イエローサファイアの眩惑

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 コランダム(鋼玉)にはいろんな色がある赤い色はルビー、その他の色、紺、青、緑、グリーン、黄、紫などをサファイアと呼んでいる。

 物質としてはルビーとサファイアは同じ酸化アルミニウムの結晶です。不純物として含まれる鉄やクロム、チタン、ニッケル、コバルトなどにより、いろいろな色になる。不純物のない純粋なコランダムは無色透明ですが、色が入ってないのでジュエリーとしての価値は乏しい。

 鋼玉という名前、よくつけたものです。モロッコ産のルビーの結晶、細長い六角錐で胴体の緩やかに膨らんだ昔のコカコーラの瓶みたいな形をしていたが、表面がところどころ白い層に覆われていた。 

 サンドペーパーでゴシゴシ擦ってくと白い層はタールのような黒になり、さらに磨くと小豆色、さらにやっいると赤紫色になっていった。紫っぽい赤ではなく、赤っぽい紫。夢中になってやっていて、指先が痛くなる。1ミリの1/10ぐらいでしょうか、それでも大変。石や鉱物というよりは硬い金属のような質感です。

 硬玉(ひすい)は磨いていてもまだ石という感じがするのですが、ずいぶん違う。鋼玉にしろ硬玉にしろ昔、中国でつけた名称かと思いますが、よくできた命名だと思う。

 

 上の写真は、スリランカ南部のバランゴタで採掘されたイエローサファイアの原石。削ったり磨いたりしていないそのままの状態。 バラコンダはイエローサファイアの産地として知られています。

 現地では田んぼや畑の地面に埋まってるのを掘ったり、浅瀬の川底を掬って採掘している。ネットを検索すると、草むらに穴を掘って、湧き水を吸い上げながら採掘している写真や動画がありました。

 一般的にサファイアといえば、ブルーサファイアということになっていて、実際、ブルーサファイアの美しい原石を見ると、時間が止まってしまったかのような、何か現実離れした感じがする。

 色のついたサファイアの中でも、黄色はどうも影の薄いの存在のようです。サファイアには、いろんな色があって、黄色もあるといったぐらいの扱いで、衆目の関心からは外れている。でも、自分は、イエローサファイア凄いと思いました。

 

 まずテリ(照り)に魅せられた。水晶よりも強く眩い光沢。光沢は、その物質の屈折率と表面の状態によって決まる。透明度のある物質の場合、内部の光の分散度も関係してくる。

 話が逸れますが「テリ」って言葉、よく耳にする業界用語ですが、なんかいかがわしい響きがありますね。香具師の口上っぽいというか。「この石(ダイヤ)、テリがいいでしょ」と耳元で囁く業者さんの顔相が思い浮かぶ。

 

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  水晶(屈折率1.54~1.55)の光沢はガラス光沢と呼ばれますが、コランダム(屈折率1.768) subadamantine(準金剛光沢)と呼ばれている。準というのが曖昧な感じですね。

 金剛光沢ってどんな光沢なのか気になっていた。ネットを検索すると、ダイヤモンドのような光沢と紋切り型に書いてあるだけで具体的にどんな感じなのか説明がありません。

 試しに金剛光沢のある三つの鉱物(屈折率 2 前後)、ダイヤ(原石)、それと白鉛鉱とジルコンの結晶を並べて共通する何かを感じ取ろうとしてみる。

 結論ってほどのことでもないですが、三つの鉱物は、どれもギラッとした眩い光沢があり、それに比べるとガラス光沢は穏やかな光沢だと思います。両者の違いは、はっきり分かる。

 文字や写真では、その違いは分かったようで分からないんですが、現物を見れば一目瞭然、誰でも分かることです。情報(文字や写真)では分からないけど、リアルだと分かる、そういうことなんですね。

 なにげなく使っている「分かる」って言葉、本当はどういうことなのか考えさせられました。

 

 陽の光にかざしてみた第一印象、凄いなと思う。よく見たら凄いという凄さではないんです。

 一見、なんということもないけど、よく見たら凄いとか、あるいは味がある、深みがあるとか、例えば幕末明治の工芸品にそういうものがありますが、そういうのとは異なる瞬間的に分かる凄さ。極まっていて、それ故、甘美な危うさを感じさせる美です。

 黄色と言っても、道路や鉄道の標識、ヒマワリの花、バナナ、シトリンイエロー、クリームイエロー、琥珀色っぽい黄色・・・と挙げていくときりがないぐらい幅がある。イエローサファイアを評するするとしたら、ギラッとした光沢のある透明度の高い三原色の黄色味を帯びた物体、これは普通じゃないという感じがする。

 黄色はエキセントリックな色でもあるようです。もしかしたら、そのあたりに惹かれたのかもしれない。そういうのは心理的な話しになるですが。

 ふと、子供のころ耳にした「黄色い救急車」という都市伝説のことを想い出した。

 

 この世界(鉱物、石好きの人たちのマニアックな世界)には二つの価値観があって、ひとつは鉱物標本としての学術的な価値や稀覯品としての価値が高いかという視点、もうひとつは研磨してジュエリー・宝飾品に加工するための原石としての価値という視点、だいたいどちらかの目(価値観)で石を見ている。 

 鉱物コレクターではないので、コランダムの色や結晶の形、大きさ、採掘地とかいろいろ集めようというまでの気力はないんです。

 また、きれいにカットされたルースにはそんなに魅力を感じない。エンハンスメントされているものが多いし(宝飾品市場で流通しているルビー、サファイアの95%は加熱処理されている。それは何百年も昔からの慣行なので、そんなこと気にするのはヤボというのが了解事項になっている)、合成サファイアも美しさでは引けを取らない。

 自分はといえば、きれいな原石が好きというだけなので、そのどちらでもなく、ある意味、その隙間にいるのかもしれない。

 

 

 さらに話しが横道に逸れていきますが、骨董、古美術品などと鉱物を、美しさを基準にして比較すると相場に大きな開きがある。・・・需給関係や投機といった要素を取っ払って、自然物と人間が作った物、全然ジャンルの異なる物を同じ物差し(=美)で比較するなんて無謀な話かもしれませんが。台風一過の夕焼け空と南宋の砧青磁の逸品とでは、どちらが美しいかみたいなことを言い出してるのですから。

 言葉を換えて言えば、異なるジャンルの物を、自分がどれほど没入してるかだけで比較するわけです。意識の集中度ではなく没入度。集中だと意識の能動的な働きですが、ぱっと見たときどれだけその物に引きこまれるか、これは受け身の感覚です。

 自分の場合、生来、スキゾ的思考というか、考えてることがバラバラでも気にならないたちなので、そんな比較も馴染みやすい。主観の世界なので客観性はないのですが・・・Utubeにウチのネコは喋れますって動画がアップされてますがあれと同じ、他の人にはちょっと変わった鳴き声にしか聞こえなくても、飼い主=当人がそう思っているんだから、そうなんだっていう主観の世界。

 ああ、でも経済学者の岩井克人貨幣論、玉葱やラッキョウの皮を剥いてくみたいに貨幣って何なのか、どんどん遡ってくと、最後に貨幣とは貨幣ですみたいなところにいきついてしまうのも同じなのではないか。

 ついでに、何日か前、御茶の水女子大の学長が、トランスジェンダーの人の入学を認めることにしたという記者会見、言ってることの要旨は、男とか女とか決めるのは、本人の性自認(当人がどう思っているか)だってことで、それも同じことですよね。結局、人間界って究極的にはそういうところなんじゃないでしょうか?

 

 早い話し、こんなことです。一例をあげますと、透き通ったピュアーな黒の色感に見惚れたブラジルの煙水晶、小さいこともあり300円でした。

 同じぐらいのインパクトを受けたものはと記憶をたぐると、昔のタイのベンジャロン焼きの祭器の小皿、バンコク時代に清で作られたものでタイの美術館でも展示されてますが、あれを手にしたとき同じような気持ちになったのを思い出した。骨董市の相場では、いまあげた煙水晶の100 倍ぐらいの値がついている(大まかな数字)。

 と、いうことで、美しい鉱物は、骨董や古美術品よりも100倍お買い得、自分の感覚ではそういうことになる。話しが逸れたままですが、今回はここまでということで。

 

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