川崎の有馬温泉「霊光泉」

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 体がクタクタに疲れたときだけにいく温泉がある。川崎の有馬温泉田園都市線鷺沼駅からバスにちょっと乗った市街地にあり、東京の西にいるのでそんなに遠くない。調べると電車で鷺沼駅まで18分。考えてみれば、同じ東京でも東の浅草にいくよりも近い。

 

 幹線道路沿いにある温泉は、昭和のビジネス旅館といった三階建、屋内は湯治場の雰囲気。浴室、湯船は狭く、古い銭湯といった感じ。休憩スペースは、二代目のご主人のお孫さんの勉強部屋兼用で、いまふうのスパ施設とは違います。

 でも、そういった話しはこの場合、些細なことで、肝心なのは霊光泉(りようこうせん)と呼ばれる鉱泉の効能、これは凄いと思いました。他のスパ施設と設備や料金を比較したりするのは、あまり意味がない。

 

 湯船は、茶褐色から赤茶色の濃い色で、季節、時間帯によって変わり、黄金色になることもある。含鉄泉という鉄分を含んだ泉質で、温泉の中では比較的マイナーな泉質のようです。 源泉温度は20.9度とのこと( 表示によれば、1リットル中の成分/ナトリウム15.1mg、カルシウム27.9mg、第一鉄25.81mg、アルミニウム5.15mg、塩素22.27mg、硫酸6.58mg、ヒドロ炭酸208.0mg)。

 源泉は透明、飲むこともでき、口に含むと鉄錆の味がしました。空気に触れていると鉄分が酸化し、湯船は茶褐色系になっていく。 

 この温泉に浸かって、外で少し休んで、また浸かってと繰り返していると、体に元気が蘇ってくる。肉体的な、特に筋肉の疲労感がすっかり消えている。

 そういう感覚は、ふだんより体の状態がきついとき、疲労度が±0より-(マイナス)になっている時の方がよく分かります。

 ここに通っている人と話をしていたら、温泉の効きが強いので、湯にあたって知らないうちに気を失い、ズルズル沈んでいく人を引き揚げたという話を聞きました。これまで二人、引き揚げたとか。湯船の底は浅いですが、濃い黄赤色の湯に沈むと、姿が全く見えなくなってしまう。

 温泉にあたった・・・そういえば、前回は、鯖(サバ)にあたった話でした。いえ、全然、関係ない話しです。まあ、ヒスタミンや鉄が人の体に与える作用ということでは、つながっていると言えなくもない。

 

 この温泉が見つかったのは1965年、東京オリンピックの翌年、高度成長のまっただ中の頃でした。以下、温泉を開業するまでの経緯は、川崎、有馬温泉のホームページの記述をもとに書いています。

 温泉を掘り当てた創業者は、以前は、東京の港区で工場を営んでいた。元来、信心深い人だったそうで、ある日、夢の中で白衣の翁からで西の方角によい土地があるというお告げを受けたことから、この地に移り住んだという。

 白衣の翁は、八幡大神の化身ということで、建物の横に社(やしろ)が建てられている。

 まだ水道のない時代で、井戸を掘ったところ、青く濁った水が出てきた。これが鉱泉で、沸かして風呂に入ったところ疲れが消えたように感じられたそうです。

 自分がはじめて入ったときも、なぜか分からないぐらいに疲れが消え元気が戻ってきて驚きました。そのときは、事前に何の情報、知識もなく、近場なので入ってみただけだったのですが不思議な体験でした。

 他にも、リューマチの体の痛みが消えたとか、体に効能があることが分かってきた。そこで、病に苦しむ人のために無料で入浴できる風呂を作ったという。それを2年間、続けたそうで、創業者の強い想いを感じます

 そのころ、体の動かなかった人が温泉に入ったら、歩いて帰れるようになったこともあったと二代目のご主人から聞きました。新約聖書に書かれているイエスの行った奇跡と似た話しなので印象に残っている。  

 それは、中風(体の麻痺といった意味)で動けなかった人に、イエスが言葉をかけると起き上がり歩き出したという話しです。福音書にはこの他にも、さまざまな病気にかかっていた人々をイエスが治した話が書かれている。

 この温泉に浸かったら病が治ったという話しが広がり、毎日入りきれないほどの人が殺到するようになる。

 半世紀ほど前のことで、現在は落ち着いていますが、そのころは効能の噂が都市伝説のように広まったようです。そういえば、福音書にはイエスが病を治すという噂が広がり人々が続々とやってきたという話も書かれていました。

 そこで1966年、温泉療養施設として開業する。成り立ちからして普通の温泉とは違うことが分かる。

 

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 霊光泉という名称は、この温泉に度々、入浴していた、当時、厚生大臣だった自民党の政治家、園田直氏が名付けている。建物の横に霊光泉と彫られた大きな石碑が社と並んで建っている(上の写真)。

 霊光泉というインパクトのあるネーミングについて、とりとめもなく考えてきた。一体、この名称は、何に由来しているのか? 

 察するに、創業者の病に苦しんでいる人々のためにという想いを名称にしたと思うのですが、漢字で「霊」の「光」の「泉」でしょ、思いつきでつけたにしては、決まりすぎというか、何か強い力が働いているように感じ、謎解きのように考えていた。

 取っ掛かりは、霊光という二文字で、真光とか白光とか大本教の流れを汲む古神道系の分家筋の教団に共通する類似の用法で、何か関係があるように思えました。

 ちょっと調べると、園田氏は合気道創始者植芝盛平の門人で昵懇の間柄だったことが分かり、つながりました。植芝盛平は、戦前、大本教の信者で、生涯、大きな影響を受けている。

 そういった人脈の流れから霊光泉の名称は、古神道を踏襲したネーミングだと思いました。でも、それはまだ表層的なことで、その先があるようです。

 というのは、古神道と言われる教義の多くは、明治維新後に日本に入ってきたキリスト教や西洋のスピリチュアリズムの論理や概念を転用して作られているからです。

 そこまで遡ると見えてくるのは、霊光や真光、白光といった言葉は、神は光と言っているキリスト教に由来しており、さらに遡ると一神教にゆき着く。これ以上は遡れない。

 まあ、だからどうなの? 一神教の神だなんて、アニミズム的な日本のカミ(迦微)とは水と油じゃないか、けしからんと文句を言ってるのではありません。ええ、単にとりとめもなく考えてきた戯れ言を書いただけ。温泉の話からずいぶん横道に逸れました。

 

 人の体内で、細胞のエネルギー源の酸素を運んでいるのは血液の主成分である赤血球、細かく言うとヘモグロビンで、鉄は、そのヘモグロビンの生成を担っている。

 鉄は必須ミネラルのひとつで、レバー、しじみ、ほうれん草、大豆などいろいろな食物に含まれている。 ほうれん草を食べると超人的パワーが生まれるアメリカのアニメがありました。あれは、ほうれん草の鉄分により体の力がアップするというふれこみでした。

 そういえば、この温泉が見つかった前の年(1964年)、小松左京の『日本アパッチ族』という小説が出てベスセラーになっている。主人公たちは、鉄を主食として食べる人間(ミュータント)で、やはり超人的パワーを身につけていました。中にこんなくだりがありました。コテコテの大阪弁なんですね。

 

 「やっぱり、鉄を食うと、あんなにすごい力がでるんでしゃろか」(略)

 「そら当たりまえやがな」もう一人がしたり顔でいった。

 「ポパイみなはれ。ホウレンソウ食うたら、あんなに力が出るやおまへんか」

 「ホウレンソウとこれと、どんな関係がおまんねン」

 「ホウレンソウには鉄分が多いというやおまへんか--あんた、家で料理させられたことおまへんか?」(小松左京『日本アパッチ族』)

 

 食物を食べるのは自然なことですが、もっと効果的に、そして即効で体に鉄を取り入れる、不自然な方法がスポーツ界で問題になりました。

  いまから4年前、日本陸連は長距離選手に行っていた鉄剤注射をやめるよう警告文書を出している。それまで、鉄剤を静脈血管に注射し、血液中の酸素の供給を増やすことで、記録を伸ばすという一種の「ドーピング」が女子選手を中心に行なわれていたからです。

 温泉に含まれる鉄分は、口から飲んでも、あるいは皮膚からも吸収される。一般的に皮膚吸収は、ごく僅かだといわれていますが、 いろいろな条件により吸収率は変わるはずで、 そもそも人により吸収の度合いに個人差があるのではないか。

 食物からの吸収にしても効率はそれほど良くないうえ個人差もあり、貧血気味の人は鉄分のサプリメントを摂ったりもしている。

 含鉄泉の温泉に浸かることで、鉄分が吸収され血液中の酸素の供給が増える。それにより全身の細胞のエネルギーが活性化し元気になる。それが霊光泉の効能なのではないでしょうか。

 

 書いていて、これは道教の煉丹術のようにも思えてきました、煉丹術は丹砂(硫化水銀)をはじめとした主に金属鉱物の粉を組み合わせた霊薬を服用することで、超人的な効能を得たり、極めつけは不老不死になるというふれこみでした。テキストの「神農本草経」はなにぶん大昔の書で、こだわると迷路に迷い込むので、大雑把に言ってます。

 実際には、煉丹術は長い間、試行錯誤を繰り返したが、実効性はなかった(と思うのですが)。霊光泉は、煉丹術の夢の一つを叶えたともいえる。

 

 

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鯖(サバ)の変性意識

 鯖の変性意識? 鯖は魚のサバです。変性意識って言葉は、ふだんの日常の意識とは異なるいろいろな意識状態の総称でチャールズ・タートという心理学者の提唱した Altered state of consciousnessの訳語です。

 はて? そう言われても意味不明・・・いえ、単に先日、サバにあたったという話で、ヒスタミンのもたらす変性意識ってことです。

 

 昼、レアに焼いたサバの塩焼き、急な用事ができてテーブルに置きっ放しにしていた。翌日の夜、食べました。別に味に変わりなかった。梅雨のこの時期、なんで冷蔵庫に入れとかなかったか、後から考えると当たり前のことですが、すっかり忘れてました。

 それから一時間ぐらいして、なんか変なんです。少しフラフラする。それでも気のせいかなと、そのまま過ごしていたら、だんだんきつくなってきた。

 平衡感覚がおかしい。立ち上がると、足がふらつき真っ直ぐ立っていられない。めまいがする。冷や汗が出てきて背中がゾクゾクする。

 何が起きてるのかよく分からなかった。というのは、それ以外は心身の状態は特に変わらなかったので。何か気づいていなかった病の発作か、ごく微量で作用する化学物質の微粉末が空気に漂っていて知らないうちに吸い込んでいたのか、あるいは神経ガスのようなものなのか?

 健康サプリメントとかお医者さんの処方箋薬とか薬やアルコールとは全く無縁の生活なので、そういう類の可能性はゼロ。

 よくサバにあたったときに起きる蕁麻疹やアレルギー反応、頭痛、嘔吐、下痢などの症状はなかった。そんな訳で、おかしいと思っていても、その原因が食べた物とは結びつきませんでした。

 サバにあたるということは、結局、サバの中で生成され蓄積されたヒスタミンを体内に取り入れたことによる中毒症状のことです。

 ヒスタミンは人間の体の中でも作られている活性アミンで、神経組織では神経伝達物質として働いている。花粉症の目や鼻のかゆみは、体が過剰にヒスタミンを分泌することにより起きることから、鼻のスプレーや目薬には抗ヒスタミン剤が用いられている。

 後から調べたら、ヒスタミンに対する感受性は個人差が大きいとのことで、蕁麻疹は典型的な症状ですが、このときは、そういう症状が起きないケースだったようです。また、魚屋の商売をしていた人に聞いたら、ああ、冷や汗がどんどん出てくるのはサバだね、と教えてくれました。

 その後も、めまいと冷や汗は続きましたが、それ以外の症状はなく、めまいで横になり、そのまま眠ってしまい、翌朝には平常に戻っていました。

 

 先に、めまいと書きましたが、回転性のめまいではなく、体がフワフワした感じでふらつく浮動性めまいです。だから不快には違いないけど、それで目が回って気持ちが悪くなるということはなく、あたかもトリップしてるような感覚でした。

 自分にとっては、この時の意識はとてもユニークでした。過去に40~50種類のサイコアクティブを体験していて、それぞれ摂取量や摂取方法により生まれる異なる意識状態を覚えている。そのどれとも異なりました。

 ここで言っているのは、心や情感の変化や感覚の変化ではなく意識の変化のことです。

 比喩的に言えば、目に見えない、耳にも聞こえない、温度とか時間の変化、温度の1度の違い、時間の1分の経過を判別できるか、意識的に練習するとだいたいつかめるようになりますが、その要領で異なる変性意識も覚えることができる。

 別の言い方をすると、異なる変性意識に対応したリアリティの違いと言えばいいでしょうか、五感の感覚も変わるのですが、それぞれの感覚を分析的につかむのではなく、統合的に気づくこと。この気づきは、ヴィパッサナー瞑想の技法に共通したところがある。・・・なにぶん意識の世界のことなので、抽象的な話になってしまいました。

 

 ヒスタミンの変性意識は、どのサイコアクティブとも異なったユニークなものでした。体への負担が少なくて、心と思考は普通の日常と変わらず、浮動性のめまいだけがかなり激しい。それを浮遊感と言い換えてもいいかもしれない。

 顰蹙を買うかもしれませんが、心の片隅では他の変性意識と比較して面白いなと観察していました。全く予想もしてなかったことで、唐突に違う世界、異なる次元を垣間見たような感じです。

 でも、また体験したいかというと、次はどうなるか分からないし、蕁麻疹になるかもしれないし、とてもその気にはなれない一期一会のことでした。

 

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女竹と姫竹の食べ比べ

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 いつもの若林公園の外れ、ちようど松陰神社の入り口辺りの植込みは、この時期、口紅色(?)をしたヒナゲシが満開。その周りから細いタケノコみたいなのが芽を出していた。たくさん出ていて、もしかして食べれるかもと、採ってきた。根元から簡単に折れる。

 

 ふつうタケノコと言ってる孟宗竹のシーズンはもう終わっている。この近くでも4月下旬になると、経堂と宮の坂の中間にある農家が竹藪から採ってきたタケノコを小屋で売っている。毎年、待ちわびていて、今年も何回か食べた。アク抜きに手間がかかりましたが。

 採ってきたタケノコ(?)をネットで調べると女竹(篠竹)という種類らしい。茎が細めで材質が柔らかく、粘りが強いので、よく竹細工に用いられる竹で分類上は笹になる。下の写真は採ってきた女竹。

 

 朝、採ってきたのを夕方、皮を剥いて塩茹でにし、パスタの具材にして食べてみた。アク、エグミはないけど、苦味がありました。ニガヨモギの強烈な苦さに比べれば、たいしたことはない。でも食材としては少し抵抗があるかな。

 調べていくと、採ってすぐに食べると苦味はそれほどないことを知り、翌朝、また採ってきた。今度は昼前に、それでも3時間ほど経ってたが、塩茹でして醤油をつけて食べる。 

 確かに苦味は薄く感じる。そう、トレビスの苦味を思い出した。トレビスはソフトボールほどのサイズで、赤紫の筋が目につく一見、レタスといった感じのイタリア原産の野菜。フランス料理でよくサラダにして食べるのですが、ちょっと苦味がある。女竹の苦味はトレビスと同じぐらい。

 最近の野菜は、野菜の味がしなくなっている。トマトなんかがそう、以前はあった味、風味、癖、匂いが薄くなっている。その分、口当たりはよくなった。そういう野菜に慣れた味覚にとって、トレビスの苦味はどう感じられるか気になる。

 ネットで検索すると、南房総種子島では女竹を郷土料理として食べているとか。千葉、房州の伝統工芸品、房州うちわは女竹を割いて作ることもあり、食材にもしてるようです。

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 味は、よく口にしているタケノコとは違い、こちらは笹の新芽、山菜ですね、上の方は柔らかくて茹でたアスパラガスのよう。植物の香りのグリーンノートっぽい風味。行きがかり上の贔屓目もありますが、苦味も野趣の味わいがあって悪くない。

 ふと、気づいたのですが、桜沢如一氏神の土産物とか、その土地の産土(うぶすな)の贈り物と言っていた食物の味はこれなのかも・・・なんか新発見をしたような気持ちになる。

 蕗(ふき)は苦味があってこそいいんで、それは野菜にはない山菜の味覚でもあります。それを美味しいと感じられるかどうかは、口にする側の頭の切り替え次第だと思うのですが。

 女竹の場合、誰もが知っているタケノコの味が先入観としてあって、それを基準に女竹を口にすると、苦味が違和感に感じられるのではないか。

 

 食べ方としては、採ってすぐ、皮のついたままレンジで焼いて、ほんのり焼けたら皮を剥き醤油を垂らして食べる。蒸し焼きですね。これが一番シンプルで、最も持ち味を生かした食べ方だと思いました。

 

 そういえば、1960年代の高度成長の時代ぐらいまでは、竹の皮でおにぎりを包んでいた。街の商店では、よく肉や魚、コロッケ、ノリ巻き、和菓子など、木を薄く削った「きようぎ(経木)」で包んでいた。かさばるものは新聞紙で包んでいた。

 それらを買い物カゴに入れて持って帰っていた。ビニールのレジ袋はなかった。レジ袋が一般化したのは、スーパーやコンビニが台頭してきてからのことだった。そのころから、生活の豊かさとか、便利さとか、その手の言葉が出回りはじめた。

 

 それから何日か後、三ノ輪の商店街の八百屋さんに、あの女竹によく似たタケノコ(?)が並んでいた。

 通りがかりに偶然、目に入ってきたのですが、後から思うに、これも捨て目でした。女竹を採ってきては試食してた余韻が頭の中を占めてたのだと思う。

 えっ、これ女竹?と店のおじさんに聞くと、「山形の姫竹だよ、ほら、おばあちゃんが山に採りに行って熊に襲われる、あれ」とのこと。アク抜きは必要なく、皮付きのまま焼いて、それから皮を剥いて食べると美味しいという。

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 見た目も大きさも女竹に似ている。根曲り竹とも呼ばれていて、こちらも分類上は笹です。上の写真が八百屋さんで買った姫竹。

 俄然、食べ比べしなきゃという気持ちになって、持って帰り、軽く焼き皮を剥いて食べる。

  姫竹は女竹よりも苦味がない。味、風味、食感など女竹とよく似ているというか、ほとんど同じ。生っぽい緑(植物の新芽)の風味も同じようにある。先に女竹を食べているので、姫竹は円満、癖のない味に感じられた。

 

 5月の中旬、世の中は新型コロナのため自粛中でクサクサしてましたが、ひとしきり女竹と姫竹の食べ比べに夢中になっていました。

 

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トラフズクの鳴き声

 4月18日、この日は午前中まで大雨、陽が沈むころになって晴れ間が広がり、澄んだ西空に金星がプラチナの大粒みたいに輝いていました。

 夜半、若林公園のクロマツの林で妙な鳴き声を聞いた。「ホーッ」というか「フーッ」というかうまく表記できない単発的な音。歩いていたら唐突に聞こえてきて、しばらく沈黙、また聞こえる。

 ウシガエルの鳴き声にも似ているが、こちらはくぐもった低音でどうも違う。高い松の木の上から聞こえてくるので鳥に違いない。暗闇で姿は見えない。

 

 去年は冬の朝、同じ場所でタカのツミ(雀鷹)を見つけ、一人盛り上がっていた。ツミは小動物や鳥を餌にしている小型の猛禽類で、以前はこの公園にはいなかった。

 ツミがキジバトを捕食しているのを何度も見かけた。体は小さいが、脚が太くがっちりしていて鋭い爪、目に焼き付いている。

 毎日、見ていて分かってきたのですが、キジバトはスピードや敏捷性が緩いのと、中サイズなのでツミが狙うのに打って付けだった。例えば、ヒヨドリは敏捷だし、スズメやシジュウガラは小さくて効率が悪い。

 東京の区部では、ずっと前から野鳥の種類も数も減り続けてるけどキジバトは逆に増えていた。明け方、キジバトの鳴き声で目を覚ますことがある。電信柱にとまってたのだと思いますが、以前は人の生活圏とこんなに接近していなかった。

 察するに、キジバトが増えたので、それを捕食するツミがやって来たってことのようです。こんな街中にも自然の摂理が働いているようです。

 新型コロナ対策で、外出する人が減ったヨーロッパの各都市では、鹿や野兎、イノシシ、山羊といった野生動物が目撃されるようになり、港にイルカが現れているとか。人類滅亡の映画のラウトシーンはこんな感じでした。

 地球上から人間がいなくなれば、自然は数百万年ぐらい前の状態、もともとの姿にすぐに戻るんじゃないか。

 いま見つかっている最古の石器はだいたい260万年ぐらい前(アウストラロピテクスという初期の人類というか猿人で、学問的にはヒト亜科に分類されるとか)まで遡ると言われている。さらに330万年前まで遡った石器も見つかっているという。

 人間の祖先がチンパンジーなど類人猿の祖先と枝分かれしたのが600万年前ぐらいということになっているので、人間に向かっていく方向(道具を作るってこと)がはっきりするまで半分以上の時間(約340万年)がかかっている。

 動物園のチンパンジーでも落ちている細い木の棒を道具にしてましたが、自分で道具を作ることはしていない。人間になっていく方向が定まるまで、折り返しの半分の時間がかかってるということは、その間、よほど紆余曲折があったってことのようです。

 これは、自然(動物)から人間になっていくってことは、それほど反自然的なことだったってことを示してると思うわけです。・・・横道に逸れていました。

 公園の松林に二つがいのツミの巣があり、春になると外敵のカラスを威嚇する鳴き声が聞こえてきた。しかし、ちょうど今頃だったか大嵐の日、ツミの巣は吹き飛ばされてしまった。

 今年はツミを見ていない。大切なものをなくしたような欠落感をずっと引きずっていた。

 

 翌日、鳥の正体をネットで調べる。「サントリーの愛鳥活動」というサイトで鳴き声から鳥の種類を検索できました。

 「春」「夜」「森林」「一音」という条件を入れると7種類の野鳥が出てきた。それぞれ鳴き声を聞いてみて、すぐトラフズクだと分かりました。前夜、鳴き声を繰り返し聞いていたのでまず間違いない。

 トラフズクはフクロウの仲間で漢字で書くと虎斑木菟。羽がトラ模様のミミズクといった意味で低山地や平地の林に生息している。英語だとLong-eared owl  、長い耳(羽角という)のフクロウと言ったところ。キジバトよりも大きい鳥です。

 画像の検索をすると、けっこうかわいい感じ、丸顔で羽角がピンとしたところは猫っぽい。知恵の象徴、ミネルヴァのフクロウはこんな目をしてたのか、なんかを深く考えてるようにも見える。

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トラフズク(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)。写真が撮れないのでこれでご勘弁を。

 トラフズクだと分かり、新しい発見をしたような気分になって、やはり一人盛り上がっている。周りの人に話しても無関心な様子、まあしょうがない。

 姿は見えなかったが、たしかにいる・・・そういえば火球を聞いた時のことを想い出す。

 あまり関係ない話ですが、諸葛孔明とラマナマハリシ岡本太郎の三人に共通していることが一つある。三人とも亡くなったとき、夜空に火球が見えたってことです。

 岡本太郎の逝去を報じた新聞記事をみると、少し離れたところに前夜、火球が目撃されたという記事が載っている。

 そういえば、7年ほど前のことでした。真冬の深夜、室内にいたとき屋根に何か落ちてきたような音が聞こえた。大きな音ではなかった。ガタンというか、雨戸を揺さぶったような音。静かな晩で、そのときは空耳、錯覚かと思っていた。

 翌日の夕刊で、同じ地域、同時刻に火球が落下するのを見た、その音を聞いた人が大勢いたことを知りました。火球は音速の数十倍のスピードで大気を落ちてくるので、その衝撃波が届いたときの音でした。

 いまもそのときの音の記憶、残っていて、天狗の石飛礫(いしつぶて)ってこれじゃないかと思っている。

 テングは、もともとは中国の漢字で天の狗(いぬ)、隕石が落ちてきたとき、つまり火球の音がして、それを空から犬の鳴き声がしたと思ったという話しでしょ。稀な椿事で、なんとも不思議な出来事だったから後世に残る言葉になり、そして日本にも伝わったわけですよね。

 

 いまのところトラフズクの姿は見ていない。そうか、ウシガエルも同じだったなとつながった。弦巻の中央図書館の池にウシガエルがいたのですが、そこは人の近ずけない茂みの奥で、春から夏、牛のような、汽笛のような大きな鳴き声が聞こえてくる。

 図体の大きな動物かと思うほど大きな鳴き声でした。でも、姿形は見えない。

 見えないけど、そこにいる。こんな関係も案外、面白い。見えない分、逆に存在感があって、少なくともそこに行くと、いつも意識するようになっている。それは、妖怪のような存在といえなくもない。

 なくても(見えなくても)、ある(居る)というリアリテイ。思い込みで感じてるのとは違うんです。本当にある(居る)のですから。幻覚を見るより、こっちの方がワクワクする。

 日常世界にこういうリアリテイがたくさんあったら面白い。日常がもっと豊かになるんじゃないか。この話は結局、豊かさって何かということになるのですが。

 お金に換算できる豊かさの世界は、まだ貧しいのではないかと思っている。UFOでも妖怪でもUMAでもなんでもいいですが、そういうのが身近に、周りにいた方が人間界としては豊かなのではないか。

 

 ふと思ったのですが、今までこんなところにはいなかった鳥がどうしてここにいるのだろうか? 郊外の山野から街中に移動してきたのか、ペットとして飼われていたのが逃げたのか。 日本の野鳥のトラフズクを飼うことは法律で禁止されており、輸入されたトラフズクが高値で売られている。

 一昨日、雨の中、三軒茶屋の三角地帯を通ったとき、ここは小さな飲食店の密集しているエリアですが、路地の脇に調理器具や敷き布、箸立てなどを包んだ大きなビニール袋が山のように捨てられているのを目にした。

 新型コロナの影響で飲食店はどこも営業を自粛している。いまコロナ騒動で廃業する店が出始めているというニュースを見ましたが、捨てられていたビニール袋は、そんな一例なのかもしれない。

 この数年、猫カフェの後続で各地でフクロウカフェが開店していましたが、若林公園にいたトラフズクはフクロウカフェにいたのかも? でも、そういう業者の人は放ったりせずに、しっかり転売するでしょうから、その可能性は少ないか。

 

追記・・・下の写真は、チンパンジーが木の棒を道具にして使ってるところ。横浜のズーラシア動物園で、奥の方で座って何かしている人物(?)の左手に注目。細い棒を指でつまんで、朽ちた倒木の幹の中にいる虫をほじくっていた。

 親指が短いので、正確にはつまむことができず、指と指の間に挟んでいる。ぎこちない様子です。

 使っているのは細めで真っ直ぐな枝。近くに落ちていたのを拾ったもの。太い枝から細い枝を折り、葉を除いて棒(道具)を作ることはしていない。この違いはすごく大きい。

 道具を作るってことは、予めその道具を作った後の用途や使い方を頭の中で考えてるわけで、もしかしたら未来という観念が芽生えたのはこのときだったのかも、いずれにしても、そこまで複雑な思考をしはじめたのは人類だけだった。

 道具を使うけど、道具を作るまでには至らない段階、これが600万年前の知性なんですね。

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「下の下」か「幻魚」か

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 明日、新型コロナウイルスの感染拡大に対する措置として、政府の緊急事態宣言が七都府県に出されるとメデイアで報じられています。

 世の中は、こんなこと書いてる状況ではないのかもしれませんが、日常生活の方はしっかり対応していただくとして、ここではいつものノリで最近あったことを書いてみました。

 

 前回は博多人形、今回はゲンゲという魚、ともに偶然の出会いと捨て目の話しです。捨て目とは「目に入るものを心に留めておくこと。また、広く見て心に留めておくこと。「捨て目を使う」「捨て目を利かせる」」(デジタル大辞泉)といった意味。

 そういえば、捨て目って言葉、骨董の世界で掘り出し物を見つけるコツとして口にしていた人がいました。全然、場違いなところで、何か価値のあるものを偶然見つけること、そんな意味で用いられている。

 よく自己啓発の本で「引き寄せ」と言ってるのと同じことのようです。これって別の言い方だと、仏教で言ってる縁のことになる。

 縁は、その時、そこで出会う=起きるかどうかに関わってるので、それをさらに掘り下げると、空間的というよりは時間的な交差現象ではないか。だから究極的には意識の問題だと思うのですが。出だしから横道に逸れすぎました。

 あまり変わりばえのしない日常の中でも、捨て目を育てていくと、案外、面白い物や事と出会えたりするんじゃないか。

 

 近くのスーパーの魚売り場、ふだんは行くことのないスーパーで、店内の通路を歩いてたとき、変な魚が並んでいた。姿形はハモのようなアナゴのような、顔はトカゲ、胴体は軟体動物みたいにドロンとした異形の魚。 大きなオタマジャクシといった感じ。 ゲンゲ、岩手産と走り書きした札が付いている。

 店の人に、旬はいつなんですか? と尋ねましたが、さあ、分かんないとあっさりした答え。調べると、深海魚で、以前は雑魚以下の扱いだったので旬なんて聞くのも野暮なようです。

 ゲンゲの名前の由来が面白い。昔、底引き網漁で網に入っても、売り物にならず浜に捨てられていた魚だったので、下の下の魚、それが訛ってゲンゲという名前になったとか。後に、市場に出荷する話しになった時、下の下じゃあんまりだと、ゲンゲを当て字で幻魚にしたという。

 たしかにマンガの絵に出てくるお化けに似てるので、それに後に書きますがフワフワした食感なので「幻」という字、当たっている。

 少し前、鮮魚の店に出ていたヤガラを刺身にした。これまた異形の魚で、長い棒みたいな胴体、ストローみたいに長いくちばしと、袋に収まらず持って帰るのに苦労した。どうも異形の魚に釣られてしまってるようです。

 考えてみれば、ゲンゲにしろヤガラにしろ、お店で食べるとしたら調理され皿に載って出てくるので原形は分からない。好き嫌いの基準は味覚で、元の姿形は関係ない・・・当たり前ですね。

 でも、自分でその日、並んでいる魚を選んで、捌いて、皿の盛りつけにちょっとした趣向を凝らして口にするときは、最初の選択の段階で姿形、見栄えが決め手になることがある。ついでに、その魚にまつわる蘊蓄(うんちく)話しなんかを調べて頭の中で味わったりもしている。

 

 どうやって食べようか? ブツ切りにして味噌汁に入れよう。頭に浮かぶのは漁師料理、簡単ですぐにできるし、なにより美味い。 ゲンゲは、かなり大きく、それにしては安い。早々、持って帰ることに。

 いまが旬の栗蟹も並んでいた。 見た目は毛蟹に似ているが、これまたけっこう大きなのがずいぶんと安い。小さいのはよく見かけるがこのサイズはお買い得。青森では花見の宴に出るので桜蟹とか花見蟹と呼ばれている。こんな話しを知ると、俄然、美味そうに思えてくる。これで出汁を取ろう。

 ゲンゲも栗蟹も安かった。そういえば今年は富山のホタルイカ、いまが旬ですが例年に比べ安い。イクラやウニも安い。新型コロナの影響で外食需要が激減し、値崩れしているからだと聞いた。

 帰り道、空き地に土筆(つくし)がたくさん出ていたので摘んできました。こちらは偶然ではなく毎年、出るので知っていた。ヘタを取るのが少し面倒ですが、これで今夜の食材は揃ったと盛り上がり、やる気になっている。

 

 そこから先、細かな話は端折り、栗蟹とゲンゲと土筆の汁ができました。椀には入らないので丼にしました。とにかくドーンとしている。

 汁は栗蟹のほんのり甘くコクのある旨味が濃厚に出ている。毛蟹に比べて脚の肉が少ないのは残念。それでも甲羅の下に筋肉の塊があり、殻が硬くないのでかぶりついて食べる。

 汁物には栗蟹がいい。紅ズワイガニなら焼くのがいい。もともとズワイガニに比べ、紅ズワイガニは格段に安いうえ、いまは上に書いたようにさらに安くなっている。そんなわけで、いろいろやってみた。蟹の種類により旨味を引き出す調理の仕方が異なってくる。

 天然素材では蟹がいちばん旨味が濃いい。どうもこの旨味には依存性があるのではないか。そんなこと言ってるのは自分だけなのか、気になっている。

 そういえば、昭和の頃はなんにでも味の素を振りかけていた。ご飯の上にかけたり、味噌汁、漬物、ハンバーグ、ナポリタンにとなんにでも白い粉末をかけていた。いま思うに、あれは国民的なグルタミン酸ソーダ依存症だったのではないか。

 土筆はいつも思うのですが、味も風味も希薄というか、食材としては頼りない。ふがいないのは分かっていても、春になったという気分を盛り上げるために、もっと自然の豊かな地に住んでいれば山菜を採ってくるのですが、土筆なら近所で摘んでこれるので入れている。

 

 肝心のゲンゲですが、妙な魚でした。 一口目、プルン、ツルンとした口当たり、のどごしが印象的。これは、まさにその一瞬の瞬間芸のような感触です。そう、生卵の白身を飲み込んだときの感触に似ている。

 その後、タラやアンコウに似た白身は、豆腐のような、白子のような食感で、スカスカ、フワフワしていて噛んでも歯ごたえがなく口の中で消えていく。あれっ?という感じ。お麩(ふ)、いえ、それよりコシがなくて綿アメを引き合いに出せば伝わるでしょうか。

 ゲンゲの白身の色、どこかで目にした白だなと思っていました。無垢な白、牛乳の白、後から、中国福建省の徳化窯の白磁の色、あの白を想い出した。

 味ですが、クセのない味なのは分かる。しかし、正直、薄味なので栗蟹の濃厚な旨味に紛れ、イマイチはっきりしない。 また、皮の部分はゼラチン質でドロドロになってる。

 なるほど幻魚って命名、言い得て妙だなと納得。大きな切り身もほとんどが水分で、石川県の方ではミズウオと呼ばれてたとか。 この魚、乾燥させると細い棒みたいになってしまう。店に出ていたときは、太くてどっしりしてたけど水増しだったってことですね。

 

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博多人形と「紫色の火花」

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 近所のリサイクルショップを通りがかったときのこと。道路脇に棚が置いてあり、カゴの中にお茶碗や湯呑、皿などが山盛りになっている。不用品の食器類でどれも100円の貼り紙・・・前回の古本と同じですね。

 その中に素焼きの白い人形が逆さまに放り込まれていた。このままでは、磁器のお茶碗とぶつかって壊れてしまう。置き方を直そうと人形を手にした。持ち上げると顔が現れ、針のように細く長い目の奥に恐ろしく小さな瞳が見えた・・・凛とした涼しい目をしている。

 古い博多人形で、大振りなので躊躇いがありましたが、目に惹かれ持って帰ることにした。古いといっても、博多人形自体、郷土民芸の土人形を基にいまの様式で造られるようになったのは明治末期といわれており、近現代のものです。

 思い返すと、これまで選んできた仏像やキリスト教のマリア像とか仮面、能面などは、目の第一印象で決めていた。要は、一目惚れ、ほとんどそれで決まっていた。

 

 その人形が上の写真。最初、明るいところで撮ってみたが、どうも実物の印象と違う。素焼きの人形の表情を引き出すにはどうすればいいのか。

 部屋を暗くして光の当て方をいろいろ変えて撮ってみた。 谷崎潤一郎の『陰翳禮讃』(いんえいれいさん)で書いてるようなことです。

 陰影があると実物の雰囲気、たたずまいに少し近ずいた。でも、実物のイメージ通りの写真にはならない。実物は、面長の大人のお姉さんといった感じなのですが、写真は丸顔の小娘っぽい。

 また、実物はもっと目尻がつり上がっていて、細く長い目をしている。目頭と目尻を結ぶ角度がこんなにつり上がった人間は存在しない。この人形は作者のイメージを具象化したミュータントと言えなくもない。

 写真では、そういったポイントが伝わってこない。というか、突き詰めると主観の世界のことなので、客観的に再現しようとしても無理な試みかもしれない。とりあえずこれで良しとしてアップしました。

 

 これまで博多人形のことはよく知らなかった。お土産品のイメージが強く、あまり関心がなかった。

 人形の裏に長二郎作と書かれている。ネットで検索すると、井上長二郎(1911~1964)という人でした。

 調べてみると、作者は、戦前、名人として名を轟かせた人形師の下で修行した後、独り立ちしたが間もなく太平洋戦争になり出征、復員後は闘病生活を送りながら人形を作ったことが分かった。53歳で亡くなり、活動期間はそれほど長くない。人形師としては、あるいは職人としては不全感を懐きながら生涯を終えたのではないか。

 

 博多人形の代表格は美人物といわれてますが、時代の移り変わりに連れ、顔相が変化しているのに気づいた。

 例えば、この人形は、おそらく1960年前後に作られたと思われますが、ネットで検索すると出てくる現在の博多人形と比較すると、西欧人風の高い鼻で、シャープな顔立ちをしている。また、現在の博多人形は、この人形に比べると可愛さがより強調されているように見える。

 元来、博多人形は、特定の美人像が受け継がれてきたのではなく、個々の人形師がその人なりの美人像を創り上げてきたようです。その美人像は人形師が無から創り上げたとは考えずらく、何かビジュアル的なイメージの源泉があったはず。

 思い当たるのは、明治以降の近代日本画の世界で生まれた美人画です。画壇のような狭い世界にとどまらず、市井の人々の目にふれる雑誌、新聞に載っていた美人の挿絵や広告のポスターなども美人画から派生したものだった。

 博多人形の美人物の由来は、明治から昭和の美人画、挿絵を素焼き人形に写したものではないかと推測しました。二次元の美人画を三次元に拡張したものという言い方もできる。上の写真を上村松園や志村立美の美人画と見比べると一目瞭然です。

 この人形は、そういった作風が見て取れる晩期のもので、1960年代の高度成長以降、博多人形の顔相、容姿は様変わりしていく。

 

 芥川龍之介が最晩年に書き遺した「或阿呆の一生」の中に火花の話しがあります。雨の中、街角で高架の電線がショートしているのを目撃するのですが、そのとき電線から放たれた紫色の火花を見て、命に代えてもその火花を手に入れたかったという想いを綴っている。

 人は人生の終末を意識したとき、この世の何に執着するだろうか。思いつくのは、まず生きていることそのものだろうし、家族だったり、事業や仕事だったり、財産だったり、あるいは、なんにも執着しないという人もいるかもしれない。

 芥川龍之介は、一瞬といってもいいような紫色の火花に執着した。現象的には、電線のちょっとした事故ぐらいの出来事で、他の人には気にとめるほどのことでもなかったかもしれない。

 しかし、その火花は、この上なく美しかったのではないか。 自分の命と交換してもいいぐらいに。言葉だと美ということになりますが、それは一般的に語られているような美ではなく、美しさと死と畏れと聖性の入り混じった異様な感覚だったと思う。

 そんなに多くないだろうが、同じような資質を持った人もいて、この人形師はそんな一人だったのではないかと思う。紫色の火花は、人形師にとっては博多人形だった。

 生命力が衰弱していくに連れ、審美眼が高まっていくという話しをよく耳にする。かって結核が不治の病と言われていた時代、罹患した古陶の収集家の逸話にそんな話がありました。

 「この世の中には、愛と美さえあればそれだけで充分なのです」と書いていた人がいた。演劇や歌手として有名な人の本からの引用です。なんとも大胆な言葉で、じゃあ衣食住はどうなるの、生活の心配しなくても大丈夫なの、と言いたくなる。

 でも、解釈次第とも思える面もあり、人生も終わり近くなったときには、末期(まつご)の目から見たとき、この世は愛と美に尽きるという言葉が実感として分かるのかも。

 実は、人間にとって、この瞬間の今と、いつかこの世を去る時に意識しているであろう時の今は、まったく同じ今だと思っていますので、引用した言葉は究極的にはその通りなのかもしれない。

 

 先に細長い目と書きましたが、幅0.8ミリぐらいの目の上と下にアイラインが2本引かれ、その極細の幅の中に白目の輪郭が描かれ、さらに白目の中に8倍のルーペで分かるような瞳の黒点が入っている。1ミリの100分の1のレベル、つまり10ミクロンの単位で瞳の位置と大きさを描いている。写真に撮ろうとしたのですが、上手く撮れない。

 これを描き込むのには、尋常じゃない集中力を要します。型取りした粘土の素焼きに筆で描き込むのですが、そんなにたくさんは作れないじゃないか。

 この集中力は、自分の生の証を人形に込めたのではないか。人形師、職人としては極めるところまでいけなかった分、ある意味、より大きな力が生まれたように感じます。

 

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山口草平、立野道正の挿絵

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 豪徳寺駅前の商店街にある小さな古本屋さん、空き倉庫にスチールの棚を並べた仮設店舗のような造りで入り口に一冊100円の棚がある。店の向かいの鶴の湯にいくとき、棚が目に入りついのぞいてしまう。

 先週、そこに並んでいた『現代 大衆文学全集 21 澤田撫松集』を購入した・・・100円なんで購入というと大袈裟ですね。

 現代といっても出版されたのが昭和2年だから93年前の「現代」です。また、「大衆」という言葉は、この時代、社会に登場した労働者、勤労者といった新しい階層のことで、昭和の初めには流行語になった。

 探偵小説のような読み物や新聞小説の中心的な読者が彼らであったことから大衆文学というネーミングがつけられた。娯楽的な文学なので、ビジュアル性が求められ、必然的に挿絵の全盛期となる。当時の活版印刷は、写真だと濃淡がベタになり不鮮明、挿絵の方が見栄えが良かった。

 著者については何も知らなかった。本を開くと挿絵が目に入り、寝る前にパラパラ眺めるのに打ってつけだと選びました。

 

 著者は明治のはじめに生まれ、この本が出版された年に亡くなっている。新聞記者(司法記者)から作家に転じ、雑誌に犯罪事件の実話物を書いていたようです。

 当時の円本ブームに乗って刊行された全集の一冊。箱入りの上製本、布クロースに金箔押しと立派な装丁。保存状態が良く現代の新刊本と見間違えるほど。日焼けや痛み、紙魚がなく、おそらく丁寧に仕舞ったまま1世紀近くどこかで眠ってたのではないか。

 1000ページを越える本で、33篇が収められていて、内容は大正時代に巷で起きた犯罪事件の話しでした。

 貧富や身分の差が大きく、封建的な因習が色濃く遺っていた時代、底辺の庶民は不平等が当たり前の世界に生きていた。そこでは親孝行や義理人情が人々の行動原理だった。この本の物語は、どれもそんなリアリティで書かれている。

 人々の価値観や善悪の基準からして、現代とはかなり違うのでここで作品を紹介しても疲れてしまうのでパス。なにせ明治維新から59年目、江戸時代に生まれた人が珍しくない時代からのタイムカプセルを開封したような感じでした。

 思うに、大衆という言葉が一般化する昭和はじめの時点で、著者はすでに前時代の存在になっていたのではないか。

 自分の読み方も、文中にちりばめられた当時の世相、風俗から面白い話しを見つけては、何か発見したような気分になり、いつの間にか眠っている、そんな感じです。

 そうそう、よく行く馴染みの浅草を舞台にした話も二篇ありました。一つは宝蔵門の右手、弁天山を縄張りにしている美人局(つつもたせ)の話しで、もう一つは六区の活動街(映画館街)を縄張りにしている女スリの話し。・・・浅草の土地柄、当然ながら縄張りがあるというか、現代ではその種の家業は犯罪ですが、かつては浅草の伝統的な地場産業だったことが読み取れる。

 当時の弁天山や映画館の様子が描かれていて、現在と比較しながら読むのが楽しかった。

 

 深夜、本を開くと1世紀近く昔の淡黄色に変色した紙にルビのふられた活字が行儀よく並んでいる。

 活版の文字は、なぜか気持ちが落ち着く。活版印刷は、植字工と呼ばれた専門の職人さんが枠木に一字一字、小さな金属のハンコを組んでたんだなと、工芸品を見るような思いです。

 明朝体の書体は、ところどころインクがかすれていて、それもまた味わい深い。挿絵は昔の版画を見ているよう。・・・本の内容はどこかにいってしまい、物として古陶を愛でるような眼になっていた。

 

 随所に挿入されている挿絵は数えると22点、高畠華宵岩田専太郎、山口草平、立野道正の四人の画家が描いている。前の二人は、美人画で有名、いまもファンがいる。 それぞれ個人美術館もあるし、折にふれ雑誌や本で紹介されている。

 山口草平(1882-1961)は日本画家、挿絵でも知られていた。立野道正(生没年不明)は児童書の挿絵画家として活躍している。二人の活動期間は、大正から戦争をはさんだ戦後復興期にあたっている。この世代は、平和な時代に活動できた作家に比べ大きなハンディがあったのではないか。

 両者の挿絵を見ていると、作者の個性は異なっているけど、ともに昭和モダンの雰囲気が伝わってくる。それは、谷中安規の版画の、例えば「蝶を吐く人」のような幻想的な夜の闇です。前時代のロウソクやランプの陰ではないし、現代の蛍光灯やLEDでもない、電球の陰が生む闇。

 この何日間か、毎晩、春の夜の夢のような挿絵の世界に浸っていた。そう、ちょうど枕元の小瓶にほころびはじめた桃の花の小枝を挿していたのですが、桃の花はこの挿絵の世界にぴったりでした。

 それからもうひとつ、和風の模様が目を引く装飾的な挿絵ということも挙げておきます。そういう作風が様式化していたということは、その時代の流行だったわけで、別の言い方をすると、電球の新時代と着物の前時代が混じった世界だったのを見て取れる。そんなところも面白味の一つです。

 

 二人の挿絵の中から4点ほどアップしてみました。冒頭とこの下の4、5枚目が立野道正。この下の1~3枚目が山口草平です。

 紙とインクの経年変化に味があるといってる手前、それをできるだけ再現したつもりです。1000ページを越える本なので、造本上、ツカ(本の厚さ)を抑えるため薄い紙を使っている。そのため裏の活字が僅かに透けて見えるのですが分かるでしょうか。

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