兎とモナカのおもしろ話し 浅草探検『塔と異界』後編

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ガザニアの花から横道に逸れて・・・

 ガザニアの花。例の弦巻のコンビニで野菜のアイスプラントを買ったとき、向かいの棚に並んでいた鉢が目に入った。やっぱり第一印象が大きい・・・輪郭が異様にくっきりした花、なんか気になり一緒に持ち帰ってきた。

 写真だとなんかチープな造花っぽく、人を幻惑させる生花のリアリティが欠けてしまっているのが残念。女優の人で、写真・画像ではそれなりに見えるぐらいでも、生身の現物(?)を目にすると、異星人としか思えないような人がいる。

 南アフリカ原産のキク科の植物で、これは園芸品種。和名はクンショウギク、誰が名付けたのか勲章の旭日章に似てなくもない。ついでにマケドニアの国旗もそうかな。

 見比べると配色は、シルクドソレイユの衣装を彷彿とさせるガザニアの方が勲章よりもゴージャス。日本の植物の花は、丸っぽい花弁が多いけどガザニアの花弁は鋭角的で、セルロイドの造花のようにも見える。

 見慣れないものを目にしたときの「!」という驚き、ガザニアの花にはそれがありました。それにしても、ビニールポットの鉢で110円と安い。

 

 なるほどね、急に大上段な話になりますが、「美」について思い浮かんだ。「美」って言葉は、まず最初に、自分でもよく分からない、言葉にならない精神的インパクトというか一種の感動があって、それがなんかの出逢いで突然、起きたとき、遡及して、それを生起させた対象につけた言葉、形容詞なのではないか。

 だから原点は、自分の中でそんな情動が起きたか、起こらないかったというところにある。つまり直感の働き。

 110円でこんなにビックリするなんて、妙なもんです。お金の価値とは、無関係なところが小気味いい。

 

 日当たりのいい場所に鉢を置いていたら、次々に新しい花が出てくる。 その日の天気により、日光に反応して花がパラソルのように開いたり、閉じたりする。動く植物、ちょっと奇妙です。

 このところ連日の酷暑にアジサイの葉は、しなだれている。一方、ガザニアの葉には、酷暑が心地いいようで、元気一杯といった感じで繁っている。葉の勢いからして、ガザニアは原産地では雑草なのではないか。

 植物好きの友人に聞いたら、東伊豆の大室山の近くに住んでいる人ですが、近所でガザニアが増えているとか。 あそこは休火山で、道端の岩の隙間にガザニアが増殖し、何十と花が咲いていると言っていた。

 

 どうやら外来の雑草と見ることもできるようです。・・・そういえば、家のまわりに見慣れない雑草が繁殖しているのが気になっていた。昔は、こんな雑草、なかったのに。

 小さな葉、小さな花、よく見るとけっこうきれい。でも、あまりに小さいので、誰も気にしていない。これは外来種ツタバウンラン(写真・左)という観葉植物でした。日陰でも、ブロック塀の隙間でも、舗装された道路の縁でも、這うように茎を伸ばしている。それからヒメツルソバ(写真・右)、これも同様に道端に広がっている。

 ともに繁殖力が旺盛で、土がなくても育つので、都市の舗装された場所にうまく適応している。

 

 近くの公園にはグリーンの鳥、ワカケホンセイインコが群れをなしている。

 以前から近所に、タヌキ、ハクビシンはいたが、最近、アライグマとアナグマが現れた。このあたりでは、観葉植物やペットだった動物が生息圏を広げている。

 かっては、食用のため、あるいは毛皮を取るために移入し、養殖していた魚や動物、鳥が野生化したケースが多かったが、平成ぐらいからペットが放されたか逃げ出し、野生化している。 

 ヌートリアが西日本から東進してきて浜松あたりまで来ている、房総半島のキョンが北関東に向かっている、鎌倉ではタイワンリスが跋扈しているとか、自分としてはワクワクしている。・・・ああ、農業や住環境のような社会的な問題は捨象した夏至の夜の夢、シャガールの絵のような人獣同衾世界に遊んでるんですが。

 

 それにしても、まだ6月でしょ、連日、35度を越えている。コロナでまる二年蟄居のうえ、これじゃあ日本の梅雨の風情、まるでない。

 そんなことにクサクサしていると、ワカケホンセイインコの笛みたいな、ウシガエルの船の汽笛みたいな、コジュケイの人の喋り言葉みたいな鳴き声、みんな外来種で、鳴き声が耳につき、だんだん疎ましくなっている。態度だデカイ、じゃなくて声がデカイ。・・・いつの間にか、ワクワクしてると書いていたのと反対のことを言い出してる。

 コイは実勢、外来種のようだし、哺乳類でも人間については在来種とかそんなこと誰も言ったりしない、気候からして亜熱帯化している。・・・書いている途中、梅雨明け宣言があった。観測史上、最も短い梅雨だったとか。

 地曳き網でブラックバスを獲るイベントを観光の新しい目玉にする・・・長野の木崎湖でやってるそうですが、低成長・コロナ禍のご時世、それが地元経済を潤すならば、外来種とかそんなこと言ってらんない。

 

 著しく目立つ奴ーーそれがハクビシンなのか、キョンなのかーーは、出た杭は打たれるでしょうがないでしょうが、現実的には問題を先送りにしてくってことではないか。

 無作為というよりも不作為。気持ち的に、動物側に味方してるので、こんなこと言っている。

 今から60数年前に出版された本を読んでいると、この日本の国土に8700万人の日本人が暮らしていると、人口過剰のような言い方で書かれている。でも、当時の人口は、現在の人口の約7割だった。辻政信『次の世界大戦』(昭和30年発行)・・・変な本です。

 著者は、毀誉褒貶の絶えない元軍人だった人。この人の頭の中では、戦後、海外領土を失った日本の国土に8700万人の人口は多すぎると思ってたんですね。

 現在、将来の人口減少を憂慮する雰囲気があるけど、別に、たいしたことでもないんじゃないの? この60年間が人口のバブルだったってことでしょ。生産力や経済力と人口は関係ないーーこれからはそんな世界になるのではないか。

 それより出自はペットであろうと、いろんな野生動物が増えたら楽しいんじゃないか。

 

 いまイギリスは大変なインフレだそうで、テレビを見ていたらフィッシュアンドチップスが、日本円で1700円だとか。円安もあるんでしょうが、えーって感じです。

 タラの大きな切り身の塊を揚げたのが入った包み、新聞紙を折って作った大きなカップでしたが、一緒に大きなフライドポテトが詰め込まれていた。タラもポテトも容器もみんな大きいってのが特徴。

 ホクホク、サクッとしたタラのフライにあら塩をふり食べる。素材のシンプルな味・・・タラの味の直球勝負って感じ、ドーンとしたボリューム、いまも覚えている。

 あれは、ずいぶん前でしたが、確か5〜600円じゃなかったか(うろ覚え)。1700円って信じらない。一体、どうなっちゃってるのか。

 そういえば、スリランカも、5月の消費者物価が45.3パーセント上がったとか。スリランカは、いろんなフルーツがあって、よく路上に並べて売ってる人がいた。

 農園で作ってるようには思えない、不揃いな、近くに生えている木からもいできたような果実。でも、自然のフルーツって、これなんだなと開眼したのを覚えている。内戦の末期のことで、それ以前から現在に至るまで混乱が延々、常態化している。

 

 コロナのバンデミックとロシアのウクライナ戦争は、互いに一応、無関係な出来事ながら、世界中で連鎖的な負の合力になっている。「一応、無関係」と書いてるけど、コロナが健康状態に問題のあったプーチン個人のマインドに影響を与えてたようなので無関係でもないのですが。

 これが21世紀のトレンド? ってことは、未来は「夢のあと」みたいな世界が現れるんでしょうか。ああ、夢の跡ではなくて、夢の後。

 

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世界で二番目に美しい植物

 弦巻の八百屋さんによくいく。コンビニの敷地の中、駐車場の脇にあるテント村ふうの露店、そこが御目当ての八百屋さん。日によって、珍しい野菜が並んでいたり、法外に安かったりと面白く、つい覗いてしまう。

 そこで見つけたアイスプラントという野菜、マット感のあるグリーンの菜っ葉といった感じ。千葉県産と書いてある。

 茎から葉の裏にかけて透明な結晶(?)がたくさん付いている・・・えーっ! 樅(モミ)の木の樹脂は透明だったけど、透明な組織の植物もあるんだろうか。光に当たるとキラキラ輝いている。

 粒は氷のようにも見え、英語の名称アイスプラントはそこからつけられたとか。こんな野菜というか植物、初めて見た。

 調べると、学名は Mesembryanthemum crystallinum。クリスタリナムは、クリスタル(水晶)みたいに見えることから付けられた名称・・・やっぱり、見た目のインパクトが大きい。

 神岡鉱山の水晶で表面を小さなアポフィライト(魚眼石)結晶が覆っているものがある。そう、あんな感じ。

 

 即決で、アイスプラントを世界で二番目に美しい植物と認定(?)。一番目はサルヴィア・ディビノルム、この植物については、そのうち書きます。

 世界一美しい昆虫については、過去のブログに書いている。まあ、勝手に言ってるだけなのですが。

 美しいといっても、植物だと、薔薇や蘭のような花なのか、レバノン杉やバオバプのような木なのか、古木、大木、はたまたサボテン、盆栽、見渡す限りの小麦畑や瑞穂(水田)、棚田はと話が複雑になっていく。なので、その辺りのことは端折って、直感的に美しいと思ったわけです。

 ・・・う~ん、結果的に、選んでいる昆虫や今回のアイスプラントは、宝石みたいなところがポイントのように思えてきた。スピリチュアルな美というか、姿形のない、具象性のない事象。

 

  アイスプラントの原産地は、アフリカ南部のナミブ砂漠。「ナミブ」って現地の言葉で「何もない」という意味だとか。月の表面みたいな所というか、亜熱帯の乾燥地帯で動植物が生きていくのには困難な環境だということ、伝わってくる。

 いまの梅雨間近の日本だと、どこでも雑草が次々と生えてきて、ヤブ蚊、小さな羽虫、それに湿気で苔やカビが生えてくる。近所の宅地跡で整地したばかりの更地、10日も経つと雑草だらけになっている。豊葦原の瑞穂の国ってのは、こういう風土なんだなと、砂漠とは対極的です。

 ナミブ砂漠には和名で「奇想天外」( ウェルウィッチア)という植物が生えていて、見学ツアーもあって観光資源になっている。誰がそんな名前つけのか、どうしたって見たくなる。

 アイスプラントはサボテンと同じ多肉植物で体に水分を蓄え、砂漠の環境に適応している。水は大西洋からくる海風の僅かな水気によって生きている。さらに植物にとって厄介なのは、海風なので塩分が含まれていることだ。

 塩分濃度の高い土壌に適応するため根から吸収したナトリウム(塩化ナトリウム=塩) を分離し溜めておくブラッター細胞と呼ばれる組織がある。キラキラした透明な粒がブラッター細胞です。

 横道に逸れますが、自然界には透明な塩の結晶がある。塩といっても食塩のような白い粉粒ではなく、透き通った立方体の結晶の鉱物。けっこう美しい。要は、岩塩なのですが、でも、例えばヒマラヤの不透明で暖色系の色のついた岩盤片といったものと異なり、アメリカの砂漠からは人工的な結晶と見紛うようなものが採れる。

 アイスプラントは、いわば植物と鉱物が合体したトランスフォーマー生命体なんですね。

 

 この野菜はサラダがいい。癖のない味でトマトやキュウリなど他の野菜と合う。他の味とうまく調和している。パスタやスープの具でもいいですが、肉厚なシャキシャキ感がサラダにピッタリ。薄い塩味が感じられる。

 また、ずっと置いたままにしていても、他の葉野菜のように萎びない、腐食しない。栽培が容易なのか、そんなに高くない(1パック100円ちょっと)。

 気がつくと近所の商店街の八百屋さんにも並んでいた。ということでは、自分が知らなかっただけで、そんなに珍しい野菜でもないようです。

 

 そういえば、弦巻の八百屋さんですが、小さなスペースの園芸コナーもある。 そこに、やけにくっきりした(?)花の鉢が並んでいた。花の輪郭がはっきりしすぎている(日本の花との比較して)・・・妙な言い方ですが。バスキアの絵の原イメージのような花(と思った)。

 ガザニアという植物で、南アフリカ原産、値段は100円ちょっと。原産地がアイスプラントと同じアフリカ南部、値段も同じ100円(ちょっと)とシンクロしていて、俄然、マイブーム的な関心が沸き起こる。次回は、ガザニアの話しということで。

 

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横井也有と江戸時代の変人、奇人

 葛飾北斎富嶽三十六景、「尾州不二見原」。名古屋の前津から見た富士山。

 桶のタガの中に富士といったユニークな構図、のぞきからくりのような遊び心が面白い。

 江戸時代、同じ前津の地から山を眺めていた変わり者がいた。北斎よりも少し前、横井也有という人で、こんな逸話がある。

 住まいの草庵から東の方向に山が見える。そこで眺望のための窓を設けた・・・どんな窓かは知りませんが、文人趣味の人なので、丸窓なんかを想像している。

 変なのは、その窓には鍵が降ろされていたことだ。これでは外の景色が見えない。

 疑問に思った人がその理由を尋ねたところ、也有はこう答えた。

 ・・・どんなによい景色でも、目に慣れてしまったら面白味がない。だから、たまに窓を開けるようにして、いつもは塞いでいる。

 

 横井也有尾張藩の要職に就いていたが、官職が性に合わなかったようで病を理由に早々と隠居、城下町郊外の前津に草庵を結び俳文、和歌、狂歌、書画、茶道、琵琶を奏で暮らした。

 現役時代はとくに何事もなく地味、晩年の道楽(?)に耽っていた生き様が何百年も語り継がれるって、妙な感じですね。 晩年、といっても30年あまり、出仕していた年月より長かった。

 窓のエピソードは趣味人、いわば数奇者なので、ふつうの人とズレたところがあるにしても、この人の場合、「ふつうの数奇者」(?)ともズレている。

 人と、世間といってもいいですが、180度反対に留まらず、そこからさらに180度反対で、360度まわり、元に戻ってきてしまう。裏の裏だから表になる。

 こういう発想って、数奇や風雅を極めてそこに至ったというよりも、個人の持って生まれた気質、性格に由来しているのではないか。天邪鬼(あまのじゃく)を二乗したような人。成ろうとして成れるものではない狭き門だ。 

 

  名古屋の地はよく知らない。調べると、現在の前津は名古屋市中心部の市街地のようです。日本の都市の景観はどこも似たり寄ったりなので、だいたいのイメージはつく。当時は緑豊かな名勝地だった・・・まあ、そのころは日本全国、江戸も、例えば根岸の里も墨堤の向島も、王子も目黒もどこもそんな感じだったのですが。

 也有の草庵から見えた山、名古屋から東といえば、富士山だろうか。前津には富士見原という地名があるようで、現在は、名古屋市中区富士見町になっている。富士山が眺望できたことに由来する地名だ。

 名古屋から富士山までの距離は170キロぐらい。宇都宮から富士山が同じぐらいの距離で、かなり小さいにしても見えないことはない。

 しかし、地図だと三河の山々がついたてのように遮っている。前津から見えた富士山は、南アルプス聖岳(3013メートル)を誤認していたという説もあるとか。・・・詮索しても、結局、行ったことのない土地の話し、自分の目しか信じない性分なので、よく分からない。

 ところで、北関東の新4号線、春日部あたりから見る富士山は絶景です。富士山からの距離、それと方角の関係から丹沢山地奥多摩山地の隙間から見ることになる。山の多い日本で、遠くから裾野まで全景が見える場所、ここだけでしかない。

 江戸時代は変人、奇人を輩出した時代だった。『近世畸人伝』(伴蒿蹊)には、そんな人たちが紹介されている。上の画は、丸窓の中の月。北斎の浮世絵にある桶のタガとこの丸窓、似ていますね。

 後ろ姿で月を眺めているのは湧蓮という坊さん、生涯なにも蓄えず、念仏と和歌を詠み、その和歌も書き遺さなかったという人。肖像画が残っているわけでもなく、描かれているのは後姿。

 近世250年以上、鎖国していた島国、人々は変化の少ない、時間のゆっくり流れる世界に生きていた。江戸時代のかわら版、今だと新聞の号外ってことになるのですが、報じられていた事件は、火事、地震、敵討ち、心中、妖怪・怪獣の出現・・・ずっとそんな世界が続いていた。

 鎖国で、そして泰平の世で、磐石の身分制度の下、閉じられた世界が延々と続く。そんな環境が、変人、奇人たちの出現を促した。

 ある一個人が閉じられた世界を乗り超えようとした生き様が変人、奇人だったのではないか。世の中が変わらないとき、自分が変わることで世界を変える、そんな現象だったと思っている。

 それは個人だけでなく、文化的にも起きていた。いわば文化のガラパゴス化というか、少なからぬ人々が妙なことに夢中になっていた。

 巷では、言葉遊びやナゾナゾを作っては批評しあっていた・・・世界で最も短い定型詩(俳句、川柳)のことですが。 世界各地の演劇の歴史で、その国を代表する演劇が人間ではなく人形の芝居(文楽人形浄瑠璃)だったのは江戸時代中期の日本だけだし、人も住めない小さく狭い家に集まっては、無言でお茶を飲んでいた(茶道)とか。樹木に傷をつけたり、成長を阻害して矮小化させ観賞していた(盆栽)とか。そういうのが特殊な例外ではなく、市井に広まっていたことに、変だなーと思うわけです。 

 奇天烈なところでは、雲茶会や耽奇会みたいなサークル、千住の酒合戦、 犬の伊勢参りとか平賀源内の「放屁論」とか、全国各地に変な話しがたくさんある。

 

 『ビョークが行く』(エヴェリン・マクドネル) に、日本の文化のピークは江戸時代だったという指摘がありました。ビョークアイスランドの歌手、あんまり関係ない話ですが、この人、日本人っぽい容貌している。

 明治の文明開化からはじまる、欧米文化の影響を受けた日本ではない、日本固有の文化のピークは鎖国の時代だったというビョークの見識、当たっている。

 鎌倉時代ごろまでは中国文化の影響が濃かった。それが戦国時代に自壊というかご破算になり、リセットされた後、江戸時代になって固有の文化といえるもの、つまり町人文化=大衆文化が生まれた。武家の文化も公家の文化もそれに比べると影が薄い。

 いま日本の伝統文化といわれているものは、ほぼ全て江戸時代に確立されている。

 結局、何百年かの平穏、時間的余裕がないと、醸成されないと固有のものって形にならないんだと思う。

 

 そういえば、中国の文化のピークは宋の時代(960~1279)だったといわれている。 漢字の文芸は、詰まるところ唐詩宋詞に尽きる。工芸文化は宋磁に尽きる。歴史を通して、その時代に作られた詩文や陶磁を超えるものが以後、現れていない。

 約800年前の南宋の茶碗は、現代人の目から見て、付け足すものが何もない。省くものが何もない。それが完成形ということだと思う。つまり時代を超えている。

 また、北宋の蘇東坡を読んでいると、仕事、家計、暮らし、料理、旅、人間関係・・・いまの自分たちと同じ感覚で生きていたのを感じる。人間という種が社会的動物である限り、未来のいつか資本主義がなくなっても、あるいは国家がなくなっても、この感覚は1000年後の人にも通じるのではないか。ということでは、時代を超えている。

 

 漢から清までの陶磁器を見比べると、宋の時代がピークだったことは自分の目で確かめられる。本に、教科書に、辞典にそう書いてあるから、そうだと言ってるんじゃないんです。自分の目で確かめたことを基にした言葉でなければ、本当という言葉は使えないのでないか。

 別に大仰なことを言ってるのではない。出土品でいいので比較的状態のいいものを、要は、古陶はタイムカプセルだってことで、自分の手元に置いて朝晩、眺めて、触っていれば気づくことだからです。

 宋以降は、元や清のような他民族の支配を受け、中国固有の文化は歪められ、現在に至る。・・・ハイブリッドの方がいい、少なくとも異なるものとの融合によって普遍性は生じるという見方もあるので、あんまり固有性にこだわり過ぎるのも変でしょうか・・・ああ、そういう変なところが日本の日本たる由縁ってことか。

 

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