椎の実を食べる

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(塔の話しで・・・昨日の夕方、京葉道路小松川橋から見た船堀タワー(115メートル)。

 西日を受け、眩く光る塔。荒川の川面に黄金色の反射像が映っている。車から見た一瞬の光景でしたが、凡百の現代アートより1000倍はいい。美麗です。

 このあたりの荒川は河口が近く、海の湾のように広く空も広い。なかなかの景観、江戸川区を水辺都市と呼んでいるのも分かります。この塔は、1999年に開業、区の公共施設(タワーホール船堀)だそうで、展望台(103メートル)は無料。今度いってみたい。)

 

 世田谷区役所の近くの公園、今朝、ツミ(雀鷹)の羽を見つけた。特徴ある鷹の羽紋、久しぶりに目にした。ツミは小型の鷹、以前、鋭い爪でキジバトを捕獲していた。あの爪、いかにも猛禽類といった感じでした。

 一昨年、春の嵐で巣がなくなってから姿が消え、気にしていた。ツミの姿、声は聞いていないが、またこの林に戻ってきたようです。

 

 いまの季節、公園に椎(シイ)の実がたくさん落ちている。ざっと数えると、林には樹齢100年を越えるシイの木が80本ほどある。毎年、この林の椎の実を食べている。誰も拾わないので無尽蔵にあるような感じ(大げさか)。

 シイは寿命の長い木で、見た目、樹齢200年ぐらいの古木も一本ある・・・谷中の玉林寺にある樹齢600年以上といわれるシイと比べて、これぐらいじゃないかという推定ですが。

 ふと、思ったのですが、この公園は江戸時代には長州藩の敷地だった。吉田松蔭の墓はここ(隣接している神社内)にあるし、シイの古木から数メートルの場所に長州閥の政治家、桂太郎の墓がある。

 樹齢からすると、松陰や高杉晋作伊藤博文といった人たちは、若木だった頃のこのシイの木を目にしていたのではないか。そんなことを夢想していると、それらの人々が生きていた時と繋がっているように感じられる。

  古木は幹の周りが3メートル、公園の他のシイよりも格段に太い。幹に大きな穴が開いている。幹の内部は朽ちて空洞化、周囲に支えの木枠が設置されている。

 人が入れるほどの空洞の中を覗くと、根元から新しい蘖(ひこばえ)が何本も生えてきて、空洞の穴から外に伸び出てている。まるでロシアのマトリョーシカ人形のような入れ子構造の木(想像しずらい)、・・・これってシュールな光景で、植物の奇観です。誰も気にしていないことですが。

 

 ついでに、木洩れ陽のランキングを考えると、シイの林の木漏れ陽がいちばんいい。季節は9月から10月がいい。

 シイは肉厚で小さな葉が密に茂っているので、光を遮るカーテンとして格段にドラマチックだからです。例えば、クロマツの林の木漏れ日は、簾(すだれ)のようで初夏にふさわしい。でも、光と影の織りなすドラマ性ではシイの林が優っている。シイの林は、晩秋になると陰の気が増してくるので足が遠のく。

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 大雑把にドングリと呼んでいる木の実の中で、アク抜きなしに食べれるのはシイとマテバシイの二つだけ。写真の小さいのがシイ、大きいのがマテバシイ。上のシイは、椎の実の中では大きな種類のものです(後述)。

 クヌギは丸い大粒だがアク抜きしないとだめだし、コナラ、ミズナラもそう。一見、美味しそうなカシの実は苦くて食べられたもんじゃない(昔はアク抜きして食べていたとか)。

 ところで、ドングリはクリ、クルミ、トチノミも含めて縄文人の主食だったといわれている。人の食もそこまで遡ると、熊やサル、鹿、イノシシ、リスたちと同じになってくる。修験道の五穀断ちは、木の実や草根を食べること、要は弥生時代以前の縄文食に戻った食生活ということだった。

 自分は、この季節、戯れに食べているだけなので経験的に言えるわけではないですが、修験道は食によって行者の体質を変えていき、それによりというか、波及効果、副作用としてメンタル面、意識を変えることを目指していたのだと思う。験力といって、一種の超能力みたいなものも身につく。

 マテバシイの実は、長くてでっかい。実の容積はクヌギに劣らない。シイという名前がついているが、椎の木とは幹も葉も、実の姿形も全然違う別物です。硬い殻を割ってそのまま食べると、柔らかい木片を食べてるような味、ちょっと味気ない。しかし、フライパンで炒ると、甘みがあってけっこういい。

 結局、身近にあって、そのまま食べれ、そしていくらでも採れるドングリということでは椎の実になる。 味もドングリの中でいちばんいい。落ちている実の殻を割って、実を食べても軟らかく、味の基本はデンプン質ながらもナッツのような味でもあり、けっこういい。僅かに油脂性の味で仄かに甘い。そういえば、福岡の太宰府天満宮のお祭りには炒った椎の実を売る露店が出てるとか。

 

 毎年、椎の実をまわりの人たちに分けてきたが、どうもはっきりした反響がない。写真、(右下)の最上等の椎の実を選んで袋に詰めていたのですが。

 たぶん、どうやって食べるのか、よく分からず、手つかずもまま終わっていたのではないかと思う。もちろん、フライパンで炒ると説明した紙片もつけていましたが、見知らぬ木の実をそこまでして食べようと思う人はそんなにいないのかも。

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 椎の実には、何種類かある。実の形、大きさから4、5種類はあるようです。ふつうによく見るのはスダジイ、(右上)の写真です。

 (左上)はツブラジイ、これは小さくて、殻の色の黒みが濃い。木の下に足の踏み場もないほど落ちている。殻の表面はつややかなので朝陽が当たり黒光りしている情景はとても美しい。他の椎の実よりずっと小さく、殻を割るのが面倒だし、食の対象からは外れる。

 (左下)の細長いのはツブラジイの変種か? この公園の椎の林は、戦前、いろいろな椎を計画的に植えて作られているようで、実の姿形に違いがある。

 

 (右下)の丸っこく大きなのが食べるのには一番いい。スダジイの変種か? 食べる上でサイズの違いは大きい。この実の重さを測ると、だいたい1,5グラムぐらい。ツブジイの方は、0.5グラムぐらいなので三倍違う。

 この丸っこく大きな椎の実は、自己イメージが膨らんで栗と同格になっている。そんなことからプレゼントとして配っていたのですが、上記のように反応はほとんどない。

 そうでした、自己イメージでは、この丸っこい形は1930年代のソ連の戦闘機イ-16、つややかな色は中津川市野峠の茶水晶といった感じです。

 最初のころは炒って食べていたが、そのまま食べた方が美味しいと思うようになってきた。それに炒って少し時間が経つと実が硬くなって按配が悪い。拾ってきた実をそのまま置いておくと、すぐに乾燥して硬くなる。粉にして、チャパティみたいにして食べる手もあるが、石のように硬いので大変。トンカチで割ってから粉にしていく。

 結局、落ちているのを拾って、そのまま殻を割って食べるのがいちばんということになった。新鮮な実、つまり落ちてから半日以内ぐらいのもの。

 新鮮かどうかは、殻の色で分かる。落ちたばかりの実は、コーヒーのロースト豆のような深い茶色。一日経つと、殻の色はキツネ色に変わってくる。先ほど書いたように淡白なナッツといった感じ。

 

 地面に落ちているものを拾い、そのまま口にしているって、文字で書いていると犬みたいで変ですが、慣れってのは、なんでもありなんですね。自分にとっては、ごく普通のことになっている。

 箸やフォークを使わず手で食べるのも、その国の文化によってはごく普通のことだし、あるいは、日本人が普通に食べている生卵が外国の人には抵抗あるってのもそう。

 犬といえば、朝食のとき、よく犬にパンを横取りされ、奪い返して食べたりしている。脚の長い犬なので後脚で立ち上がってテーブルの皿に載っているパンを舐めたり、咥えて持っていく。

 二足歩行もしている。・・・深夜、人が寝静まったころ、台所のテーブルや棚にある食べ物を探し、立ち上がり徘徊している。暗い部屋の中を二本足で歩いている犬、奇妙な光景です。

 要は、犬の躾がなってないんですが、それはさておき、犬が食べてたものを自分が食べることも、慣れになってしまっている。人間が犬に躾けられているみたいですが。

 なんでそんなに椎の実にこだわっているかというと、毎年、この季節になると、食べているうち、だんだん分かってきたからです。椎の実の味が。妙なもんです、はじめのころは意識していなかった、とるに足らないと思っていた淡白な味が、繰り返し口にしているうちに一つの味覚イメージとして形になってくるのですから。

 

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