トラフズクの鳴き声

 4月18日、この日は午前中まで大雨、陽が沈むころになって晴れ間が広がり、澄んだ西空に金星がプラチナの大粒みたいに輝いていました。

 夜半、若林公園のクロマツの林で妙な鳴き声を聞いた。「ホーッ」というか「フーッ」というかうまく表記できない単発的な音。歩いていたら唐突に聞こえてきて、しばらく沈黙、また聞こえる。

 ウシガエルの鳴き声にも似ているが、こちらはくぐもった低音でどうも違う。高い松の木の上から聞こえてくるので鳥に違いない。暗闇で姿は見えない。

 

 去年は冬の朝、同じ場所でタカのツミ(雀鷹)を見つけ、一人盛り上がっていた。ツミは小動物や鳥を餌にしている小型の猛禽類で、以前はこの公園にはいなかった。

 ツミがキジバトを捕食しているのを何度も見かけた。体は小さいが、脚が太くがっちりしていて鋭い爪、目に焼き付いている。

 毎日、見ていて分かってきたのですが、キジバトはスピードや敏捷性が緩いのと、中サイズなのでツミが狙うのに打って付けだった。例えば、ヒヨドリは敏捷だし、スズメやシジュウガラは小さくて効率が悪い。

 東京の区部では、ずっと前から野鳥の種類も数も減り続けてるけどキジバトは逆に増えていた。明け方、キジバトの鳴き声で目を覚ますことがある。電信柱にとまってたのだと思いますが、以前は人の生活圏とこんなに接近していなかった。

 察するに、キジバトが増えたので、それを捕食するツミがやって来たってことのようです。こんな街中にも自然の摂理が働いているようです。

 新型コロナ対策で、外出する人が減ったヨーロッパの各都市では、鹿や野兎、イノシシ、山羊といった野生動物が目撃されるようになり、港にイルカが現れているとか。人類滅亡の映画のラウトシーンはこんな感じでした。

 地球上から人間がいなくなれば、自然は数百万年ぐらい前の状態、もともとの姿にすぐに戻るんじゃないか。

 いま見つかっている最古の石器はだいたい260万年ぐらい前(アウストラロピテクスという初期の人類というか猿人で、学問的にはヒト亜科に分類されるとか)まで遡ると言われている。さらに330万年前まで遡った石器も見つかっているという。

 人間の祖先がチンパンジーなど類人猿の祖先と枝分かれしたのが600万年前ぐらいということになっているので、人間に向かっていく方向(道具を作るってこと)がはっきりするまで半分以上の時間(約340万年)がかかっている。

 動物園のチンパンジーでも落ちている細い木の棒を道具にしてましたが、自分で道具を作ることはしていない。人間になっていく方向が定まるまで、折り返しの半分の時間がかかってるということは、その間、よほど紆余曲折があったってことのようです。

 これは、自然(動物)から人間になっていくってことは、それほど反自然的なことだったってことを示してると思うわけです。・・・横道に逸れていました。

 公園の松林に二つがいのツミの巣があり、春になると外敵のカラスを威嚇する鳴き声が聞こえてきた。しかし、ちょうど今頃だったか大嵐の日、ツミの巣は吹き飛ばされてしまった。

 今年はツミを見ていない。大切なものをなくしたような欠落感をずっと引きずっていた。

 

 翌日、鳥の正体をネットで調べる。「サントリーの愛鳥活動」というサイトで鳴き声から鳥の種類を検索できました。

 「春」「夜」「森林」「一音」という条件を入れると7種類の野鳥が出てきた。それぞれ鳴き声を聞いてみて、すぐトラフズクだと分かりました。前夜、鳴き声を繰り返し聞いていたのでまず間違いない。

 トラフズクはフクロウの仲間で漢字で書くと虎斑木菟。羽がトラ模様のミミズクといった意味で低山地や平地の林に生息している。英語だとLong-eared owl  、長い耳(羽角という)のフクロウと言ったところ。キジバトよりも大きい鳥です。

 画像の検索をすると、けっこうかわいい感じ、丸顔で羽角がピンとしたところは猫っぽい。知恵の象徴、ミネルヴァのフクロウはこんな目をしてたのか、なんかを深く考えてるようにも見える。

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トラフズク(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)。写真が撮れないのでこれでご勘弁を。

 トラフズクだと分かり、新しい発見をしたような気分になって、やはり一人盛り上がっている。周りの人に話しても無関心な様子、まあしょうがない。

 姿は見えなかったが、たしかにいる・・・そういえば火球を聞いた時のことを想い出す。

 あまり関係ない話ですが、諸葛孔明とラマナマハリシ岡本太郎の三人に共通していることが一つある。三人とも亡くなったとき、夜空に火球が見えたってことです。

 岡本太郎の逝去を報じた新聞記事をみると、少し離れたところに前夜、火球が目撃されたという記事が載っている。

 そういえば、7年ほど前のことでした。真冬の深夜、室内にいたとき屋根に何か落ちてきたような音が聞こえた。大きな音ではなかった。ガタンというか、雨戸を揺さぶったような音。静かな晩で、そのときは空耳、錯覚かと思っていた。

 翌日の夕刊で、同じ地域、同時刻に火球が落下するのを見た、その音を聞いた人が大勢いたことを知りました。火球は音速の数十倍のスピードで大気を落ちてくるので、その衝撃波が届いたときの音でした。

 いまもそのときの音の記憶、残っていて、天狗の石飛礫(いしつぶて)ってこれじゃないかと思っている。

 テングは、もともとは中国の漢字で天の狗(いぬ)、隕石が落ちてきたとき、つまり火球の音がして、それを空から犬の鳴き声がしたと思ったという話しでしょ。稀な椿事で、なんとも不思議な出来事だったから後世に残る言葉になり、そして日本にも伝わったわけですよね。

 

 いまのところトラフズクの姿は見ていない。そうか、ウシガエルも同じだったなとつながった。弦巻の中央図書館の池にウシガエルがいたのですが、そこは人の近ずけない茂みの奥で、春から夏、牛のような、汽笛のような大きな鳴き声が聞こえてくる。

 図体の大きな動物かと思うほど大きな鳴き声でした。でも、姿形は見えない。

 見えないけど、そこにいる。こんな関係も案外、面白い。見えない分、逆に存在感があって、少なくともそこに行くと、いつも意識するようになっている。それは、妖怪のような存在といえなくもない。

 なくても(見えなくても)、ある(居る)というリアリテイ。思い込みで感じてるのとは違うんです。本当にある(居る)のですから。幻覚を見るより、こっちの方がワクワクする。

 日常世界にこういうリアリテイがたくさんあったら面白い。日常がもっと豊かになるんじゃないか。この話は結局、豊かさって何かということになるのですが。

 お金に換算できる豊かさの世界は、まだ貧しいのではないかと思っている。UFOでも妖怪でもUMAでもなんでもいいですが、そういうのが身近に、周りにいた方が人間界としては豊かなのではないか。

 

 ふと思ったのですが、今までこんなところにはいなかった鳥がどうしてここにいるのだろうか? 郊外の山野から街中に移動してきたのか、ペットとして飼われていたのが逃げたのか。 日本の野鳥のトラフズクを飼うことは法律で禁止されており、輸入されたトラフズクが高値で売られている。

 一昨日、雨の中、三軒茶屋の三角地帯を通ったとき、ここは小さな飲食店の密集しているエリアですが、路地の脇に調理器具や敷き布、箸立てなどを包んだ大きなビニール袋が山のように捨てられているのを目にした。

 新型コロナの影響で飲食店はどこも営業を自粛している。いまコロナ騒動で廃業する店が出始めているというニュースを見ましたが、捨てられていたビニール袋は、そんな一例なのかもしれない。

 この数年、猫カフェの後続で各地でフクロウカフェが開店していましたが、若林公園にいたトラフズクはフクロウカフェにいたのかも? でも、そういう業者の人は放ったりせずに、しっかり転売するでしょうから、その可能性は少ないか。

 

追記・・・下の写真は、チンパンジーが木の棒を道具にして使ってるところ。横浜のズーラシア動物園で、奥の方で座って何かしている人物(?)の左手に注目。細い棒を指でつまんで、朽ちた倒木の幹の中にいる虫をほじくっていた。

 親指が短いので、正確にはつまむことができず、指と指の間に挟んでいる。ぎこちない様子です。

 使っているのは細めで真っ直ぐな枝。近くに落ちていたのを拾ったもの。太い枝から細い枝を折り、葉を除いて棒(道具)を作ることはしていない。この違いはすごく大きい。

 道具を作るってことは、予めその道具を作った後の用途や使い方を頭の中で考えてるわけで、もしかしたら未来という観念が芽生えたのはこのときだったのかも、いずれにしても、そこまで複雑な思考をしはじめたのは人類だけだった。

 道具を使うけど、道具を作るまでには至らない段階、これが600万年前の知性なんですね。

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「下の下」か「幻魚」か

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 明日、新型コロナウイルスの感染拡大に対する措置として、政府の緊急事態宣言が七都府県に出されるとメデイアで報じられています。

 世の中は、こんなこと書いてる状況ではないのかもしれませんが、日常生活の方はしっかり対応していただくとして、ここではいつものノリで最近あったことを書いてみました。

 

 前回は博多人形、今回はゲンゲという魚、ともに偶然の出会いと捨て目の話しです。捨て目とは「目に入るものを心に留めておくこと。また、広く見て心に留めておくこと。「捨て目を使う」「捨て目を利かせる」」(デジタル大辞泉)といった意味。

 そういえば、捨て目って言葉、骨董の世界で掘り出し物を見つけるコツとして口にしていた人がいました。全然、場違いなところで、何か価値のあるものを偶然見つけること、そんな意味で用いられている。

 よく自己啓発の本で「引き寄せ」と言ってるのと同じことのようです。これって別の言い方だと、仏教で言ってる縁のことになる。

 縁は、その時、そこで出会う=起きるかどうかに関わってるので、それをさらに掘り下げると、空間的というよりは時間的な交差現象ではないか。だから究極的には意識の問題だと思うのですが。出だしから横道に逸れすぎました。

 あまり変わりばえのしない日常の中でも、捨て目を育てていくと、案外、面白い物や事と出会えたりするんじゃないか。

 

 近くのスーパーの魚売り場、ふだんは行くことのないスーパーで、店内の通路を歩いてたとき、変な魚が並んでいた。姿形はハモのようなアナゴのような、顔はトカゲ、胴体は軟体動物みたいにドロンとした異形の魚。 大きなオタマジャクシといった感じ。 ゲンゲ、岩手産と走り書きした札が付いている。

 店の人に、旬はいつなんですか? と尋ねましたが、さあ、分かんないとあっさりした答え。調べると、深海魚で、以前は雑魚以下の扱いだったので旬なんて聞くのも野暮なようです。

 ゲンゲの名前の由来が面白い。昔、底引き網漁で網に入っても、売り物にならず浜に捨てられていた魚だったので、下の下の魚、それが訛ってゲンゲという名前になったとか。後に、市場に出荷する話しになった時、下の下じゃあんまりだと、ゲンゲを当て字で幻魚にしたという。

 たしかにマンガの絵に出てくるお化けに似てるので、それに後に書きますがフワフワした食感なので「幻」という字、当たっている。

 少し前、鮮魚の店に出ていたヤガラを刺身にした。これまた異形の魚で、長い棒みたいな胴体、ストローみたいに長いくちばしと、袋に収まらず持って帰るのに苦労した。どうも異形の魚に釣られてしまってるようです。

 考えてみれば、ゲンゲにしろヤガラにしろ、お店で食べるとしたら調理され皿に載って出てくるので原形は分からない。好き嫌いの基準は味覚で、元の姿形は関係ない・・・当たり前ですね。

 でも、自分でその日、並んでいる魚を選んで、捌いて、皿の盛りつけにちょっとした趣向を凝らして口にするときは、最初の選択の段階で姿形、見栄えが決め手になることがある。ついでに、その魚にまつわる蘊蓄(うんちく)話しなんかを調べて頭の中で味わったりもしている。

 

 どうやって食べようか? ブツ切りにして味噌汁に入れよう。頭に浮かぶのは漁師料理、簡単ですぐにできるし、なにより美味い。 ゲンゲは、かなり大きく、それにしては安い。早々、持って帰ることに。

 いまが旬の栗蟹も並んでいた。 見た目は毛蟹に似ているが、これまたけっこう大きなのがずいぶんと安い。小さいのはよく見かけるがこのサイズはお買い得。青森では花見の宴に出るので桜蟹とか花見蟹と呼ばれている。こんな話しを知ると、俄然、美味そうに思えてくる。これで出汁を取ろう。

 ゲンゲも栗蟹も安かった。そういえば今年は富山のホタルイカ、いまが旬ですが例年に比べ安い。イクラやウニも安い。新型コロナの影響で外食需要が激減し、値崩れしているからだと聞いた。

 帰り道、空き地に土筆(つくし)がたくさん出ていたので摘んできました。こちらは偶然ではなく毎年、出るので知っていた。ヘタを取るのが少し面倒ですが、これで今夜の食材は揃ったと盛り上がり、やる気になっている。

 

 そこから先、細かな話は端折り、栗蟹とゲンゲと土筆の汁ができました。椀には入らないので丼にしました。とにかくドーンとしている。

 汁は栗蟹のほんのり甘くコクのある旨味が濃厚に出ている。毛蟹に比べて脚の肉が少ないのは残念。それでも甲羅の下に筋肉の塊があり、殻が硬くないのでかぶりついて食べる。

 汁物には栗蟹がいい。紅ズワイガニなら焼くのがいい。もともとズワイガニに比べ、紅ズワイガニは格段に安いうえ、いまは上に書いたようにさらに安くなっている。そんなわけで、いろいろやってみた。蟹の種類により旨味を引き出す調理の仕方が異なってくる。

 天然素材では蟹がいちばん旨味が濃いい。どうもこの旨味には依存性があるのではないか。そんなこと言ってるのは自分だけなのか、気になっている。

 そういえば、昭和の頃はなんにでも味の素を振りかけていた。ご飯の上にかけたり、味噌汁、漬物、ハンバーグ、ナポリタンにとなんにでも白い粉末をかけていた。いま思うに、あれは国民的なグルタミン酸ソーダ依存症だったのではないか。

 土筆はいつも思うのですが、味も風味も希薄というか、食材としては頼りない。ふがいないのは分かっていても、春になったという気分を盛り上げるために、もっと自然の豊かな地に住んでいれば山菜を採ってくるのですが、土筆なら近所で摘んでこれるので入れている。

 

 肝心のゲンゲですが、妙な魚でした。 一口目、プルン、ツルンとした口当たり、のどごしが印象的。これは、まさにその一瞬の瞬間芸のような感触です。そう、生卵の白身を飲み込んだときの感触に似ている。

 その後、タラやアンコウに似た白身は、豆腐のような、白子のような食感で、スカスカ、フワフワしていて噛んでも歯ごたえがなく口の中で消えていく。あれっ?という感じ。お麩(ふ)、いえ、それよりコシがなくて綿アメを引き合いに出せば伝わるでしょうか。

 ゲンゲの白身の色、どこかで目にした白だなと思っていました。無垢な白、牛乳の白、後から、中国福建省の徳化窯の白磁の色、あの白を想い出した。

 味ですが、クセのない味なのは分かる。しかし、正直、薄味なので栗蟹の濃厚な旨味に紛れ、イマイチはっきりしない。 また、皮の部分はゼラチン質でドロドロになってる。

 なるほど幻魚って命名、言い得て妙だなと納得。大きな切り身もほとんどが水分で、石川県の方ではミズウオと呼ばれてたとか。 この魚、乾燥させると細い棒みたいになってしまう。店に出ていたときは、太くてどっしりしてたけど水増しだったってことですね。

 

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博多人形と「紫色の火花」

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 近所のリサイクルショップを通りがかったときのこと。道路脇に棚が置いてあり、カゴの中にお茶碗や湯呑、皿などが山盛りになっている。不用品の食器類でどれも100円の貼り紙・・・前回の古本と同じですね。

 その中に素焼きの白い人形が逆さまに放り込まれていた。このままでは、磁器のお茶碗とぶつかって壊れてしまう。置き方を直そうと人形を手にした。持ち上げると顔が現れ、針のように細く長い目の奥に恐ろしく小さな瞳が見えた・・・凛とした涼しい目をしている。

 古い博多人形で、大振りなので躊躇いがありましたが、目に惹かれ持って帰ることにした。古いといっても、博多人形自体、郷土民芸の土人形を基にいまの様式で造られるようになったのは明治末期といわれており、近現代のものです。

 思い返すと、これまで選んできた仏像やキリスト教のマリア像とか仮面、能面などは、目の第一印象で決めていた。要は、一目惚れ、ほとんどそれで決まっていた。

 

 その人形が上の写真。最初、明るいところで撮ってみたが、どうも実物の印象と違う。素焼きの人形の表情を引き出すにはどうすればいいのか。

 部屋を暗くして光の当て方をいろいろ変えて撮ってみた。 谷崎潤一郎の『陰翳禮讃』(いんえいれいさん)で書いてるようなことです。

 陰影があると実物の雰囲気、たたずまいに少し近ずいた。でも、実物のイメージ通りの写真にはならない。実物は、面長の大人のお姉さんといった感じなのですが、写真は丸顔の小娘っぽい。

 また、実物はもっと目尻がつり上がっていて、細く長い目をしている。目頭と目尻を結ぶ角度がこんなにつり上がった人間は存在しない。この人形は作者のイメージを具象化したミュータントと言えなくもない。

 写真では、そういったポイントが伝わってこない。というか、突き詰めると主観の世界のことなので、客観的に再現しようとしても無理な試みかもしれない。とりあえずこれで良しとしてアップしました。

 

 これまで博多人形のことはよく知らなかった。お土産品のイメージが強く、あまり関心がなかった。

 人形の裏に長二郎作と書かれている。ネットで検索すると、井上長二郎(1911~1964)という人でした。

 調べてみると、作者は、戦前、名人として名を轟かせた人形師の下で修行した後、独り立ちしたが間もなく太平洋戦争になり出征、復員後は闘病生活を送りながら人形を作ったことが分かった。53歳で亡くなり、活動期間はそれほど長くない。人形師としては、あるいは職人としては不全感を懐きながら生涯を終えたのではないか。

 

 博多人形の代表格は美人物といわれてますが、時代の移り変わりに連れ、顔相が変化しているのに気づいた。

 例えば、この人形は、おそらく1960年前後に作られたと思われますが、ネットで検索すると出てくる現在の博多人形と比較すると、西欧人風の高い鼻で、シャープな顔立ちをしている。また、現在の博多人形は、この人形に比べると可愛さがより強調されているように見える。

 元来、博多人形は、特定の美人像が受け継がれてきたのではなく、個々の人形師がその人なりの美人像を創り上げてきたようです。その美人像は人形師が無から創り上げたとは考えずらく、何かビジュアル的なイメージの源泉があったはず。

 思い当たるのは、明治以降の近代日本画の世界で生まれた美人画です。画壇のような狭い世界にとどまらず、市井の人々の目にふれる雑誌、新聞に載っていた美人の挿絵や広告のポスターなども美人画から派生したものだった。

 博多人形の美人物の由来は、明治から昭和の美人画、挿絵を素焼き人形に写したものではないかと推測しました。二次元の美人画を三次元に拡張したものという言い方もできる。上の写真を上村松園や志村立美の美人画と見比べると一目瞭然です。

 この人形は、そういった作風が見て取れる晩期のもので、1960年代の高度成長以降、博多人形の顔相、容姿は様変わりしていく。

 

 芥川龍之介が最晩年に書き遺した「或阿呆の一生」の中に火花の話しがあります。雨の中、街角で高架の電線がショートしているのを目撃するのですが、そのとき電線から放たれた紫色の火花を見て、命に代えてもその火花を手に入れたかったという想いを綴っている。

 人は人生の終末を意識したとき、この世の何に執着するだろうか。思いつくのは、まず生きていることそのものだろうし、家族だったり、事業や仕事だったり、財産だったり、あるいは、なんにも執着しないという人もいるかもしれない。

 芥川龍之介は、一瞬といってもいいような紫色の火花に執着した。現象的には、電線のちょっとした事故ぐらいの出来事で、他の人には気にとめるほどのことでもなかったかもしれない。

 しかし、その火花は、この上なく美しかったのではないか。 自分の命と交換してもいいぐらいに。言葉だと美ということになりますが、それは一般的に語られているような美ではなく、美しさと死と畏れと聖性の入り混じった異様な感覚だったと思う。

 そんなに多くないだろうが、同じような資質を持った人もいて、この人形師はそんな一人だったのではないかと思う。紫色の火花は、人形師にとっては博多人形だった。

 生命力が衰弱していくに連れ、審美眼が高まっていくという話しをよく耳にする。かって結核が不治の病と言われていた時代、罹患した古陶の収集家の逸話にそんな話がありました。

 「この世の中には、愛と美さえあればそれだけで充分なのです」と書いていた人がいた。演劇や歌手として有名な人の本からの引用です。なんとも大胆な言葉で、じゃあ衣食住はどうなるの、生活の心配しなくても大丈夫なの、と言いたくなる。

 でも、解釈次第とも思える面もあり、人生も終わり近くなったときには、末期(まつご)の目から見たとき、この世は愛と美に尽きるという言葉が実感として分かるのかも。

 実は、人間にとって、この瞬間の今と、いつかこの世を去る時に意識しているであろう時の今は、まったく同じ今だと思っていますので、引用した言葉は究極的にはその通りなのかもしれない。

 

 先に細長い目と書きましたが、幅0.8ミリぐらいの目の上と下にアイラインが2本引かれ、その極細の幅の中に白目の輪郭が描かれ、さらに白目の中に8倍のルーペで分かるような瞳の黒点が入っている。1ミリの100分の1のレベル、つまり10ミクロンの単位で瞳の位置と大きさを描いている。写真に撮ろうとしたのですが、上手く撮れない。

 これを描き込むのには、尋常じゃない集中力を要します。型取りした粘土の素焼きに筆で描き込むのですが、そんなにたくさんは作れないじゃないか。

 この集中力は、自分の生の証を人形に込めたのではないか。人形師、職人としては極めるところまでいけなかった分、ある意味、より大きな力が生まれたように感じます。

 

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山口草平、立野道正の挿絵

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 豪徳寺駅前の商店街にある小さな古本屋さん、空き倉庫にスチールの棚を並べた仮設店舗のような造りで入り口に一冊100円の棚がある。店の向かいの鶴の湯にいくとき、棚が目に入りついのぞいてしまう。

 先週、そこに並んでいた『現代 大衆文学全集 21 澤田撫松集』を購入した・・・100円なんで購入というと大袈裟ですね。

 現代といっても出版されたのが昭和2年だから93年前の「現代」です。また、「大衆」という言葉は、この時代、社会に登場した労働者、勤労者といった新しい階層のことで、昭和の初めには流行語になった。

 探偵小説のような読み物や新聞小説の中心的な読者が彼らであったことから大衆文学というネーミングがつけられた。娯楽的な文学なので、ビジュアル性が求められ、必然的に挿絵の全盛期となる。当時の活版印刷は、写真だと濃淡がベタになり不鮮明、挿絵の方が見栄えが良かった。

 著者については何も知らなかった。本を開くと挿絵が目に入り、寝る前にパラパラ眺めるのに打ってつけだと選びました。

 

 著者は明治のはじめに生まれ、この本が出版された年に亡くなっている。新聞記者(司法記者)から作家に転じ、雑誌に犯罪事件の実話物を書いていたようです。

 当時の円本ブームに乗って刊行された全集の一冊。箱入りの上製本、布クロースに金箔押しと立派な装丁。保存状態が良く現代の新刊本と見間違えるほど。日焼けや痛み、紙魚がなく、おそらく丁寧に仕舞ったまま1世紀近くどこかで眠ってたのではないか。

 1000ページを越える本で、33篇が収められていて、内容は大正時代に巷で起きた犯罪事件の話しでした。

 貧富や身分の差が大きく、封建的な因習が色濃く遺っていた時代、底辺の庶民は不平等が当たり前の世界に生きていた。そこでは親孝行や義理人情が人々の行動原理だった。この本の物語は、どれもそんなリアリティで書かれている。

 人々の価値観や善悪の基準からして、現代とはかなり違うのでここで作品を紹介しても疲れてしまうのでパス。なにせ明治維新から59年目、江戸時代に生まれた人が珍しくない時代からのタイムカプセルを開封したような感じでした。

 思うに、大衆という言葉が一般化する昭和はじめの時点で、著者はすでに前時代の存在になっていたのではないか。

 自分の読み方も、文中にちりばめられた当時の世相、風俗から面白い話しを見つけては、何か発見したような気分になり、いつの間にか眠っている、そんな感じです。

 そうそう、よく行く馴染みの浅草を舞台にした話も二篇ありました。一つは宝蔵門の右手、弁天山を縄張りにしている美人局(つつもたせ)の話しで、もう一つは六区の活動街(映画館街)を縄張りにしている女スリの話し。・・・浅草の土地柄、当然ながら縄張りがあるというか、現代ではその種の家業は犯罪ですが、かつては浅草の伝統的な地場産業だったことが読み取れる。

 当時の弁天山や映画館の様子が描かれていて、現在と比較しながら読むのが楽しかった。

 

 深夜、本を開くと1世紀近く昔の淡黄色に変色した紙にルビのふられた活字が行儀よく並んでいる。

 活版の文字は、なぜか気持ちが落ち着く。活版印刷は、植字工と呼ばれた専門の職人さんが枠木に一字一字、小さな金属のハンコを組んでたんだなと、工芸品を見るような思いです。

 明朝体の書体は、ところどころインクがかすれていて、それもまた味わい深い。挿絵は昔の版画を見ているよう。・・・本の内容はどこかにいってしまい、物として古陶を愛でるような眼になっていた。

 

 随所に挿入されている挿絵は数えると22点、高畠華宵岩田専太郎、山口草平、立野道正の四人の画家が描いている。前の二人は、美人画で有名、いまもファンがいる。 それぞれ個人美術館もあるし、折にふれ雑誌や本で紹介されている。

 山口草平(1882-1961)は日本画家、挿絵でも知られていた。立野道正(生没年不明)は児童書の挿絵画家として活躍している。二人の活動期間は、大正から戦争をはさんだ戦後復興期にあたっている。この世代は、平和な時代に活動できた作家に比べ大きなハンディがあったのではないか。

 両者の挿絵を見ていると、作者の個性は異なっているけど、ともに昭和モダンの雰囲気が伝わってくる。それは、谷中安規の版画の、例えば「蝶を吐く人」のような幻想的な夜の闇です。前時代のロウソクやランプの陰ではないし、現代の蛍光灯やLEDでもない、電球の陰が生む闇。

 この何日間か、毎晩、春の夜の夢のような挿絵の世界に浸っていた。そう、ちょうど枕元の小瓶にほころびはじめた桃の花の小枝を挿していたのですが、桃の花はこの挿絵の世界にぴったりでした。

 それからもうひとつ、和風の模様が目を引く装飾的な挿絵ということも挙げておきます。そういう作風が様式化していたということは、その時代の流行だったわけで、別の言い方をすると、電球の新時代と着物の前時代が混じった世界だったのを見て取れる。そんなところも面白味の一つです。

 

 二人の挿絵の中から4点ほどアップしてみました。冒頭とこの下の4、5枚目が立野道正。この下の1~3枚目が山口草平です。

 紙とインクの経年変化に味があるといってる手前、それをできるだけ再現したつもりです。1000ページを越える本なので、造本上、ツカ(本の厚さ)を抑えるため薄い紙を使っている。そのため裏の活字が僅かに透けて見えるのですが分かるでしょうか。

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ポンカンはトロピカルフルーツ

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ドリアンとタマリンド。暑い国のフルーツは形が面白いところもいい。


 トロピカルフルーツが好きです。南の国の果物に開眼したのは、バングラデシュの村でジャックフルーツ波羅蜜)を食べ感動したときでした。そのことは、以前、ブログに書きました。

 それから夢中になっていろんなトロピカルフルーツを探し求めた。奇妙な形をした果実もあって好奇心をそそり、いっそう弾みがついた。

 結論的に、これが一番と思ったのはドリアンとチェリモヤでした。チェリモヤの近類種でポポーやシュガーアップル(釈迦頭)もなかなかですが、あげるとすればチェリモヤになる。そこで一応、区切りがつき、トロピカルフルーツ熱は治まっていった。

 

 振り返ると、いろいろ口にしましたが、甘くて、柔らかくて、豊潤な香気、この三つに惹かれてたのだと思っている。 熱帯、亜熱帯の風土にはそういう果実がけっこうありました。果物でも酸っぱい、硬いのは敬遠気味。また、香気の少ない果実はどうも味気ない。

 補足すると、マスクメロンと洋ナシは温帯から北の果実ですが、これは例外。ともにアジア原産、ヨーロッパで品種改良されて出来た果物で、三番目の要素、香気という面で惹かれた。

 マスクメロン、洋ナシの冷えた香気は陶酔的だった。普通、温度が高い方が香気はよく発散するのですが、この場合は、冷たく冷えた香気ならではの印象のことを言ってるわけです。

 もしかして、果実の熟成(=老化)ホルモンとして働いているエチレン(ガス)を低温にして、その冷ややかな匂いを嗅いでいたらそれで陶酔してたかも? 

 そういえばアンドルー・ワイルはマンゴーが大好きで、こんなふうに書いていた。

 「ふつうの果実ーーリンゴ、オレンジ、バナナなどーーを何気なく、読んだり書いたり喋ったりしながら食べている人はよく見かける。しかし、完熟したマンゴーを食べてその純粋な快楽に浸りながら、他のことができる人にお目にかかった試しがない。」(『太陽と月の結婚』)

 正直、ここまでのマンゴーに出会ったことはない。マンゴーっていうと、いつもなんか柿に似てるなー(マンゴーの風味はないですが)と思うぐらいで、ワイルの言ってるようなマンゴーを食べてみたい。

 パキスタンのマンゴー(アルフォソン種)は糖度が高いことで知られていますが、冷やして食べると、なんだろう、果実というよりは甘いスイーツのよう。

 こういうマンゴーをたらふく食べると惚けるというか、脳に糖分過剰で影響を与えるのではないか。まさにナチュラル・ハイ。

 

 つい最近、久々に新しいトロピカルフルーツと出会った。それはポンカン。別にそんなに珍しくはない。今の季節、スパーや八百屋さんに並んでいる柑橘類の一つです。

 5個パックしたビニール袋に「ポン柑 南国の香り」と書かれた紙片が入っていて、それが目につき買ってみた。

 ポンカンを口にして、トロピカルフルーツを追っかけていた頃の味覚の記憶が甦ってきた。ポンカンは以前も食べてるのですが気にとめることもなかった。

 ふと、この味、どこかで食べてたな? と気づいた。インドで食べたミカンの味と似ているのを想い出す。インドでよく見たミカンは、外見は日本のミカンと似ていた。日本のミカンのようにツルツルできれいではなかったですが。

 ミカンは日本でごく普通にあるので、インドで見ても関心度は低くかった。外皮が薄く、房の皮がぼってりして、中に種があって日本のミカンより野生的だなぐらいに思っていた。外見からの先入観で、味はよく意識してなかった。

 雲丹みたいなランブータンや輪切りにすると星型になるゴレンシ、仏像の頭みたいなシュガーアップル(釈迦頭)、爬虫類っぽいサラク、芋虫みたいなタマリンドといった形や色の変わった果物に目が向いていて、外見が日本のミカンに似ているので見逃していた。

 トロピカルフルーツの味に惹かれていろいろ探し求めていたのが、途中からその形や色の方に目移りしてしまい横道に逸れていた。

 

 改めてポンカンを評すると、甘さが強く、味が濃厚、香気が強い。これって温帯の果実にはないトロピカルフルーツの特性と言ってもいいのではないか。インドの路上で、ミカンを手押しの圧搾機で潰して売っていたジュースの味でした。

 温帯の果物に比べてトロピカルフルーツは味の輪郭がはっきりしている。その甘さ、味、香気は、自然の味を濃縮して作られたキャンディのように感じられた。

 木になった果実でありながら、人が作ったスイーツ、キャンデイのような、あるいはそれよりも美味な味がするなんて、人為を超えた天為、そんな感動がありました・・・冒頭でふれたジャックフルーツをはじめて食べたときそれを感じたので、夢中になっていたわけです。

 

 ところで、柑橘類でブンタンもトロピカルフルーツでした。ポメロと言ってタイではそのまま食べるだけではなく、料理の具にしたり、塩、砂糖、唐辛子をつけて食べている。

 日本のブンタンやナツミカンとアメリカのグレープフルーツは、サイズがミカンよりも大きく黄色っぽく見た目、似てるなと思っていましたが、もとは同じ祖先で、それが東西に渡って出来た品種でした。その原産地はマレー半島からインドネシアあたりだとか。

 とするとタイのポメロは原種に近いのでしょうか? 食味は日本のブンタンの方が野趣というか、鈍臭く感じられ、一方、ポメロはすっきり洗練されていてグレープフルーツに近いように感じた。ブンタンは、原種が日本列島でガラパゴス化したものだったりして。

 実は、花の香りの中で一番いいなと思っているのはブンタンの花です。果実の方は大振りで大味、香気もそれほどでもないですが、花の香りは最高、毎年、5月になると咲きます。関東、東京ぐらいが北限といわれていて、住宅街の庭木として植わっている。

 しかしブンタンの果実は甘くないし、ナツミカンほどではないにしても酸っぱい(微かに苦味)と、ポンカンをトロピカルフルーツに加えた我流の分類からは外れます。

 喉を潤すとかコテコテに甘いもの食べてるときの口直し、整腸剤(?)みたいな果物としてはいいのかも。それにしても大きいので食べ出がありますね。

 

 ネットを検索すると、世界三大フルーツとして、マンゴー、マンゴスチンチェリモヤが上がっています。この手の選定はだいたい欧米の人の味覚が世界基準になってる。

 日本の食用の菊の花を試食したフランス人が、禅の味がしたと言ってたのを思い出す。異文化、ジャポニズムの味ってことだと思う。こちら側からすれば、自分がはじめてマンゴーを口にしたとき果肉に菊の風味がしたことを覚えている。でも、それが禅の味と感じることはない。生まれ育った地の食文化によって、同じものでも違う味に感じられるのではないか。

 欧米人の味覚(+嗅覚)で選んだ世界三大フルーツの番付と、日本人の味覚(+嗅覚)で選んだ番付は違ったものになるはず。洋ナシにしてもマスクメロンにしても、そうレモンもそうですが、ヨーロッパ人がアジアから移植して改良したフルーツの特徴は、どれも香気を高めることにポイントをあてている。そのあたりに嗜好の方向性が見てとれる。

 また、歴史的に麝香や龍涎香に対する思い入れが強く、文化として定着していたアラビアや中国、つまりデイープというか濃厚というか、そういう嗜好の国々で世界三大フルーツを選んだら、何が挙げられるか興味あります。

 バナナとパイナップルは、19世紀後半から大規模なプランテーション栽培が行われ、世界中に大量に廉価で出まわってるので、幕下扱いされている。もし希少な存在だったとしたら、三大フルーツのうち二つは占めていてもおかしくないと思う。

 中世のイギリスではオレンジとレモンは王侯貴族しか口にできない贅沢品だった。もともと柑橘類の原産地は東南アジアで、中世にアラビア商人が西方に伝え、その後、地中海周辺で栽培されるようになった。

 それまでオレンジやレモンを知らなかった人が、はじめてそれに接したとき、すごく驚いたはず。当然、人はその香気に取り憑かれる。当時、香辛料やお茶がヨーロッパで持てはやされたのと同じようにオレンジ、レモンもそうだったんですね。

 今は、ごく普通ににオレンジ、レモンは流通しているので、中世の人々が感じたであろう香気の魔法は解けている。結局、人の嗅覚、味覚(主観)は時代や地域性=文化によって変わっていく。同一ものが違った香気に感じられるようになるってなんだか魔法っぽい。でも、人間の感覚ってそういうものなんじゃないか。

 

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未来は今・・・臨海副都心とウルトラQ

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 毎年、春、秋の二回、お台場の国際展示場に通っている。もう20年以上になります。

 ここは、通称、東京ビッグサイト、巨大なロボットみたいな建物(会議棟)で知られていますが、大きな展示場がいくつもあって、そこをうろうろしている。とにかく広いので歩くのが大変。

 よほど天気が悪くない限り、昼すぎにはいつも西展示場の屋上で一休みしている。屋上の端に小さな見晴らし台があり、ここでコンビニで買ってきたおにぎりやサンドイッチを食べる。

 この場所は自分にとって隠れ家的スポットで、いちばん景観のいい場所を独り占めしてる気分・・・と言っても、そんなことに関心ある暇人はいないので、いつきても無人なんですが。

 残暑の厳しい炎天下の日もあったし、見上げると台風が接近して低い雲が流れるように動いていたことも、小春日和の凪いだ海を眺めてたり、冬の真っ青な空の下で日なたぼっこをしたりと、いろんな日があった。

 そこから見える景色、眼下に東京湾、遠く房総半島のコンビナート、羽田空港を離着陸する飛行機、巨大な観覧車、大きな玉が載っているテレビ局、ベイブリッジ、鳥居みたいな形をしたホテル、高架で空中を滑っているように見えるゆりかもめと基本的には変わってない。

 それでも、少しずつ変わっているところもありました。通いはじめたころは、夢の島は海からせり上がった白い丘だった。廃棄物の山が白く見えたわけです。ゴミ処理のクレーンも見えた。それがいまは移植した木々が成長して緑の島に変わりつつある。

 夢の島という名前、いつの日か緑の森になることを計画して付けられてたのでしょうか。

 品川の方向は、再開発で以前はなかった高層ビルが林立している。すぐ隣の有明にはオリンピック関連の施設が建っている。

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 1月下旬、快晴の暖かな日、いつもの場所で、いつものように休憩してたら、珍しく人がやってきた。上の写真、隠れ家にしている見晴らし台の屋根です。

 屋上の端っこで、周囲は駐車場になっていることもあり、ひと気がなく、他の人と鉢合わせしたのは本当に久しぶり。この10数年ではじめてのこと。

 催しに出展しているヨーロッパの業者さんのようで、階段をちょっと昇り、視界の開けた場所に立ったとき、ワオーと声を上げた。目の前に広がる景色に、よほど驚いたんでしょうか、思わず声が出ちゃったという感じ。

 冒頭の写真は、その人が声を上げた景色。季節は真冬ですが、太陽が燦々と輝き、海がキラキラ光っている。平日ということもあり、見渡してどこにも人がいない。ゆりかもめが無音で滑るように移動している箱庭的世界。

 そうでした、この天気、冬の海洋性気候もワオーと言わしめる大きな要素になっている。暖かな昼下がり。雲ひとつない真っ青な空、眩しい太陽。遠くに真っ白な富士山も見える。こっちの方がインパクトあったのかも。

 この景色を毎回、見てきて、自分の内に焼き付いている。海と空、それにシュロの木が並んでいる亜熱帯的な天地、薄い水色、ライトブルーの建物や交通機関、視界は整然としてひと気がない。

 生活感が全くないし、車も人の姿も見えない。まるで現実がジオラマ化しているよう。

 無音、無臭、隅々までクリーンで清潔な空間。全てが無国籍的な、人工的でフラットな、どこか空虚な世界、これが日本の21世紀なんだな、 自分の内ではそんなイメージが出来あがっている。

 

 いつからかこの景色、昔のテレビ番組のワンシーンと重なってるように思えてきた。

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 今から約半世紀前、1968年に放映されたウルトラQ、「開けてくれ」というタイトルで、異次元の世界のシーン。海があって、その向こうに奇妙な建築群、空を列車が走っている。この光景は、現在の上海の方が近いだろうか、上海のテレビ塔やタワーの光景は似てるなと思う。

 ゆりかもめは空は飛ばないですが、人の頭上を高架で移動している。電車と違って無人運転で無音、走るというより滑る、移動するといった感じです。

 人間世界の現実は過去と未来を織り込んで作られている。見ているのは日常普通のお台場の景観ですが、半世紀前の異次元(=未来)が今、ここにあるんだなと思っている。結局、昭和の高度成長のころの人々の集合的無意識が物質として形になった、現実化したのを見てるってことですよね。

 20年も見続けてイメージが固まってきた。失われた20年といわれた時代とも重なっていて、だいたいこのあたりまでかなと思っている。明け透けに言ってしまうと、この四半世紀、経済が停滞している中、よくここまでやったなとも思う。

 

 そういえば、1982年に公開された映画、ブレードランナーは37年後、2019年のロサンゼルスを描いていて、その世界はレトロフューチャーといわれる当時としては斬新な未来像だった。

 ・・・と言っても、あの映画は、19世紀の世紀末のアートがそうだったような反近代の頽廃的な雰囲気を再現してるようにも見え、本質的に「斬新」とは言えないのかもしれない。『西欧の没落』(1918)の二番煎じのようにも見える。

 ブレードランナーの未来は、随所、東洋、日本っぽくもあった。当の日本は、ブレードランナー的な荒んだ退廃的世界とは異なり、ウルトラQも現在のお台場も明るくクリーンで、なんか桃太郎的(?)な景色。

 また、超近代的なビルで見る人を人を圧倒させるようなドバイ、ああいうバブル的な世界とも違う。

 お台場の景色は、ブレードランナーやドバイと比べるとチマチマしていて、かと言って決して見劣りするわけでもない特異な世界、空間の広がりはあるのだけどなんだか箱庭を見ているような感じ。

 これがナンバーワンよりもオンリーワンを志向した日本なのかも。別にそれを選択したわけではなく、もともとそうだったので惰性でそうなったオンリーワンですが。だから他の国とは比較できない・・・特異な世界のわけです。

 江戸時代の昔から震災や大火、火山噴火、台風、それに戦災などを繰り返してきたことからすれば、この景色も消え去るときがくるかもしれない。

 でも、それも織り込み済み、口にしなくても誰もが薄々、起こりうることとして意識しているはず。そして、次に再建される日本もやはり桃太郎的で、チマチマした世界になるような予感がしている。

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 これが見晴らし台。 升形の砦みたいな小さなスペースで、石の腰掛が4席。日除け程度の屋根、空を見るにはこれぐらいの方がいい。元来、狭い所が好きってこともあります。

 天地広大な空間の中にポツンと、茶室というかウサギ小屋みたいな所が落ち着く・・・こういう感性、日本的なのかも。

 

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食い千切られる・・・ソクラテスの人面パイプ

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 朝、目が覚めると枕元に紙の小片が散らばってる。ボール紙、ペーパータオルのような紙、横文字の紙の切れっぱし・・・はて?

 あっ、あれは大丈夫か? と慌てる。布団を動かさずに、シーツの上をゆっくりと手で探る。

 あった! 中身は無事でした。横文字の紙片は破れた証明書だった。

 先日、入手したばかりの古いクレイパイプの頭部、陶器でソクラテスの顔になっている。クレイパイプは粘土を素焼きしたパイプ。19世紀前半のドイツのもので、化石を扱っているドイツの業者が、こんなものもあるよ、と小皿に入れた6~7点の小さな顔の陶器を見せてくれた。

 パイプは、アメリカ先住民が使っていたものが16世紀にヨーロッパに伝わり、18世紀に木や陶磁器のパイプがドイツを中心に広まっていった。

 喜劇風の妙な顔とか、ヨーロッパ人の男の顔、それぞれ由来があるようで、聞けばリンカーンの顔なんかもあるという。

 

 前夜、寝る前に横になって見てるうち、急に眠たくなってきて、厚紙の小さな箱に収め、それからはっきり覚えていない。夜中、眠ってるとき、犬のJがやってきて、箱を食いちぎり、それから包んでいた柔らかい紙と証明書を破いていたのだ。中の陶器は、無臭で硬いので当然、無関心。そのまま放ったらかし。助かりました。

 これまでもJには、本や雑誌、新聞をはじめいろんなものをやられている。ペン、鉛筆の上部は齧られて崩れてる。毛布は齧られて穴が空いている。顔は齧られないですが、舐められる。

 『陶庵夢憶』は表紙から58ページまで食い千切られ、自分で補修して欠落したままときどき読んでいる。『蘇東坡詩選』はバラバラに散乱し買い直した。しかし、その本をまた齧られ、二度目は表紙を破られただけだったので補修して読んでいる。

 読んでいるといっても、 横になるとすぐに眠くなるので、 いつまでも読み進まないうち、結局、Jに齧られるパターンを繰り返している。

 いつも齧るのなら、もちろん対策を考えるけれど、この間は、おとなしかった。それでつい気を許していると、向こうは気まぐれで齧るので始末に負えない。

 

 このパイプはドイツの地方都市ウスラーで見つけたものだそうで、1835年のものだとのこと。

 この年、ドイツで初めて蒸気機関車が走っている。 イギリスで蒸気機関車の営業運転が始まって10年後、そんなには時間差ないなという印象。日本では江戸時時代の天保年間にあたる。

  ベートベンやヘーゲルといった人たちの少し後、ドイツが統一国家になっていく途中の時代で、資本主義の胎動期。まだ電気はなく、馬車が走っていた。思うに普通の庶民の生活・日常感覚では中世から近世の世界に生きていたのではないか。

 う~ん、年表見ても政治的な出来事、事件、発明とかは書かれていても、そういうことはよく分からない。まあ、当たり前といえば、その通りで、天保のころの日本人のことだって実感するのは難しい。大塩平八郎の乱とか、映画の「天保水滸伝」だと下総の侠客どうしの抗争があり、利根川の河原で斬り合いをしてました。その頃、中国ではアヘン戦争が起きている。

 

 このソクラテスの顔 鼻が高く、眼科が窪んでいて、ヨーロッパの哲人といった感じですが、実際のソクラテスの容貌は大違いでした。同時代に書かれた文書には、ソクラテス容貌魁偉な人だったと記されている。

 紀元前318年にギリシアの彫刻家リュシュポスがソクラテスの石像を作っていて、実物は残っていないが、2世紀のはじめに作られたそのコピーは、いまルーブル博物館に収蔵されている。ずんぐりした禿頭のオヤジといった感じ。

 

 上の写真のような顔の造りをしてるのは、哲学の祖はヨーロッパ人じゃないと示しがつかないってわけだからですよね。

 キリストの容貌にしてもそう。長い間、教会やヨーロッパの絵画で描かれてきたのとはずいぶん違うようで、イギリスのBBCが番組の中で科学的な知見を基に再現したイエスは、中東からアフリカ系の容貌をした浅黒い肌、黒髪の人物でした。

 いつかヨーロッパ文明を客観的に見ることが出来るような世界になったとき、ソクラテスやキリストは名実ともに、これまでとは別人になるのかも。

 

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