大理国の小皿

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 日曜日、早起きして京王線高幡不動の骨董市にいってきました。水曜日、法華経寺の骨董市で下総の古寺の雰囲気が心地よかったので、今度は、武蔵の寺にといった気持ちになってのこと。

 真っ青な青空、駅前の商店街を少し歩くと多摩丘陵の紅葉した山と赤い五重塔が見えてくる。昔の絵葉書にこんな景色あったような、でも、なんか全体的に真新しい。由緒書きではずいぶん古いお寺のようですが、あまり抹香臭さがない。

 五重塔をはじめ大きな伽藍は、1975 年以降に建立されたということを後に知りました。

 境内は多勢の人、七五三の家族連れや紅葉を撮りにきたカメラマニアが目につく。土方歳蔵の銅像がありました。 身構えた姿は映画のワンシーンのよう。ここは日野市で土方歳蔵の故郷なので、ヒーロー像といった感じです。近藤勇の生家は、近くの調布です。

 武蔵(江戸、東京)の地面を掘ると、土の色は黒ではなく赤茶、関東ローム層の火山灰で、赤土と呼んでいる。武蔵は、原野の開拓地、ふつう使っているような意味での伝統とは切れている土地です。

 強いてこの地の伝統といえば、常にスクラップアンドビルド(新陳代謝)を繰り返していることでしょうか。武蔵の古寺でそんなことを考えました。

 一方、人がやってくる前の原野の名残りがこの地にはまだあります。都内でもいろんな所に、すごい巨樹や樹齢700、800年レベルの古木がけっこうあって、それは原野の時代が今も絶えていない証ですから。そんな木を眺めるのは好きです。

 

 そうそう、骨董市の話しでした。境内の参道沿いに骨董の露店が並んでいます。 最初の一区画をすぎたあたりで、向こうで手を振っている人がいるのに気づく。先日の馴染みの業者さんでした。法華経寺のときと同じパターン! あれからまだ4 日。

 結局、今度は五代十国時代雲南の小皿を持って帰ることに。焼き物に深入りするつもりはないのですが、つい手が出てしまいました。今回は、やっぱり、物としてのたたずまいということでしょうか。

 ちょうど立冬の朝陽がピンポイントであたっているところにこの小皿がありました。 口径に比して背が高く椀のようにも見える。同じ出自の別の小皿と壷、全部で3点、それぞれプラス、マイナスのポイントがあるのですが、すぐにこれだと思いました。

 

 五代十国といえば、唐と宋の間の時代( 907〜960 )でしたが、その頃の雲南は中国の域外で、大理国という国があった。大理石は、この地から産出される石ということですね。

 13世紀、モンゴル軍は、対立していた南宋を上(北)と下(南つまり大理国)から挟み撃ちにする戦略をたて、中原の西を迂回するコースから大理国に侵攻しました(反時計回り)。・・・この発想のスケールは、名将として知られるハンニバルやナポレオンなんかを遥かに超えている。

 ちなみに毛沢東の長征は、モンゴルとは逆のルート、中原を時計回りに迂回して延安に落ち延びました。長征の記録を読むと、延々、険しい山脈や密林、大河、大草原、湿原の沼を徒歩で行軍して行くのですが、今だと冒険ルートといっても過言ではない。

 長征は20世紀のことですが、その700年も前にモンゴル軍はよく踏破したと驚くばかりです。

 中国の地勢を大きなスケールで見ると、真ん中が中原で、東は海、西は砂漠とヒマラヤの壁に囲まれている。魏、蜀、呉の三国志の世界を一回りも二回りもスケールアップして作戦を立てたモンゴル軍の地政学的戦略は凄いと思う。大理国はモンゴル軍に降伏し、その後、南宋は滅び元の時代になります。

 そのとき大理国の遺民が南に逃れ、タイの建国に至るという歴史がありました。そういえば、皿の口縁に付いている二本の黒い線、どこか彼の地の少数民族の描く模様に似ています。

 これも今から7年前に持ってきたという発掘品で、前回と同じく広州経由。このあたりのやりとりは、「南宋青磁の小皿」に書きましたので省きます。

  業者さん曰く、最近は、向こう(中国)でも値段が上がって商売にならなくなってしまったとのこと。7年前、2010年は、中国がGDPで日本を追い越した年、上海万博のあった年でした。

 前回、今回の2点、共に大したものではないですが、少なくとも真贋(本物、偽物)は、はっきりしているので、自分のような素人には、よかったのではないかと思っている。中国陶磁器の真贋の問題は複雑で、正直、自信がありません。

 

 ところで、よくバーゲンなんかで「掘り出し物」 と言ったりしてますが、それって元を質せば発掘品のことですよね。

 さらに、発掘品を商いにした始まりについて考えてみました。それは、ピラミッドとか古墳とか、中国では明器といって副葬品がありましたが、そこから掘り出した物を売りさばいた、つまり墓荒らしというか、墓泥棒だったのではないか? 

 ついでに・・・一昔前の本を読んでいると、古い窯跡を探して、埋まった陶器を掘り出しコレクターや骨董屋に売る発掘屋という職業(?)の話しが出てきます。昭和のはじめ、車や機械などない時代、自転車で現場に向かい、スコップで穴を掘っていた。

 伝説的な人がいて、大晦日に大雪の中、山に入って穴を掘っていたとか、発掘に夢中になりすぎ奥さんに逃げられ、三歳になる子供をリュックに入れて背負いながら穴掘りしてたという。つげ義春の世界を十倍濃縮したようなディープさ、つい横道に逸れてしまいました。

 

 胴に釉薬の滴が這っていて、もともと大雑把に作られた雑器で、その上、(今のわたしたちから見ると)場違いな感じの模様が目立つ、土が膜のように表面にくっついている。一言でいって野暮ったい。

 でも、自分の目には、そんなところは気にならず、いいところ(と、思い込んでるところ)に惹かれてる。人と人の間でも、そんなことあるのではないでしょうか。あばたもえくぼ現象みたいな。

 言葉や文字でうまく表現できなくてもどかしいのですが、こぶりの椀ほどの密なスケール感、すくっとしたたたずまいの存在感。外に向かって広がっていくような目を引く存在感ではなく、内に収束していくような存在感です。そして、見込みにガス星雲状の藍色ーー菫青石のような色が広がっていて、逆さまにし下から見上げるとプラネタリウムのよう。・・・こういったすべてが合わさって、何か特別なものに見えた、そういうことなんだと思います。

 南宋の皿のときとは、全く関係ないこと言ってます。あのときは、物に具現している完全さ、普遍性、そんなこと書きました。今度は、物としてのたたずまい。

 物と出合って、自分の内に湧いてくる情感を探っていくのは、謎解きのようでもあり、内観のようでもあり、けっこう面白い。

 朝、日の光で見るのと、夜、スタンドの光で見るのでは違います。また、手で持ってみて、指で触って厚みを感じたり、見込みを摩ったり、地肌をルーペで観察したり、ひっくり返して高台を斜めから眺めてみたり、指で軽く弾いて音色を聴いてみたり、手のひらで包んで重さを感じてみたりと、そんなふうにいじってると、なんとなく全体的に掴めてくるように感じます。

 そういえば、「陶酔」という言葉、陶磁器に惚け、愛玩するあまり、酔ったようになってる人がいたということに由来してるのではないでしょうか? ふと、そんな気がしました。

 

   会場を一回りして、まだ時間は早いけど、小山の中腹にいい日なたの場所を見つけ休憩。道路を隔てた向いのおまんじゅう屋さんで買ってきた高幡まんじゅうの包みを開ける。蒸してあって温かい。             

 そうか、最後も同じパターンで写真を撮ろうとシャッターを切りました。  

 

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