山口草平、立野道正の挿絵

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 豪徳寺駅前の商店街にある小さな古本屋さん、空き倉庫にスチールの棚を並べた仮設店舗のような造りで入り口に一冊100円の棚がある。店の向かいの鶴の湯にいくとき、棚が目に入りついのぞいてしまう。

 先週、そこに並んでいた『現代 大衆文学全集 21 澤田撫松集』を購入した・・・100円なんで購入というと大袈裟ですね。

 現代といっても出版されたのが昭和2年だから93年前の「現代」です。また、「大衆」という言葉は、この時代、社会に登場した労働者、勤労者といった新しい階層のことで、昭和の初めには流行語になった。

 探偵小説のような読み物や新聞小説の中心的な読者が彼らであったことから大衆文学というネーミングがつけられた。娯楽的な文学なので、ビジュアル性が求められ、必然的に挿絵の全盛期となる。当時の活版印刷は、写真だと濃淡がベタになり不鮮明、挿絵の方が見栄えが良かった。

 著者については何も知らなかった。本を開くと挿絵が目に入り、寝る前にパラパラ眺めるのに打ってつけだと選びました。

 

 著者は明治のはじめに生まれ、この本が出版された年に亡くなっている。新聞記者(司法記者)から作家に転じ、雑誌に犯罪事件の実話物を書いていたようです。

 当時の円本ブームに乗って刊行された全集の一冊。箱入りの上製本、布クロースに金箔押しと立派な装丁。保存状態が良く現代の新刊本と見間違えるほど。日焼けや痛み、紙魚がなく、おそらく丁寧に仕舞ったまま1世紀近くどこかで眠ってたのではないか。

 1000ページを越える本で、33篇が収められていて、内容は大正時代に巷で起きた犯罪事件の話しでした。

 貧富や身分の差が大きく、封建的な因習が色濃く遺っていた時代、底辺の庶民は不平等が当たり前の世界に生きていた。そこでは親孝行や義理人情が人々の行動原理だった。この本の物語は、どれもそんなリアリティで書かれている。

 人々の価値観や善悪の基準からして、現代とはかなり違うのでここで作品を紹介しても疲れてしまうのでパス。なにせ明治維新から59年目、江戸時代に生まれた人が珍しくない時代からのタイムカプセルを開封したような感じでした。

 思うに、大衆という言葉が一般化する昭和はじめの時点で、著者はすでに前時代の存在になっていたのではないか。

 自分の読み方も、文中にちりばめられた当時の世相、風俗から面白い話しを見つけては、何か発見したような気分になり、いつの間にか眠っている、そんな感じです。

 そうそう、よく行く馴染みの浅草を舞台にした話も二篇ありました。一つは宝蔵門の右手、弁天山を縄張りにしている美人局(つつもたせ)の話しで、もう一つは六区の活動街(映画館街)を縄張りにしている女スリの話し。・・・浅草の土地柄、当然ながら縄張りがあるというか、現代ではその種の家業は犯罪ですが、かつては浅草の伝統的な地場産業だったことが読み取れる。

 当時の弁天山や映画館の様子が描かれていて、現在と比較しながら読むのが楽しかった。

 

 深夜、本を開くと1世紀近く昔の淡黄色に変色した紙にルビのふられた活字が行儀よく並んでいる。

 活版の文字は、なぜか気持ちが落ち着く。活版印刷は、植字工と呼ばれた専門の職人さんが枠木に一字一字、小さな金属のハンコを組んでたんだなと、工芸品を見るような思いです。

 明朝体の書体は、ところどころインクがかすれていて、それもまた味わい深い。挿絵は昔の版画を見ているよう。・・・本の内容はどこかにいってしまい、物として古陶を愛でるような眼になっていた。

 

 随所に挿入されている挿絵は数えると22点、高畠華宵岩田専太郎、山口草平、立野道正の四人の画家が描いている。前の二人は、美人画で有名、いまもファンがいる。 それぞれ個人美術館もあるし、折にふれ雑誌や本で紹介されている。

 山口草平(1882-1961)は日本画家、挿絵でも知られていた。立野道正(生没年不明)は児童書の挿絵画家として活躍している。二人の活動期間は、大正から戦争をはさんだ戦後復興期にあたっている。この世代は、平和な時代に活動できた作家に比べ大きなハンディがあったのではないか。

 両者の挿絵を見ていると、作者の個性は異なっているけど、ともに昭和モダンの雰囲気が伝わってくる。それは、谷中安規の版画の、例えば「蝶を吐く人」のような幻想的な夜の闇です。前時代のロウソクやランプの陰ではないし、現代の蛍光灯やLEDでもない、電球の陰が生む闇。

 この何日間か、毎晩、春の夜の夢のような挿絵の世界に浸っていた。そう、ちょうど枕元の小瓶にほころびはじめた桃の花の小枝を挿していたのですが、桃の花はこの挿絵の世界にぴったりでした。

 それからもうひとつ、和風の模様が目を引く装飾的な挿絵ということも挙げておきます。そういう作風が様式化していたということは、その時代の流行だったわけで、別の言い方をすると、電球の新時代と着物の前時代が混じった世界だったのを見て取れる。そんなところも面白味の一つです。

 

 二人の挿絵の中から4点ほどアップしてみました。冒頭とこの下の4、5枚目が立野道正。この下の1~3枚目が山口草平です。

 紙とインクの経年変化に味があるといってる手前、それをできるだけ再現したつもりです。1000ページを越える本なので、造本上、ツカ(本の厚さ)を抑えるため薄い紙を使っている。そのため裏の活字が僅かに透けて見えるのですが分かるでしょうか。

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ポンカンはトロピカルフルーツ

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ドリアンとタマリンド。暑い国のフルーツは形が面白いところもいい。


 トロピカルフルーツが好きです。南の国の果物に開眼したのは、バングラデシュの村でジャックフルーツ波羅蜜)を食べ感動したときでした。そのことは、以前、ブログに書きました。

 それから夢中になっていろんなトロピカルフルーツを探し求めた。奇妙な形をした果実もあって好奇心をそそり、いっそう弾みがついた。

 結論的に、これが一番と思ったのはドリアンとチェリモヤでした。チェリモヤの近類種でポポーやシュガーアップル(釈迦頭)もなかなかですが、あげるとすればチェリモヤになる。そこで一応、区切りがつき、トロピカルフルーツ熱は治まっていった。

 

 振り返ると、いろいろ口にしましたが、甘くて、柔らかくて、豊潤な香気、この三つに惹かれてたのだと思っている。 熱帯、亜熱帯の風土にはそういう果実がけっこうありました。果物でも酸っぱい、硬いのは敬遠気味。また、香気の少ない果実はどうも味気ない。

 補足すると、マスクメロンと洋ナシは温帯から北の果実ですが、これは例外。ともにアジア原産、ヨーロッパで品種改良されて出来た果物で、三番目の要素、香気という面で惹かれた。

 マスクメロン、洋ナシの冷えた香気は陶酔的だった。普通、温度が高い方が香気はよく発散するのですが、この場合は、冷たく冷えた香気ならではの印象のことを言ってるわけです。

 もしかして、果実の熟成(=老化)ホルモンとして働いているエチレン(ガス)を低温にして、その冷ややかな匂いを嗅いでいたらそれで陶酔してたかも? 

 そういえばアンドルー・ワイルはマンゴーが大好きで、こんなふうに書いていた。

 「ふつうの果実ーーリンゴ、オレンジ、バナナなどーーを何気なく、読んだり書いたり喋ったりしながら食べている人はよく見かける。しかし、完熟したマンゴーを食べてその純粋な快楽に浸りながら、他のことができる人にお目にかかった試しがない。」(『太陽と月の結婚』)

 正直、ここまでのマンゴーに出会ったことはない。マンゴーっていうと、いつもなんか柿に似てるなー(マンゴーの風味はないですが)と思うぐらいで、ワイルの言ってるようなマンゴーを食べてみたい。

 パキスタンのマンゴー(アルフォソン種)は糖度が高いことで知られていますが、冷やして食べると、なんだろう、果実というよりは甘いスイーツのよう。

 こういうマンゴーをたらふく食べると惚けるというか、脳に糖分過剰で影響を与えるのではないか。まさにナチュラル・ハイ。

 

 つい最近、久々に新しいトロピカルフルーツと出会った。それはポンカン。別にそんなに珍しくはない。今の季節、スパーや八百屋さんに並んでいる柑橘類の一つです。

 5個パックしたビニール袋に「ポン柑 南国の香り」と書かれた紙片が入っていて、それが目につき買ってみた。

 ポンカンを口にして、トロピカルフルーツを追っかけていた頃の味覚の記憶が甦ってきた。ポンカンは以前も食べてるのですが気にとめることもなかった。

 ふと、この味、どこかで食べてたな? と気づいた。インドで食べたミカンの味と似ているのを想い出す。インドでよく見たミカンは、外見は日本のミカンと似ていた。日本のミカンのようにツルツルできれいではなかったですが。

 ミカンは日本でごく普通にあるので、インドで見ても関心度は低くかった。外皮が薄く、房の皮がぼってりして、中に種があって日本のミカンより野生的だなぐらいに思っていた。外見からの先入観で、味はよく意識してなかった。

 雲丹みたいなランブータンや輪切りにすると星型になるゴレンシ、仏像の頭みたいなシュガーアップル(釈迦頭)、爬虫類っぽいサラク、芋虫みたいなタマリンドといった形や色の変わった果物に目が向いていて、外見が日本のミカンに似ているので見逃していた。

 トロピカルフルーツの味に惹かれていろいろ探し求めていたのが、途中からその形や色の方に目移りしてしまい横道に逸れていた。

 

 改めてポンカンを評すると、甘さが強く、味が濃厚、香気が強い。これって温帯の果実にはないトロピカルフルーツの特性と言ってもいいのではないか。インドの路上で、ミカンを手押しの圧搾機で潰して売っていたジュースの味でした。

 温帯の果物に比べてトロピカルフルーツは味の輪郭がはっきりしている。その甘さ、味、香気は、自然の味を濃縮して作られたキャンディのように感じられた。

 木になった果実でありながら、人が作ったスイーツ、キャンデイのような、あるいはそれよりも美味な味がするなんて、人為を超えた天為、そんな感動がありました・・・冒頭でふれたジャックフルーツをはじめて食べたときそれを感じたので、夢中になっていたわけです。

 

 ところで、柑橘類でブンタンもトロピカルフルーツでした。ポメロと言ってタイではそのまま食べるだけではなく、料理の具にしたり、塩、砂糖、唐辛子をつけて食べている。

 日本のブンタンやナツミカンとアメリカのグレープフルーツは、サイズがミカンよりも大きく黄色っぽく見た目、似てるなと思っていましたが、もとは同じ祖先で、それが東西に渡って出来た品種でした。その原産地はマレー半島からインドネシアあたりだとか。

 とするとタイのポメロは原種に近いのでしょうか? 食味は日本のブンタンの方が野趣というか、鈍臭く感じられ、一方、ポメロはすっきり洗練されていてグレープフルーツに近いように感じた。ブンタンは、原種が日本列島でガラパゴス化したものだったりして。

 実は、花の香りの中で一番いいなと思っているのはブンタンの花です。果実の方は大振りで大味、香気もそれほどでもないですが、花の香りは最高、毎年、5月になると咲きます。関東、東京ぐらいが北限といわれていて、住宅街の庭木として植わっている。

 しかしブンタンの果実は甘くないし、ナツミカンほどではないにしても酸っぱい(微かに苦味)と、ポンカンをトロピカルフルーツに加えた我流の分類からは外れます。

 喉を潤すとかコテコテに甘いもの食べてるときの口直し、整腸剤(?)みたいな果物としてはいいのかも。それにしても大きいので食べ出がありますね。

 

 ネットを検索すると、世界三大フルーツとして、マンゴー、マンゴスチンチェリモヤが上がっています。この手の選定はだいたい欧米の人の味覚が世界基準になってる。

 日本の食用の菊の花を試食したフランス人が、禅の味がしたと言ってたのを思い出す。異文化、ジャポニズムの味ってことだと思う。こちら側からすれば、自分がはじめてマンゴーを口にしたとき果肉に菊の風味がしたことを覚えている。でも、それが禅の味と感じることはない。生まれ育った地の食文化によって、同じものでも違う味に感じられるのではないか。

 欧米人の味覚(+嗅覚)で選んだ世界三大フルーツの番付と、日本人の味覚(+嗅覚)で選んだ番付は違ったものになるはず。洋ナシにしてもマスクメロンにしても、そうレモンもそうですが、ヨーロッパ人がアジアから移植して改良したフルーツの特徴は、どれも香気を高めることにポイントをあてている。そのあたりに嗜好の方向性が見てとれる。

 また、歴史的に麝香や龍涎香に対する思い入れが強く、文化として定着していたアラビアや中国、つまりデイープというか濃厚というか、そういう嗜好の国々で世界三大フルーツを選んだら、何が挙げられるか興味あります。

 バナナとパイナップルは、19世紀後半から大規模なプランテーション栽培が行われ、世界中に大量に廉価で出まわってるので、幕下扱いされている。もし希少な存在だったとしたら、三大フルーツのうち二つは占めていてもおかしくないと思う。

 中世のイギリスではオレンジとレモンは王侯貴族しか口にできない贅沢品だった。もともと柑橘類の原産地は東南アジアで、中世にアラビア商人が西方に伝え、その後、地中海周辺で栽培されるようになった。

 それまでオレンジやレモンを知らなかった人が、はじめてそれに接したとき、すごく驚いたはず。当然、人はその香気に取り憑かれる。当時、香辛料やお茶がヨーロッパで持てはやされたのと同じようにオレンジ、レモンもそうだったんですね。

 今は、ごく普通ににオレンジ、レモンは流通しているので、中世の人々が感じたであろう香気の魔法は解けている。結局、人の嗅覚、味覚(主観)は時代や地域性=文化によって変わっていく。同一ものが違った香気に感じられるようになるってなんだか魔法っぽい。でも、人間の感覚ってそういうものなんじゃないか。

 

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未来は今・・・臨海副都心とウルトラQ

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 毎年、春、秋の二回、お台場の国際展示場に通っている。もう20年以上になります。

 ここは、通称、東京ビッグサイト、巨大なロボットみたいな建物(会議棟)で知られていますが、大きな展示場がいくつもあって、そこをうろうろしている。とにかく広いので歩くのが大変。

 よほど天気が悪くない限り、昼すぎにはいつも西展示場の屋上で一休みしている。屋上の端に小さな見晴らし台があり、ここでコンビニで買ってきたおにぎりやサンドイッチを食べる。

 この場所は自分にとって隠れ家的スポットで、いちばん景観のいい場所を独り占めしてる気分・・・と言っても、そんなことに関心ある暇人はいないので、いつきても無人なんですが。

 残暑の厳しい炎天下の日もあったし、見上げると台風が接近して低い雲が流れるように動いていたことも、小春日和の凪いだ海を眺めてたり、冬の真っ青な空の下で日なたぼっこをしたりと、いろんな日があった。

 そこから見える景色、眼下に東京湾、遠く房総半島のコンビナート、羽田空港を離着陸する飛行機、巨大な観覧車、大きな玉が載っているテレビ局、ベイブリッジ、鳥居みたいな形をしたホテル、高架で空中を滑っているように見えるゆりかもめと基本的には変わってない。

 それでも、少しずつ変わっているところもありました。通いはじめたころは、夢の島は海からせり上がった白い丘だった。廃棄物の山が白く見えたわけです。ゴミ処理のクレーンも見えた。それがいまは移植した木々が成長して緑の島に変わりつつある。

 夢の島という名前、いつの日か緑の森になることを計画して付けられてたのでしょうか。

 品川の方向は、再開発で以前はなかった高層ビルが林立している。すぐ隣の有明にはオリンピック関連の施設が建っている。

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 1月下旬、快晴の暖かな日、いつもの場所で、いつものように休憩してたら、珍しく人がやってきた。上の写真、隠れ家にしている見晴らし台の屋根です。

 屋上の端っこで、周囲は駐車場になっていることもあり、ひと気がなく、他の人と鉢合わせしたのは本当に久しぶり。この10数年ではじめてのこと。

 催しに出展しているヨーロッパの業者さんのようで、階段をちょっと昇り、視界の開けた場所に立ったとき、ワオーと声を上げた。目の前に広がる景色に、よほど驚いたんでしょうか、思わず声が出ちゃったという感じ。

 冒頭の写真は、その人が声を上げた景色。季節は真冬ですが、太陽が燦々と輝き、海がキラキラ光っている。平日ということもあり、見渡してどこにも人がいない。ゆりかもめが無音で滑るように移動している箱庭的世界。

 そうでした、この天気、冬の海洋性気候もワオーと言わしめる大きな要素になっている。暖かな昼下がり。雲ひとつない真っ青な空、眩しい太陽。遠くに真っ白な富士山も見える。こっちの方がインパクトあったのかも。

 この景色を毎回、見てきて、自分の内に焼き付いている。海と空、それにシュロの木が並んでいる亜熱帯的な天地、薄い水色、ライトブルーの建物や交通機関、視界は整然としてひと気がない。

 生活感が全くないし、車も人の姿も見えない。まるで現実がジオラマ化しているよう。

 無音、無臭、隅々までクリーンで清潔な空間。全てが無国籍的な、人工的でフラットな、どこか空虚な世界、これが日本の21世紀なんだな、 自分の内ではそんなイメージが出来あがっている。

 

 いつからかこの景色、昔のテレビ番組のワンシーンと重なってるように思えてきた。

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 今から約半世紀前、1968年に放映されたウルトラQ、「開けてくれ」というタイトルで、異次元の世界のシーン。海があって、その向こうに奇妙な建築群、空を列車が走っている。この光景は、現在の上海の方が近いだろうか、上海のテレビ塔やタワーの光景は似てるなと思う。

 ゆりかもめは空は飛ばないですが、人の頭上を高架で移動している。電車と違って無人運転で無音、走るというより滑る、移動するといった感じです。

 人間世界の現実は過去と未来を織り込んで作られている。見ているのは日常普通のお台場の景観ですが、半世紀前の異次元(=未来)が今、ここにあるんだなと思っている。結局、昭和の高度成長のころの人々の集合的無意識が物質として形になった、現実化したのを見てるってことですよね。

 20年も見続けてイメージが固まってきた。失われた20年といわれた時代とも重なっていて、だいたいこのあたりまでかなと思っている。明け透けに言ってしまうと、この四半世紀、経済が停滞している中、よくここまでやったなとも思う。

 

 そういえば、1982年に公開された映画、ブレードランナーは37年後、2019年のロサンゼルスを描いていて、その世界はレトロフューチャーといわれる当時としては斬新な未来像だった。

 ・・・と言っても、あの映画は、19世紀の世紀末のアートがそうだったような反近代の頽廃的な雰囲気を再現してるようにも見え、本質的に「斬新」とは言えないのかもしれない。『西欧の没落』(1918)の二番煎じのようにも見える。

 ブレードランナーの未来は、随所、東洋、日本っぽくもあった。当の日本は、ブレードランナー的な荒んだ退廃的世界とは異なり、ウルトラQも現在のお台場も明るくクリーンで、なんか桃太郎的(?)な景色。

 また、超近代的なビルで見る人を人を圧倒させるようなドバイ、ああいうバブル的な世界とも違う。

 お台場の景色は、ブレードランナーやドバイと比べるとチマチマしていて、かと言って決して見劣りするわけでもない特異な世界、空間の広がりはあるのだけどなんだか箱庭を見ているような感じ。

 これがナンバーワンよりもオンリーワンを志向した日本なのかも。別にそれを選択したわけではなく、もともとそうだったので惰性でそうなったオンリーワンですが。だから他の国とは比較できない・・・特異な世界のわけです。

 江戸時代の昔から震災や大火、火山噴火、台風、それに戦災などを繰り返してきたことからすれば、この景色も消え去るときがくるかもしれない。

 でも、それも織り込み済み、口にしなくても誰もが薄々、起こりうることとして意識しているはず。そして、次に再建される日本もやはり桃太郎的で、チマチマした世界になるような予感がしている。

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 これが見晴らし台。 升形の砦みたいな小さなスペースで、石の腰掛が4席。日除け程度の屋根、空を見るにはこれぐらいの方がいい。元来、狭い所が好きってこともあります。

 天地広大な空間の中にポツンと、茶室というかウサギ小屋みたいな所が落ち着く・・・こういう感性、日本的なのかも。

 

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食い千切られる・・・ソクラテスの人面パイプ

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 朝、目が覚めると枕元に紙の小片が散らばってる。ボール紙、ペーパータオルのような紙、横文字の紙の切れっぱし・・・はて?

 あっ、あれは大丈夫か? と慌てる。布団を動かさずに、シーツの上をゆっくりと手で探る。

 あった! 中身は無事でした。横文字の紙片は破れた証明書だった。

 先日、入手したばかりの古いクレイパイプの頭部、陶器でソクラテスの顔になっている。クレイパイプは粘土を素焼きしたパイプ。19世紀前半のドイツのもので、化石を扱っているドイツの業者が、こんなものもあるよ、と小皿に入れた6~7点の小さな顔の陶器を見せてくれた。

 パイプは、アメリカ先住民が使っていたものが16世紀にヨーロッパに伝わり、18世紀に木や陶磁器のパイプがドイツを中心に広まっていった。

 喜劇風の妙な顔とか、ヨーロッパ人の男の顔、それぞれ由来があるようで、聞けばリンカーンの顔なんかもあるという。

 

 前夜、寝る前に横になって見てるうち、急に眠たくなってきて、厚紙の小さな箱に収め、それからはっきり覚えていない。夜中、眠ってるとき、犬のJがやってきて、箱を食いちぎり、それから包んでいた柔らかい紙と証明書を破いていたのだ。中の陶器は、無臭で硬いので当然、無関心。そのまま放ったらかし。助かりました。

 これまでもJには、本や雑誌、新聞をはじめいろんなものをやられている。ペン、鉛筆の上部は齧られて崩れてる。毛布は齧られて穴が空いている。顔は齧られないですが、舐められる。

 『陶庵夢憶』は表紙から58ページまで食い千切られ、自分で補修して欠落したままときどき読んでいる。『蘇東坡詩選』はバラバラに散乱し買い直した。しかし、その本をまた齧られ、二度目は表紙を破られただけだったので補修して読んでいる。

 読んでいるといっても、 横になるとすぐに眠くなるので、 いつまでも読み進まないうち、結局、Jに齧られるパターンを繰り返している。

 いつも齧るのなら、もちろん対策を考えるけれど、この間は、おとなしかった。それでつい気を許していると、向こうは気まぐれで齧るので始末に負えない。

 

 このパイプはドイツの地方都市ウスラーで見つけたものだそうで、1835年のものだとのこと。

 この年、ドイツで初めて蒸気機関車が走っている。 イギリスで蒸気機関車の営業運転が始まって10年後、そんなには時間差ないなという印象。日本では江戸時時代の天保年間にあたる。

  ベートベンやヘーゲルといった人たちの少し後、ドイツが統一国家になっていく途中の時代で、資本主義の胎動期。まだ電気はなく、馬車が走っていた。思うに普通の庶民の生活・日常感覚では中世から近世の世界に生きていたのではないか。

 う~ん、年表見ても政治的な出来事、事件、発明とかは書かれていても、そういうことはよく分からない。まあ、当たり前といえば、その通りで、天保のころの日本人のことだって実感するのは難しい。大塩平八郎の乱とか、映画の「天保水滸伝」だと下総の侠客どうしの抗争があり、利根川の河原で斬り合いをしてました。その頃、中国ではアヘン戦争が起きている。

 

 このソクラテスの顔 鼻が高く、眼科が窪んでいて、ヨーロッパの哲人といった感じですが、実際のソクラテスの容貌は大違いでした。同時代に書かれた文書には、ソクラテス容貌魁偉な人だったと記されている。

 紀元前318年にギリシアの彫刻家リュシュポスがソクラテスの石像を作っていて、実物は残っていないが、2世紀のはじめに作られたそのコピーは、いまルーブル博物館に収蔵されている。ずんぐりした禿頭のオヤジといった感じ。

 

 上の写真のような顔の造りをしてるのは、哲学の祖はヨーロッパ人じゃないと示しがつかないってわけだからですよね。

 キリストの容貌にしてもそう。長い間、教会やヨーロッパの絵画で描かれてきたのとはずいぶん違うようで、イギリスのBBCが番組の中で科学的な知見を基に再現したイエスは、中東からアフリカ系の容貌をした浅黒い肌、黒髪の人物でした。

 いつかヨーロッパ文明を客観的に見ることが出来るような世界になったとき、ソクラテスやキリストは名実ともに、これまでとは別人になるのかも。

 

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似ている・・・腕足動物の化石と水草の実

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 今年も残すところあと僅か。この間、9月からブログの更新がとまっていました。今朝、今年中になにかアップしなきゃと思い立ち、前から気になってたことを書いてみました。

 というのは、古生代の腕足動物スピルファーの化石と水草の菱(ヒシ)の実がよく似てることです。上の写真がそれ。

 左が手元にあったスピルファーの化石、アメリカのユタ州で発掘されたもの。世界各地から発掘されていて、昔の中国ではその形から岩燕と呼ばれていた。

 右のヒシの実は日本の池に生えていたもの。この実は食べたりもされている。穴を開けてビーズ、数珠にしたりもしている。

 

 両者、ちょうどサイズも同じぐらいで並べてみた。人間が似せて作るのではなく、自然のものが似ているというのは、直感的に、なんか奇妙な、レアーな感じがして面白い(と、思っている)。偶然の一致、シンクロニシティに何か意味を感じる心理が醸し出される。

 

 そういえば、収斂進化という言葉がありました。魚類のサメと哺乳類のイルカのように、系統の違う動物が、似たような体形をしてることを言います。モグラとオケラの前足の形が似ているとか、系統的には異なる睡蓮と蓮が似ているとか動植物、昆虫などいろんな生き物の中にそういう姿を見ることができるそうです。

 

 はて? スピルファーとヒシの実は、動物と植物、それも体と実(たね)、これも収斂進化の一例なんでしょうか?

 スピルファーには、二枚貝のように水を吐き出し推進力にして動くような機能はなく、海底で水の流れを生かして向きを変えたりするためこういう体の構造になった。

 海ではなく空だと、風の流れに乗って空中を飛ぶ凧がそうでした。水でも空気でも流体の力学からなるべくしてそうなった形。ゲイラカイトスポーツカイトの形、よく似ている。

 

 ヒシの方ですが、ちょっと調べて見ると、水上に浮いて発芽したときに流されないためのストッパーの機能を果たすため両端がトゲ状になって、こういう形になっているという説明がありました。水面に出ている他のものと接触して繋留、流されないようにする。実際に水辺で見たことがないので、そうなんだろうなと思いつつも、よく分からないところもある。

 「99.9パーセントは仮説」という本がありましたが、世間で定説になってることも、詳しく調べて行くと、案外、疑わしいことが多々ある、そんな気もしてる。

 この実は、水面を漂うウキになっている。それほど流れの激しくない湖、沼の浅瀬に生えてる水生植物なので、もしかして船やカヌーみたいに流れに乗って水面を移動するのに有効な形として、こんな形になったってことはないんでしょうか? 僅かな水の流れを生かして生息圏を広げるのに有効性があるので、こういう形になったなんてこと。

 いや、鳥や魚にパクリと飲み込まれないようにトゲがあるのかも。こちらの方が納得しやすいかな。スピリファーと似てるのは偶然の一致。とすれば、写真見てのとおり、よくこんなに似た姿してるな、と感心するばかりです。

 どちらも素人の当てずっぽうなのであんまり自信ない。実際、どうなのかいつか観察してみたいところです。

 

 ちょっと付け足し・・・先ほど、偶然の一致、シンクロニシティに何か意味を感じる心理と書きましたが、その心性を突き詰めると、人類の原初的な呪術的思考が蘇ってくるというか、文字の生まれる遥か昔、新石器時代ぐらいまでの人類はこういう思考をしてたんじゃないか。『金枝篇』で言っている類感呪術や『未開社会の思惟』で言っている融即律を思い出す。

 全体を見て似てるって感じるのは、直観の働きでした。全体ではなく部分(細部)ならよく見たら似ているというのもありますが、全体は見たとき瞬間的に分かることで、直観は別の言い方をすれば統合的な認識ということでした。それはAIのようなデジタル的な思考(分析的思考)とは真反対な関係にある。

 形がそっくりだからって、それが何なの? と、意識にほとんど抵触しない人もいるでしょう。一方、そういうのに何か引っかかるものを感じる人もいて、イエス・ノー、白黒はっきりしない微妙なところです。自分の場合は、そういうのを面白がる方ですが、なんか変だなーというぐらいでも構いません。

 それは、自分たちは文明世界に生きていながらも、まだ人類の幼年期の心性を忘却してはいないという証拠なのではないか、と思っている。

 

 ・・・「似ている」ということでは、これも追加しときます。2004年11月と2015年1月にアメリカ海軍機が赤外線カメラでUFOを撮影した映像3本が流失し話題になっている。場所はカリフォルニア州沖と東海岸沖とのこと。下の写真は、そのワンショット。

 どれも30〜75秒ほどの長さの映像で、この形のものと、タイヤを横から見たような形のものが撮られている。

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 う~ん、よく見てくと、両翼(?)の先の反り方、尾っぽの形、異なりますが、まあ、その辺りは全体的に似てるってことでご容赦ください。

 こういうのって政府や軍とは別に民間で作ってるってことないでしょうか。その試験飛行を軍が見つけて驚いてるのかも。多国籍ベンチャー企業とかNGOのようなグループで、開発に宇宙人も雇ってたりして。

 これは何年か前に流出した動画で、今年(2019年)になって空軍が未確認飛行物体と認定したことが話題になりCNNのニュースになった。検索すればすぐに出て来ます。

 

 今日は穏やかな快晴、今は昼の一時前、窓ガラスに当たっている日差しに年の瀬を感じています。よいお年をお迎えください。

 

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夜の雷雲はけっこう綺麗

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 昨日は夕方、ゲリラ豪雨に見舞われました。天気が急変し、近くで稲光と落雷の音が轟く。その後、雨はあがって、夜になると雲間に星が見えました。

 11時ぐらい、外に出て歩いていると東の方向、夜空が光った。雲の向こうで白い光が間歇的に瞬いている。それが小一時間続いた。

 その時間、千葉の市川市の方で雷が発生していて、それが見えたようです。前線に伴って発生する界雷と呼ばれる雷らしい。ここは桜新町なので、都心部をまたいで距離は30キロぐらいか、音は聞こえない。

 間に雲があって、その中で光っている。内側から光の当たった雲は超巨大なドームのようでした。雲の濃淡によって、閃光の明るさに差が出て、それがいっそう幻想的に見える。

 打ち上げ花火は光の点ですが、これは雲のヴェールを通って光の面になっている。この雲のドームは、高さ4〜5キロ、直径15キロぐらいか? けっこうきれいで、そう、人間が作ったどんなものよりも大きくきれい。

 書きながら富士吉田市から見た富士山と三島市から見た富士山の大きさの違いを想い出している。富士山は高さ3.8キロ、富士吉田市から15キロ弱、三島市からは30数キロといったところか。

 記憶のイメージに残っている雷雲は、富士吉田市から見た富士山に近いような・・・あんまりあてになりません。

 殺風景な都会で暮らしていても、たまには自然界の美しい光景に出会えるのですね。

 しばらく立ちどまって眺めていたが、ちょうどバッグにカメラがあったので、思わず写真を撮ってみました。

 光っている時間は、ほんの一瞬なので、眼に見えた雷雲とそれが画像に写っている姿は何か違っているように感じる。写真に写った雲の裂け目は、奇想の景観みたいに見えて面白い。

 100枚以上撮っているのですが、イメージと合っている写真は僅かでした。

 上の写真は、世田谷1丁目の畑で撮りました。あとの写真は、桜新町2丁目で撮ったものです。

 このすぐ下の写真は超巨大ドームの出現、7枚目で天の扉が開いちゃって、一番下は異世界の都市が現れる・・・という見立て。

 

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戦前のフリーメイソン、秘密結社の本と焚書

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上/『日本に現存するフリーメーソンリー』(大沢鷲山著、内外書房刊、1941)、『支那を繞り政治・経済・並に宣伝に活躍する上海猶太銘鑑』(国際政経学会編、国際政経学会刊、1937)

下/『秘密結社』(F.Ligreur原著、藤田越嶺訳補、東京高原書店刊、1934)、『世界各種秘密結社研究』(納式律著、一進堂書店刊、1929)

 

 暑い中、本の整理をしている。置き場がなくなり、まとめて古書店に引き取ってもらう話になった。

 これはもういいかなという本を大雑把に分け、ダンボール箱に詰めたり、ヒモで束ねたりしている。 長年の間に、置き場所は三軒の家に分散していて、押入れや廊下から次々出てきてきりがない。家に1、2、3、5、6巻あるが、4巻だけ他所にあるとか、箱はこっちにあるけど、本体はどこにあるのかとか手間取っている。

 分野、テーマごとに集めた本があり、まるごと処分するか、残しておきたい本を選ぶか悩ましい。 昭和20年代に出版された本は紙質も製本も悪く、整理しているうちにボロボロ崩れてくる。

 梅雨の頃からやっていて、大体のカサの目安はついてきました。

 本って一冊、一冊はなんてことないけど、集まると容積にしても重さにしても、とんでもないことになるんですね。はじめは軽く簡単に持てたのが、どんどん重くなってきて、遂には持った人を押し潰す妖怪の子泣き爺を思い出します。

 

 今回、フリーメイソン、秘密結社関係の本で戦前に出版された34冊(うち1冊は英語の本)と戦後1960~70年代に出版された28冊を一括して手放すことにしました。

 上の写真は、戦前の4冊です。全部の本のタイトルを書き写すのは時間がかかるので、購入をお考えの方はお問い合わせください。

 

 戦前のこの関係の本は、いまも古書展の目録でたまに目にしますが、これだけ揃って出ることはまずないと思います。主に1970年代後半、神田の古書会館で開かれていた古書展、それに五反田と高円寺の古書展などで購入しました。

 その頃、毎週送られてくる目録を丹念にチエックして購入していた。ザーッと、小さな字で書かれた雑多な本のタイトル、著者名、出版年を見て探すのですが、いま振り返ると、延々、よくやったものです。

 目録から同じ本を複数の人が希望したときは、クジ引きで一人決めることになっていた。戦前の34冊の中には国会図書館と競合して入手した本、競合者が何人もいて運よく入手した本、けっこうな値段だった本もあります。

 いまはどうなっているのか知りませんが、その頃は、クジ引きで競った他の人の名前など書かれた札が本の扉に挟まれていた。それをみると、2倍からせいぜい5、6倍の競り合いで、けっこう当たりました。

  当時、本を箱に収めて押入れに仕舞ったまま、いつの間にか月日が経っていました。タイムカプセルに入れたまま忘れてたといったところです。

 

 結局、フリーメイソンや秘密結社に関心があって、読むために、あるいは何か調べるために集めたというよりは、「フリーメイソン、秘密結社の本」を集めるために集めてた(?)わけです。

 今思うに、テーマは何でもよかった。ふとした偶然の切っ掛けからそういう本を集め出し、収集すること自体が目的になっていた・・・どうも変な話しですが。

 究竟、本の競い合いでクジに当たると嬉しくて、埃をかぶった古書の山の中から掘り出し物を見つけたりするとまた嬉しくて、そんな感激(?)を味わうために集めていたのかも・・・振り返ると、そんな気もしてくる。なんか依存症っぽい。

 本は基本的に印刷物=複製品なので一般人でも買える範囲の相場ですし、古書展はオークションのように値段が釣り上がっていくシステムではない。だから、飲む・打つ・買うの道楽に比べると、そんなにお金がかからない。・・・ええ、古本なので、紙屑、ゴミを集めて喜んでるのと紙一重でもあるのですが。

 囲碁・将棋、登山、読書は昔からの日本人の手軽な道楽で、一般的には月並な趣味程度に見られがちですが、中にはそれにハマって身を滅ぼす人もいる。やっぱり、それぐらい、人を破滅させるぐらいじゃないと、本当の道楽とは言えないのではないか。

 古書の収集は、貧者の道楽としてはコストパフォーマンスの面で大穴的なフィールドでした。しかし、そこに陥穽がありました。

 本って全くたちが悪い。一冊、一冊は軽く、小さくても、たまると重く、大きくなってゆき、愛着があるので捨てるに捨てられず、さらに増え続けどんどん重く、大きくなっていく。

 長い年月をかけて、やっと気づきました。 本という存在は、群体生命のように増殖して初めて正体を明かすのです。 その正体は、子泣き爺の化身、人に取り憑く妖怪なんですね。

 

 神田の古書会館と言っても、場所はJRの御茶ノ水駅から坂を下った駿河台下にあり、そこの2階の広いフロアーで毎週金・土曜日に古書展をやってました。いまは新しいビルになって地下で開催されている。

 真冬の寒い朝、古書会館前の路上に不精そうというか不健全というか、独特の雰囲気の男たちが列を作っていた。古書展の初日、平日の金曜日なので、朝からそんなところに並んでいるのは、大体がマニアのブックハンターや、せどり師たち。開場と同時に入り口に殺到し、我先に階段を駆け上っていく光景を想い出す。・・・妖怪に取り憑かれちゃってる!

 その後、神保町の細い路地にある喫茶店「さぼうる」や「ラドリオ」の薄暗い店内でゲットした古書を取り出しては黄色くなったページを撫でたり、古い紙の匂いを嗅いだり、戦時色の濃い装丁を眺めていた。 

 愛書狂の変人、奇人について、紀田順一郎氏がよく書いていました。「書鬼」ってところまで極まっちやった人もいる。紀田氏の『推理小説 幻書辞典』(三一書房、1982)は、小説の形式をとりながらも、そこに登場する本の収集家たちは実在しているはず。知り合いにそういう人、何人かいましたので。・・・なんの話をしてたんでしたっけ?

 

 1990年代に太田竜氏が反ユダヤフリーメイソンといったユダヤ陰謀論に傾倒していったのは、戦前、ユダヤ問題を研究していた国際政経学会の影響が大きかったといわれている。その国際政経学会の本も7冊ほど含まれています。

 戦後1960~70年代に出版された26冊は、戦前の本ほどには時間も経っていないので、コツコツ古書展を探していけば、その多くは見つけられるのではないかと思う。それほど珍しい本ではないですが、知る人ぞ知る国際政治評論家の山川暁夫氏が注目していた本もあります。

 太田氏と山川氏は、共に故人ですが、昔、両者と会ったことがありました。

 太田氏とは1980年代にある研究会で顔を合わせている。でも、奇を衒った浅薄なところが垣間見えてしまい、物足りないというか、どうも馴染めなかった。この人の得意技はハッタリでした。

 太田氏がユダヤ陰謀論と出会う前のことで、あのころ、太田氏と波長が合っていれば、既にず~っと眠ったままになっていたこれらの本や資料をお渡ししていたのですが。

 山川氏と会っていたときのこと。話の途中で、ふと、『ユダヤ人と世界革命』(1971、永淵一郎著、新人物往来社)という本を評価する言葉を耳にしたのを覚えている。硬派の左翼で、かつリアリストだった氏にしては、意外な感じがしたからです。

 山川氏は、そのころロッキード事件の背後に日本、北米、欧州の三極委員会の存在があるという記事を雑誌に書いており、その絡みで口から出た言葉でした。この本も戦後の28冊の中に入っています。ネットを検索するとけっこう出てくるので、比較的容易に入手できる本のようですが。

 それにしても、山川氏はソ連のスパイだったという話があり、その一方、生家はマンガのサザエさん一家のモデルだっという話もあり、事実は小説よりも奇なりを地で生きた人っているんですね。

 

 これらの本、まとめて古書店に引き取ってもらうことも考えましたが、どうも味気ない。やっぱり誰か、譲るべき人の元に渡ってほしい。

 でも、もしそういう人がいなかったら、出会う縁がなかったら、最後は、全部、焼却施設に持っていくかとも考えている。いわば自作自演の焚書

 誰にも知られてないこと、そんな秘密の知識、情報が記されている本が、世界に一冊だけ残っているとして、その一冊を焼却してしまえば、その知識、情報はこの世から永久に消える。そういう行為って、無上の甘美な全能感に浸れるのではないか。

 ここで話題にしている62冊は、そこまでレアーな本ではないですが、数少なくなっている本なのは確かで、焚書するだけの価値(?)、あるんじゃないか。 

 これらの本によって、最初はクジに当たった時のラッキー!って悦楽感を堪能したし、最後は焚書の全能感を満喫できるなら、それは、読んで得られる知識や情報、あるいは売って得られる金銭を超えた価値と言えるのではないか、そんなふうに思っています。

 

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